10話 二つの魂
嫌な予感は的中した。
「お嬢さんの魂がふたつあることと、なんか関係あんの?」
そう聞くエドは紫色の目を細めてリディアのことを見ている。どういうことなのかはわからないが、とにかくリディアの知られてはいけない部分が知られているということは確かだった。リディアは深呼吸をし、つとめて冷静にミラにお茶を淹れてくるよう頼んだ。
「でも——」
「いいから。お願い」
ミラはいつも無表情な顔にわずかに疑いと心配の色を浮かべ、食い下がろうとした。しかしリディアの声は震えていたし、そんな風に"お願い"されるのは初めてだった。ただ事ではない、真剣な頼みだ。ミラは諦めて部屋の外に出た。リディアの部屋には、彼女とエドだけが残される。
「……どういうこと? 魂がふたつあるって……」
リディアはまず、相手を刺激しないようできるだけ平静を装い、問いかけた。そもそもその眼はなんなのかとか、ほかにも聞きたいことは色々あったが、今はとにかく冷静に、慌てないことがまず第一だ。前世で学んだ熊への対処法、目を合わせたまま後ずさる、というものをなぜだか思い出した。
「お嬢さんが悪い子じゃないってことはわかってるんだよ、俺」
でも、気になると放っておけない性格なのだと彼は語った。くるりと手の上で失敗作のペンを回す。リディアは縫い留められたようにその場から動けなかった。
「この眼、珍しいだろ? 生まれたときからなんだけど、いろんなものが見えちまうんだよ」
彼がぱちりと瞬きをすると、紫の眼がアンバーに戻る。
「魔法の解析とかに便利でさ、今日お嬢さんが珍しい魔法使うから見てみたわけ」
「そしたらここに」とエドはペンの後ろ側でリディアの胸元をトン、と叩いた。冷汗がつつ、とリディアの背中を滑り落ちる。
「そしたら普通はひとつの魂がふたつもあるからさ。なんでだろうなって」
エドはいつもの人懐こい笑みを浮かべる。
——どこまで知られてる?
リディアは瞬時に頭を回転させた。前世のことは? この小説の作者が自分だということは? そして、リディアが死ぬ運命にあるということは? そして、それらを整理してようやく口から出たのは
「……心が読めるの?」
という問いかけだった。
「いや、心は読んでない」
読んでいない、という言い方がひっかかった。その気になれば読めるということなのだろうか? もしここで誤魔化そうと、「勘違いなんじゃないの?」とでも言ったら。もし彼が本当に心を読む能力を持っていて、それを使われたら。彼は知るべきでないことまで知ってしまう。
「……わかった、話すわ」
リディアはゆっくりと、言葉を紡いだ。
***
「まず、私には前世の記憶があるの」
魂がふたつに見えるのは恐らくそのせいだと告げると、エドは興味津々に「へえ」と目を輝かせた。記憶があるだけではなく、どちらも自分であるという感覚を他人に説明するのは難しい。言葉に悩みながらゆっくりと続ける。
「それで……前世で私は、ここの世界を知ってる」
魔法のこと、この世界に起こること、キースのこと。そうして魔法も身につけたのだと話した。
「俺のことも知ってた?」
「いえ、あなたのことは初めて知ったわ」
この世界が小説の世界で、その作者が自分であるということは言わなかった。誰しも、自分の住む世界が誰かの頭の中の創作だなんて考えたくはないだろう。
リディアは次の言葉を発する前に一度、深く深呼吸をした。
「そして、私はこの世界の中で……死ぬ運命にある」
ワクワクしているような顔で聞いていたエドが固まった。そんな彼に、キースはこれから別の女性と出会うということ、そしてその前に自分は死んでいるのだと説明を続けた。
「キース、あの野郎……!」
「違う、違うの、公爵様が悪いわけじゃないわ」
混乱してキースに恨み言を言いながら立ち上がろうとするエドを必死に宥める。キースが恋に落ちるから死ぬのではない。まあ結論だけを見れば、キースが恋に落ちるために死ぬということではあるのだけれど、それはキースのせいではない。
「とにかく私は、この2年を生き延びたいの」
そう、リディアの願いはそれだけだった。こうなったのも自分のせいだ。彼女はただ、生きられればいい。無事アリシアと出会うあの日まで生き抜いて、できればそれまでに離婚して、物語に巻き込まれることなく、普通に生きていきたいのだ。強い瞳でエドを見上げるリディアに、彼は悲しそうな表情を向けて、ふたたび椅子に座った。「そういうことか」とか「あのときのあれも」とか、頭の中を整理しているようだった。
「じゃあその運命とやらに抗ってるわけだ」
「……そういうことになるわね」
改めて言われてみると大層なことをしているようで恥ずかしかった。実際は死にたくないだけだ。死に際にジタバタともがくような、単なる諦めの悪さ。そもそも自分のせいだというのに、見苦しいとすら思う。
「とにかく……黙っていてごめんなさい。それと、リディアじゃないのにリディアのフリをしたことも」
「それは違う」
「……え?」
エドは真剣な顔でリディアを見つめていた。いつもヘラヘラとしている彼のこんな顔を見たのは、初めてじゃないだろうか。
「俺が出会ったのは今のお嬢さんになってからなわけだし、俺にとってはお嬢さんがリディアだよ」
「……ありがとう」
エドはこっちこそ、そんな深刻なことを聞いて悪かったと謝ったが、こんなことが起こっているなんてこと、誰にも予想できっこない。
「……キースには?」
「言ってない。これから話す気も無いわ」
話したところで信じてもらえるかもわからない。あなたと結婚していると死ぬから、別れてくださいだなんて意味が分からなさすぎる。それに万が一、リディアと別れてほかの人と結婚してしまったら、今度はその人に死の運命が付きまとうことになる。安易にその設定を創り出してしまった責任として、せめてそれは避けたかった。とにかくアリシアと出会うまで、無事でいれさえすればいいのだ。
エドはそれ以上聞いてこなかった。
「俺も誰にも話さないから、安心してよ」
「当然でしょ」
彼は軽い動作で立ち上がると、扉を開ける直前「困ったことがあったら言ってよ」と、一番最初に会ったときと同じセリフを言った。
バタン、と扉が閉まる。それと同時に身体から一気に力が抜け、リディアはへなへなと椅子に深く沈みこんだ。
話してしまって大丈夫だったのだろうか。それがこの世界をおかしくしてしまいやしないだろうか。不安に思いながら目線を動かすと、散らばった紙の端に何かが書かれている。
『術式、ここに入れるならこの文字』
エドの字だ。思ったより綺麗だな、なんて関係ないことを考える。さっき聞いた瞳の話。あれが本当ならば、彼は騎士団長という立場上戦闘要員となることが多いだろうが、実際はこういう術式の作成や魔法の解析のような、もっと研究寄りの分野の方に適性があるのかもしれない。
試してみるとペンはついに正常に作動したので、リディアは複雑な気持ちで乾いた笑いを漏らした。