8話 試してみよう!
「うーん、試してみましょうか。風を操れる魔法使いの方はいる?」
結婚式の監視用ドローンの制作を試してみることになったリディアは、一度部屋に戻り先日保管庫から持ち出した魔導書を持ち出した。そして騎士団長のエドと副団長のジークと共に、魔法のテストができるという訓練場へと向かう。
特別な結界によって魔法は外へ漏れたり何かを破壊することなく、跳ね返って危険が起こることもないというその訓練場は、魔法学校でも使われている最新の設備を備えているのだという。リディアはそこに、ローゼンブルク家の魔法部隊の中でも特に優秀な風の元素を操れる騎士を連れてきてもらった。
「よろしくね」
「はい」
魔法を使える人間が操れる元素はさまざまだが、そのほとんどはそれ一つではなんの意味も作用も持たず、他と組み合わせたり術式に組み込むことで初めて働くようになる。一方で、風や炎、水、氷といった、自然を操るようなものたちは特別で、それ単体でも作用するなど少し仕組みが異なっていた。例えばキースは一番得意なのは氷だが、これらの特別な元素のほとんどを扱うことができる。彼が優れた魔法使いだというのはここが所以だった。
「じゃあとりあえず、監視用の道具の代わりにこの箱を使って……」
実物を手に入れないと重さがわからないが、仮に箱の中にいくらかの錘を入れた。持ってきた魔導書のページをパラパラと捲る。
「例えばこの箱に呪文を書き込んで、そこに力を込めることはできる?」
「やってみます」
特別な元素を使える人間はごく稀だ。適性があったとしても、力が弱く扱いきれないことも多い。ここにいる騎士はそれを操れるというだけで相当優秀だとわかる。リディアは魔導書の中から見つけた、書いてほしい呪文を指さした。
「なるほど、この呪文ですか」
「そう……それで、ここだけこっちに書き換えて」
「……書き換える?」
元素を操るための呪文や術式というのは、前世の記憶を思い出してから学ぶと、プログラミングによく似ているということに気が付いた。それらに使用するそれぞれの文字に意味があり、それぞれを組み合わせて適切な指示を組み立てている。しかしこの世界では、基本的には呪文を組み替えたり、新しく一から作ったりするということはほとんどなく、すでに完成しているものを使う。多くの事象に対してはそれでこと足りてしまうせいだろう。研究機関ならいざ知らず、普通に実戦で使うだけであれば、呪文を見直す機会というのはなかなかない。
「そう、それで、こめる力の強さは攻撃用の7割……いえ、一旦半分にしていただける?」
「……わかりました」
魔法使いの優秀さというのはいくつの術式を使えるかとどの程度力が強いかに依存する。そして、力の強さは元素への適性の強さで決まる。どの程度の力でどのくらいの魔法が出力されるかは、結局のところその人次第だ。リディアは今手を貸してくれているこの騎士の技量を見てから調整をすることにした。
「じゃあ、行きますよ」
風の騎士が書いた術式に魔法を込める。文字が明るく輝き、ふわりと風が吹くのをリディアたちは少し離れて見ていた。
死亡フラグの立っているリディアにとって、この状況は様々な事故が考えられる危険なものだったが、近くにはエドたちもいるし、身を守るための道具もあり、そして何より彼女は適性のある元素を見つけて一番最初に防御魔法を覚えていた。
「気をつけろよー」
エドとジークがリディアを庇うように前に立つ。彼女はふたりの隙間からデモンストレーションの様子を眺めた。
風の騎士が合図をすると同時にさっきより強い風が足元を吹き抜け、箱は一瞬ふわ、と浮き上がった。
「おぉっ!」
見ている何人かから歓声があがる。が、それも束の間、箱はすぐに勢いを失って地面にぺしゃりと落ちた。「あぁ……」と今度は落胆の声があがった。魔法を込めた主がどうしようかとリディアの方を見るので、落ちた箱のそばに寄る。
「じゃあ次はもう少し出力を上げて——」
「危ない!」
予想は的中。死亡フラグは根強かった。一度は光が消えたはずの魔法が再び光りだし、箱がリディアの方に飛んでくる。それを受けたところで死にはしないかもしれないが、錘を入れたからまあまあ痛いことは確かだろう。何より死ぬ運命にある以上、打ち所が悪く……なんていう可能性は充分にある。当たらない方が良いのは確実だが、ドレス姿では咄嗟に避けられそうにない。
「——!」
彼女はここ数日何度も繰り返した練習のように、呪文を唱えた。魔法陣が展開し、金属音のようなけたたましい音が響いた。ぶつかった衝撃で後ろに倒れ込みそうになったリディアを、エドがキャッチする。はじき返された箱が力なく床に転がった。
慌ててその場にいた全員が駆け寄ってくる。
「確認不足でした! 申し訳ございません!」
「お側で控えていなかった私どもの責任でもあります、申し訳ございません!」
何度も練習したとはいえ、数日間の練習で身に着けた、急ごしらえの呪文だ。初めての実践に、まだ心臓がドキドキしていた。支えられて姿勢を正し、呼吸を整えながら、平謝りをする騎士たちを「いいのよ」と宥める。今のは完全に予想できないものだった。これは以前の故意での襲撃とは違う、"物語 "によるものだ。
「怪我も無いし——」
「いや、誰も突っ込まねえの?」
振り返ると、青い顔で平謝りをする他の騎士たちと対照的に、エドが目を輝かせていた。リディアは彼が一体何にワクワクしているのかわかっていつつも、一応「何に?」と聞いた。
「魔法だよ、魔法!」
エドの返答はリディアの想定通り。彼は魔法が使えるなんてキースから聞いていないとか、あの日も使えたのかとか、興奮気味にまとまらない感想を口にした。
「確かに、調査でも何も——」
ジークがそう言いかけて、慌てて口を閉じる。婚約にあたっての調査のことだろう。ローゼンブルク家に嫁ぐとなれば身元の調査が入るのは当然のことだが、ふつうは身元を調査されるというのは良い気のするものでもない。彼が黙ったのはそういう理由だ。家の信頼にも関わるので、名目上この調査は存在しないということになっているが、実際は婚約が正式に決まるよりもっと早くに行われている。
リディアが魔法を取得したのはついここ数日のことなので、調査でわからないのもキースが知らないのも当然だった。
しかしこの世界では普通、こんなタイミングで急に魔法に目覚めるなんてことはない。面倒を避けたくて、リディアは「隠してたのよ」と誤魔化した。
「しっかし、珍しい魔法使うなあ」
エドがリディアの細い手首を掴んでまじまじと指先を眺める。その瞳が今までのアンバーから紫色に変化していた。リディアはその瞳から目が離せず、固まってしまう。
彼が言っているのは防御魔法のことではない。防御魔法は単に術式の一種で、そこに入れる元素は何でもいい。わかりやすく例えると、防御魔法は電球で、エネルギーになるものであれば電池でもジャガイモでも、何を繋いでも光るのと同じだ。炎には炎の、水には水の防御魔法があり、リディアが使ったのは彼女が適性を持つ元素の防御魔法。
エドが珍しいと評したのは、正確には魔法そのものではなく、その元素のことだ。その眼で彼はまじまじと何かを見ているようだった。
「何してるんですか」
「いてっ」
つかつかと早歩きで近付いてきたジークがエドの頭を引っ叩き、その拍子に瞳の色が元の琥珀色に戻る。手の力も緩み、簡単に振り解けた。それまでリディアをその場に貼り付けていたような感覚がようやく消え、ホッと胸を撫でおろす。
「と……とにかく、もう一度やってみましょう」
頭の片隅の嫌な予感には、気付かないフリをした。