28話 ブルーベルベット
「一度だけ聞くわ」
そう前置きして何が起こったのかについての説明を求めたリディアに、ミラはいつもの仏頂面を崩し、
「……今お答えできることは……」
と下唇を噛んだ。リディアは無理やり聞き出そうとまでは思っていなかったので、自分から話してくれるときを待つことにして、ただ「わかった」とだけ頷いた。
というのが、先週の話。
「——様、リディア様!」
「——ッああ、ごめんなさい、何だったかしら」
大丈夫ですか、と心配そうに顔を覗き込んでくるのはスザンヌだ。今日はドレスの試作品一号の試着の日だった。
「大丈夫よ」
「もしお辛いようでしたら、試着は別の日でも……」
問題のミラは今も部屋の端に控えている。その件以外にも、警備計画の最終調整や招待状の返信、リスト作りに空き時間は魔法の練習とリディアは大忙しだった。疲れた顔のリディアを心配するスザンヌに、彼女は首を振る。
「いえ、今日終わらせてしまいましょう」
「わかりました……無理はしないでくださいね」
どうせ明日は明日でやることがあるし、先延ばしにしていたって仕方がない。リディアが腰を上げると、スザンヌは持ってきた大きな箱を開ける。
「こちらが試作品一号です」
「あら……!」
箱の中に広がっていたのは、綺麗なブルーベルベット。上品な銀色の糸で丁寧な刺繍が施されたそれはまるで宝石のように輝いていた。
「とっても綺麗ね……」
自然と口をついて出た褒め言葉に、スザンヌは照れたように「ありがとうございます」と笑う。
「シルエットはひとまず広がりすぎないように仕上げているので、試着していただいてから調整しましょう」
「ええ、わかったわ」
前世と違い、着替えは基本的にやってもらえるというのが楽な点だ。まあドレスは着方が複雑だからそうしてもらわないとどうしようもないのだけど。
スザンヌと侍女たちの手で室内用の服からドレスに着替えさせられていく。生地は柔らかく肌触りよく作られていて、ピッタリと体にフィットした。見た目よりずっと軽く、なによりコルセットがないのでかなり楽だ。
「よし、できた……!」
「もう動いて大丈夫?」
「大丈夫です!」
上げていた髪が下ろされ、スザンヌと侍女たちが一歩下がる。くるりとリディアが振り向くと、侍女たちが声を上げた。
「とってもお似合いです!」
「本当に、すごくお綺麗です……!」
こういう褒め言葉にはどう反応していいかわからない。リディアは照れ笑いを浮かべ「ありがとう」と礼を言った。ミラも相変わらずの無表情で「とてもお似合いですよ」と声をかけてくれたが、スザンヌはジッとリディアを見つめたまま何かをブツブツ呟いている。
「スザンヌ?」
「裾の位置はもう少し……ウエストは……肩が……で……」
「スザンヌ!」
二度目の呼びかけに、スザンヌはようやくハッとしてリディアの方を見た。「すみません、集中しちゃって……」とバツの悪そうな顔をしている。
「やっぱりこの生地、リディア様にとっても似合います! どうです? 肩のあたりとか、動かしにくいところはありませんか?」
スザンヌに促され、あれこれ動いてみる。今でも他の服に比べれば十分動きやすいので大した不満はなかったが、むしろスザンヌの方からあれをこうすれば、これをもっと、と提案が飛んできた。
「靴の高さを考慮しても、丈をもう少し短くした方が足捌きが良くなる気がするんです。リディア様はスタイルが良いですし、背中はもっとざっくり開ければ肩や腕の可動域も上がって——」
夢中になって話すその様子にリディアは感心し、スザンヌに頼んで本当に良かったと改めて思った。新しいインスピレーションも湧いたようで、「もっと良くしてきます!」とスザンヌはドレスを抱え、嵐のようにその場を去った。
***
今日のリディアの仕事はまだ続く。いよいよ本格的に結婚式が近付いてきて新たに始まったのはダンスの練習だ。
「公爵様、遅刻ですよ」
「す、すまない……」
ダンスを教えるのは長年ローゼンブルク家で礼儀作法を教えてきたベテランのフローラという女性で、どうやら幼少期のキースに作法を教えたのもこのひとらしかった。
「すぐ始めますからね! さあリディア様の手を取って!」
夜会用の踵の高い靴に履き替え、ダンスの基本姿勢を取る。リディアとして生きてきた間に叩き込まれた姿勢だ。音楽が流れると、自然と身体が動き出す。何も難しいことは無かった。
「君もスザンヌと会ったか?」
「ええ。キース様も試着ですか?」
「ああ。俺が服を着たら、なんだか大慌てであれこれしだしてな。あちこち繕われたりスケッチされたり……」
「あー……」
すごく想像がつく。キースは主人公の相手役らしく顔もスタイルも一流だから、そのひとに着せる服ともなれば気合いが入るのも当然のことだ。そもそもスザンヌは熱心な仕事人だし。「それで遅れたんですか?」とリディアが聞くと、キースは頷いた。
「……君はダンスが上手いんだな」
「そうですか? 普通だと思いますけど……」
リディアは令嬢としてはとにかく〝可もなく不可もなく〟といった具合だ。ダンスだって下手ではないが、特別上手いわけじゃない。
元々の小説では、アリシアは没落貴族の子どもでダンスを教わったこともないから、初めての夜会に向けてキースと練習をする、という場面がある。うっかり者のアリシアが間違えて足を踏んだりしながらもキースに優しく教えられふたりの距離が急接近するロマンチックなエピソードなのだが、リディア相手ではそんなことは起こらない。
「そ、そうなのか……俺は母やフローラ以外と、その……踊ったことがないから」
「えっ」
そうなんですか、と顔を見ると、キースは赤くなってふいと横を向いてしまった。よく考えればそうだ。キースは「社交界に出たことがないので良くない噂を流されている」という設定だし、彼の父親が、彼のことを社交界に出させていない。つまりリディアと、正確にいえばこの間酒場で踊ったのが初めてということになる。
「全然初めてとは思いませんでした」
「そうか……なら良かったが」
完全無欠の主人公なわけだし、ダンスもできるのは当然なのだが、そんな彼の少し抜けた部分が見えた気がして、リディアはなんだか嬉しかった。
明日は2話更新です。




