6話 魔法を使えるようになる裏ワザ
貴族の生活は基本的には暇だ。自分の家を持つまでは、女性の仕事は主に社交界での人脈づくり。子どものうちは基礎的なものから領地経営まで、勉強をしたり乗馬やらダンスやらのレッスンもあるが、現代社会では自分でやらなければいけない掃除や洗濯といった家事はやらなくていいし、食事も作ってもらえる。フルタイムで働きながらひとり暮らしをしていた前世のことを思うと、アークェット家にいた頃のリディアの生活はずいぶん気ままなものだった。
そんな彼女がローゼンブルク家に来てから1週間と少し、リディアが温室で襲撃される事件が起こり、それから数日、家じゅうがバタバタと落ち着かない。リディアも調査の一環として、自分に恨みを持つ可能性のある相手や、実家であるアークェット家のことについて色々と聞かれた。しかし幸い、騎士団長のエドが事件のあったときに一緒にいたため、現場検証の類はやらずに済み、さらにそれまでやっていた帳簿の管理の引き継ぎや結婚式の準備が止まってしまったので、リディアには時間があった。それで彼女はその間に、あるものを探すことにした。
「うわ、暗い……」
「本当ですね……」
ミラを連れてごく弱い光を発する照明がぽつぽつと置かれているだけの薄暗い階段を降りる。護衛のための騎士が後ろに2人、さらに扉の外に2人。忙しいのに人員を割いてしまうのは申し訳ないような気がしたが、また護衛をつけずに迷惑を掛ける方が駄目だと説得された。
「わ……っ」
「危ない! 足元、気を付けてください」
「そう言ったってこの服、歩きにくいのよ……」
石畳の階段はでこぼことして足場が悪く、さらにドレスというのはかなりの歩きにくさだ。これまで意識してこなかったが、前世の記憶を取り戻すとこのドレスという服は足さばきが悪く、さらにコルセットで締めているせいで苦しいうえ上半身の可動域も狭い。あぁ、ジャージを着られたらどんなに楽だろう。だいたい、色々な魔法がある世界なんだからもっと生活しやすくなったっていいはずだ。エスカレーターみたいなものは作れないのだろうか。
「っとと……これ靴脱いじゃだめかしら……」
「何が落ちてるかわかりませんから……」
ハイヒールで生活するっていうのも、もう慣れたけれど非効率的だ。機動性も悪い。特に階段の下りではなかなか歩くのが難しかった。フラフラするのを前と後ろから支えられながら歩くのはかなり恥ずかしかったが、どうにか一番下まで辿り着く。
「おぉ……さすがに大きいわね……」
「アークェット家には小さなお部屋しかありませんでしたからね」
リディアたちが訪れたのは、本の保管庫。魔法に関する本を探しに来たのだ。その理由ができたのは温室での襲撃事件が起きた日、リディアがキースの執務室を訪れた後に遡る。
***
「……まあ、そうなるわよね……」
早めに自室へと戻ったリディアは、早々にドレスを脱ぎ捨て、寝るときのための軽装に着替えてベッドに腰掛けた。脳裏についさっき執務室で見た、キースが頭を下げる姿と、悔しさの滲んだ瞳がちらつく。
国境の防衛を任されているような家が、2度も襲撃を許したというのはかなり異例のことだ。物語の都合上仕方がないとはいえ、彼にとっては恥ずべきことなのだ。それに、リディアは自分の運命がわかっているが、そうではない彼にとって、結婚が決まった途端妻が何度も襲われるという状況は、自分自身やローゼンブルク家のせいだと思うだろう。
——私のせいなんだけどなあ。
私、というのはリディアのことではなく、前世の『里奈』のことだが。とにかく彼女が安易にキースに死別した妻がいるなんて設定にしたせいだ。
彼になにか、できないだろうか? このままではあまりに申し訳がない。リディアが死の運命に抗えば抗うほど、事故や事件の未遂が何度も起こるということで、それはキースの責任問題にもなりかねない。さっさと死んでしまえば負担は軽くなるだろうけれど、それだけは勘弁してほしい。前世も今世も早死になんてのはさすがに御免だ。
でもせめてもう少し、心配をかけないようにできないだろうか。自分の身は自分で守れると言うことができれば、あるいは。
今からやっても身について、身体能力がさほど求められない、何か……。
***
それで彼女が真っ先に思いついたのが魔法だったのだ。防御魔法のひとつやふたつ覚えれば、もう少し周囲への負担を減らすことができるだろうし、何か攻撃手段を手に入れられれば万が一拘束されたり誘拐されたとしても対処できるだろうと、そう考えてのことだった。
「埃っぽいけど、ちゃんと掃除してるのかしら?」
「あまり人が出入りしている気配はありませんね……」
魔法に関する資料が見たいとは言い出しにくいので、この領地について詳しく知りたいだとか、そんなことを言ってこの部屋のことを知った。本の保管室のことを聞いたとき、リディアは前世での図書館を想像していたが、実際来てみると管理をしている人間も見当たらず、本当に単なる倉庫といった出で立ちだった。
そもそも、この世界では魔法は存在するものの、貴族の存在とは基本的に切り離されている。リディアもそうであるように、存在するものとして基本的な知識は教わるが実際に使うことなんてない。ごく一部の才能のある人間は貴族平民問わず(といっても実際は7割方貴族の第2子以降である)魔法を教える学校に通い、そのまま魔法を使う職に就く。
魔法使いという存在は兵器に等しい。そのため、きちんと教育した魔法使いは国が管理して、魔法省に所属してそこから派遣されるという形をとっている。要するに国家公務員のようなものだ。
ただ、才能さえあって、知識を持っていれば魔法を使うこと自体は可能なので、例えば西の方に位置する、食に優れた街では料理に使う魔法のみの知識が市民の間で受け継がれていて、日常の中に組み込んでいると聞く。そういった形で、もしくは力の込められた道具などを介して、"魔法使い"とされる者以外にとっても、魔法そのものは身近なものだった。
しかし、中には例外もある。それがここ、ローゼンブルク家のような個人で王族を見張るにふさわしい力を持った家だ。そのような立場の家はほかにもいくつかあるが、彼らは皆私設で大規模な、現代で言うならほとんど軍に近いような騎士団を持っている。ほかの一般的な貴族の家にも騎士はいるが、それとは違う。普通の貴族の家の騎士は、魔法を使わず、基本的には剣などで戦い、魔法は別途魔法省から大体各家にひとり派遣された魔法使いが担当する。それに対してローゼンブルクのような家の騎士団には、多くの場合、魔法を使う隊があるのだ。
西の街の例にあげたように、魔法は知識と素質があれば使うことができる。そして、その知識は文化として継承されうる。
だから、魔法使いで構成された隊以外の騎士も一部は軽い魔法——たとえば武器の強化や属性の付加など——を使用することもある。
当然、魔法を使う隊を編成するには、その養成機関が必要である。ローゼンブルク家のような大きな家にはその機関も付属している。キースが魔法を身に着けたのもそこであるという設定だ。エドが魔法をどのレベルで使うのか、リディアは知らなかったが、彼ももしかするとそこの出身かもしれない。とにかく、この本の保管庫とそこに納められた大量の本はそのためのものだった。
パラパラとページを捲る。現在も使っている本は別のところに置いてあるのか、そこにあるのは古いものが多く、紙は少しくすんで、ところどころ破れそうだった。リディアたちはいくつか必要そうなものを見繕い、それらを持ってまた足場の悪い階段を上がり、部屋へと戻った。
***
ローゼンブルク家に保管してある書物には、リディアがアークェットの家で学んでいたよりはるかに詳細に、魔法に関する情報がつづられていた。それも当然だ。彼女が過去に学んでいたのは魔法そのものの歴史や、本当に基礎的な部分にすぎない。
「うーん……」
リディアは持ってきた中でも一番分厚い本に書かれた数式のようなものをなぞり、何かをブツブツと唱えている。
リディアは幼い頃に行われた、魔法使いの素質があるかどうかを確認する検査で弾かれている。当然、魔法は使えないものだと周りも、記憶を取り戻す前の彼女自身もそう思っていた。幼い頃から仕えるミラも検査の結果を知っていたが、ここに嫁いできてからの彼女が、今まで通りでありながらそうではないということになんとなく気が付いていたので、何かが起こるかもしれないと考え、魔法書探しを手伝うことにした。以前より自由で、意思の見える彼女を、もっと見ていたかった。
リディアが読んでいる古い本は、元素周期表のようなものだ。
この世界での魔法は、魔法元素というものを操ることで使用する。素質とはすなわち、一定以上の魔法元素を操ることができるだけの才能のことだ。魔法使いであると判断されるとようやく、どの元素に一番適性があるかを検査する。が、この素質を見るときに確認する適性は、ごく一部の元素に対するものだけなのだ。
つまり、素質がないとされていても、細かく見ていけば一部の元素を操れる可能性は十分にある、ということになる。
元は里奈のお気に入りキャラクターでもある、魔法が使えないという設定をしていたキースのライバルに、後から魔法を使わせるための手段だった。
彼女はその仕組みを利用することにしたのだ。
この事実はこの世界ではまだほとんど知られておらず、本来作中ではキースのライバルキャラが魔法を身につけたことで発覚し、その後研究が進むようになる。リディアは一か八かで片っ端から魔法元素をあたり、適性を調べた。時間はいくらかかってもいい。おそらくひとつあるかどうかの相性のいい元素を見つけるため、彼女は検査に使う呪文を唱え続けた。
そしてその本のページが半分と少しまで捲れたそのとき。
ピュン! とほとんど惰性で呪文を唱えていたリディアの指先から光が飛んだ。それは室内の鏡に反射し、部屋にかけられた防御魔法に阻まれてあちこち飛び回って、彼女の額に思いきり当たった。座っていた椅子ごと後ろに倒れ込む。部屋の端で固まっていたミラが慌てて寄ってきて「大丈夫ですか!?」と覗き込む。
「へへ……やったぁ」
リディアは椅子ごとひっくり返ったまま、片手で額をさすり、もう片手を空に突き出して前世で言うところのピースサインをした。