第7話 豪徒(ゴート)
「『蛇足』はどのくらいかかる?」
俺は薄明かりの差す鱗の裏側を見上げながら尋ねた。
「不二原まで一昼夜ってとこかな。でも、山地の中ほどで下車するんだろう?」
ニミリが聞き返す。俺は肯いて寝転がる。長旅になりそうだ。
「不二原の停車場は張られている可能性があるからな。公式の使者とは言え、宮廷の人間は問答無用で切り捨てるつもりかもしれない。実際俺たちの目的も、闇討ちなわけだし。それくらい今の王都と夷の関係は緊張している」
「それなら海路の方が……、や、今の時期は潮目が悪いか。海流が南西向きだ。それに不二原は内陸だから、向こうで脚を用意していないと日がかかるか。空の便は?」
「空の便?」
「警察隊は交通手段として翼竜を飼ってるんだよ。たしか八匹だったかな。今回ほど重要な任務なら、文句なしに貸しつけてくれると思ったんだけど」
ニミリが不思議そうに首をかしげる。それにしても、電力や蒸気機関を持たない分、技術も独自の発展を遂げているものだ。俺は少し感慨深い気分になる。一度文明が滅んでもなお歩みを止めない人間の生命力……、畏敬の念すら覚える。
『蛇足』はうねりを上げて進んでいく。地下道の気圧を利用して、巨大な蛇は飛ぶように地中を滑っていった。
小休止を挟みながら順調に『蛇足』は進み、俺たちは半日で目的の山脈まで辿り着いた。
伸びをしながら地下道の階段を上り、地上の空気に顔を浸す。半日ぶり日の光を期待したが、空は既に黄昏に赤く染まり、一番星が瞬き始めていた。
「既に『夷』の領域に入ってる。気は抜くなよ」
メルトグラハが背嚢を肩に担ぎながら声をかけた。道中も油断なく警戒を続けていたらしく、張り詰めている。
一方でイスカリオテは欠伸をしながら涙目で出てきた。緊張感の差に拍子抜けするほどだ。アテネは少し疲れた表情で階段を上ってきた。この温度差の二人に挟まれて半日も過ごしたら、気を遣うのに大変だろうな。俺は少し同情した。
「夕刻だけど、まだ日は落ち切ってない。少しでも進みつつ、野営する場所を探そう」
俺は四人を引き連れて歩き出した。山脈伝いに北上していく。不二原はここから歩き通して、一日かからないくらいの距離のはずだった。
徐々に深まっていく闇に脚を速めながら、俺たちは山道を歩いていった。「川だ」イスカリオテが立ち止まって行った。俺とニミリも耳を澄ませる。遠くから水の流れる音が聴こえてきた。
「東北東だな」
地面に耳を付けたメルトグラハが告げた。「ちょうど日も暮れかけてきたところだ。今日はそこで野宿をすることにしよう」
木の根に足をとられないように気を付けて歩きながら、ニミリが横を向いた。
「しかしよく川に気付いたね、イスカちゃん。野風の俺でも分からなかったよ」
「耳は良い方っす。空気の流れも違いました」
膝まで伸びる草を払いながら、俺はアテネに目をやる。「平気か?」
アテネは岩を器用に飛び越えて俺のよこに降り立った。「まだ大丈夫よ。この一年でだいぶ体は鍛えられたからね。鍛錬は続けているし」
アテネは軽く腕を上げて答えてみせた。まくれた袖から見えた真新しい痣に少し不安を覚えたが、彼女は腕を下ろしてしまった。
「野風の細胞は消えたけれど、その名残や蓄積は残っているみたい。前よりも丈夫になって、体力の持ちも良いわ。あなたはどう?」
「俺は元が改造人間だからなぁ。あまり実感はない。この一ヶ月色々と試してみたが、どうも狂花帯だけじゃなく肉体も強化されてて……、野風並に動けるみたいだ」俺は手を握ったり開いたりしながら答えた。「五感も猿族並だ」
川音がいよいよ近づいてきた時、俺は不意に脚を止めた。
「ましら隊長?」
気づいたイスカがこちらを振り返る。
「……面倒なことになったな」
俺は左手に聳える崖の上を見ながら呟く。「ニミリ、右の坂の方から迂回は可能か?」
「地形的にかなり遠回りになりそうだね。日も落ちて危険だよ」
「何か『聴こえた』の?」側に並んだアテネが尋ねる。俺は無言で彼女を腕の後ろに退がらせる。「皆崖から離れろ。……来るぞ」
山崩れのような鳴動が聞こえてきて、徐々に大きくなる。やがて黒い影の塊のようなものが崖の上を覆いつくし、そのまま切り立った斜面を猛然と駆け下りてきた。それは大きく枝分かれした真っ黒な角と暗褐色の筋骨隆々なバッファローのような肢体を持つ獣の群れだった。
「山羊……?」ニミリが驚いたように叫ぶ。
「山賊山羊だ! 角に気を付けろ!」
メルトグラハが地面に掌を叩きつける。辺り一帯の樹木がざわめき、木の根が地面から突き出た。
山賊山羊は崖を駆け下り、勢いそのままにこちらに突進してくる。太く結びついた木の根が網となり、山羊たちを絡めとった。しかし何匹かの山羊は高々と跳躍し木の柵を飛び越えてきた。
「イスカ! アテネを頼む!」
脇差しを抜いて構えたイスカにアテネを預け、俺は山羊に向かって飛び出す。「山賊山羊は横からの攻撃に弱い! 回り込め!」メルの忠告にしたがって俺は曲線状に突進しつつ、角を避けて山羊の細い脚にスライディングをかました。
崩れる山羊に押しつぶされぬよう即座に跳び退いた俺は、そのまま続けざまに三匹の山羊の膝を破壊し、さらに次の一匹の山羊の角を掴んでハンドルのように思い切り首を捻った。
仕留めもらした山羊の後を追おうと振り返ると、既に二匹の山羊がメルとニミリの傍らに倒れ込んでいた。幸いアテネとイスカの周りには山羊は寄り付いていなかった。
「さすがだね、ましらクン」
牛刀を首に担いだニミリが倒れた山羊の腹から、黒光りする刃を引き抜く。山羊の腹には太い手裏剣のような形状の巨大な投擲武器が刺さっていた。「こっちは片づけといたよ」
景気よく爆ぜる火に照らし出されながら、メルが山羊の肉を裏返す。炎に焙られた肉付きの良い腿から油が滴りおち、心地よい音を立てた。
「肉を捌くのが上手いな」
俺は手に付いた土を払いながら、イスカリオテの作業を覗き込んだ。
「動物の体の基本構造はどれも一緒っすよ。基本が分かれば応用は難しくないっす」
ナイフで骨に付いた肉をこそげ落とし、メルが固い葉で作った皿の上に重ねていく。「脂身の少ない部分です。アテネさんにはこっちが丁度いいんじゃないすかね」
「ましら……、穴掘りは終わったのか」
アテネと一緒に五匹の山羊を引き連れたメルが尋ねた。従順になった山賊山羊には大きな植物の葉で作られた鐙が取り付けられていた。
「必要な分の解体が終わったら穴に入れて葬ってやろう。遺骸を放置して肉食動物が寄って来ても困るしな」
「囲いにいれたやつらはどうする?」
俺は木の柵に囲まれて立ち往生している山羊たちを見て言った。
「この五匹同様、アテネ嬢の催眠で大人しくしてある。明日ここを発つ際に放してやろう。それまではあそこに留めておく。殺意に敏感な奴らだ。危険な動物が近づいた時に警報になってくれる」
メルは山羊の首をぽんと叩いて説明した。
「ずいぶんこいつらに詳しいな」
「東国の野盗狩りに駆り出された折に、こいつらにはよく出くわした。山賊山羊は捕食者を発見すると群れをなして攻撃に走り、撃滅する習性がある。山賊が警察隊を撒くためによく使うんだよ」
「へえ」俺は感心して声を漏らした。「捕食者から逃れるためにあるはずの草食動物の視野の広さ、それを先制攻撃に利用して生き残ってきたのか……。とんだ荒くれ者だな」
俺は山羊の頭を撫でる。
「丈夫な足も手に入れたことだし、思いの外早く着きそうだな。このまま川沿いに北上していけば不二原だろ?」
「ああ。森を抜けた鉱山地帯に人里がある。そこで夷の連中の根拠地を探ろう」
「肉が焼けたよ」
ニミリがこちらに声を張る。香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。俺は喉を鳴らして言う。
「細かい話は後にして、まずは腹を満たし体力を回復させよう。明日はいよいよ不二原に到着だからな。野盗にでも、襲われない限り……」