表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第1章 金色夜叉
5/33

第3話 審判

 緑炎の灯りが盃の周りをぼんやりと染め、帝の相貌にくっきりと陰影をつけた。

「この聖杯は代々朝廷に伝わる(おく)()『真実の盃』……。ヴァルゴー族の手で生み出された魔道具だ」

 帝は司法官に目配せをした。司法官は白い手袋をはめ、何やら金属製らしい掌サイズの薄い板のようなものを配り始めた。

「今机上に並べられた札は謂わば投票券。握った指の先から少量の血を吸い出し、その中に溶け込ませる働きを持つ」

 金属片を配られた元老院たちは手に手に札を持ち、その表面に親指の腹を押し付けた。札は金の延べ棒のような黄金色から赤銅のような錆びた紅色に変色した。随分な血の量だと思ったが、元老院たちの平静な様子を見るにさほど吸い取られてはいないようなので、恐らくは単なる化学反応なのだろう。

「この札を宣誓と共に盃の中に放り込む。議題に賛成か、反対かの宣言だ。盃の炎が札中の血を燃やし、虚偽の誓いでないかを見極める。表明した意見に偽りの無いことを証明するための儀式だ。つまり私でも、彼らに圧力をかけ望まぬ票を投じさせることはできないというわけだ」

「もし嘘の票を入れたらどうなる? 本心では議題に反対しているにも関わらず、賛成票を宣誓して投じた場合とか」

「神聖な議場で偽りの票を吐いた者は、この盃の緑炎にその血を焼かれることになる」

 帝は陰を帯びた表情を動かすことなく、淡々と言ってのけた。

「民族を代表し意見を述べるとはそういうこと。彼らには信念に基づいた本気の票を投じてもらう。……覚悟の出来た者はいるか。前に進み出るがよい」

 帝の言葉の重みに気圧されたかのように、議場は一瞬静まり返った。

 その静寂を押しのけるようにして、長机の隅から黒く汚れた手が伸びた。

「それなら、私が行きましょう。招かれた身でありながら、先頭を頂く無礼をお許しください」

 ドストスペクトラは立ち上がると、金属札を持ってつかつかと炎の前に歩み出、貴族たちを見渡した。

「我々野風の見解は()うに決まっています。本来代表としてここに立つべきは私ではなく、彼……真白雪でした。彼は二代にわたり続いた野風の抗争を調停し、鬼の脅威から我々を守り抜いた。そして野風の永年の宿願であったヒトと対等なる権利を、我々にもたらしてくれた英雄です」

 スペクトラは紫の光を反射する金属札を掲げ、燃え盛る炎の中に投じた。

「私は真白雪の死刑に反対します」

 炎が舐めるように板を覆いつくす。表面の赤銅色が中央から焦げ付くようにじんわりと抜けていき、やがて元の純粋な黄金色を取り戻した。

「宣言に偽りなしと判断します」

 レーウェンフックが厳粛に告げる。自身の机の上に乗った小さな黒板のような薄い板の上に、白墨で数字を書き込んだ。「2‐1」。帝が瞼を閉ざして肯く。

「今ので反対が一票。2票……既に賛成に入っているな」

 俺はボアソナードに確認する。

「欠席者が4名……、欠員は0.5の賛成票のカウントですからな。あくまで現時点では、ですが」

「出席者は残り7人か……」

 スペクトラが一礼して席に着くと同時に、隣のイクテュエスの代表が立ち上がった。

「スペクトラ氏に賛同するわけではありませんが……、民族代表の立場からして彼……ましらの重要性は認めざるを得ませんな。失われた旧世界人の歴史……、まだ見ぬ未知の技術、知識、さらには詳細不明・現存する最後の量子器官。学的・文化的に保存する価値がある。死刑を否認します」

 炎が明らみ、次の票を受け入れた。司法官が数字を書き足す。「2-2」。

「それなら俺にも考えがある」

 タウロ族の代表が前に進み出た。

「死刑は何もすぐに行われるとは限らねえ。奴の情報は独房で十分に引き出してからお払い箱にすればいい。量子器官も解剖なりなんなりして研究すりゃいいだろ」

 彼は札を盃の前に掲げた。「何よりあの不遜な態度が気に喰わねえ……。死刑に賛成だ」

「同感」

 アリエスタの代表が無表情に述べた。色素の薄い水色の長いツインテールが盃の前に現れる。まだ年端もいかない少女のようだが、得体のしれない不気味さがある。

「帝や我々元老院に対する不遜な態度……、大人しく味方になるとは到底思えない。まして国運を占う大役など。裏切りの不安因子は予め排除しておくのが吉……。死罪に一票」

 ふたつの票を呑みこんだ炎が大きく燃え上がる。「4-2」。数字が書き直された。

「まずいですな」

 ボアソナードが険しい表情を浮かべ耳打ちする。

「残りの票数は4票……。賛成票に一票でも加わればその時点で勝ちはなくなります。よくて同率票……帝の鶴の一声で決まることになる」

「期待できそうか?」

「難しいでしょうな……。ましら殿に可能性を見出しておられるようにも見受けられますが……、殿下は今ましら殿の運と徳を試しておられる。ここに居る代表たちすら動かせないようなら、容赦なく切るでしょう。あの方はそういうお人です」

 ついと額に汗が滲み出て、頬を流れ落ちた。炎を前にした暑さのせいではないだろう。

 カルキノスの代表が無言で立ち上がり、曲がった腰で杖を付きながらテーブルの前に出た。

「私は彼の強気な態度は計算の上であると見ます。自分の立場を把握した上で、こちらに駆け引きを挑んでいるのだ……と。命の握られた場面であえて攻勢にでる豪気。計算高さ。緑衣の鬼を討ち取っただけはある」

「単なる蛮勇では?」

 タウロの代表が難色を示す。

「いや……、彼には量子器官がある。あれは未来を見通す力。報告以上のことは知らないが……、この先の展開もある程度予測した上で立ち回っていると見ていいでしょう。今のジパングに必要なのは強さだ。彼は脅威に対抗する良い戦力になりましょう」

 カルキノスの代表は俺の顔を見て微かに微笑んだ。

「期待していますよ」

 反対票が宣言され、新たに一票が追加された。「4-3」。

残るはアクアライムにレオンブラッド、ヴァルゴーの3票だった。ヴァルゴー族はボアの一族だ。会議中の態度も好意的だったように思う。俺は期待の視線をイタロに寄せる。イタロはこちらの目をちらと見返すと、腹を決めたように席を立った。

「情報からすれば彼は有能なようです」

 眼鏡を押し上げながら、彼は冷静な声で言った。

「状況に応じて立ち回る政治力もある……。しかし打算に乗じるのではなく、義を見て動く道義心も持ち合わせている」

 道義心か。俺は少し居心地の悪さを感じる。かつての俺の行動は、英雄志願の利己的な諸行に過ぎなかい……。だが、結果だけ見れば義侠心に駆られたように見えるかもしれない。

「こちらが誠実な待遇を見せれば……、彼は恩を返してくれるでしょう。彼は我が旧知の朋友(とも)ボアソナードが認めた男です」

 ボアソナードがびくりと体を動かす。イタロは人工的な笑みをこちらに投げかけた。「だからこそ危うい」

 俺はイタロの纏う空気が変化するのを感じた。

「ボアソナードはかつて、ちょうど野風との抗争が続いていた時代……、帝の招聘を蹴り、朝廷を去った男です。無論野風との関係が改善した今、彼らとの遺恨を蒸し返すつもりは毛頭ない。私が言いたいのは、利よりも義や忠を重んじる姿勢は時として政治と衝突するということです」

 俺はふと、こちらに向けられていたイタロの目は俺ではなくボアに注がれていることに気付いた。

「朝廷に対する脅威が再び現れた時……、彼が敵方に寝返らぬ保証はどこにもない。それは形勢に左右されぬ信念の問題だからです」

 イタロは札を炎に放り込んだ。「真白雪の死刑に賛成します」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ