39話 静かな部屋
リディアが作った魔法陣を彫ったチャームが出来上がったと連絡を受けたのは、キースが出かけて行った数日後のことだった。
それからきちんと作動するかどうかのテストと調整を施し、最終的には魔力を補填することである程度の耐久性を持って何度か使えるものが完成した。
「すごい……! さすがだわ」
ずっと取り組んできたことがついに実を結び、実物が目の前にあるということにリディアは感動し、淡いブルーに透き通った石を明かりにかざしてしげしげと眺める。なんだかキースの瞳の色に似ているかも、なんて考えながら、満足気な顔をしている職人に礼を言った。
「本当にありがとう。まさかこんなに早くできるとは思ってなかったわ」
「ちょうど素材があってラッキーだったな」
ええ、ほんとうに、とリディアは頷いて、彼に約束より少し上乗せした金額を渡した。彼にはこれからも世話になるだろうから、このくらいはしておきたい。リディアから金を入れた袋を受け取り、職人は帰っていった。
リディアはその姿を見送ったあと、さっそくその防御魔法のかかったチャームを渡そうと屋敷の中を歩き回る。
チャームは全部で五つ。リディアはそれをひとまずミラ、キース、エド、アンドレアの四人へ渡そうと考えていた。キースとエドは今不在にしていて、アンドレアもエドとキースの不在でしばらく忙しくしていると聞いたので、まずはミラに渡したい。そう思っていたのに、こういう時に限って、いつだってリディアの傍にいるはずのミラが見当たらないのだ。
例の手紙の事件のあと、ミラはしばしばこうして不在にしている。そういう時は別のメイドが傍にいるので生活や仕事をするうえで困ることはないのだが、リディアにとって、ミラはそれだけの存在ではない。守りたい相手なのだ。自分の運命に巻き込まれて悲しい結末を辿る、なんてことにはなってほしくない。
「ミラ? どこなの?」
キース不在かつ結婚式も近付いてバタバタと慌ただしく従者たちが駆け回る廊下を抜け、リディアはミラの名前を呼びながら探し回っていた。すれ違うメイドや執事、料理係などにも聞いてみるが、誰も見ていないと言う。リディアはまだきちんと把握しきれているか怪しい広い屋敷の、全然知らない場所まで隅々見て回った。特に、以前キースが庭園へ行くときに案内してくれた従者たちの居住エリアについてはよく知らない。リディアはまるでちょっとした探検でもするような気持ちで、開いた扉の中なんかを覗き込んでみた。
大きなキッチンは、まるで前世の映画で観た外国の厨房のような可愛い作りで、絵本の中でしか見たことのないような大きな鍋がある。洗濯室は石鹸のいい香りと、泡と水の音でいっぱいの落ち着く空間だった。そうしてひとつひとつ覗き込んでいくと、ひとつ。少しほこりっぽくて、カーテンの引かれた薄暗い部屋の中に、ミラがいた。
「ミ——」
リディアは呼びかけた名前を慌ててひっこめる。ミラは、誰かと話しているようだった。ボソボソと小さな声量で正確に何と言っているのかはよくわからないが、語りかけているのは確かにミラの声だ。カーテンの隙間から見えた窓はステンドグラスのようで、暗い部屋に落ちる光は色とりどりに染まって部屋を照らしている。思わず息を呑んでしまう光景だった。なんだか触れてはいけないような。外はバタバタと騒がしいはずなのに、その部屋だけが外界から隔絶されたような静けさに包まれている。そうしてリディアが息を殺して隙間から中を覗き、動けずにいると、不意に背後に人の気配がした。
「あれ? リディア様」
ビクッと体を強張らせたリディアが振り向くと、そこにいたのは、以前ドレスの試着のときにいた若いメイドだった。
「どうされたんですか? 迷いました?」
無垢な瞳がリディアの方を見つめる。なんだかバレてはいけないような気がしていたリディアは、慌てて静かにするようジェスチャーで彼女に求めたが、その努力虚しく、今度は部屋の中から声がした。
「リディア様。どうされました?」
「ミラ……」
扉から顔を覗かせたミラは平然としていて、その顔はいつもの無表情。焦りもなにもない。やっぱりさっきのは、何かの勘違いや見間違いだったのだろうか? そんなことを考えながらリディアは部屋を覗き込んでみたが、そこには誰もいなかった。さっきのは、疲れていて聞こえた幻聴だったのかもしれない。
ミラは若いメイドを行かせ、そんな不審な行動をとるリディアに訝しげな顔を向けながらもう一度「リディア様?」と問いかける。それでようやく、リディアは本来の目的のことを思いだした。
「あ、そう! そうよ。探してたの」
「私をですか?」
「そうそう。渡したいものがあって……」
このまま廊下じゃ何だから、とリディアはそのままその暗い部屋に入る。ついでにその部屋を確認しておきたかったのだ。
「暗いわね……」
「カーテンを開けましょうか」
「いえ、いいわ」
中に入って見回してみたものの、やはりそこには誰もいなかった。何のための部屋だったのだろうか。ガランとしているそこには、教壇のような場所がある以外の特徴はほとんどなかった。何の変哲もない、ただの空き部屋。そのはずなのに、リディアの頬を何かピリピリしたものが走る。例えるなら、ずっと弱い静電気を浴びているような感覚だ。そこはかとなく感じる何かの気配と居心地の悪さに、リディアはさっさとここを出たくて、急いでチャームを取り出した。
「これ、あなたに」
「これは……」
「前に、防御魔法を作っていたでしょ? その魔法がかかったチャームよ」
リディアはミラに、そのチャームは攻撃を受けると自動的に防御魔法が展開し、位置情報が送られてくるという説明を念のためもう一度しておいた。だから、離さず身につけておいてほしいと付け足して。
「……いいんでしょうか、それを受け取るのが、私で」
いつもの不遜な態度と一転し、ミラは遠慮がちにそう聞いてきた。リディアはミラがそんな態度をとるとは思わなかったので驚いて目を見開き、そのあとふわりと笑いかける。
「私は、ミラに持っていてほしいの」
いつもそばで支えて、助けてくれた、大切な人だから。ミラにこれをあげたい、というのは嘘偽りなくリディア自身が考えたことだ。リディアはミラの手をとり、手のひらにチャームを乗せて包むように手のひらで握る。その瞬間。
「——ッ、」
「——!」
バチン。さっきから頬に感じていたのと似たようなエネルギーの反発が、一瞬ミラの手と、チャームとの間に起こった。リディアは慌てて手を離してしまったが、ミラの方はそれでも離すことなく、しっかり握りこんでいる。
「ミラ、」
「大丈夫です」
ミラは強い口調でそう言い切った。
「大丈夫です、リディア様。……これ、ありがとうございます。大切にします」
その言葉に嘘は見えなかったし、嘘だとは思いたくなかった。リディアはそれ以上深く追求することはやめ、まっすぐ見つめてくるミラに、笑い返すことしかできなかった。
予告していた時間に間に合わずすみません! 明日も引き続き2話更新予定です。