18話 君のことを知りたい
「そういえば今日、スザンヌが採寸に着て生地を見せてもらったんだが」
「……はい」
その日の夕食にも、キースは当然のようにいた。誰かと夕食を食べるなんて普通なら当たり前のことだが、元々ひとり焼肉やひとり居酒屋なんかを趣味としていた里奈ことリディアにとっては、ここに来てからのひとり時間は至福のものだったので、それがなくなるのは少し悔しかった。
「綺麗な色だった。君はセンスがいいんだな」
「……ありがとうございます」
どうやらスザンヌは、キースに生地の詳細までは話していないらしい。もしあれがあの花の生地だと知られれば、まるでリディアがキースからの贈り物にはしゃいでいるように思われてしまう。スザンヌが言わないでくれたのがせめてもの救いだった。
「……キース様、お忙しいんじゃありませんか?」
「あぁ、それなら君のおかげでいくらか負担が減ったよ」
その言葉に、昨日の記憶の中で唯一、完璧に抜け落ちていたピースのことを思い出した。一番酔っていたとき。彼女はキースの部屋に行き、自動筆記の魔法を設置したのだった。一気に冷や汗が吹き出る。
——魔法を使えることがキースにバレている!
完全な失態。言わないでおいてくれと周りに頼んだのは自分なのに。消えたはずの頭痛がまた戻ってくる。なんてことをやらかしたんだ。もう二度と酒なんて飲まない。
いや、そんなことより、今までどうして黙っていたんだと聞かれたらどう答えるべきだろうか? さらにややこしい事態を招くのではないか。次に何を言われるのか、リディアは怯え、むしろ先手をとって言い訳をしようかとも考えたが、キースの口から出たのは意外な言葉だった。
「ありがとう」
「……え?」
リディアは思わず聞き返した。信じられないというようにぱちぱちと瞬きを繰り返す彼女を、キースは何の表情も浮かべずに見つめ返す。少しの沈黙のあと、しびれを切らしたリディアが先に口を開いた。
「あの……自分で言うのも何ですが……何も聞かないんですか……?」
どこで、とかいつから、とか、そもそもその魔法は何だとか、聞くべきことはたくさんあるはずだ。そういうあれこれをどう説明すれば良いのかわからないから、リディアはこのことを伏せていたのに、いざバレてみたらこんなにあっさりだなんて。
——いざとなったら殺すのなんて簡単だから……?
それもそうだ。リディアが現在習得している魔法は基本的な防御と、あとはその気になれば使えるであろう軽い攻撃魔法程度で、あとはほとんど実用的な魔法とそれを考えるときに副産物のようにできた、使い道のない魔法ばかりだ。攻撃や防御など、実戦に特化した超優秀な魔法使いのキースからしてみれば、リディア程度を殺すのは、多少魔法を使うことができたって、赤子の手を捻るより容易い。
「いや?」
想像を膨らませて怯えるリディアの様子を少しも気に留めることなく、キースはなんてことない顔で今日の夕食の肉にナイフを入れる。リディアはまるでその、ナイフをつき立てられている肉が自分自身であるかのように感じて、体を強張らせた。
「危害を加えるつもりはないだろう?」
あの魔法も、書いている内容は正しいものだったし、とキースは涼しい顔で続ける。やはり、リディア程度はとるに足らない存在だと認識したのだ、と彼女は確信した。だとしても、素性にわからないところのある人間を近くに置いておくというのはいくらなんでも危機管理的にいかがなものか。その張本人は自分であるのに、リディアは心配になって、つい口を挟む。
「考えないんですか? その……もし私がスパイだったら……とか……」
「スパイなのか?」
「え!? まさか! たとえ話ですよ」
「スパイじゃない、と」
「もちろん」
「ならいいだろう」
——それだけ?
正直拍子抜けだった。もっと疑われて、問い詰められて当然のはずなのに。キースはただリディアに問いかけただけで、彼女が違うといえば簡単にそれを信じた。もしかして、意外とそういう面が甘いのだろうか? リディアに降りかかる危険への対処を見るととてもそうは思えないが、そう言われてもおかしくはない。
「キース様」
「なんだ?」
「あの……失礼かとは思いますが、もう少し……気を付けた方がいいと思いますよ。色々と……」
大きな家の当主として、負っている責任も多いはずだ。リディアの助言に、キースはその美しい瞳を一瞬大きく見開いて、そのあとふっと表情を緩めた。
「君がそれを言うのか」
「そ……っ、それは……」
ごにょごにょと口ごもるリディアを、キースは面白そうに眺めている。なんだか手のひらの上で転がされているような気分だった。どうすればよいのかわからず、リディアは誤魔化すようにスープを飲んだ。味が感じられない。大きな椅子に小さく身を縮こまらせているリディアに、視線を向けて、キースが話し始める。
「その……長い間、あまり社交の場に出ていなかったから、君にどう接するのがいいか、わからなかったんだ」
まるでシャイな少年のような言い分。キースは「冷たく感じたなら申し訳ない」と続けた。
「君が……怖がっているのだとしたら、下手に関わらない方が良いかと思って」
反省するような顔で言葉を紡ぐキースを見て、リディアは胸が痛くなった。リディアが彼のことを怖がっている、と思ったのはきっと社交界で流れている、心無い噂のせいだろう。外界と関わっていないのなら、知らずに済んでいるかもしれないとリディアは考えていたが、そんなことはなかった。噂を流したのはリディアではないが、"噂が流れているという設定を作った"のは彼女だ。でも今、急にそんなことを言い出すわけにもいかず、リディアはただ唇を噛んで聞くことしかできなかった。
「でも昨日、君と初めて長い間一緒にいて、わかったんだ」
「俺は、君のことをもっとよく知りたいと思ってる」




