21話(改) 突然の来訪者
最近、やたらと寝覚めがいい。その理由の大半は、一度部屋の中で狙われて以降屋敷の警備が強化されたことにあるだろう。
リディアは屋敷の中にいる限り、命の危機に晒されることがグッと減った。もちろん故意によるもの以外の、例えば偶然何かが飛んでくるとか落ちてくるとか、そういうことは変わらずあったが、それらへの対処はもう慣れたものだ。練習中にありえない跳ね方をして自分に返ってくる魔法から身を守るため、防御魔法を展開する速度も上がった。今では寝ぼけながらでもできるくらいだ。
今日も朝食までの短い間に眠い目を擦りながら2個か3個、落ちてくるものを避け、飛んでくるものを跳ね返した。もはや何が落ちてきて何が飛んできたのかもリディアは大して気に留めていない。そんな彼女の様子にこちらもすっかり慣れてしまって表情ひとつ変えないメイドのミラと話しながら食堂へ向かうと、いつもなら静かな扉の向こうから何やら話し声がしていた。
「——じゃねえのか」
「——だ。そうじゃない」
1人はキースの声だが、もうひとつはリディアに聞き覚えのない男の声だった。エドでもジークでも、執事長のウィリアムでもない。知らない人間の気配に若干身構えたが、この屋敷のセキュリティが簡単に突破されるとは考えにくいし、そうだとしてもあのキースがやられるということはないだろう。リディアはミラと目配せをして、扉を開けた。
「おはようございます」
「ああ、おは——」
「お! 坊主、この嬢ちゃんか!?」
キースを遮ったのは、彼の隣の席に座る、ラフな格好をした大柄な男だった。年はキースやリディアの親世代か、それより少し若いくらいだろうか。彼はリディアを頭からつま先までまじまじと観察すると、「お前も隅に置けねえな!」と豪快に笑い、迷惑そうな表情を浮かべているキースを肘でつつく。
「あの……」
状況を掴めず、席につかずにその場で立ったままだったリディアが声をあげると、男は「あぁ! 悪いな」と立ち上がって近付いてきた。
「俺はアンドレア。嬢ちゃんが坊主の結婚相手か?」
「アンドレア——」
アンドレア、というワードにリディアは思わず固まった。そんなリディアを他所に、アンドレアは腕がちぎれそうなほど握った手をブンブンと振る。リディア——もとい里奈には彼に覚えがあった。アンドレアはそう、キースの——
「リディア、この人は俺の……」
「師匠……」
「お? そうだ。知ってたか」
そう、彼はキースの師匠だった。しかし、彼女はそれを作中には直接登場させていない。
「あ、ええ、ちょっと噂を耳にして……」
何故なら彼は、作中では既に死亡したキャラクターだったからである。
「噂になるほどだったかぁ」
キースは作中、徹底的に孤独なキャラクターとして作り上げた。だから前の妻にも、両親にも、そして信頼する師匠にも先に死なれたという設定にしていたのだ。アンドレアはそうしてキースを置いていくうちのキャラクターのひとりだった。
自らと同じ運命を持つ者との邂逅に、リディアは動揺していた。アンドレアがいつ亡くなったのかに関して作者である彼女は設定を決めておらず、正直なところ、今の時点で既に死んでいると思っていたのだ。今生きているということは、つまりリディアと同じように、物語開始時点である二年後までに彼もまた命を落とすということである。
「アンドレア、彼女は俺の結婚相手、アークェット家の令嬢のリディアだ」
「……初めまして。お会いできて光栄ですわ」
リディアは平静を装い、微笑みを浮かべて体に染みついたカーテシーを行う。幸い、彼女の動揺はキースにもアンドレアにも気付かれていないようだった。
「ほんとキレーな子だな、おいキース、逃がすんじゃねえぞ」
「余計なことを……!」
キースはいつもの冷たく高潔な雰囲気を崩し、まるで子供のように揶揄われている。その様子は微笑ましく、周りの従者たちもニコニコとそれを見守っていたが、ただひとり、これから物語の行く末を知るリディアだけが胸を痛めていた。
——こんなにキースにとって大切な相手を、私は……。
ただ一行だけの設定。それでもキャラクターには人格も、人生もある。自分だけが死の運命から逃れればいいわけじゃないのだ。
「……リディア?」
「ッ、ああ、ごめんなさい、……ちょっとお腹が空いてしまって」
「そうだよな! 俺もだ。ほら早くメシ食おうぜ、坊主」
坊主と呼ばれたキースが睨んだのを、アンドレアはまるで小さい子ども相手でもするようにいなし、「嬢ちゃんが腹減ったって言ってんだよ」とリディアのことを示した。リディアのことを言い出されるとキースはこれ以上何か抵抗することもできず、ふう、と自分自身を落ち着けるように深呼吸をして、椅子に座った。アンドレアとリディアもそれに続く。
「キース、あんま拗ねんなよ。ほら美味そうだぜ、この肉とか、卵とか……」
アンドレアは食い入るようにキースの前に置かれた皿を眺めている。キースははあ、と大きなため息を吐くと、近くにいた従者に「朝食をもう1人分持ってきてくれないか」と頼んだ。
「おっ、やりぃ」
「意地が悪いぞ」
「ちゃんと食わなきゃやってけねえんだよ。お前と違って貧弱じゃないからな」
「俺だって今は貧弱じゃ……!」
こんがり焼けたベーコンを頬張りながら仲良く言い合うアンドレアとキースを、リディアは複雑な心境で見つめることしかできなかった。