56話 帰る場所
翌朝、リディアたちは早朝に教会を出た。
「えーっと……お世話になりました……ありがとう」
「もう帰っちゃうの?」
「じゃあねー」
ミラの手前、どういう態度でいれば良いかわからず曖昧に微笑むリディアの隣で、当の本人はいつもの如く冷ややかな表情を浮かべている。めいめいに手を振ってくる子どもたち。昨日先生と呼ばれていた修道女が困ったような顔で笑う。
「気をつけてお帰りくださいね。その……」
彼女の視線は、目を合わせようとしないミラの方へと向いていた。当然だろう。もう何年も帰っていなかった聖女候補が、急に戻ってきたのだから。と、その時。見送りに来た中でも特に小さい子がパタパタと駆け寄ってきて、ミラの手を掴み「また来る?」と純粋な瞳で聞いた。それに背中を押されるようにして、言葉を詰まらせていた修道女も口を開く。
「ミラルー——……ミラ。……いつでも帰ってきていいんですよ」
その口調はまるで母親のようで、昨日ミラから聞いたようなことが起こっていたとは、リディアにはとても思えなかった。しかし、ミラの決意は頑ならしい。彼女は子どもに向かって優しく首を振り、修道女をまっすぐ見据える。
「……リディア様のことには感謝しています。……それと、孤児だった私を育ててくれたことも。でも私は、もうここに戻ってくる気はありませんから」
そう言ったミラは、手を掴んでいる子どもの背中を優しく押して教会へと帰らせた。戸惑いや悲しみの表情を浮かべる彼女たちに、リディアは複雑な心境を抱えながらも、よく知らない人間が口出しするわけにもいかず、「行きましょう、リディア様」の言葉に頷くことしかできなかった。
背後から、「帰りますよ」という言葉が聞こえた。扉が閉まるのを確認したのと同時に、ミラは正門に向かう。
「ねえ、そういえばここはどこなの? 一人できたのよね? どうやって来たの?」
教会の敷地内には、ミラが乗ってきたような馬なんかは見当たらず、四方は高い壁に囲まれて、周りがどうなっているかもわからない。リディアの問いに答えないミラは、石で作られた正門の前に立つと、そこに手をかざして何かを唱えた。
「ミラ——うわっ!」
急激に周囲からエネルギーが集まり出し、強い風が吹く。思わず瞑った目を開いたリディアの視界に、正門のあった場所に開いた、大きなポータルが飛び込んできた。ミラが「リディア様、掴まってください」と出した手を取る。
「これって——」
「離さないでくださいね」
ミラは迷いなくそこに飛び込んだ。ジェットコースターに乗ったときのような強烈な浮遊感の後、目を開くと、リディアたちは路地裏にいた。
***
「お怪我はないですか?」
ミラの言葉に、リディアは首を振る。今一体、何が起きたのだろうか。ポカンとするリディアの手をミラが引き、狭い路地から外へ出る。そこはリディアの知らない街だった。かなり賑わっているところを見ると大きな街なのだろう。リディアたちが出てきた路地はそこにある教会の横。ミラはリディアに、目立たないように布を被らせて向かいの建物まで歩き出した。
「ミラ、ミラ、待って。どこへ行くの?」
「宿屋です。そこへ騎士の方々をお待たせしてますので」
ミラはそう言って歩みを進める。足を引っかけそうになりながら、リディアもそれを追いかけ、着いたのは小さな宿屋。ミラは受付をしている女性に声をかけ、迷いなく二階に上がり、部屋をノックする。
「はいはーい」
「ミラです。戻りました」
ガチャリと鍵が開き、中から顔を出したのは——
「エド!」
「お嬢さん。おかえり」
エドはいつもの飄々とした笑みを浮かべていた。中にいた別の騎士を外へ行かせ、代わりにミラとリディアを招きいれ、音を遮断する術式を壁に書いた。
「メイドさんも、お疲れ」
「私は特に何をしたわけでもありませんので」
「相変わらず冷たいなあ、聖女さま?」
揶揄うような口調のエドを、ミラがキッと睨みつける。エドは「おっと、怖い怖い」とハンズアップの姿勢をとったが、本気で反省しているわけではなさそうだ。
「エドは知って——たか。そうよね」
彼にとっては、他人の秘密を見破ることなんて簡単だ。リディアの言葉に、エドが「まあね」と相変わらずの軽薄な口調で答える。一体いつから知っていたのだろう。でもこれで、あの呪いがかかった手紙が届いたときにミラを呼べと言われた意味がようやくわかった。
「それであの手紙の時、ミラに呪いが解けるってわかったのね」
「あー……まああれは解呪ってより、より強い神の力をぶつけて無理矢理どうにかした……って感じだけどね」
リディアがミラの方を見ると、彼女は「そうです」とため息を吐きながら頷いた。そしてふたたびエドを睨みつける。
「……本当は誰も、連れてくる気はなかったんです」
「そうなの?」
「はい。……あそこは、特別な場所なので」
どうやらさっきまでリディアのいたあの教会は、一般市民だけでなく、教会関係者であってもごく一部しか場所を知らない特殊なところだったらしい。どこにあるかが秘匿されているだけでなく、偶然その場所に近づいてしまってもわからないように認識系へ作用する魔法がかけられているので、見つけることは至難の業だ。
「だから、あの場所を緊急避難場所にしたんです」
「そう……」
教会へ繋がるポータルは一つ。それが一定期間ごとに様々な場所へと移り変わる。万が一誤って外へ出てしまったときのために、あの教会で育った子どもたちには、そのポータルの場所がわかる魔法が教えられている。ミラは今回、その魔法を使って場所を特定し、リディアを迎えに来たのだ。
「本来、一部の人間以外にそのポータルの場所……そして教会の存在も、教えることは許されていないのですが——」
ミラはそこまで話すと、また大きなため息を吐いた。視線の先、エドはニコニコとミラを見ている。
「……この方には、隠しても無駄ですからね」
そういう訳で、ミラはエドと、最低限の騎士だけを連れてリディアを迎えに来ることになったらしい。エドは今度はリディアの方に向き直る。
「無事でよかったよ、ほんとに」
「……本気でそう思ってる?」
へらへらとした顔からは本心がわからず、本当に心配していたのかと疑うリディアに「本気だって!」と手を振ったエドは、スッとその顔から笑みを消し、真剣な表情に変わる。初めて見るようなその顔にリディアが戸惑っていると、エドはまっすぐに彼女を見つめた。
「お嬢さんを守るのが仕事なのに、こんなことになってしまったのは他でもない……団長である俺に責任がある。……本当に申し訳なかった」
「え——」
エドはそう言って、深々と頭を下げた。あのエドが頭を下げるだなんて。リディアは驚き声を失う。いつも飄々として、軽薄そうで、何を考えているのかよくわからないあのエドが。
「そんな……仕方ないわよ。誰も予想できなかったことだし……」
そもそも狙われているのは彼らのせいではない。物語のせいだ。どうしようもないことが起こるのだってリディアは想定済みで、そのために色々ともがいている。それなのにそんなに誤られるとどうしたらいいのかわからなくて、リディアは戸惑った。
「顔をあげてちょうだい」
リディアがそう告げると同時に、コンコンと扉がノックされた。リディアとミラを下がらせたエドがドアを開けると、そこにいたのはさっき出て行った騎士のようだ。どうやら馬車の準備ができたらしい。行こう、と促されながら、リディアはずっと気になっていることを口にする。
「あの……キースは?」
その言葉に、エドがにんまりと笑った。その笑みに含まれる意味のことを考え、リディアは少したじろぐ。ちょっと気になったから聞いただけなのに。
「アイツはお嬢さんのこと、そりゃもう死ぬほど心配してたぜ。……でも、あの状態で領主が家を空けるわけにいかないからな。留守番してるよ」
エドは〝死ぬほど〟というところをやけに強調してリディアにそう伝えた。一応ミラの顔を見てみると、彼女も同意するように頷いている。
「じゃあ帰ろうか。死ぬほど心配してる旦那様のこと、安心させてやろうぜ」
リディアはその言葉にうなずいて、街を後にすることとなった。
第一章はあと一話続きます。この後23時頃更新予定です。




