35話 美しい街
リディアが今いる世界は、前世より星が多い。
実際に多いのか、それとも電気や高層ビルの少なさで多く見えるのかはわからないが、今見えている空も、キラキラと輝く星々に彩られていた。
「スザンヌのお店はあの辺りかしら」
「ああ、その辺りだ」
「奥に見えるのは交易場?」
「そうだ。あそこは明るいからわかりやすい」
眼下に広がる生活の色。多くの街の人々が、そこで正に今、生活を営んでいる。国境付近は普通、治安が悪くなりがちなのだが、この領地にはそれがない。誰もが明るく、優しく、めいめいに人生を謳歌している。
「——本当に美しい街ね」
「ああ。皆が昔から、ずっと守ってきた土地だ」
キースは誇らしげにそう語った。これまで、彼が、そして彼の家族が、そして住んでいる民が。皆が愛して、守ってきた街。そんな街にかけるキースの想いは人一倍なのだろう。冷酷だ、なんて囁かれていたこともあったけれど、全然そんなことないじゃない。
「……あなたが……そしてあなたのお父様やお母様が、きっと、ずっと大切にしてきたから……だからこそ、街の人たちも安心して暮らせているんだと思うわ」
キースにはたくさんの大切なものや、大切なひとがいる。自分の作ったキャラクターの一人でしかない、そのはずだったのに、キースは、そしてここにいる皆は、あまりにも血の通った人間すぎる。彼らの生きてきた人生があって、土地の歴史があって、とてもただの物語の中の人物、出来事だとは思えないのだ。関わった皆のことがどんどん大切になる。泣きそうなほどに。
「……キース様?」
返事がないのでおかしいな、と思いキースの方を見ると、キースはリディアを見つめたまま、固まっていた。リディアの視線に気づいてハッとすると、重なっていた手をすくい上げる。
「……これからは、君も一緒に……守っていってくれるか」
リディアをまっすぐに射貫くキースの淡いブルーの瞳は、庭園と、星と、街、色々な光を閉じ込めてキラキラと輝いている。思わず吸い込まれそうになるほど美しく、リディアはハッと息を呑んだ。
「私、は——」
あなたには、他に運命の相手がいる。自分これから死ぬか、死ななければ身を引いて離婚するつもりだ。こうして真剣な目で見つめられてしまったら、そんなことは言えなかった。リディアは一瞬俯き、ギュッと下唇を噛む。大丈夫。できる。自分に強く言い聞かせ、なんでもないという表情を作ってふたたび顔を上げた。
「——ええ、もちろん」
ごめんなさい、キース。心の中でそう呟く。嘘をついてしまって申し訳ないけれど、きっとアリシアなら。本来のヒロインであるあの子なら、リディアよりもっと上手くやれるはずだから。
「リディア——」
「——そういえば」
キースの顔をまっすぐ見ていられなくて、リディアはふいとまた街の方へと視線を戻し、言葉を遮った。
「……どうして急に、私をここへ連れてきたんですか?」
「それは——」
キースはしばし言い淀む。何ともいえない沈黙がふたりの間に漂った。サラサラと、どこからか吹き抜ける風が、植物たちを揺らしている。「言いたくないなら言わなくても」と言いかけるリディアを手で制し、キースが口を開く。
「……アンドレアに言われたんだ。……君に喜んでほしいなら……自分がされて嬉しかったことを、君にすればいいって。……俺は、人付き合いが苦手だから。そういうとき、どうしたらいいかわからなくてな……」
「喜んで——」
喜んでほしい、キースが、リディアに。リディアはわけがわからず、目をパチパチと瞬いた。キースは照れたように顔を隠しながら続ける。
「……君、最近忙しそうだっただろう。それで——前に君が、俺を息抜きのために街に連れ出してくれたとき、その……すごく、楽しかったから」
俺もそれができたらと思って、とたどたどしく言葉を紡いでいるのは、あの完全無欠なはずのヒーロー、キース。目の前の光景が信じられず、リディアはぼんやりと、まるで夢の中にいるような感覚でその言葉を聞いていた。
「……リディア?」
リディアの反応が無いのを不審に思ったキースが、窺うような視線を向けてくる。リディアはハッとして、キースに向き直った。
「……喜んで、もらえただろうか」
「——ええ。……こんなに素敵なところに、連れてきてくれてありがとうございます、キース様」
今度の言葉に嘘はなかった。本当に素敵な場所。キースと家族の思い出が詰まった、温かい庭に街の風景。リディアは本心から、今日ここにこられて良かったと感じていた。ふわりと微笑むリディアを、キースはまっすぐ見つめる。
「……キース」
「え?」
「様はいらない。キースと、ただそう呼んでくれ」
リディアの体温がぶわりと上昇する。だって仕方がない。こんな美しいひとに、まっすぐ見つめられてそんなことを言われたら、誰だってこうなるはずだ。リディアはすう、と小さく深呼吸をする。あんなに切実な表情で言われてしまっては、断れない。
「——キース」
「……リディア」
「……ありがとう、連れてきてくれて」
リディアの言葉に、キースは本当に嬉しそうに笑った。ざわざわと、庭の植物まで喜ぶように揺らめいていた。




