熟れた舟は漕げない
その日は快晴だった。5月にしては、気温、風、太陽と、僕が考えられうる環境の全てが、完璧な環境だった。
デートを予定している女性の名前はヒトミといった。会社の常務からの紹介で、「かっしーって、年上の女性好きだよね?」なんて、くだらない休憩時間の喫煙所で紹介された女性だ。
常務経由で連絡先を交換してから、1か月くらいやり取りを交わしてから、デートの日程が決まった。この1か月間、具体的に何を話してわけでもなく、お互い社会人が板についているようで、相手の様子を伺いつつ、記憶にもかすらないような、そんな会話をだらだらと進めていた。
朝7時に目が覚めた僕は、ゆっくりと朝食を作りながら、今日のデートのことを考えていた。『えーと、11時に現地集合だから、、』と集合までの時間配分を気にしていた。一応、常務の紹介だから、遅れることはできない、早めに行こうと、目玉焼きが焦げていた。
正直、そこまで乗り気ではない。彼女はいないし、できればほしい気持ちはあるが、今年25歳の僕は、焦りなどは無い。ただ、彼女は今年34歳。確かに年上は好きだが、遊び相手が増えるくらいにしか考えてない。結婚願望もあるみたいだが、僕には全くない。それどころか、願望があるにも関わらず年下の男にかまっていること自体への不信感みたいなモノが、今日までヒシヒシと積もっていた。さらに言えば、雨男の僕は、大体楽しみにしている事があると雨が降る。快晴もそんな気にさせた。
朝食を済まして、歯を磨いて、簡単に髪の毛を整えた。
『服どうしようかな』と女性とデートするときは悩む。普段1人で出かけるときは気にしないが、相手がいる場合は気にしてしまう。古着を好んできるから、相手と系統が合わないことが多いからだ。『ま、いいか』と普段通りでかつ、2軍的な存在の服を選択する。34歳で世の中的には売れ残りの女性に、どう思われてもいいやと、そんな感覚でいた。
場所は、自宅から車で30分くらいのところだ。10時を過ぎたので、出発することにした。思いのほか混んでいたので、ぴったり10分前に到着した。車の中で煙草を吸っていると、『つきました』とメッセージが来た。急いで煙草の火を消して、車を降りた。喫茶店入口に女性が待っているのが見えた。
「あ、こんにちは。ヒトミさんですか?」と女性に話しかけた。「はい、はじめまして!シュン君だよね?」とヒトミさんは答えた。そのあと、入口で小話をして、「そろそろ入ろうか」と店の中に入った。
店は、お互い行ったことが無いところにしようと決めた場所で、特段おしゃれとか、そういうのは無かった。明らかにアルバイトの店員に案内を受けて、席に座った。「そういえば、今日天気すごく良いですね」と、開口一番、僕の中では皮肉を込めて伝える。「そうですね」と無邪気にヒトミさんは答える。皮肉を込めたものの、実際に会う彼女は、服装も僕が好きなカジュアルな感じで、話し方も社会人っぽくなく、どこか自由を感じた。
「お飲み物おきまりでしょうか?」店員が注文の受付に来た。「僕はアイスコーヒーで、ヒトミさんは?」「私も」と初対面の緊張感と、アルバイト店員の初々しさが合わさり、おそらく世界一といっても過言ではない言葉数でオーダーが決まる。
「お待たせ致しました。アイスコーヒー2つです」と店員がテーブルに並べる。ここまでの過程を経て、ようやく2人きりだと感じた。
「シュン君はさ、どうして私に会おうと思ったの?そんなにやり取りもしてないのに」とヒトミさんが切り出した。趣味とか、日ごろ何しているとかを話している中で、突然1歩踏み込んだ質問が飛んできた。
「義務感が強いですかね、会社のお偉いさんに紹介いただいたものあるし、逆にヒトミさんは?僕はそこそこ年下でも、どうしてですか?」と切り返した。おそらく余裕のない女性はこう聞いてくるであろうという質問はある程度シュミレーションしてきていた僕は、考える間を感じさせず答えた。
店内のBGMで流れている最新のアーティストの曲が、何かわかるくらいには間を開けて、彼女は答える。
「この年齢になっても、まだ女の子してるから、かな」
具体的にはどことかは無いが、自身の体のどこかで、スイッチが入ったのが分かった。いわゆる、年上の女性が好きといったトリガーがひかれた。ため口の感じや笑顔なのに目が真剣なところや、あいまいにする余裕さ、それらが魅力として今日初めて、僕の中に落とし込まれた。とたん、2軍のよれたシャツを着替えたい衝動にかられ、惨めさを洗い流すように、いつもより多めの1口でコーヒーを口に含んだ。
「ヒトミさんはまだ、16ですもんね」と昭和のおやじギャグを付け足すくらいしか、僕にはできなかった。
それから、お手洗い休憩を挟みながら、基本的に、どちらから話題を振るわけではなかったので、お互いが質問を投げては会話するスタイルが10分くらい進んだ。ようやくヒトミさんがコーヒーを飲みほしたので、追加で何か頼むか尋ねた。「そうだね」と2人で本日のコーヒーを頼んだ。
店員が1杯目と全く同じ手順で、テーブルにコーヒーと並べた。僕は、どことなく悲しい気持ちでいた。おそらく、ヒトミさんと僕は、今後どうなるとかはない。25年も生きると、何となくわかったりする。この気持ちはヒトミさんも感じているだろう。お互いを包む空気が、物語っていた。ただ、ヒトミさんと僕のどちらも悪者ではなく、会話は楽しいし、僕はもう既に彼女に少し惹かれていた。
「ヒトミさんって、男性にモテそうですけど、なんで旦那さんも彼氏もいないんですかね?」と第3者として聞いた。この本日のコーヒーを飲み終われば、今日のデートは終わる。そして、デートも今日が最後。僕の直感を信じて、思い切って質問を投げた。場をつなげるとかの気を使うことは無く、純粋に目の前にいる、9歳年上の女性への質問だ。
「シュン君って、女の子好き?」
「好きですけど、どうしてですか?」
「私もね、男が好きじゃないとか、そういう捻くれは別にないのよ、あとね、私はモテない」
僕は相槌をうち、落とし込んだふりをしたが、『あれ?』と思い、続いて質問を投げる。
「いや、理由をしりたいんですけど、今日僕が見ているヒトミさんは、すごくモテそうですよ?」
「面倒くさくならない?」
この人は本当に女性らしさを兼ね備えている。質問に質問を返すことで、自身の秘密を保持したまま会話を進める。彼女の自由な身振りや手ぶり、表情、嫌いじゃない。
「うーん、というより、僕は、不気味ですかね、誰かと時間を共有するのって。今この瞬間も少し不気味です。」
『うんうん』と頷きながら、ヒトミさんは今日1番の楽しそうな表情を見せた。その表情を見たとき、僕は理解した。彼女がモテない理由は、僕と一緒だと。僕も見た目には自信がある。唯一親に感謝しているほどだ。欠点とは言い切れないが、彼女も僕も、独りで幸せなれる人間だ。そして、他人をそこまで信用していない。
「あ、やっぱりですか?そうだと思いした。モテるモテないの土俵ではないですね、お互い」と笑いながら答え合わせを簡単に済ました。
「それでもって、まだ女の子したいんですもんね(笑)」
「そうだね~、しかもたまに疲れるんだよね、独身でいるとさ、気になるんだよ、他人の考えが。普段は他人を信用していないのに、妙にグサッと来る時があるの。例えば、スーパーでお惣菜を1人分買って、レジに持っていくとね、こいつ独身なのかーとか思われてるのが、つらくなったり。だから一応は結婚願望もあるけど、それが叶わないことも知ってる。」
彼女は淡々と続ける。
「叶えてくれる相手がいないんじゃなくて、叶えたくない自分がいるのかもね。女の子の私と立派に大人になった私が毎日喧嘩してる(笑)」
「シュン君は?」
気持ちよくなって話していると思えば、急に質問が来たので、びっくりした。
「僕は、どうですかね、ヒトミさんと違って、まだ大人になり切れてさえいないので、そういう考え方は無いかもしれないです。不完全ってところなんで、まずは自分を何とかしないといけないくらいにしか考えてないです。今誰かと付き合ったりしても、うまくいくイメージがないかな」
「グサッときた」と彼女は微笑んだ。『やれやれ』というような表情で、彼女はコーヒーを飲んだ。
「あのね、シュン君、若いころの私を見ているようだから、教えてあげる。不完全であっていいんだよ」と、そう告げる彼女は、どこか悲しそうだった。そのどこか無理をして悲しげを装う彼女の表情が心地良かった。
「1人のまま完全になると、その先はずっと1人だよ。不完全な誰かと一緒に完全になるってことを忘れちゃダメなんだよ、人間社会はそうやって成り立つから。どう?それっぽいこと言えてる?(笑)」
「はい」と僕は言う。
「だから、私はずっと1人、完全に生涯独身ルートに乗ったね、今日で」
「え、なんか僕のせいにしようとしてません?あと、別に完全になっても誰かと付き合ったり、結婚したりできるでしょ?」
再度、『やれやれ』という表情で、僕を見てくる彼女。何か悪いこと言ったのかなと気になる僕の気持ちをよそに、答えだす彼女。
「若いね~、確かに、この世に絶対はないけど、モラルだよモラル。」
「どういうことですか?」
「チョコレートは甘ければ甘いほど人に好かれるでしょ、それと一緒で、人は不完全なほど人に好かれるものなの」
そういった彼女は、また悲しそうな表情を見せた。きっと、僕がまだ体験していない9年には、様々な葛藤があったのだろう。そんなことを思いながら、僕は、彼女と同時にコーヒーを飲みほした。
「そろそろ出ますか、今日はありがとうございました。」
「私のほうこそ、先輩面してごめんね、楽しかったよ」
「ちなみになんですけど、僕らの相性よさそうじゃないですか?」
「うーん、あなたじゃ私の特別にはなりえないかな」
その捨て台詞を最後に、2人で会計をして店を出てすぐ解散した。最後のなけなしのアプローチを今日初めての『あなた』呼びで殺してくれた彼女に、改めて惹かれたことを認識して、車に乗り込み、煙草に火をつけて『ばいばい』と心の中で精いっぱい生意気につぶやいた。