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【書籍化決定】「連載版」「もう頑張れません」と告げて去った書簡官を、王太子は思い出せなかった  作者: 夢見叶
第4章 噂は紙より軽い

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第24話 守りの手順は間に合う?

 執務室の机の上に、紙が積まれている。

 

 保管手順。複製管理。面会枠の最適化。出入り簿の記録形式。面会簿の更新周期。書簡封蝋の確認方法。緊急時の報告体制。——それらを、全部文章にする作業だ。

 

 同僚書記官の前には小さな砂時計が卓上に置かれていて、その砂が落ちるたびに「1項目」という目安になっていた。定時までに、あと何項目作れるか。その速度で、会談までに間に合うかどうかが決まる。

 

「複製は3部。正本は文書庫、副本は上役の鍵付き引き出しへ。控えはお手元で。その管理者を固定して、毎月の第1週に検証を行い、不備があれば記録に残して報告する。その検証記録も別途保管することで、改ざんの痕跡が残りやすくなります。つまり、守りの証拠が、同時に残ります」


 同僚書記官の声は平坦だった。だが、その平坦さの中に、小さな痛みが混ざっているように聞こえた。手順を作ることで、2人を守るしかないのだ。その切実さが、1語1語に刻み込まれていた。


 私は、ペンを握った。


 数行、書いて、また数行。機械的な仕事ではないはずなのに、指が慣れてしまっていた。6年間、王宮で書きに書きつづけた手は、「守りのための条項」も、「揚足を取られないための定義」も、同じ速度で記録した。


 書けることが、少しだけ落ち着きを呼んだ。


 手が動いている間だけは、「見られる怖さ」が、「書くべき項目」に、姿を変えた。


 砂時計が返された。同僚書記官は無言で次の砂時計をひっくり返す。


「……」


「まだ大丈夫です。業務能力の範囲内です」


 同僚書記官の声がかかった。顔を上げると、書記官はペンを握ったままの私を見ていた。「落ち着く顔をしている」というだけの言葉は、本人の口からは出ない。だから「大丈夫です」という形になった。


 私たちは、そういう言葉をかわす。手順で。記録で。決して、甘い言葉では。


 扉が開いた。レオンが入ってきた。手に、閲覧許可札を3枚持っていた。


「護衛配置を整理しました」


 彼は立ったまま、書記官と並んで、机上の紙を見た。


 その時、給仕が朝のパン籠を回収しに来た。同僚書記官は無言で、卓上のパン籠をさっと引き寄せた。


「机食は業務時間外です」


 その淡々とした声だけで、給仕は頷いて去った。私は、思わず口元を押さえた。笑いが、そこに静かに止まった。


「面会枠は、週に3度。公開面談限定。護衛は3名。距離は……1歩です」


 私は視線を上げた。「1歩」。以前、護衛隊長は「2歩」と言っていた。その距離が、また縮まったのだ。


 守りが強くなるほど、誰かが近づきたくなり、その近づきが「見世物」に見える。そして、防衛の手順を増やすほど、敵に「狙う価値」を教えてしまう。


 そのジレンマを、レオンは黙ったまま、机上の紙へ視線を落とした。


 砂時計が、また返された。


 私は、ペンを置いた。


「……守られるのは、怖いのです」


 その言葉は、本来なら言うべきではない言葉だった。公式な場で、感情は邪魔になるだけだ。だが、それを言わずにはいられなかった。


「守りが強いほど、観察も強くなります。手順を作るほど、狙いが鮮明になります。それなのに、手順を作らなければ……」


 言葉が、途中で切れた。


 同僚書記官は、砂時計に視線を落としたままだ。彼女は、この矛盾を熟知している。だから何も言わない。その沈黙が、すべてを言っていた。


「でも、守りを選べるなら」


 私は、顔を上げた。レオンを見た。


「その場合は、違うかもしれません」


 レオンは、一瞬だけ目を上げた。その目の色は、公式な席では決して見せない、個人の色だ。


「……」


 彼は、ペンをゆっくり机に置いた。


「選べる形にします」


 その声は、公用語ではなく、個人の声だった。


「あなたの言葉で。手順も、距離も、面会枠も。——全部」


 同僚書記官は、そっと砂時計をひっくり返した。あと、いくつの項目を作れるか。その速度で、会談までに間に合うか。


 その計算の中に、今、「選べる形」という新しい項目が、ひっそり忍び込んだ。


 会議は、また続いた。


 執務室から出るころには、陽が傾いていた。


 同僚書記官が帳簿を抱えて去ったあと、レオンと私は文書庫へ向かった。新しい封蝋護符を貼り替えるためだ。


 前の護符は、既に「見られた」ものだった。内通者の手が触れたかもしれない、という痕跡が残った、その「気配」だけで、私たちはもう安心することができない。だから、新しい護符を貼る。同じことを繰り返す。繰り返して、守っているつもりで、実は敵に「狙う価値がある」と宣言しているのだ。


 その繰り返しが、敵に「守る価値」を教える。


 この矛盾を、レオンは承知していた。


 鍵を開け、扉を開け、新しい護符を貼りながら、彼は言った。


「貼ったことが、誰かの知らせになります」


 つまり、守っていることを、知らせてしまうということだ。内通者は確認するだろう。「ああ、やはり狙う価値がある」と。


「ええ」


 彼の声は、静かだった。


「でも、貼らなければ、壊されます。——あなたを守れません」


 手順を増やすほど、狙いが鮮明になる。それなのに、手順を作らなければ、守りは成立しない。その悪循環を、身体で受け止めるしかない。


 貼った護符を、レオンは指でそっと整えた。その折り目を直す所作は、公式な姿勢では決して出ない、個人の癖だ。


 その指が、僅かに震えていた。


 私は、その手を見ていた。


 夜になった。


 執務室に戻ると、窓から庭が見えた。月が、静かに出ていた。


 私は、窓に近づいた。


 開けるか。閉めるか。


 いつも、同じ迷いが来る。開ければ、そこから誰かが入るかもしれない。気配が逃げ出すかもしれない。閉じれば、呼吸ができない。手順の中で、少しずつ息が浅くなっていく。


 けれど今夜は、違う選択肢があった。


 私は、窓を「少しだけ」開いた。


 守りながら、呼吸する。その形を、レオンは作ると言った。選べる形に。でも、その「選べる形」は、いつまで成立するのか。


 そっと、月の光が入ってきた。


 頬に、涼しい空気が触れた。


 執務室の隅には、複製管理表が、まだ完成していない。面会枠の最適化も、出入り簿の検証も、守りの手順の全部が、まだ途中だ。明日も、明後日も、その作業は続く。


 その手順を整える前に、もし「期限付きの紙」が届いたら。


 本国からの「返還期限」が書かれた、正式な封蝋が到着したら。


 上役の言葉が思い出された。「次は期限を書いた封蝋が来ますよ」と。


 ————こちらの守りは、本当に間に合うのか。


 月の光の中で、その問いだけが、何度も何度も、心の中を通り過ぎた。胸の奥で、その問いが、小さな炎のように燃えた。


読んでいただき、ありがとうございます。


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