第5話 13番隊
「久しいね。……アテネ」
「帝さま……」
アテネは息を落ち着け恭しく跪き、彼女から金属札を受け取った。
「大きくなったな。もう15の歳……成人か」
「ええ。もう子供ではございません……、民族の一代表としてここに来ております」
アテネはしゃんとした姿勢で帝に目を合わせ、深々と礼をすると、聖杯の前に立った。
「カプリチオ代表としてここに宣言させていただきます。真白雪の死刑に反対し、市民権獲得を認めます。カプリチオ族の誇りに掛けて誓います……、彼のような善人の命を奪うのは、貴族のするべきことではありませんわ」
「貴族の責任……。青いわね。大人ならもっと賢い選択をするものよ。アテネさん」
アクアライムの代表が何か眩しいものでも見るように眉を顰める。
「青いままで結構です。私は清らかな人間でありたい。でも、ひとつだけ立場を忘れたことを言うのなら」アテネは口を一瞬つぐみ、しかし臆することなく言う。「彼は必要な人間です。それも偽いのない理由」
紫の炎がゆらりと金属札を舐めていく。票は認められた。
呆気にとられた様子のレーウェンフックの手から優雅に白墨を奪い、黒板に「5-6」と書きつけた。
「決まりだ」帝は血印を再び掲げると、真新しい用紙にそのまま判を押した。
「ここに真白雪の市民権獲得を承認する」
歓喜の声を漏らしたボアソナードに、俺も思わず安堵の溜息をもらす。ドストスペクトラは静かな顔で祝福の拍手を送ってくれた。俺に賛同してくれた代表たちも期待の眼差しを込めて拍手で包んでくれる。
「アテネ……」
喜びに思わず微笑みを浮かべた俺は、スペクトラの隣に座ったアテネの顔を見る。アテネはにっこり笑ってウィンクで答えた。
「見事だった。真白雪」帝が一人だけ重みの違う拍手をしながら近づいてくる。あたりの空気が一瞬で引き締められるのを肌で感じた。
「運ではない……。日付と投票の仕組みを見抜き、事前に可能な限りの対策を施して臨んだな。それも全く法に触れぬやり方、自分の勝ち得てきた信に頼るという方法で死の二卓を切り抜けた。……貴様は有能だ、此度の任務に相応しい」
「任務……?」
新参者として詳しい事情を呑み込めていないアテネが首をかしげて呟く。
「そう。ジパングは今、この百年の中で最大の国難に瀕している。いや、瀕しかねないといった方が良いかもしれないね。一歩選択を誤れば、これから先|ジパングは未曽有の混乱に陥るだろう。この任務は、国運を掛けた最初の大きな一手だと思ってほしい」
「帝がそれほど注意を払う事態……、何事です?」
ボアソナードが尋ねる。
「東国の豪族共と13番隊が手を組み、このジパングからの独立を宣言したのだ」
イタロが腕組みして答える。
「名は夷……、使者ホーガンクロウ=スコルピオの残した文書によれば、王都近郊圏より東、翁州山脈を囲む東国地帯を領地とする、とのこと。主権者は新皇、クラマノドカ=ジェミナイア。翁州不二原地方の豪族たちの長、地方貴族アテルイ・ド=ジェミナイアと、かつてジパングより征東任務を預かった13番隊の小隊長、ムラマロ=スコルピオの娘だ」
アクアライムの代表が補足する。
「アテルイはジェミナイア族の中でも最有力の公家でした。地方貴族という地勢的な理由から、元老院入りこそ果たしていませんでしたが、不二原の金鉱地帯に根を張り、ジパングの重要な財政源として強い発言力を有していました」
「30年ほど前、その強すぎる影響力を危惧した当時の帝、つまり今の上皇様が、翁州探題を設置し、対外戦闘部隊として組織されていた13番隊をそこに常駐させなすった。表向きは重要地帯の防衛拠点として、実情はアテルイを始めとする豪族たちを牽制する目的でね」
カルキノスの老婆が嗄れ声で続ける。
「2、3年の間は問題なく報告が来ていたけれど、朝廷では帝の代替わりがあり、政治的な混乱が生じていた。一時的に13番隊への統制が疎かになってしまったのです。13番隊と豪族たちの癒着が始まったのは、この間でしょう。しかしそれ以降は定期報告も、元老院の派遣した監査も問題なく通過し、二十余年が過ぎた」
彼は言葉区切ってちらりとアテネの方を見た。
「ちょうど緑衣の鬼が王都一帯を騒がしはじめ、古代都市で貴族の少女が発見されるといった事件や脱獄騒ぎと慌ただしくなっていた時期。狙いすましたかのように翁州探題の報告が途絶え始めた。恐らくこのタイミングで、独立に向けて本格的に動き出したのでしょう。代替わりを済ませ、新政府を組織し、軍と体制を整えた。そして緑衣の鬼事件の収拾で大混乱のこの時期を狙って、彼等は独立を宣言しにきた」
真剣な面持ちで帝は肯く。
「夷の持つ財源と軍事力の喪失は、我々の国力を大きく傾かせるのに十分だ。今回の独立、決して認めるわけにはいかない」
帝は金色の瞳で俺を呑みこむように見つめた。
「真白雪。貴様には13番隊の隊長として、夷征伐の任にあたってもらう。新皇クラマノドカ=ジェミナイアと太政官ホーガンクロウ=スコルピオを抹殺せよ」
俺は目を見開く。畳みかけてくる情報の波に戸惑うばかりだったが、とりわけ最後の抹殺の指令は衝撃だった。
「俺に暗殺をやれって言うのか?」
「朝敵の討伐だ。頭を討て。それで話は終わる。……無論功績は大きい。成功すればリリパット=アリエスタとの面会権を約束しよう」
「……」
俺は唇を噛んだ。返答次第で大きく未来が動く予感がした。しかし……、腹を括る他なかった。
「……分かった。受けよう」
言葉にした途端、脳裏に凄まじい勢いで情報が流れ込んできた。俺は一瞬言葉を失い、放心したように虚空を見つめた。
「ましら。どうした?」
ドストスペクトラの声に、俺は我に返った。取り成すように言葉を繋げる。
「ああ、すまない……。……13番隊の話だったな。そいつは一体どういう組織なんだ?」
「13番隊……、詳細は極秘の謎の部隊です」ボアソナードが答える。「分かるのは警察隊の一部隊ということだけ。目的、構成員、部隊規模一切不明。影の部隊と呼ばれることもあります」
ボアソナードの言葉にうなずき、イタロが口を開く。
「そういうことだ。詳しい説明に入る前に、ボアソナードとレーウェンフックには退廷頂こう。二人ともご苦労だった」
平民の2人退席を命じられた。2人が一礼を残し別々の出口から議場を後にするのを眺め終えると、カミラタが口を開いた。
「13番隊は特殊だ。警察隊にあって警察隊でない。……朝廷直属の部隊なのだ」
「……! つまり帝と元老院の……」
「ああ。警察隊に籍を持ちながらも、その縦割りや規範を一切無視して動ける言わば遊撃軍。当然警察隊に所属していない人間も席を置くことが出来る。隊長を除いてな」
「隊長の俺は正式に警察隊へ入隊しなければならないわけか」
「ああ。通常は長官職、すなわち小隊長クラスの役職へは順当に階級を上げていくことでしか辿り着けない。しかし13番隊に関しては飛び入りで部外者の人間が隊長になることができる。無論他の小隊長や長官と同待遇だ」
「なるほど……。それが『相応のポスト』ってことか」
俺はアクアライムの言葉を反芻する。たしかに警察隊でカミラタに次ぐくらいのポストであれば、平民の中ではかなり上の地位だ。野風たちの長としてもまあ、面目の潰れない程度のポストと言えるだろう。
帝は厳かに告げる。
「メンバーの選任は隊長であるお前に任せる。腕のある兵を集めろ。なるべく少数精鋭でな。ただし、うち2名ほど、こちらから監視役を派遣する。お前はまだこちらに付いたばかりの人間だ。東国への案内役も必要だろうしな」
「……分かった。作戦は指定されているのか?」
「既にこちらの援助を出せる作戦を用意してある。まずは朝廷からの使者として夷に赴き、独立承認の詔書を見せろ。それに気を良くし油断した所を、不意打ちなら夜襲なりして攻め落とせ。物資、資金、脚はこちらで用意してやる」
帝はこちらを見据え、きっぱりとした口調で言った。
「期日は明日より10日間。失敗は許されない。迅速に対処しろ」
俺は無言で肯く。帝は満足気に微笑んで続けた。
「では、今から貴様に市民の証と官職を授ける。13番隊の性質上簡略的な儀にはなるが、正式な書面以上の効力を持つ行為だ。心して受けよ」
カルキノスの族長が側に来て、儀式の作法を小声で教える。
帝は赤い絨毯の上に立ち居ずまいを正すと、右手を悠然と目の前に差し出した。
「真白雪、其方を帝国ジパングの市民として認め、警察隊第13番隊・小隊長の役を任ずる」
俺はゆっくりと帝の前に立ち進み、自分の右手を帝の手に重ね、左の手を己の心臓に押し当て、跪いた。
「拝命いたします。……我が君」