第22話 守ると言いたいのに、仕事の顔
応接間の客席に座ったとたん、息が浅くなった。
向かい側に貴族3名。その背後に護衛。左手奥に同僚書記官。そしてレオンは、机の正面——机ではなく、正式な面談の「向こう側」に置かれていた。段階的な距離。公式の椅子の高さ。言葉さえ公用語に固定されている。
昨日までは同じ机だった。書類を並べて、追伸帳面の角度について笑い合ったこともある。それが今、茶会の座敷で「顧問閣下とのご懇親」という題目で、私は見世物になっていた。
「では、改めてご報告ですが、フィリーネ嬢の立場として、翻訳顧問という肩書で宜しいかと」
同僚書記官の声が、遠くから聞こえる。返事をするのは、レオンだ。声が違う。昨夜の「書類の誤植、ここですね」という語調ではなく、外交官の——命令に近い「了承いたしました」。
貴族Aが菓子を口にした。その視線が、私とレオンの間を測っている。椅子の距離。席順。護衛の配置。すべてが「彼が何か思っている証」に見える。
「ところで、お2人の関係は。翻訳官と顧問、という理解で?」
声は上品だが、刃がある。
喉が閉じた。
レオンの手が机の上にある。昨日、その手が私の手を――いや。公開面談ではそういう事実は消える。記録に載らない。だからこそ、今この瞬間、私たちの距離は公式には最大になっている。守られることは、管理されることだ。面談の日程、護衛の配置、発言の順序。全部、私を守るための枠が、同時に私を見張るための枠になっていた。
「記録上は、翻訳顧問です」
レオンが答える。公用語で。息継ぎなく。隣にいても、別世界の人だ。
「ですから、面会はすべて記録簿に記入され、護衛が同席します」
同僚書記官が続ける。その真顔は親切だが、実際に言っているのは「2人きりにはならない」だ。
息が、もっと浅くなった。
立ち上がりたくなった。走りたくなった。このテーブルの重さ、貴族たちの視線、記録簿に記される「面会時間14時〜14時47分」という区切り。すべてが、私の胸に重くのしかかっていた。
守られるのではなく、囲われている。違う。違う——でも、そう見えてしまうのだ。誰のせいでもなく。すべての親切が、同時に監視に変わる世界。
「フィリーネ嬢の滞在は、どの程度を予定なさっていますか」
貴族Bが聞く。茶を飲みながら。自然に。しかし確実に、私の定着度を測っている。
「当面は……仕事の必要な間」
その答えは、実は決まっていない。回避した。返したくない。帰るのか、ここにいるのか。「ここにいる」と名言すれば、噂は「ザーレン王女の代わり」に変わる。帰ると言えば、噂は「儚い利用」に軽くなる。どちらを選んでも、噂の餌になる。
だから「必要な間」と言った。曖昧に。安全に。卑怯に。
レオンの目が、私に落ちた。ほんの短い間。その視線は——何を言いたかったのか。怒っているのか。心配しているのか。公開面談では、感情を読むことが許されない。許されないから、推測することになる。相手の沈黙を意図だと勘違いする。守られることは、こういう見えない恐怖でもあるのだ。
茶菓子の話題に戻った。無意識に会話は軽くなる。そのほうが「何もない」に見えるから。私たちの関係が「何もない」ように。距離が「公式な距離」のように。
面談が終わったのは、夕刻だった。
廊下に出たとき、呼吸が戻った。でも戻ったわけではなく、ようやく息が吸える場所に来ただけだ。
「疲れました」
同僚書記官が横を歩く。声が小さい。
「明日もです。記録会議。明日の明後日も」
そして彼は何も付け足さなかった。励ましも、心配もなく。ただ「そういう世界」を示すだけだ。壊れないために、あえて何も言わない。それが、ヴァイス側の優しさなのだと理解することに、数日かかった。
窓辺の夕刻に、レオンが現れた。護衛が少し離れる。その距離も、公式に「記録されない距離」だ。ここなら息ができる——そう信じたかったが、実際には息は浅いままだ。記録簿に記されなくても、視線は確実に注がれている。
「フィリーネ」
名前だけ。公用語ではなく、ザーレン語で。昨日と同じ。でも同じではない。今、その名前を呼ぶことは「公的な面談から逃げる」ことになる。逃げた。彼は、逃げた。
「……守ります」
言いかけた言葉が、そこで止まった。
「守ります。——と言うと、命令に聞こえる」
息が詰まった。そこを、私が埋めるべきか。返すべきか。彼の沈黙は、親切か。
いや。彼は言葉を止めたのではなく、言葉を選んでいるのだ。「守る」という言葉の重さが、この距離——公開面談の後の、護衛から少し離れた廊下の暗さで——どう聞こえるか、測っている。
「命令は、もう……足りました」
私が返した。それは、拒否ではなく、線引きだ。守ること と 命令することは、違う。対等なら、選べるはずだ。その違いを、彼が言語化してくれたから、私も言語化できた。
レオンが目を閉じた。ほんの短い時間。その時間の中で何かが——何を言うべきか、何を言ってはいけないか、その判断が——砕けた。
「わかりました」
その返事は、諦めではなく、約束だ。守るを命令にしない。対等に選べる形に。
窓を通して、街の灯りが見えた。まだ明るい。もう暗い。その間のような色をしている。
朝の窓とは違う暗さだった。
帰り道、同僚書記官が横で「明日の時間です」と紙を渡した。その紙の隅に——昨日なかった、小さな傷。折り目ではない。何かが触れた跡。
鍵穴の縁に、昨日なかった粉が残っていた。
問い詰めると、同僚書記官の声は低くなった。
「夜間に、誰かが」
その言葉の先は、言わなくてもわかった。誰かが、開けようとした。記録簿には載らない夜に。そっと、確認するように。鍵は開かず。でも、試されたのだ。試した者がいるのだ。確実に。
守りの手順を整える前に、次の正式な紙が来たら——本当に間に合う?
その問いは、まだ答えが出ていない。出ないまま、私たちは明日も会議の机に向かう。公用語で。記録簿に載るように。
命令に聞こえる「守る」ではなく、対等な「守る」を、どう形にするのか。その答えが、紙になるまで。
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