第6話 遠征部隊
容赦なく照り付ける陽射しを吸い込んだ黒い葉が、木陰に避暑の一帯を作り出していた。河の渓流の激しい波音を、鈴虫の声が賑やかに掻き消している。
「……揃ったか」
影の中に並んだ4つの顔を見渡して、俺は独りごちる。
「準備万端だよ、ましらクン」色眼鏡にこちらの姿を写しながら、グレーの毛並みをオールバックに撫でつけた若い野風が合図を送る。両手を突っ込んだポケットの他にも、僧衣には目立たないポケットがたくさんついていた。内側にいくつもの武器を隠し持っているのだろう。
「全部で5人か」
メルトグラハが眼帯をしていない方の眼を素早く巡らせた。目の合ったアテネがびくっとして俺の背中に隠れる。そういえばアテネはメルとは、以前の捕縛騒動以来の再会だった。
「ア、アテネ嬢……、あの時は任務だったのです。獲って食ったりしません」
メルトグラハは軽くショックを受けたような顔で言った。
「今日は随分慇懃だな」
「ご成人召されたからな」
メルトグラハは咳払いして答えた。
「貴様も13番隊とはいえ……、警察隊に入局したからには上下関係はきっちり守ってもらう。目上の人間にはそれなりの態度で接することだな。これは長官補としてのありがたいお言葉だ」
長官補は全国で100人程度いる、中間管理職くらいの役職だ。下に次官、上に准長官と長官がいる。トップのカミラタはさらに上の特務長官だ。
「でも、俺階級上はあんたと同格だぜ、小隊長だから」
「では先輩としての、ありがたいお言葉だ……!」
メルトグラハは先輩という単語に力を入れて返した。
「じゃあ、その、よろしくね。メルトグラハ」
アテネが俺の陰から出てスカートの裾を軽く持ち上げ、貴族流の会釈をした。長距離の移動だけあってドレスでこそないが、貴族として使者の役をこなすため簡素な礼服を着用していた。ワイシャツの襟に付けた光沢のある黒のブローチが映えている。「玄水晶か。良いブローチだね、アテネちゃん」ニニギニミリが色眼鏡を持ち上げて言う。
「ありがとう。頂き物なのよ、誕生祝のね」
アテネは軽く胸を張ってこちらをちらりと見た。「よく似合ってるよ」俺はにっこり笑て言う。
アテネは珍しく年相応の無邪気な笑みを覗かせた。顔つきは少し大人びてきたが。まだあどけない少女だ。彼女を選任した以上、この危険な旅の道中では、俺が守らなければならない。まあ付いて行くと言って利かなかったのは、彼女だったのだが……。
微笑ましくこちらを眺めていたメルトグラハとその傍らの少女に、ニミリは視線を流す。「お二人は警察隊のお目付け役だね」
「はいっす」
右手を元気よく掲げ、パステルグリーンの短くまとめた髪を小さく揺らしながら彼女は答えた。「イスカリオテ=カルキノス、17歳。監視兼案内人の役を仰せつかってきました。階級は主典っす」
「若いねえ」
「新入りなもので」
イスカリオテはニミリに挨拶を返しながら答えた。
「長官殿は魔境でなんどかお会いしたね。ましらクンの監視に付いてたでしょ」
「ああ。お前はニニギニミリだな。西面の野風たちの長だろう。噂には聞いてる、切れる男だとな」
「ふふ、誰の流した噂かな……」
ニニギニミリは色眼鏡を光らせて応じた。「……なら行こうか。イスカちゃん、案内を任せたよ」
王都東端の黒玉の森には街道がある。翁州山脈の麓まで陸路を「馬」で移動し、後は交通機関を利用して一気に北上する予定だった。
「……デカいな」
口から二又にわかれた青い舌をだし、低い破擦音と共に湿気を含んだ息を吐きだす蟒蛇を見て俺は呟いた。蟒蛇は地下坑道いっぱいに機関車のような巨体を伸ばしててかてかと光る鱗を震わせた。
「鱗の下に緩衝用の空洞がある。そこが客席代わりだ。走行中はくれぐれも頭を出すなよ」
メルトグラハが蟒蛇の背にのり、巨大な鱗の一枚を掛け布団のように持ち上げ、中に潜り込んだ。周りを見ると他にも旅行客や仕事らしい身なりの良い人間が梯子に脚を掛け、蛇の背に乗り込もうとしている。頭に細長い銅色の輪っかのようなものをはめている人もいた。
「あの頭のは何だ?」
俺は彼らに指を向けてイスカに尋ねる。「酔い止めの器具っすね」意外な答えが返って来た。
乗客たちの動きに倣って銀色の皮膚の下に滑り込む。中は蛇の体温で暖かい。入り口は狭いが奥は袋状に広がっていて、膝立ちで動き回るだけのスペースがあった。入口の隙間から、坑道の天井に並んだランタンの灯りが差し込んでくる。
「お隣失礼するよ」
鱗を開き、ぬるりと内側へ滑り降りてきたニミリが言った。
「アテネとイスカは?」
「長官補殿たちのスペースに行ったよ。ま……、俺たちは男同士仲良く行こうよ。同年代の友達欲しかったんだ」
ニミリはごろりと横になりながら言った。そのまま薄暗い蛇の外皮の天井を見上げる。
「これが噂に聞く輸送生物機関『蛇足』か。面白い乗り物だね」
「お前も初めて見るのか?」
「そうなるね。これかなり値が張るんだよ。魔境の人間じゃ片道切符すら買えないね」
ついてきて正解だった、と少し自嘲気味に笑う。
「しかし、お前と遠征に行く日が来るとは思わなかったよ」
「なんだい、自分で選んだくせに」
「いや、たしかにお前クラスの野風を斡旋してくれとは頼んだけど、本人が来るとは思ってなかった。てっきりメルヴィルあたりが名乗りを上げるかと」
「若頭クンも来たがってたんだけどね。虫拳で勝った」
「ジャンケンで決めるなよ……」
俺が呆れた声で言うと彼は冗談だと言って手を振った。
「彼が志願していたのは本当だけどね。でも今回の任務は俺の方が適任だと思った。まあ追々、役に立つと思うよ」
「評議会の仕事もあるだろう。西面は大丈夫なのか?」
「ウン。というか、そのための評議会だしね。一週間ばかし僕が居なくても、他の四人が回してくれるよ」
ニミリは事も無げに言う。俺は床に置いた荷物を除けて、ニミリの傍らに胡坐をかいた。
「お前のことはまだそれほど詳しくないが……、それだけのために来たわけじゃないことは分かる。グラムシのためか?」
鬼に半殺しにされ、そのまま精神を病んだ南面の長の名前を出す。グラムシはニミリと旧知の間柄であり、犯罪を犯して監獄に収監されてからもその関係は変わっていなかった。
「さすがに勘が良いね」
ニミリが肩をすくめる。
「実は東国地方は宝具の名地なんだよ。特に不二原には有力なジェミナイア族が土着してるから、武器加工技術が発達してるんだ」
「宝具……」俺は御所でみた緑炎の盃を思い出した。「特殊効果の付与された道具ってところか。グラムシの治療の鍵になりそうだな」
「そういうこと。グラムシの兄貴の容態も芳しくなくてね。緑衣の鬼に蹂躙されて以来、緑色恐怖になって外に出られない」
「長いこと監獄にいたんだ。引きこもりも慣れたものだろ」
俺はすげなく返す。当然の報いだ。グラムシ……、奴には俺の仲間も殺されている。
「まあそう言わないでよ」ニミリが困ったように眉を下げる。「たしかに最近の兄貴は滅茶苦茶してたかもしれないけど、俺にとっちゃ大事な兄貴分なんだ。今さら見捨てられないさ。それに精神が安定すれば、家族を殺されてすさんでいた兄貴の心も、昔みたいに戻るかもしれない」
ニミリが寝返りを打つ。外から発車を告げる笛の音のようなシグナルが聞こえてきた。俺は肉の壁に背中を預けて言う。
「まあ、連合として肩を並べて戦った中だ。お前の目的の邪魔をする気はないよ。……だがまた奴が暴れるようなら、その時は容赦なく警察隊に突き出すからな」
「そうならないことを祈るよ」
ニミリが背中越しに答えた。床から蟒蛇の肉の震えが伝わって来た。どうやら『蛇足』が東方に向かって動き出したらしかった。