14話 ふたりの逃避行
「ここからなら、飛び降りてもどうにかなるわよね?」
と言ってリディアは執務室の窓から飛び降りた。ここは2階。死にはしないが、たたじゃすまない。考えるより早くキースの体が動いた。間髪入れずに勢いをつけて窓から飛び出し、リディアを空中で抱きとめると、地面に向かって風の魔法を展開する。
「……ッ」
ぶわ、と強い風が吹き、リディアとキースの落下の勢いを相殺した。多少膝に負担がかかったが、どうにかケガを負わずに着地する。キースに抱えられたままのリディアは「すごい! 魔法みたいね」と目を輝かせていた。地面に下ろすと、リディアはキースの手を引いて走り出す。それを振り払うことをしなかったのは、彼女のことを知りたいと思ったからだった。
***
「こっちよ」
リディアはドレスの裾が汚れることも気にせず、入り組んだ裏路地をどんどん進む。表通りを進めばいいんじゃないかと提案したら「あなたは目立つからダメ」といじけたような顔をされてしまった。
「もうちょっとで着くからね」
まるで子どもに語りかけるようにリディアは声をかける。キースはそれについて行きながら自分の足元を見て、裏道もきちんと整備しないといけないな、とつい仕事のことを考えた。
そこからさらに角を2つ曲がって立ち止まったリディアは、勝手口と思しき扉をノックする。
「……ここは?」
「まだ内緒」
しばらくして扉から出てきたのは、驚いた様子の小柄な女性だ。リディアは彼女と抱き合い、キースの方を示す。目が合うと、彼女はさらに目を丸くした。
「この子はスザンヌっていうの」
「あ、あぁ……」
「領主様、お目にかかれて光栄です……! こんなところでもなんですから、中へどうぞ」
スザンヌに招かれて、ふたりは中にあがる。そこには様々な色や材質の布や糸が所狭しと置かれていた。キースは服を売るような店に行くことはあまりなく、ましてやその裏側を見たことなんてなかったので、珍しさに思わずあちこちを見てしまった。
「スザンヌ、服を頂いてもいいかしら?」
「もちろんです! 言っていただければ伺いましたのに……」
「急なことだったから……」
リディアと話しながら、スザンヌは吊るされている服をかき分ける。
「どんなものにしましょう? ドレスだと、今は数枚しか……」
「今日はドレスじゃなくていいのよ」
リディアはスザンヌを呼び寄せ、耳打ちした。彼女はまた目を丸くして、少し考える素振りをしたあと、一度店舗の方へと出ていった。残されたリディアは、耳馴染みのないメロディーを鼻歌で歌っている。
「……何を頼んだんだ?」
「変身よ変身! 定番じゃない。フェアリーゴッドなんとかってやつよ」
フェアリー……何? 聞きなれない単語が飛び出す。聞き返してみたが、意地悪な継母がとか、ガラスの靴がとか、カボチャの馬車がとか、要領を得ない返事が返ってくるだけだった。
「お待たせしました!」
店舗側の扉からスザンヌが布の山を抱えて飛び込んでくると、一部をリディアに、残りをキースに渡した。
「これを着たらいいのか?」
「うん、私も着替えるから」
そう言ったリディアが唐突にその場で着ているドレスを脱ごうとするので、キースは慌てて目を逸らし、スザンヌが必死に止めた。
「リディア様、2階! 2階に行きましょう!」
そうして2人はバタバタと2階へ上がっていった。
***
手渡されたのは普通の市民が着るような服だった。着たことがない貴族も多いだろうが、キースは騎士と一緒に任務に就くことがたびたびあって、そのときや訓練の時に着る服はそれとよく似たものだったので馴染みがある。
彼個人としては、麻や綿でできたそれらの服の方が通気性もよく、軽く動きやすいので好きだった。
「キース、着られたぁ?」
「リディア様、落ちますよ!」
階段の上からそんなリディアとスザンヌのやりとりが聞こえて、続いて降りてきた彼女もまた、領地に暮らす市民の格好をしていた。やや赤みがかったブロンドの髪は編み込んで、目立たないようまとめている。
「わぁ、やっぱり綺麗な人は何着ても似合うのね」
キースを見たリディアは開口一番そう言った。事実、第三者から見ても、彼は普通の人と同じ服を着ているとはとても思えないような仕上がりだった。
「でも目立つから、これ被ってね」
リディアは少し背伸びをして、キースの頭に帽子を被せた。美しい青みがかった黒髪は、一般人にしては手入れがされすぎていて、街中では目立ってしまいそうだった。彼女はそのままくるっと回転して隣に並ぶと、スザンヌに「どう?」と聞いた。
「少しは目立つと思いますが、まぁ——あっ!」
さっきまでの慌ててリディアを止める様子から一転、プロの目つきで2人を見定めるようにまじまじと眺めたスザンヌは、急に声をあげてそこらじゅうに散らかっている布をひっくり返し始めた。ここじゃない、ここでもない……とあちこち引っ掻き回し、あった! と彼女は2人のもとへ何かを持ってきた。
「少しいいですか?」
スザンヌの手招きにキースが屈むと、彼女は近付いた顔に眼鏡をかけさせた。
「リディア様も」
同じように屈んだリディアの頭にはスカーフを巻く。
「これで大丈夫でしょう」
もう一度後ろへ下がって2人を見たスザンヌは、満足げにそう言った。
***
「スザンヌ、ありがとう!」
「いいえ! 楽しんでくださいね!」
今度は裏からではなく表から外に出る。着ていた服はスザンヌが明日結婚式の打ち合わせに訪れる際一緒に持って行くと言った。キースも同じように礼を言うと、彼女は慌てて「そんな、お礼を言われることなんて何も!」と顔の前で手を振った。
「こんな所に店があったのか……」
「最近になって開いたのよ」
キースはそういえば最近、仕事に追われて全然街の様子を見ていなかったなと思い起こす。彼の隣で、リディアはキョロキョロと周りを見回していた。
「それで、目的地は?」
「え?」
「どこへ行きたくて連れ出したんだ」
キースに聞かれたリディアはパチパチと何回か瞬きをして、やや気まずそうに視線を逸らし、言いづらそうに
「私、ここにくるの初めてなの……」
と小さな声で告げた。