26話(83話) 仕組まれた毒
「ミラ!」
リディアが呼びかけるまでもなく、ミラはアリシアに付き添って回復の魔法をかけた。と同時に、背後からガキン! と大きな金属音が鳴る。アンドレアのいた方だ。リディアが慌てて振り返ると、そこには巨大な石像とアンドレアが剣を交えていた。
「おい! お前ら、全員無事か!」
どうやら石像が動き出したのとアリシアが倒れたのはほとんど同時だったらしく、アンドレアはまだ彼女が倒れたことに気が付いていない。一気に動き出した状況にリディアは混乱しつつ、ひとまず返事をする。
「アリシアが倒れた! ミラが治療中よ! そっちに加勢した方がいい?」
「本当か!? ——いや、こっちは俺一人で大丈夫だ! 嬢ちゃんは治療を手伝ってやってくれ!」
「——リディア様!」
アンドレアの言葉に、治療の手助けをしようと振り向いたリディアをミラが呼んだ。アリシアは相変わらずミラの腕の中でぐったりとしたまま。リディアは慌てて駆け寄る。
「どうしたの? 治療が効かない?」
「はい……実は、この矢が抜けず……出血が止まりません」
アリシアの腹部には、矢が刺さっていた。本来はリディアに刺さっていたであろうものを、代わりにアリシアが受けてくれたのだ。自分のせいで。リディアの背中に冷たい汗が伝うが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「とりあえず、先に傷の部分にだけ回復魔法をかけてみるのは?」
「試してみますが……効果が見られるかどうかは……」
ミラの手が光る。後ろからは耐えず戦闘の音が聞こえていて落ち着かない。アンドレアはどうにか、倒れているアリシアから石像を遠ざけようとしてくれているようだった。
「——ッ!」
ハッとリディアが視線を戻すと、アリシアはさらに苦しんだような表情を浮かべていた。リディアは慌ててミラに一度回復魔法を止めるように指示をする。
「何かおかしい……」
アリシアに刺さっている矢。あれはきっと、普通のものではない。抜くためには、特別なものや方法を使う必要があるのだろう。しかし、あるかもわからないそのヒントを探している暇はなかった。
「……どのくらい、時間があると思う?」
「……私には、なんとも。……あまり無いだろうということだけは」
ミラの言葉に、リディアはすう、と深呼吸した。あの力に頼るしかない。どういう条件で発動するのかも正確性も、何もかもわからないけれど、魔力の濃いこの場所なら、あるいは。リディアは目を瞑り、そっとアリシアの腹部に刺さった矢に触れた。
「お願い……!」
ひんやりとした感触。鉄製のそれに指先が触れると、リディアの視界に文字が浮かんだ。成功だ。それを喜ぶ暇もなく、リディアは急いで現れた文字を読んだ。
〝材質は鉄。刃先には黒色の塗布物。血液の凝固を防ぐ毒が塗布されているほか、内部に呪術が刻まれている。呪術は刺さったものの魔力を捕らえて対象と一体化し、その循環を阻害する。外部から魔力を注がれると、この呪術はより強力になる。対象が毒に耐性を持っていた場合であっても、魔法の使用を不可能にする効果がある。〟
「解呪よ! ミラ、その矢に解呪の魔法を!」
〝呪術〟。その文字を視界に捉えたリディアは、反射的にミラにそう叫んだ。ミラはリディアを疑うこともなく、すぐに以前呪術のかかった手紙に使ったような祈りの歌を歌う。ミラの体が強く光り、前回よりも強い風が吹いた。彼女ができうる限り最大の力を遣ってくれているのだろう。ふっとその光が消えたと同時にリディアは矢にふたたび手をかけた。
「……抜けた!」
今度は簡単に矢が抜けた。リディアは未だ毒の効果で出血しているアリシアの腹部を抑えながら、今度はミラに解毒の魔法をかけるように指示する。聖女候補であった彼女であれば、どんな種類の毒であっても解毒が可能だ。ミラがリディアの手の上から手をかざし、解毒の呪文を唱えると、出血が少しマシになったような気がした。
「これで大丈夫なはず……」
「……では、回復魔法をかけさせていただきます」
ミラが回復の呪文を唱えるのを、リディアは固唾をのんで見守った。あのよくわからない力で見た情報が正しいとは限らない。ここでアリシアが回復するかどうかは一か八かだった。
「光よ——」
呪文を唱えると、徐々にアリシアの傷が塞がっていく。外科的な治療までできるというのは、なんとも便利な力だ。これはほとんど神の代理として奇跡を起こしているのに近いものなのだろう、とリディアは直感した。アリシアの顔色も段々と良くなっていく。
「……んん……」
完全に傷が塞がる頃、キュっと眉を寄せたアリシアが、ゆっくりと目を開いた。青色のふたつの目が、リディアの顔を捉えようと瞬く。
「アリシア……!」
「リディア……様……ミラ様……」
リディアはホッと胸を撫でおろした。ミラも珍しく安心したように表情を緩めている。状況がつかめていないのかぱちぱち瞬いていたアリシアは、少し難しい顔をしたと思ったら、今度はバネでもついたように飛び起きた。
「あ……! リディア様……! 大丈夫でしたか……!?」
こんな状況でも、アリシアの心配は自分のことより周りのことらしい。混乱するアリシアに何があったかを説明すると、彼女はさらにオロオロとして、ミラに頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます……!」
「いえ、私はただ治療をしただけで……方法を見つけたのはリディア様なので」
バッと振り向いて頭を下げようとするアリシアを、リディアは制止する。
「元はといえば、あなたが私を助けてくれたのよ。ありがとう」
「避けろ!」
そんな会話をするリディアたちにまだ何も終わっていないということを思い出させるように、ガン! と大きな音がして、石の破片が吹き飛ばされてきた。リディアは慌てて防御魔法を展開し、アリシアとミラを守る。
「防ぎきれなかった! 生きてるか!」
「ええ! アリシアももう大丈夫よ!」
——そうだ。まだあれが残ってるんだった。
リディアは深呼吸をして、アリシアに語りかける。
「起きて早々悪いけど……まだ終わってないの。あれを倒すわよ」
石像とアンドレアの剣がぶつかる音が、部屋全体を震わせるように響いていた。