13話 酔っ払い花嫁
結婚式の日が徐々に近付いてくる中、リディアは自動筆記の術式を帳簿以外のものにも応用し始めた。何度か試し、術式を組み替えたりしつつ繰り返し使ううちに感覚を掴み、安定してきたので、そろそろ実用化もできるかな、と手始めにいくつかの試作品を作ってみたところだった。
「魔力の安定供給が問題ね……」
計算と自動筆記の術式は、魔法元素の種類に依存せず、どの元素の魔法でも起動することができるが、それはあくまで魔法を使える場合のみである。それでは使える人が限られてしまうので、次なる課題は魔法使い以外であっても使えるようにすることだった。
——何か小説に登場させた、ちょうどいいアイテムとかなかったかな……。
リディアは記憶を漁るが、そう都合よくは見つからない。電池のように魔力を保管しておけないものだろうか。今度色々と試してみることにしよう。彼女は忙しなく動き続けている複数本のペンのうち一本をおもむろに掴み、近くの紙にメモをした。
***
その日の午後は夜会の料理や酒に関する打ち合わせだった。首都から一流の料理人を呼ぶかと聞かれたが、リスクを考えると信頼できる内部の者の方がいいだろうということになり、昼食を兼ねてのスタートだ。
リディアは前世では結婚する前に死んでしまったが、ドラマや映画で目にしたり、友人に式に呼ばれるたび、漠然とした憧れを持っていた。特に料理選びは楽しいと先に結婚した友人が言っていて、リディアの前世である里奈は、いつか自分の夫とあれこれ言いながら料理を選ぶ日を楽しみにしていた。
「メインがこちらでしたら、お出しするシャンパンはこちらになります」
そして現在。里奈は結婚できないまま生まれ変わり、そして結婚はできたもののひとりで試食をしている。
——この虚しさ、飲んでないとやってられないわ。
リディアはシャンパンを煽る。昔の酒は不味かったと聞いたことがあったが、これはとても美味しい。さすが私の作った世界、とリディアは自画自賛した。
この世界では、飲酒は18歳から。彼女は飲めるようになったばかりだが、酒の記憶はある。大丈夫、加減はできる。そう思っていたのに。
「リディア様、リディア様!」
「なにぃ?」
1時間もしないうちに、彼女はすっかり酔っていた。顔には出ないタイプなのか顔色は変わらないが、あきらかにぽやんとして、意味もなくニコニコとしている。それもそのはず、彼女は「さっさと終わらせましょう」と出てくる料理を次々食べ、ひと口サイズのそれらを食べるたびグラス1杯のシャンパンを飲み干し、食べては飲み干し……を繰り返し、あっという間にデザートまで平らげてしまったのだ。
「ん~……デザートは絶対こっちね、イチゴの方」
「そうですね、これならキース様も気に——ではなくて、もうお部屋に……」
こんな時に限って、彼女の世話の一切を受け持っているミラは不在だ。馴染んできたとは言え、無下に扱うわけにもいかないリディアという存在にオロオロとする従者たちを他所に、リディアはくだを巻く。
「キースぅ? そういえばキースはお昼食べたのかしら」
「り、リディア様!?」
リディアがゆらりと立ち上がると、周りが一斉に手を伸ばした。それが面白くて彼女はクスクスと笑う。
「一緒に料理の試食もしてくれないなんて酷いわよねえ」
言葉に反して機嫌よく、歌うように呟きながら、彼女はパンの入っていたカゴに次々料理を詰めていく。いったい何が起きているのかわからず、周りの従者は一層戸惑うばかりだ。
「よし」
すべてを詰め終わったリディアは「それじゃあこれ、持って行ってあげることにするわ」とカゴを抱え、そのまま外に出て行ってしまった。取り残された従者たちはぽかんとして、しばらくしてからようやく事態の深刻さに気が付き、護衛とミラに連絡し、キースの元へも報告に向かわせた。
***
「キースぅ、いるんでしょ、開けてよ」
酔ったリディアは敬語も忘れ、砕けた口調で彼を呼びながら執務室の扉を叩いた。何度も叩いているうちに楽しくなってきて、リズムでも刻もうかと振りかぶったタイミングで、ちょうど扉が開いた。行き場を無くした腕が後ろに反れてバランスを崩す。
「わ……ッ」
「……どうしたんだ」
咄嗟によろけるリディアの腕を掴んで支えたキースは、すぐに違和感に気が付き、怪訝な表情でそう聞いた。いつものリディアは、少なくとも彼が見たことある限りでは丁寧な言葉遣いで、きちんと教育が行き届いた振る舞いをしていた。こんな彼女を見るのは初めてで、どうしていいのかキースは崩れない表情の向こうで戸惑っていた。
「これ、持ってきた。お昼食べてないでしょ?」
そんなキースの内心も知らず、リディアは人懐っこい笑みを浮かべてカゴを顔の前まで掲げる。キースがリディアときちんと1対1で顔を合わせたのはたったの数回で、他には夕食のタイミングが重なるのが何回かと、あとはすれ違って挨拶をする程度だった。だから当然、彼がリディアの笑顔を見るのはこれが初めてだった。
「どうして急に……いや、昼食は結構だ。まだ仕事が残っている」
幼い頃から、人付き合いが苦手だったキースは、こういうときどうすればいいのかさっぱりわからない。とにかく帰らせようと断るが、リディアは「なによ」と意地になってそこから動かず、扉の隙間からキースの執務室の中を覗き込んだ。
「相変わらず仕事が山積みねぇ」
ちゃんと休んでるの? と至近距離で聞いてくるリディアを押しのけることもできず、キースはただ固まった。彼女はそれを肯定と受け取ったらしく、なぜかキースの頬を両手で挟んで「ダメよ、ちゃんと休まなきゃ」と言い、部屋の中に入りこむ。
「あ、何、ちょっと待ってくれ」
「私が楽にしてあげるわ」
珍しく動揺した声を上げるキースの制止を気にも留めずどんどん奥へ進んだ彼女は、机の上をひっかきまわしてペンを取り出した。そして、カゴの中からバターナイフを取り出し、ペンに何かを刻む。
「一体何を——」
キースが言い終えるより先に、リディアはそこに手をかざした。彼女の手が光るとほぼ同時に、ペンがひとりでに起き上がって動き出す。
「この子たちが基本的なことは代わりに書いてくれるわ」
キースは、今目の前で起こったさまざまなことを処理しきれず、ただその光景を眺めていた。リディアが魔法を使えるだなんて、婚約の際もそのあとも、少しも聞いたことがなかった。秘密裏に行わせた調査でもそんな結果は出ていない。一体いつ、どこで、そしてこの魔法は何か。聞きたいことがありすぎて、詰まって言葉にならなかった。
婚約者のことをよく知らない自覚はあったが、ここまで何も知らないなんて。動けないでいるキースの元にリディアが近寄ってくる。
「逃げちゃいましょうよ、私と」
彼女はそう言ってキースの手をとった。逃げる? どこへ? どうして? それらの疑問が言葉になるより前に、扉の外から足音と話し声が聞こえてきた。リディアはそれを聞いてハッとすると、繋いだままの手をひいて、執務室の窓へと走った。
「ここからなら、飛び降りてもどうにかなるわよね?」
「本当に何を、」
聞く耳を持たないリディアはためらいなく開け放った窓から飛び降りた。