34話 あたたかい庭
ローゼンブルク家の屋敷は広い。前世では1Kのマンションに住んでいたリディアにとっては、アークェット家だって十分広かったけれど、それとはまったく比べ物にならないくらいだ。
そんな屋敷の中を、キースはリディアの手を取って進む。リディアのあまり立ち入ったことのないエリアを抜けて、従者たちの仕事場を抜ける。そのひとりひとりに挨拶している様子を見ると、キースが普段どれだけ自分の家や領地の人々のことを気にかけているのかが感じられた。
「あの……どこへ?」
「もう少しだ。ここから外に出るぞ」
「……こんなところに扉があったんですね」
位置的には屋敷の裏側であろう、庭の手入れに使う道具がたくさん置かれた部屋の端の扉。恐らく庭師の仕事部屋から外に出る。いつかリディアが走って逃げた道だ。遠くに温室が見える。
「ここからの方が早いんだ」
そう言ったキースは、温室とは反対側に進んでいく。この家は、屋敷だけでなく庭もとにかく広い。温室で危ない状況になって以来、警護無しで庭を散歩することなんてなかったので、リディアはよく知らなかった。バラの生えた庭園を抜け、彫刻の置いてある池のそばを通る。今はあまり使われていないであろうガゼボもよく手入れされていて、色褪せないままだ。そのすべてが、計算された場所に置かれたライトに照らされている。
「……こちらの方にはあまり来たことがありませんでした。こんなに綺麗なんですね」
「ああ。春の終わりには白いバラが咲く」
「そうなんですね……」
区画をきちんと整理された庭を抜けると芝生が続き、キースが向かうのはどうやらその先。大きな木が見えている。「暗いから」と言われて掴まるように腕を組んだ。リディアがこうしてキースと歩くのは、酔って街に出たとき以来だった。
「大丈夫か?」
「はい」
ヒールの低い靴を履いてきてよかった。芝生の上では、ヒールのある靴はバランスがとりにくい。そのまま芝生を踏みしめて進むと、遠くに見えていた大きな木が徐々に近づいてきた。見上げても視界にすべてを収めきれないくらいの大きさがある。
「——ここだ。ちょっと掴まっていてくれるか」
「えっ」
腰を抱き寄せられ、首につかまるように言われたその瞬間、ふわりと体が浮いた。抱き上げられた、とかそういう話ではない。文字通り、浮いていたのだ。
「わ、わ、っ!」
キースは風の魔法を使って、宙に浮いていた。このままでは木の中に突っ込む、そう思ったのも束の間、地面に足がついた感覚がして咄嗟に瞑った目を開くと、そこにはなんとも幻想的な庭園が広がっていた。
「わあ……!」
小さな庭園には、見たことのない植物ばかり。花やキノコ、長く伸びたツタ、いろとりどりに光っているものまである。不思議な雰囲気のその場所に胸を躍らせながら振り返ると、キースはやわらかい表情でリディアを見つめていた。
「あの、ここは……」
「魔法で木の中に作られた庭だ。俺の母が管理していた」
「お母様が……」
自由に歩いて良いと言うので、リディアはあちこちを見て回った。庭園というより温室や森の方が近いかもしれない。まるでテラリウムの中にいるようだった。光を放つ花や実のおかげで辺りはちょうどいい明るさに照らされていて、あやしくも優しい空気に満たされている。
「見たことのない植物ばかり……」
「……俺の母は、植物を操る魔法使いだったんだ」
「植物を……」
ここにある木々や草たちはすべて、キースの母親が一から育て、作り出したものらしい。この世にない植物が多いのはそのせいだという。植物の魔法使いは、火、風、水、氷などの魔法使いと同じく自然を操る属性で、想像力で新たな植物を生み出すことができるのだ。
「俺も幼い頃は母と一緒によく来ていた」
「そうなのね……」
キースの母。リディアは彼女のことを、この屋敷の人々に聞いたこと以外でよく知らないが、この空間を満たす空気から、きっと愛に満ちたうつくしい人だったのだろうと思った。
「あ、あの花……」
「ん? ああ、あれか」
リディアが見つけたのは、街に出た日にキースがリディアに贈った、小さな青色の花だった。ローゼンブルク領でしか咲かない名産品。名前は確か——
「フィオネラの花だな。母はあの花が好きだったから、ここでも育てていたんだ。……多分ここにある植物の中だと、他でも生えているのはこれだけじゃないかな」
キースは懐かしむような目でその花を見つめていた。生育条件が厳しいその花も、植物を操る魔法を使えばこうして咲くようだ。リディアも一緒になって、その青く小さいつぼみを見た。花束になる前、まだ切られていないその花は優しくて甘い香りを漂わせている。
「綺麗な花ね……」
「ああ、本当に」
その花が咲いているエリアを抜けると、今度は視界が少し開けてきた。植物のアーチをくぐり、先へと進む。段々と視界が開け、その先には。
「わあ——」
バルコニーのようになっているそこから見えるのは、領地の景色だった。夜の星が瞬いて、眼下には柔らかい光に包まれた街並みが広がっている。リディアは思わず言葉を失った。
「……どうだろう、気に入ったか?」
そっとリディアの手の上に、キースの手が重ねられる。手のひらは温かく、リディアはその温かな手の主の方を見て、頷いた。それを見たキースは一歩前へ踏み出す。
ふたりは隣に並んで、ただただ静かに夜景を見つめていた。
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