7話 発想と提案
ようやくバタバタとしていた家の中が落ち着き、騎士や警備を担当する者を除いておおむね普段通りの生活に戻れたのは、リディアが自分の使える魔法を発見してからさらに2日後のことだった。
生活がいつも通りに戻る、ということは、それまで中断されていたリディアの仕事もまた始まるということだ。
彼女は魔法の勉強に1日中を費やしたい気持ちを必死に抑えて、ふたたび書斎でローゼンブルク家の管理について、メイド長のイザベラから説明を受けていた。
「——と、ここにはこの数字を入れるわけです。ここにはこれとこれを足し合わせて——」
聞いているだけで頭が痛くなりそうだ。前世、パソコンとスマホと計算ソフトがあった時代ですら、彼女は経理関係の仕事が苦手だった。
「これ、全部手計算で……?」
「手……?」
イザベラはリディアの言っている意味がわからないようだった。それもそうだ、そもそも手計算以外の手段がなければ、手計算という概念も存在しない。リディアもアークェット家にいた頃に学んだ財政の管理の際は手計算でやっていたが、一度現代科学の技術を思い出してしまえば、それなしで生きていくのは至難の技だ。
——せっかく魔法があるんだから、どうにかならないかしら。
計算の魔法。自動筆記の魔法なんかもあると便利かもしれない。それを実用化にこぎつけて販売すれば、離婚後の資金に充てられるんじゃないだろうか? 色々と想像が膨らむ。
「リディア様!」
「ッはい!」
いけないいけない。イザベラに意識を引き戻されて、ふたたび気の遠くなりそうな説明が始まってすぐ、書斎にノックの音が響いた。
「はい……あら、どうされました?」
「結婚式の警備の件をご報告に参りました。入ってもよろしいですか?」
リディアに代わって扉を開けたイザベラと言葉を交わすのは、どこかで聞き覚えのある声。彼女が「もちろんです」と中に招き入れたのは、騎士団長のエドと、先日の温室での件の際に一番に駆け付けた小柄な騎士だった。
「よぉ、お嬢さん。調子はどうよ」
「エド。それとあなたは——」
「副団長のジークと申します。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」
ジークはそう言って、深々と頭を下げた。リディアが来るタイミングでちょうど遠征に出ていて、それからちょうど帰ってきたところに例の温室での事件が起こって、挨拶するタイミングを逃していたのだと言う。
「ほら、あなたも頭を下げるんですよ……っ!」
「うわっ、おい、痛いって」
ジークが、何度も謝罪をする彼を面白そうに眺めていたエドを睨みつけ、後頭部をひっつかみ、まるで上司が部下に謝らせるようにその頭を下げさせた。
「屋敷の警備不足と護衛騎士の教育不足に関しましても、我々の責任です。重ね重ね、本当に申し訳ありませんでした——ほら、団長も!」
「あー、はいはい、すみませんでした」
「……っふふ」
そのやりとりが可笑しくて、リディアは思わず笑った。その笑い声にソロソロと顔を上げたふたりが同じように目を丸くしているので、それがさらに面白くてまた笑った。
「ごめんなさい、ふたりのやりとりがおかしくて……あはは、」
涙を拭いながらリディアがそう言うと、なぜか誇らしげな顔をしているエドをジークはふたたび睨みつけ、窘めるように軽く肘で小突いた。まるで小さな子どもとその保護者だ。リディアは呼吸を落ちつけながら、まだ立ったままのふたりに座るよう促した。そこに、外に出ていたイザベラが茶器を持って戻ってきて3人分のお茶を淹れる。
「はー、おかしかった」
リディアがお茶をひと口飲むと、ジークが書類を取り出す一方で、エドはお茶菓子のクッキーを口に放り込む。
「本題なのですが……」
彼は図面などが書き込まれた紙を机に広げる。見たところ、この屋敷のもののようだ。
「先日、結婚式に招待する方のリストをいただきましたので、当日の警備のプランを用意いたしました」
結婚式の準備は、リディアが財務管理と同時に進めていて、招待客のリストアップもちょうど何日か前に執事長のウィリアムと共に終えたところだった。そういえば、招待状を出すのにサインをして欲しいと頼まれていたことを思い出す。ローゼンブルク家と長年交友が途切れてしまっていた家に送るための手紙も書かなければいけない。
結婚式はローゼンブルク家に関係者を招く、夜会に近い形式で行われる予定だ。式自体は別で執り行い、その披露の場として行うパーティは、リディアの公爵夫人としての初めての仕事だった。
リディアはアークェット家でもお茶会程度なら開いたことがあるが、夜会を自分で開いたことはない。ローゼンブルク家は永らく社交をしておらずノウハウも残っていなかったため、自分の母親や友人など、さまざまな人から力を借りながら準備を進めている。
「入り口は1箇所ね」
「はい。こちら1箇所に限定いたしまして、他は基本的には閉鎖、緊急時のみ開放の予定です」
「バルコニーは開いても大丈夫?」
「構いません。会場の外に充分な数の警備を手配しておきます」
リディアが命を狙われている現状、警備は十分すぎるほど配備してもまだ足りない。他の家の人間を巻き込んでしまうのは問題の複雑化を招くので、もっとも避けたい事態だ。
先日の襲撃事件の犯人は判明していない。多くの人が集まり、かつ場所も明らかにされている結婚式は犯人にとっては絶好の機会だ。
「他に何か……外に配置できる監視用の道具なんかは無いかしら」
リディアがイメージしていたのは前世でいうところの監視カメラだった。ドローンのように空を飛べればなお良い。しかし、リディアの提案を聞いたジークの表情を見るに、この世界ではすぐ思い当たるものではないらしかった。リディアがこの世界で見たことがなくても、ローゼンブルク家のような大きな家なら手に入る、みたいなものではないのか。
「監視用の……。なるほど、探してみます」
「できれば空を飛べるものだといいわ」
「空?」
空というワードを出した途端、それまでつまらなそうに話を聞いているんだかいないんだかもわからないような態度をとっていたエドが急に話に加わった。なんだそれ、と前のめりに乗り出してくる。
「空を飛ぶって、鳥みたいにってことか?」
「うーん、まあ、そうね……。原理は少し違うけれど……」
引き出しから使っていない紙を1枚取り出して、そこにサラサラとドローンの図を描く。詳しい仕組みは知らないが、多分モーターで羽を回すことによって飛んでいるのだろう。でも、魔法の存在するこの世界でモーターは不要なはずだ。
「うーん、試してみましょうか。風を操れる魔法使いの方はいる?」