川口の惑星
コロンさま主催『菊池祭り』参加作品です
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夫婦二人で宇宙旅行をしていて遭難した。
しかしさすがの私である。軌道修正に成功し、青い地球が見えてきた。
「何日遭難してたのかしら」
妻の絵玲奈が私に聞く。
「わからないが……1ヶ月くらいかな」
私は答えながら、不安を口にした。
「しかし宇宙での時間と地上の時間にはズレがあると聞く。地上では何年も経っているかもしれない」
地上が核戦争後の荒廃した砂の世界にでもなっていたらどうしようと思っていたが、どうやら何も変わっていないようで安心した。
シャトルを海上に着陸させると、遠くに見慣れた町の建物があった。私たちはボートを使って陸地に上がった。
しかし、そこは何かが違っていた。
何かがおかしい。スマートフォンが通じない。走っている車にはエンジンの音がなく、見たこともない車種の、メーカーさえ知らないような車ばかりだ。
私たちがいた元の町と変わりがないように見えて、そこは私がいた場所とは微妙に違う、異質な町だった。
自分の家がどこにあるのかさえわからなかった。もしかしたら建物も、その土地さえ存在していないかもしれない。
とりあえずその夜は宿を取ることにした。見つけたホテルに入ると愛想のよい笑顔で出迎えてくれた若いホテルマンにほっとする。
タブレットに名前を入力するよういわれた。タブレットもタッチペンも見慣れたものだった。しかし、すぐにその違和感に気がついた。
名前が、入れられない。
下の名前の入力欄はあるが、名字が強制的に『川口』になっているのだ。
「すまない……、君……」
愛想のよいホテルマンに聞いてみた。
「私の名前は菊池なのだが……。なぜか名字が入力できない。どうにか──」
するとホテルマンの表情が一変した。
「おまえ川口ではないのか」
愛想のよい笑顔が崩れ、敵意むきだしの猿のように歯を剥いて、いまにも襲いかかってきそうになった。
「どこから地球に入ってきた?」
そしてカウンターの裏で、何かのボタンを押したようだった。
警報がけたたましく玄関ロビーに響き渡った。
身の危険を感じ、私は妻の手を取ると逃げ出した。
後ろから殺意を剥き出しにした人々が追いかけてくる。
「川口でないもの、人に非ず」
「川口でないもの、人に非ず」
誰もが同じそのことばを口から吐きながら──
なんとか逃げおおせた。
夜のベールに包まれた港に二人で逃げ込むと、息を整え、話し合った。
「どうやらここは未来の地球のようだ」
「見た目は変わらないのに……何百年も経ってるのかしら」
「わからない。ただ、どうやら地球は川口に支配されてしまっているようだ」
「迂闊に菊池姓を名乗れないのね」
あのホテルマンに顔は見られたが、指名手配はされていないようだ。
私たちは町を歩き、色々と情報を集めて回ることにした。
通貨が円ではなくなっている。流通しているのは『川口』という単位のお金だった。私たちは個人でスペースシャトルが所有できるほどの金持ちだが、ここでは一文無しだ。
「ねぇ、海外へ逃げない?」
妻が提案した。
「海外だってどうなってるかわからないよ」
私がそう言うと、ちょうどビルに設えられた大型スクリーンがニュースを報道しはじめた。
『アメリカの新大統領にジョージ川口氏が就任』
『犯人は中国国籍の川口喆』
『アフリカ中部の原住民、川口族の文化展がこのたび──』
『多様性、川口!』
だめだ。逃げ場はないようだ。
私たちは川口に改名することを受け入れるしかないのだろうか?
しかし、妻が言った。
「私たちは菊池よ。菊池としての誇りをもちましょう……あなた!」
「ああ……、そうだな」
さすがは私が妻に選んだ女性だと思った。
「反抗しよう。私たちの手でここを菊池の惑星にするんだ!」
私たちの闘いは始まったばかりだ。