11話 心を読む眼
エドが初めて心を読んだのは、物心ついてすぐのことだった。
母を愛していると常日頃口に出していた父が浮気をしていることが読めてしまった。最初、エドは読めたそれが何なのか、何を意味しているのかよくわからなかったが、そのしばらくあと、父が彼を愛人に会わせたことで理解した。そして同年代の誰よりも早く、人間の浅ましさを実感することとなった。
ようやく心を読む能力が制御できるようになったときは大いに喜んだ。心を読めると、人を信じられなくなる。彼は人を信じたかった。
エドが唯一信じられたのは、幼馴染のキースだけ。母同士が仲が良かったらしく、エドの生家はローゼンブルク家ほど大きくはなかったが、よく遊ぶ仲だった。
キースは感情を出すのが下手で不器用だが、絶対に嘘はつかない。それがエドにとってはなにより心地よいことだった。
心が読めると人が信じられなくなるから嫌だと愚痴をこぼした時、「それなら読まなきゃいい」と言ったのも彼だ。最初はそんな無理な話、と思ったが、ふたりで試行錯誤した末、14歳になる頃には心を読まない技術を身につけた。
その頃になるとキースの家では母親が死に、父親は年々交友を絶っていっていた。不安定な父親を支えるため、キースはより勉学や魔法、家業や領地経営に励むこととなる。しかしそれでもまだ14やそこらの子ども。遊びたい盛りの彼らは、夜中にこっそりと家を抜け出し、街に繰り出して遊んだ。
エドが生家と縁を切ってフラフラとしていた17の冬、凍え死にかけていた彼を拾ったのもキースだった。
エドの目は心以外のものも読むことができて、それは魔法とたいへんに相性がよかった。騎士団の一員として迎えられた彼はその持ち前の好奇心も相まってメキメキと頭角を現し、数年でその団長の座に収まった。信頼のおける部下と仲間もできた。
キースはエドが自分の従者になっても態度を変えることはなく、ふたりは相変わらず親友だったし、キースはエドの、経験から培った人を見抜く力を信用していた。事実、彼が団長になってから、帝国の中でも随一の実力を誇るローゼンブルク家の騎士団はさらにその名声を轟かせることとなった。
そんな親友が結婚する。
ドレスをたくし上げ、裸足で走ってきたリディアがその相手であると知ったとき、エドは心底嬉しかった。彼女ならきっと信頼できると、長い年月で培ってきた勘がそう告げていた。
だからそんな彼女を問い詰めているとき、彼は内心で、頼むから正直に答えてくれと祈るような気持ちだった。
キースの親友として、リディアの魂がふたつあるその理由を聞いておかなければいけない。そしてもし正直に答えないようなら、心を読むことだってしてやろうと決めていた。
人を疑うことをしたくないエドは、心を読まない技術を身につけて以来、一度もその力を使っていない。それでも、親友のためであれば構わないと、そう思っていた。
「……心が読めるの?」
「いや、心は読んでない」
まだ、今は。
エドのその言葉を聞いてしばらく何かを考えていたリディアは、その後諦めるように「……わかった、話すわ」と降参のポーズをとった。
その後に続く話は、夢物語のようでエドの興味を強く引く一方、とても信じ難いものだった。しかしそれを語る彼女の瞳はまっすぐで、嘘をついているようには見えない。エドはそれを信じることにした。それが本当であるか確かめることは簡単だったが、彼はリディアを信じたかったのだ。
「団長、遅かったですね」
「ん? あぁ、ちょっと散歩してた」
あんまりフラフラするのもほどほどにしろとエドを叱るのは副団長のジークだ。事務や細々した作業が好きではないエドに代わり、そのほとんどを引き受けてくれている。
「お前こそ、今日は遅番じゃないだろ。こんな時間まで何してるんだよ」
ジークは騎士たちが寝泊まりしている宿舎のリビングで、小さなランタンの明かりを頼りに机に向かっていた。
「今日の仕事がまだ終わっていないんですよ」
報告書の仕上げをしているところだと言う彼は、近頃少々働きすぎのように思える。最近立て続けに起こった事件たちのことを考えると仕方がないような気もするが、無理をさせすぎるわけにもいかない。
「残りは俺がやっておくから、早く寝ろ」
エドがジークの隣に座り、広げられた書類を手元に寄せると、生真面目な部下は信じられないと言うように目を丸くして彼を見た。
「団長が……? どうしたんですか? 何かありました?」
「別に何もないって、ほら早く部屋戻れ!」
熱でもあるのかとか雪でも降るのかとか、半ば馬鹿にするように慌てふためいたジークは、最終的にはエドに押し切られる形で渋々部屋へ戻った。
——アイツは俺のこと何だと思ってんだよ。
小さく几帳面な字の続きを書く。
しかしエドがこうして面倒な手続きなんかに追われず自由にやれているのも、すべてはそれらを一手に引き受けてくれているジークのおかげだ。彼も十分な才能の持ち主だが、ほとんど天才と称して違いないキースとエドを前に、あと一歩自信を持ち切れずにいた。
エドが団長に任命されたとき、彼の能力を十分発揮できるようにと業務の一部を引き受けることを提案したのはジーク自身だった。
ローゼンブルク家の騎士団の華やかな活躍はほとんど彼のおかげだと、エドはそう思っている。
「リディア・アークェットについて……」
既に書き込まれたその文字に続けて、エドは『報告すべきことは無し』と書いた。