12話 理想のドレス
エドにリディアの秘密がバレてから数日が経ったが、意外なことに、特に大きな変化が起こるようなことはなかった。顔を合わせてみても、彼の態度は今までと変わらず、ジークに怒られてヘラヘラとしているところもいつも通りだった。まるで何事も無かったかのように。
——とにかく、世界がバグを起こして崩壊するようなことがなくてよかった。
エドが小説に出てきていれば、信用できる人物かどうかがわかったのに。リディアは完成したばかりの計算と自動筆記の魔法をかけたペンがサラサラと動くのをぼんやり目で追いながらため息を吐く。
——作者なのに、知らないことが多すぎる!
"何でも見えてしまう眼"なんて作った覚えはない。そもそもローゼンブルク家の騎士団長でキースとも親しいのだとしたら、小説には絶対登場させているはずなのだ。しかしリディアの記憶の中では、ローゼンブルクの騎士団長はエドではない。もっといかにも団長然とした規律に厳しい人物で、キースと特別親しいわけでもなく、名前も特につけていなかったはずだ。
彼も、物語の開始より前にいなくなるんだろうか。
キースは作中で、唯一心を開いた相手がアリシアだ。その後は彼女の助けで色々な人と関わることになるが、それまでは親しい人のいない、孤独な人物だったはずである。少なくとも物語開始の時点ではそうだ。
「私が死ぬ以外にも、何かが起こるの……?」
実力が実際どの程度なのか、きちんと知っているわけではないが、仮にも騎士団長であるエドが小さな事故や些細なことで死ぬというのは考えにくい。だとすれば、もっと大きな何かがローゼンブルク家で、あるいはこの国で、ともすればこの世界に、起こるのかもしれない。
「うぅ……」
頭が痛くなってきた。そもそもエドが敵か味方かもわからない。もし敵だったとして、リディアの秘密を漏らしたとしてもあんな与太話を信じる人はいないだろうから何の得にもならないが、自分を知られているというのはなんとも落ち着かない気分だ。ドレスの中で
足をバタバタとさせるリディアの耳に、ノックの音が届いた。
訪ねてきたのは執事長のウィリアム。デザイナーたちがドレスを持ってきたという知らせだった。そういえば今日は結婚式で着るドレスの試着の日だった。ちょうどいい、何かをしていれば少しは気が紛れるだろう。リディアは重たい腰を上げ、デザイナーの待つ部屋へと向かった。
***
「リディア様、お似合いです!」
着替えを手伝ってくれるメイドたちがリディアを口々に褒める。現在のデザイナーは2人目、1人目には全員のデザインを見てからどれにするか決めると伝えて帰ってもらった。
「このデザイナーさん、最近首都でも流行っているらしいですよ」
「へえ、そうなの」
メイドのうちのひとりがリディアにこそっと耳打ちをする。さっきのデザイナーより今の人の方が最近人気が出ているのだと彼女は言った。
「いいなあ、憧れちゃうわ」
「すっごく綺麗だものね」
「旦那様と奥様、お似合いよね」
リディアよりさらに2つか3つは年下であろう彼女たちは、現代ならまだ高校生か、もしかすると中学生をやっているような子どもで、こうして働いているのがときどきいたたまれなくなってしまう。彼女たちは結婚へのキラキラとした憧れの感情を目を輝かせて語った。
「私もいつか、旦那様みたいなカッコいい方と結婚したいわ」
「でも私、旦那様よりカッコいい方って見たことないかも」
「エドワード様もカッコよくない?」
「たしかに!」
「でも私は運命の人と結婚したいわ」
「運命の人かぁ」
夢を語りうっとりとする彼女たちには申し訳ないが、キースの運命の人はリディアではない。ビジュアル的にも当然、アリシアの方がお似合いだ。彼女の美しいブロンドと蒼眼は、キースの黒髪と対をなすように描いた。それに対してリディアの髪はどちらかというと赤に近いブロンドで、背も少し高すぎる。さらにアリシアはフランス人形のような顔なのに対して、リディアは黙っているとキツく見えてしまいそうな雰囲気だった。
——綺麗じゃないとは言わないけれど、キースの隣にいて映えるのはやっぱりアリシアよね。
この世界でまだアリシアを見たことはなかったが、キースがあれだけ綺麗なのだから彼女もさぞ可愛いに違いない。リディアは若いメイドたちの話に加わらず端でデザイナーと話していたミラを呼んだ。
「ミラはどう思う?」
「1着目の方がお似合いだったかと。こちらはスカートのラインは綺麗ですが、袖のデザインが少し……」
「言われてみるとそうかもしれないわ」
「とにかく、次のものも着てみましょう」
言われるままに2着、3着とリディアは試着を続け、そこからさらに3人のデザイナーに会った。最後のひとりを迎える頃には、既に体力が尽きかけて彼女はソファにぐったりと沈み込む。
「今日はもうやめておきましょうか」
お帰り頂くよう頼んで来ます、と部屋を出かけるミラを止める。ここで下手にやめて長引かせるよりも、今日で済ませてしまいたい。そう伝えると、彼女は静かに首を振った。
「……残念ですがリディア様」
「ん?」
「夜会のドレスも決めていただかないといけません」
「そうだった……」
ミラがもう一度、どうされますかとリディアに問いかける。どちらにせよ長引くのだとしても、今日のことは今日終わらせてしまいたい。それに、最後のひとりのデザイナーだって長いこと待っていたはずだ。ここまで来て帰らせるというのも申し訳ない。
「いいわ、通してちょうだい」
リディアはもう一度気合いを入れなおして立ち上がった。
***
「お会いできて光栄ですわ」
最後に現れたデザイナーは、小柄な女性だった。これまでリディアが会ってきたデザイナーは、結婚する前を含めても男性ばかりで、女性は初めてだった。珍しさに少しだけ疲れが軽くなったような気がした。
「あの方、知ってる?」
「知らないわ、どなたかしら」
メイドたちは相変わらず元気にはしゃいでいる。大して変わらないけれど、若くて体力があるって羨ましい。女性デザイナーは、どうやらここ、ローゼンブルク領で小さなブティックをオープンしたばかりらしく、今回は領主であるキースが結婚すると聞いて自ら売り込んできたのだという。
「ご満足いただけるドレスを必ずお仕立てしますわ」
そう言う彼女は、今日はいくつか生地と型のサンプルを持ってきただけだと、それらをテーブルに広げた。
「どういったものがお好きかお伺いできれば、その通りの物を持ってまいります」
「へえ」
これまで着たドレスたちはどれも綺麗だったが、あと一歩、動きやすさの面で劣っていた。ドレスと同じく、ウェディングドレスもそれを着て動くことなんて想定されていないので当然といえば当然だが。
「それは形じゃなくて、機能の面でもいいの?」
「もちろんです。コルセットを使わなくても綺麗に見えるものもご用意できますよ」
「!」
それはリディアにとって、これ以上なくありがたい提案だった。日頃からコルセットは苦しいと思っていたし、機動力にも欠ける。警備は万全だったとしても、自分で身を守ることになる可能性もあるわけだから、できるだけそれに適したものにしておきたかった。リディアは立ち上がり、つられて同じように立ち上がったデザイナーの手を握る。
「あなたにお願いするわ」
迷う余地はなかった。後ろでメイドたちが一瞬ざわつく。目の前のデザイナーは嬉しそうに目を輝かせた。
「ッありがとうございます!」
「あなた、お名前は?」
「スザンヌと申します!」
「スザンヌ、よろしくね」
彼女とリディアはこれから先長い付き合いになるのだが、リディアはまだそれを知る由もなかった。