38話 見送りと約束
「本当に、今、行かれるのですか?」
「すまない、どうしても外せないんだ」
広い玄関ホールで出かける支度を整えるキースに、執事長であるウィリアムは心配そうな視線を向けていた。
キースは急な帝都からの呼び出しで、これから数日家を空ける。結婚式を目前に控え、未だリディアやローゼンブルク家を狙う者の正体も明らかになっていない現状で、キースというこの家の柱である人物が留守にするということは、ウィリアムだけでなく、多くの従者たちが不安に思っていることだった。特に今は騎士団長であるエドも不在だから、彼らの抱える不安もひとしおだ。
「キース!」
「リディア。見送りに来てくれたのか」
「ええ」
涼やかな声と共に玄関ホールに現れたリディアに、従者たちの目が一気に集まる。中でも古株の従者たちが気にしているのは、彼女の胸元。そこには琥珀色の石が輝いていた。
「着けてくれているんだな、そのネックレス」
よく似合っているよ、とキースはネックレスに触れた。リディアはそれに一瞬たじろいだ様子を見せたが、すぐ
「大切なものですもの」
と返す。そのネックレスは、キースの母親が生前よく身につけていた、彼にとっては大切な遺品だ。一体いつの間に、キースとリディアはそこまで仲を深めたのか。ウィリアムを始めとする、古株の従者たちは彼らの姿をとても仲の良かったキースの両親と重ね、懐かしんでいた。
「その、急な呼び出しって……大丈夫なの?」
「ああ。ちょっとした視察みたいなものだ。大したことじゃない」
不安そうなリディアは、「本当は渡したいものがあったんだけれど……間に合わなかったわ」と悔しそうな顔を見せた。彼女は、家に来た当初から数々のアクシデントに見舞われながら、ここまでこうして逞しく生き延びている。詳しく知る者は少ないが、どうやら魔法を使えるらしく、それを使って色々なことを乗り切っているようだ。
「俺がいなくても、ジークもいるし、今はアンドレアもいる。わからないことがあったら、ウィリアムに聞いたら大体のことはわかるはずだ」
「ええ……」
キースが安心させるようそう言っても、リディアの顔は浮かない表情のままだ。同じように見送りに来ていたジークが二人の傍へと近付き、防御魔法を張りなおしたこと、困ったことがあればすぐ伝えて欲しいことなどを言ったが、それでもリディアはどこか不安そうだった。
「嬢ちゃん、ンな心配しなくても、コイツは案外丈夫なヤツだから大丈夫だって」
「いっ……」
そんなリディアを見て、アンドレアがそう声をかけてキースの背中を思いきり叩く。アンドレアが察した通り、リディアが不安に思っているのはキースの不在中の自分の安全ではなく、むしろキースの安全のほうだったのだ。アンドレアの台詞には、それをキースに伝える意図もあった。
キースはアンドレアのことをギロリと睨んでから、ふたたびリディアに向き直る。
「……できるだけ早く帰ってくる」
「……お気をつけて、本当に」
「ああ。君も、気を付けて」
キースはリディアの目をまっすぐ見つめてそう言うと、ジークとアンドレアの方へ振り返り、「リディアを頼む」と伝えた。そうして、家を出る前の最後の確認を色々な従者たちと進めていく。リディアはその間もその場を離れず、ミラに寄り添われてキースが屋敷を出ていく背中を心配そうに眺めていた。
***
今朝、リディアはキースを見送った。こういうときこそ防御の魔法陣がかかれた道具を渡せればよかったのだろうが、完成にはギリギリ間に合わなかった。
キースは主人公だから死ぬことや、危機的状況に陥ることは考えにくいが、こうしてリディアというイレギュラーが登場している以上、何が起こるかわからない。ジークやアンドレアがいるとはいえ、エドも不在だし。そもそもまだ正式に結婚しているとはいえないような現状で、多くの従者を抱えるこの家に家主不在の状態でひとり取り残されるという状況自体が、自分が家族として認められているかどうかわからないリディアにとっては不安の種だった。
「リディア様、次はこちらです」
「ええ、わかったわ。これはあっちに持って行ってくれる?」
「かしこまりました」
それでも毎日の業務や、結婚式の準備は進む。リディアは浮かない気持ちのまま、当日のリストを照合しながら細かい段取りをの確認を行っていた。
「そうね……料理はここと、ここに配置するのよね?」
「はい。サービングも行う予定ですが……」
「警備的にも、そうして回っていた方が良いでしょう。そうしたら、準備自体はいつ頃から始めることになる?」
「えっと、大体——」
家の中は騒がしく動き続けているのに、なんだかひどく静かに感じた。リディアとキースは、家にいたって顔を合わせる時間はそんなに多いわけでもないし、キースは特段賑やかなタイプでもないのに。リディアが家に来て、初めての長期不在だからかもしれない。そんな落ち着かない気持ちを落ち着けるように、リディアはネックレスに触れた。キースがくれた、彼の母の形見。温かい光を放つそれに触れると、なんだか少しだけ励まされるような気がするから。
——きっと大丈夫。
よし。リディアは気を取り直し、ふたたび結婚式の準備にとりかかるのだった。
***
「よ、キース。久しぶり」
「エド。無事でよかった」
「余裕よ」
数日の視察に出たキースは、その道中関係のない街で、調査に出ているエドと秘密裏に落ち合った。エドは周りに馴染むよう、一般市民の服装に身を包み、煤で頬を汚している。一体どんなふうにして調査をしているのか、ということについては聞かない方がいいだろうというのがエドの意見だった。
「ほらこれ、報告書」
「ああ、ありがとう」
「まだ大したことはわかってねえんだけど——」
エドはそこまで言って一瞬黙った後、キースを引き寄せ声を潜めた。
「〝神の器〟って、聞いたこと、あるか?」
どうやらそれが、送られてきた呪いのかかった手紙と何か関係があるらしい。それがどんなものなのか、エドもまだよく知らないようだ。キースが首を振ると、エドは「そうかあ」と困ったように笑い、「もうちょい調査してみるわ」と軽い口調で続けた。
「とにかく、今良くない動きがあることは確かだから……気を付けろよ、キース」
そう伝えるエドの目は真剣で、キースは屋敷にひとり残してきたリディアのことを脳裏に思い浮かべながら
「わかった」
と頷いた。
このあと本日22:30頃に39話更新です。




