15話(72話) 旅立ちの朝
翌朝は旅立ちにふさわしい快晴だった。これからリディアが旅立つ玄関で、皆が見送りに来ている。
「リディア様~、本当に行っちゃうんですか?」
「寂しいです……」
「こら、奥様にそんな言葉遣いをしてはいけませんよ」
リディアの世話を担当している若いメイドふたりがそう言うのを、メイド長のイザベラがたしなめる。リディアはそれを「いいのよ」と制止して、彼女たちの目をまっすぐ見て微笑んだ。
「ハンカチ、イザベラから受け取ったわ。ありがとう。できるだけ早く帰ってくるから」
そうして彼女たちとの別れを済ませていると、奥からキースがやってきた。それに気付いたメイドたちが、一歩下がって道を空ける。
「キース! 来てくれたのね」
「当然だ」
キースはリディアのそばにやってきて、薬草や食料、護符など色々なものをきちんと持ったかと確認する。荷物はすべて先に馬車に積んであるとリディアが説明すると、彼は「そうか」とリディアの手を取り、指輪のついた指を撫でた。
「……気を付けて。無理はしないようにな」
「任せて」
キースの瞳には、わずかな寂しさが滲んでいたが、昨日ほどの不安はもう見えなかった。「そろそろ時間か」の言葉にリディアが頷くと、キースは彼女の手を掴んだまま、玄関の扉を開ける。気持ちのいい青い空が広がり、心地よい風がリディアの旅立ちを後押ししているようだった。
「リディア様。ご挨拶はお済みになりました?」
「ええ。大丈夫よ」
馬車の前にいたミラに頷く。アンドレアは近くにいる副団長のジークと何かを話しているようだ。
「エドはアイツ、見送りにも来ねえでどこ行ったんだ。任務か?」
「いえ、今日はいるはずなんですが……」
アンドレアとジークがそんな話をしていると、正面の入口と繋がっている庭の方から「おーい」とのんびりエドが現れた。ジークが「またあの人は……」とため息を吐いている。
「もう時間?」
「すぐ出発だ。来ねえかと思ったが」
「さすがに来るって! 寂しそうな親友も支えなきゃだしさ~」
いつもの如くへらりと笑みを浮かべたエドは、キースと肩を組み、その頭を乱暴に撫でた。「辞めろ」と怒られると慌てて離れ、ハンズアップの姿勢を取る。
「やべ、怒らせた?」
微塵もそんなことは思っていなさそうな調子でそう言ったエドは、リディアに向き直り「気を付けろよ」と笑みを崩して真面目な表情を作った。その言葉には、ただ魔物の棲み処という場所が危ないという警告の他に、〝物語〟に異常が起きていることへの警告の意味が大いに含まれている気がした。リディアは絶対に〝物語〟には負けない、という強い気持ちを込めて頷く。パッといつもの表情を取り戻した彼は、続いてアンドレアに軽口をたたいた。
「キースの大事な大事なお姫様をちゃーんと守ってくれよ、アンドレア」
「俺のことを誰だと思ってんだよ」
「あっはは、そうだった」
「お前こそ、俺がいない間にこの真面目くんにあんまり迷惑かけんじゃねえぞ」
うんうんと頷くジークにげ、と露骨に表情を崩したエドは、アンドレアにガシガシと頭を撫でられてやや照れくさそうに笑った。
「おし、じゃあそろそろ出発するぞ。嬢ちゃんたち、大丈夫か?」
「ええ」
「はい」
今回の馬車はいつもと違い、かなりシンプルな造りだ。アンドレアは御者席に乗り、不測の事態に対応できるようにする。ダンジョンの最寄りの街までは他に二人の騎士が同行し、リディアとミラはキャビンへ。
「じゃあ、行ってくるわね」
「ああ」
繋がれたままだったキースの手を離す。リディアが笑顔で手を振ると、彼も少し微笑んだような気がした。リディアが先に中に乗り込むと、続こうとするミラをエドが呼び止める。入口の前で何か話している様子で、ミラがエドから何かを受け取ったようだったが、話している内容はよく聞こえなかった。
「——ま、効果は眉唾モンだが無いよりマシだろ」
「……ありがとうございます」
「ちゃんとお嬢さんのこと守ってやれよ」
「当然です。あなたに言われなくとも」
相変わらずのやりとりをしながら、ミラが馬車の中に乗り込んできた。リディアが大丈夫か尋ねると、彼女はいつもの涼しい顔で頷く。
「よし、じゃあ忘れ物はないな?」
「ええ、大丈夫よ」
「ほらキース、ちゃんとお嬢さんの顔見とけよ」
エドに背中を押されたキースが馬車の入口の前にやってくる。そのやりとりがなんだかおかしくてリディアが笑うと、キースはなんとも微妙な表情をした。
「オーケー、お別れはここまで。無事に帰って来いよ!」
エドはそう言って、馬車の扉を閉じた。同行する騎士たちが馬でやってきて、エドの「準備完了!」の言葉と共に、馬車がゆっくりと動き出す。
リディアは後ろを振り返り、小窓から外を見た。手を振っている皆と家と、キースが小さくなっていく。そうしているうちに街を抜け、景色が草原へと変わった。リディアの胸はワクワクと高鳴っていく。
いよいよ旅の始まりだ。