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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

澪の契り~虐げられて生贄となった少女が、神様の華嫁になるまで~

作者: 八重

 私には心の支えにしている大切な思い出がある。


 お気に入りの小川に遊びにいった八歳の私は、ある小さな精霊さんを見つけた。


「きゅ……」


 その精霊さんは川岸でぐったりしている。


「たいへんっ!」


 私は急いで精霊さんに駆け寄ると、そっと抱き寄せる。

 私の両手にすっぽりとおさまるほどの小さな体。

 ひんやりと冷たくて、それでもわずかに呼吸の音は聞こえたので、私は安心した。


「元気になって……」


 私は精霊さんを自分の着物でくるんで温めてあげる。

 しばらく撫でていると、ようやく精霊さんは動き始めた。


「きゅ~!」


 先程の様子とは打って変わったように精霊さんは元気に鳴き声を上げた。

 すると、精霊さんは私の頬にすり寄ってくる。


「わっ! ふふ、お礼をいってくれているの?」


 当時の私にはそう思えた。

 精霊さんは私に小さな石を渡すと、名残惜しそうに小川の上流に飛んでいった。


「きれいな石……」



***



 透き通った青い石──。


「精霊さん、元気にしてるかな……」


 私は青い石を空に掲げて微笑んだ。

 あれから十年経った私は十八歳になり、あの日を胸に日々を生きている。


琴音(ことね)様、いつもありがとうございます」

「いいえ、お年寄りだけではここの掃除は大変だと思いますので!」


 私はお寺に御堂の掃除をしていた。

 守り神である水神様の像を丁寧に拭きあげて静かに置く。


 しばらく掃除をした後、私と正治(まさはる)おじいちゃんは手を合わせる。


「今日も村の皆さんを守ってください」


 じっと厳かな時間が流れた後、正治おじいちゃんは口を開いた。


「まだ、領主様と奥様は琴音ちゃんのこと、『嘘つき』って言ってるのかい?」

「仕方ないよ……だって、精霊さんを見たって信じてってほうが難しいもの」


 そう、私の幼い頃の大切な思い出。

 精霊さんとの出会いを家に帰った私は、お父様に伝えた。

 けれども……。


『嘘をつくな! 和泉家の長女としての自覚はないのか!』


 お父様はそういって生まれたばかりの小さな弟のほうへ向かった。

 そして、そんな様子を見ていた奥様も私に冷たい視線を送って言う。


『ほんと、旦那様の愛情が欲しいからって嘘までついて。浅ましい子!』


 奥様と私は血が繋がっていない。

 前妻の子どもである私を奥様は煙たがっていたのだ。



 そんなことを思い出していた私に、正治おじいちゃんが言う。


「大丈夫かい? わしは琴音ちゃんのことを信じとる」

「正治おじいちゃん……」


 私の手を握って優しい声をかけてくれる。


「琴音ちゃんはきっと水神様を見たんじゃ。だから、いつかきっと幸せがくる。それに、燈子(とうこ)様も見てくださっている」

「お母様も……」


(そうだ。きっとお空からお母様も見守ってくださっている)


『琴音、真っすぐ正直に生きなさい。幸せは正直者にしか来てくれないのよ』


(お母様、私は一生懸命生きます。前を向いて……)


 すると、御堂の扉が荒々しく開かれた。


「お、奥様っ!」


 正治おじいちゃんは急いで頭を下げた。

 私もすぐさま頭を下げるが、すぐさま着物を掴まれて立たされる。


「来なさい」


 正治おじいちゃんと別れを告げる間もなく、私は奥様に連れていかれる。


「奥様、どちらへ……!」


 私の質問に返答はない。

 連れられるままやって来たのは、村の奥にある滝だった。

 そこは崖になっていて、滝つぼがはるか下の方にある。


「あんた、死んで」

「え……?」


 奥様は振り返った。

 その視線はひどく冷たく、怒りと蔑みが込められている。


(今、死んでっておっしゃった?)


「ここ数ヵ月、村は日照り続き。村のやつらなんとかしろってうちに押しかけてんのよ」


 確かにここ数ヵ月は、雨がほとんど降っていない。

 そのせいもあり水不足、不作、それらの影響で村のみんなは苦しんでいた。


「はい、なので、うちにある貯蓄を崩して町から食料を仕入れて……」

「そんなことできるわけないでしょ!」


 あまりの剣幕に私は肩をピクリと揺らす。

 すると、奥様は突然にやりと形のいい唇を歪ませた。


「旦那様が言ってたのを聞いたのよ。この土地の守り神である水神様に生贄を差し出せば、雨が降るんじゃないかって」

「いけにえ……?」

「ええ、そう。生贄。ぴったりだと思わない? あなたの仕事に……」


 にじり寄ってくる奥様。

 私は逃げるように後ろへと後ずさる。


 私は後ろに視線をやった。


(これ以上、下がったら……)


 その瞬間、私の体は強く後ろに押された。


「あ……」


 最後に見たのは、奥様の笑顔だった。

 ふわっとした感覚がしたと思ったら、私の視界は空いっぱいになる。

 そして、大きな衝撃と共に何も音が聞こえなくなった。


(体が重い……)


 どんどん沈んでいきながら、私は死を予感する。


(苦しい……)


 私は水の中で必死に手を伸ばす。

 けれど、どんどん暗くなっていく視界は明るくなることはなかった。


(お母様、ごめんなさい……もう私、終わりみたい。でも、私の生贄でみんなを守れるなら、それでいい……かな……)




(あれ、温かい……)


 さっきまで体の自由がきかなかったのに、なんだか軽い。

 私はゆっくりと目を開けてみる。


(お部屋……?)


 私は知らない部屋にいた。


「お布団、どうして……」


 ふかふかのお布団は私のじゃない。

 私は起き上がって周りを見渡してみる。


(和泉家じゃない……どこなんだろう……)


「起きたか」


 私一人だと思っていたところに、男性の声がした。

 声のしたほうを見ると、そこには見目麗しい人がいた。

 年は二十歳半ばくらいに見えるけど、村で見たことない人。

 それより……。


(すごく綺麗な人……)


 淡い水色の長い髪は絹のように美しい。

 冷静になって考えてみれば、同じ人間には思えない。


 私が彼に見惚れていると、その人が私に近づいてきた。


「さあ、お前をどうしようか」


 彼は私の顎をくいっとして品定めをするような瞳を向けてきた。

 その瞳は空のような、いや、深い水の色のようだった。


「お前は滝に落とされた。私への生贄として」

「私への……ってことは……あなたは!」


 私は奥様の言っていた通り、水神様の生贄となったらしい。


(そっか……じゃあ、今から私はこの人に食べられて……)


 私は彼の手から逃れると、その場で深々と頭を下げた。


「どうか、私の身で村を救うことができるのなら。どうか、どうか……」


 私は懇願した。

 目をぎゅっとつぶって祈るようにして彼の返答を待った。

 食べられるのは、死ぬのは痛いのかな。

 

 でも、いくら待っても痛みはこない。

 私はゆっくりと顔をあげてみる。


 そこには、じっと私を見つめる彼の姿があった。


「お前を食うことはしない」

「え……?」


 戸惑っていると、肩にわずかに重みを感じた。

 私はびっくりしてそちらを向くと、小さな精霊さんがそこにいるではないか。


「きゅ~!」


 突然の再会だった。


「あなた、もしかして……」


 私の問いに答えたのは、水神だった。


「お前は八つの時、その精霊を助けた」


 私の中の大事な大事な思い出。

 精霊さんとの初めての出会い、そして温かい出会いの思い出。


「よかった、元気になってたのね」

「きゅ~!」


 十年前よりも少し大きくなった精霊さんは、すりすりと私の頬に身をする寄せる。


(あの時と同じだ……)


「その精霊はまだ子どもでな。ふと目を離した隙に結界の外に出てしまった」

「結界?」

「ああ、ここは人間からは見えないように屋敷まわりに結界を張っている」

「じゃあ……」

「ああ、ここは私、水神の屋敷。人間の理とは違う世界。お前はそいつを助けてくれた。だから、助けた」


(じゃあ、私、生きてるってこと……?)


「お前のことをずっと見ていた。水神の像を毎日掃除し、私の別宅を綺麗に保ってくれていた」


(全部見ていらしたんだ……)


「お前を落としたのが誰かもわかっている。和泉家での扱いもな」

「そう、ですか……」

「だから、ここにいていい。この屋敷を好きに使え」


 それだけ言って、水神様は立ち去ろうとする。

 私は急いでもう一度頭を下げて言う。


「あ、あのっ! ありがとうございます!」


 水神様は私を一瞥すると、そのまま部屋を後にしようとした。

 その時だった、部屋に二人の少女が入ってくる。


「もうっ! 水神様ったら、早く私たちを呼んでくださいよ」

「そうです! もう準備はできているのですよ!?」


(あれ、同じお顔……?)


 二人を見比べると同じ背丈、同じ髪型をしている。

 声もそっくりで見分けがつかない。

 まるで双子のよう。


 すると、水神様がため息をついた。


「お前たちはいつも賑やかだな」

「ささっ! 殿方は早くご退出を!」


 水神様への親し気な態度に驚いていると、少女たちが私に声をかける。


「これから琴音様のお世話を担当させていただきます、桃と」

「桜でございます!」

「お世話……?」

「はい、水神様からお客人として丁重にと言付かっておりますので!」

 「客人」と聞いて私は首を勢いよく左右に振った。


「そんなっ! 私なんかがそのような待遇で、いっそお布団だけ……いえ、畳一枚いただければそれで……」

「ダーメです! そんな扱いは私たちが許しません! ね、うーちゃん!」

「きゅー!」


 うーちゃんと呼ばれて返事をしたのは、私の肩に乗っている精霊さん。


「さ、時間がありませんので、お着替えをしますよ!」

「お着替え、ですか?」

「はい、今日は琴音様の歓迎会でございます!」



 すっかり夜になり、宴会場ではたくさんの精霊さんたちが集まっていた。

その中には水神様もいて、精霊さんたちが楽しそうに話している。

 人間の姿をしているものの、彼らには頭の上から耳が生えていたり尻尾がはえていた。


 すると、桃さんがふすまを開けて宴会場の人々に声をかける。


「さあっ! さあっ! 主役である琴音様のご登場です!」


 勢いよく開いたふすまの前に、私は立っていた。

 一瞬で注目が私に向く。


(ひえ~! 緊張する……)


 精霊さんたちは何も言わずにじっと私を見ている。


(やっぱり変だったんじゃ……)


 そう思っていた時、水神様が声をあげた。


「似合ってるじゃないか」


 彼と目が合ってしまい、私のほっぺはどんどん熱くなっていく。

「でしょ~!?」


 桜さんがえっへんといった様子で誇らしげにしている。


「なんと美しい……」

「ほお~見事じゃ」


 そんな言葉が耳に入ってきて、益々私は照れてしまう。


「さ、琴音様のお席は水神様のお隣ですよ~」


 桜さんと桃さんに連れられて、彼の隣に座る。


「失礼いたします」

「そんなかたくならなくていい。まずは飲め」

「お酒は……」

「これは水だ。酔いはしない」

「では、いただきます」


 私は盃にあった水を一気に飲み干した。


(甘くて、すごく美味しい……)


「これで、お前もこの屋敷の家族だ」

「家族……」


 それはなんだか懐かしい響きだった。


(村の皆のことも家族のように思ってたけど、一人じゃないって思えることは嬉しい……)


 私は温かい気持ちになっていく。

 ご飯も美味しくて、優しい空気が流れている。


(笑顔って、やっぱりいいな……)




 宴会が一時間ほど行なわれた後、私は水神様が見当たらないことに気づく。


(どちらに行かれたんだろう……)


 私は屋敷の中を探してみる。

 すると、縁側で一人座っていらっしゃるのが見えた。


 近づいて行ってみると、彼はじっと月を眺めながらお酒を飲んでいた。


「水神様」


 少し遠慮がちに彼の斜め後ろに座って声をかけてみた。

 お酒がもうないようなので注いで差し上げよう。

 そう思った時、水神様に突然腕を引っ張られる。


「わっ!」

「もっと近くにこい」


 私は水神様にぴったりくっつく形になる。

 心臓がドクンと大きく跳ねた後、顔がどんどん熱くなっていくのを感じた。

 宴会場でみんなの前に出た時とは違う、心を鷲掴みにされるようなそんな感覚。


 鼓動は速まるばかりで、沈黙に耐えられなかった私は口を開く。


「あ、あのっ! こんな素敵な衣装に、それにお食事や宴会を開いてくださって、ありがとうございました」

「気に入ったか?」

「もちろんです。でも、私なんかがこんな……」


 そう口にした時、水神様の細い人差し指が私の唇につけられる。


「『私なんかが』なんていうな。お前はひとを助けられる立派な人間だ。もっと胸を張れ」

「水神様……」


 美しい水神様の瞳に吸い込まれそうになる。

 彼の整った唇が近づいてきたその時、後ろから声が聞こえた。


「あ~! 水神様が琴音様を口説いてる!」

「あ~! だめ~!!」


 桜さんと桃さんが私から水神様を引きはがした。

 そうして、ぷんすかという感じで二人は水神様を睨んでいる。


「お前らな……」


 呆れる水神様に、やいやいといった様子で桜さんと桃さんが突っかかる。

 彼はそんなことも日常茶飯事なのか、うまくあしらっていた。


(なんだか、楽しい……)


 私はそう心の中で思っていた。



 翌朝になって、私はいつものようにお布団を片付けて、早々に廊下の掃除を始める。

 しばらく掃除をしていると、ふと頭上から声を降ってきた。


「何をやっている?」


 それはたまたまお通りになった水神様の声だった。

 私は急いで頭を下げる。


「あ、申し訳ございません。朝のうちにやっておこうとしたのですが、雑巾をお借りするのに手間取ってしまって……」

「そうじゃない。どうして掃除なんてしている」

「お屋敷でお世話になる以上は何かお役に立たねばと」


 私の日常はこうだった。

 和泉家で使用人の方と同じお仕事をする。

 それが私の生きる立った一つの道。


 水神様は私の言葉になんだか納得されたようだった。

 そして、私の視線に合わせると一言だけ言う。


「お前を使用人扱いする者はここにはいない。そんなことをしなくていい」


 彼はそう言って去って行ってしまう。


「私、やはり水神様に嫌われているのかな……」

「きゅー?」

「いつか、本当に生贄として食べられてしまうのかも」


 昨日のことは幻で、一時的な客人扱い。

 冥土の土産にいい思いをさせてやろうという最後の計らいかもしれない。


(まさか、ね……)



 それから数日が経ち、ようやく私も屋敷の生活に慣れてきた。

 桜さんや桃さん、他の使用人さんの方たちとも打ち解けてきて、一緒に料理をしたり、掃除をしたりすることも少なくない。


 そんな日々を過ごしていたある日、私は水神様のお部屋の前にいた。


(これでよかったのかしら……?)


 呼吸を整え、中に向かって声をかけてみる。


「水神様、琴音です。今、よろしいでしょうか?」

「ああ、入れ」


 私が入ってもお忙しいのか、水神様は奥の机に向かって筆をとっている。

 そんな彼を邪魔しないように、そっと机の隅にあるものを置いた。


「これは」

「一緒に作りました、桜さんと桃さんと。水神様がお好きと聞いて」


 それはいちご大福だった。


(水神様のお好きなものを聞いたら、すごくきらきらした目で教えてくれたのよね。なぜかすごく嬉しそうにしてたけれど……)


「なぜ?」


 どうしてこれを自分に、いった様子で水神様は私に尋ねた。


「先日歓迎会を開いていただいたお礼です。私、あんな賑やかで楽しいこと初めてでした。すごく嬉しくて、心が躍って……まるで天国みたいでした」


 水神様は私の言葉に静かに耳を傾けている。


(そう、だから……)


 私は覚悟をもって言う。


「ですから、どうぞ生贄として食べてください」


 私は深く、深く頭を下げて訴えかける。


「このままでは村は救われません。私をどうか、食べてください」


 沈黙の時間がやけに長く感じた。

 ゆっくりと水神様が口を開く。


「顔をあげろ」


 ゆっくりと顔をあげた瞬間、私は水神様によって押し倒される。

 それでも私は動じず、真っすぐに彼を見た。


「怖くないのか、死ぬのが」

「はい」

「後悔はないな」

「ありません」


 その言葉を最後に、私は目を閉じて彼に身を任せる。

 しかし、何も起こらない。

 小さなため息が一つ聞こえた後、彼は言う。


「お前は真っすぐすぎだ。壊れそうで、危なっかしい」


 水神様は私の瞳を見て尋ねる。


「どうしてそんなに村を救いたい? お前を虐げた和泉家の人間の村だぞ。憎みはしないのか」


 水神様の問いかけは私の心に重くのしかかった。


(確かに、悔しいことも憎いこともないとは言えない。でも……)


 私は自分の胸元をぎゅっと握り締めて強く訴える。


「あそこには毎日一生懸命頑張って畑を耕してくれているみんながいます。『嘘つき』だと罵られた私に優しくしてくれた人がたくさん住んでる。そんなみんなが不幸になるのを黙ってみていられません!」


 私の訴えにじっと耳を傾けていた水神様は、静かに口を開く。


「わかった。村に救いの手を差し伸べよう」


(よかった……これで、村のみんなが助かる!)


 私は安心した後、水神様へもう一度お辞儀をした。


「では、こんな私ですが、食べてください」


 私はじっと彼を待った。

 すると、水神様は私に一言告げる。


「お前を食べることはない」

「え……?」


 私は思わず顔をあげる。

 水神様はどこか遠くを見ながら話していた。


「私は人間を食べたことなどない。生贄は伝承上のもので、実際は差し出された生贄は記憶を消して違う村へと送っている」

「では……」

「安心しろ、お前は生きられる」


 その瞬間、体から一気に力が抜けていった。

 気づくとぽろぽろと涙が溢れてきて、畳を濡らしている。


「私、私……」


 嗚咽混じりで言葉にならない私を水神様は優しく抱き寄せてくれた。


「落ち着け、お前を食べることはない。村も救える。だから、泣くな」


 その言葉を聞いて余計に涙が止まらない。

 自分でも気づかないうちに「死ぬ」恐怖があって、でも、それに知らないふりをしてごまかしていた。

 強気で奮い立たせてなんとかしようとしていた。

 それを水神様は気づいていたのかもしれない。


「ああ……ああ……!」


 私は一晩中泣いた。

 その間、水神様はただじっと私を抱きしめてくれていた。



 それから数日後、事件は起こった。


「うーちゃん!? うーちゃん!!」


 精霊さんがいなくなってしまったのだ。

 私がこの屋敷に来てからずっと傍にいてくれていた彼が、朝起きたら姿を消していた。


(ここにもいない……)


「はあ、はあ……」


 屋敷中のどこにも見当たらない。

 何度か庭と屋敷の中を往復した時、私の中で記憶がよみがえった。


(もしかして、また川に流されてしまったんじゃ……!)


 私は急いで屋敷の外に飛び出た。

 そして、知らずのうちに私は屋敷の結界を出てしまっていたのだ──。



 河原に着いた私は、あたりを必死に見渡す。

 昔精霊さんを助けた場所に行くが、そこにもいない。


(これ以上下流だと、一気に海まで流されちゃう……)


 そう考えながら走っていると、祠の近くにぐったりと倒れた精霊さんの姿を見つけた。


「うーちゃん!」


 駆け寄ろうとしたその時、私の後ろから声が聞こえてきた。


「あんた!!」

「奥様……お父様……」


 そこには奥様と、お父様がいた。


「お前、生贄になったはずじゃ……」


 お父様がそう告げると、奥様が声を荒らげる。


「全部あんたのせいだったのね!」


 あまりの剣幕と金切声に、私は一瞬ひるんでしまう。


「雨が降ったと思ったのに、おかしいと思ったのよ! 裏山が崩れてうちの蔵はめちゃくちゃ! おかげで財産の半分を失ったわ!」


(そんな……)


 私が生きていることを知って、奥様の怒りはおさまらない。

 勢いよく奥様は私に駆け寄ると、胸倉を掴んだ。

 

「あんたのせいよ! あんたが生きてるから!!」


 ついに奥様は懐刀を抜いて私に向かって振りかざす。


(殺されるっ!)


 しかし、いくら待っても私に痛みは起こらない。

 ゆっくりと目を開いた私の目の前には、水神様がいた。


「水神様っ!」


 私の呼びかけを聞いたお父様と奥様の目を大きく開かれた。


「水神様、だと……?」


 あまりに驚き、奥様は尻餅をついてしまう。


「我らが恩人である琴音を虐げ苦しめ、生贄とした罪は重い」

「待ってください、琴音は自分から滝に落ちて……」

「そんな嘘が私に通用すると思っているのか?」


そう言うと水神様は手で丸い水晶のようなものをつくり上げる。

 その中には奥様が私を崖から突き落とした時の様子が映し出された。


「なっ!」

「私はお前たちを許さない。これまでおこなった所業の罰として、和泉家には水の災いが降りかかるだろう」

「そんなっ! お助けください、水神様っ!」


 すがるように水神様の足にしがみついたお父様だったが、彼は冷たい視線を注ぐだけ。

 奥様も同じく唖然としている。


「さあ、帰るぞ」

「ですが……!」


 私の言葉を遮るように、水神様は屋敷へと向かった。



 その晩、私は水神様の部屋を訪れていた。


「水神様、琴音です」

「入れ」


 私の足取りは重たいままだった。

 水神様の傍に座ると、彼にお願いをする。


「どうか、村を救ってください。お父様も、奥様も……」

「お前は甘い!」


 初めて聞いた水神様の大声に、私は何も言えなくなる。


「和泉家がどれほどのことをお前にしたのか、わかっているのか?」

「……はい」

「わかっていない!!」


 水神様はこちらを向いた。

 その顔はひどく傷ついたような寂しいような、悔しいような表情。

 彼に圧されそうになってしまうのを堪え、私は一生懸命思いを伝える。


「確かに、お父様と奥様にはひどいこともされました。ですが、それでもたった一人の父とその大事な人なんです。そして、和泉家には私によくしてくれた人たちもたくさんいます。彼らが路頭に迷うことはあってはなりません。どうか、どうか、彼らに救いを与えてくださいませんか」


 深く頭を下げて思いを込める。


(どうか、お願いします……)


 静寂の間に、鈴虫の声が響く。


 長い、長い沈黙を開けて、水神様の声が聞こえた。


「顔をあげろ」


 その声に従って私はゆっくりと彼を見た。


「和泉家に一度だけ機会をやる。彼らが今回のことで心を入れ替えたならば、自然が導き、良き村に戻るだろう」

「水神様……」

「あくまで私は手助けをする程度。あとは人がなんとかしなければよくはならない」


 私はその言葉を聞き、頭を下げた。


「ありがとうございます!」

「お前には二度も我が子を助けてもらったからな」


 水神様は仕方がないという様子で目を逸らした。

 私は思わず笑ってしまう。


「何がおかしい」

「いえ、水神様って最初怖いひとかと思ってたんですが、優しいんですね」


 私に言われたのが不満なのか、眉をひそめる。

 でも私にはわかった。

 それが照れ隠しだということに……。


(よかった……でも、これで……)


「これで、私のお役目は終わりですね」


(生贄もなくなって、村も救われる。これで、私のいる場所はもう……)


 そう思っていた私を水神様が抱き寄せる。


「水神様!?」

「お前、出て行くつもりだっただろう。そうはさせない」


 そう言うと、水神様は胸元から小さな丸い水晶のようなものを取り出す。


(これ、うーちゃんのくれた石とよく似てる)


「我が子があげたのだろう? お前に」

「は、はい……感謝のしるしかなと……」

「違う」


 水神様は否定する。


「これは『求婚』のしるしだ。まあ、もっとも我が子はまだ幼く、意味を知らなかったようだがな」

「え……」


 小さな石を水神様は私に差し出すと、耳元で囁く。


「行かせはしない。ここで私の『華嫁(はなよめ)』として一生傍にいろ」

「それって……」

「返事は?」


(水神様の妻に……? 私が、私なんかが……)


 そう思っていると、水神様は私の頬に手を添えて告げる。


「今、『私なんか』と考えただろう」

「どうして……」

「お前の考えなど、手に取るようにわかる。さあ、返事は?」


 そう告げた水神様は立ち上がる。


「冗談だ。さあ、今日は眠れ」


(あっ! 行ってしまう!)


 水神様の袖を思わずぎゅっと握ってしまう。

 二人の視線が交錯した時、私は小さな声で返事をした。


「……てください」

「え?」

「私を、あなたの妻にしてくださいませんか?」


 きっと私の顔は真っ赤だ。

 人生で初めての告白で、緊張と怖さに襲われる。


 しかし、そんな不安は彼が拭い去った。


「では、名を授けてくれ」

「名?」

「華嫁を承諾する証として、神に名を贈る。お前から、私の名がほしい」


(水神様の名前……)


 私は思案すると、そっと口を開いた。


(みお)。あなたの名前は、澪がいいです」


 その言葉を聞いて、水神様は笑った。


「良き名だ。一生大切にすると誓う、お前に与えられた名も、そしてお前も」


 月の光が届く縁側で、私たちは口づけをした──。


読んでくださってありがとうございます!

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