第2話 元老院
議場の空気は重々しい沈黙の帳を降ろしていた。赤い絨毯を挟んで厳めしい顔つきで豪奢な衣服を着こんだ9人の男女がこちらを値踏みするように見つめている。
俺は中央に進み出ながら、その彼らの視線を一つずつ捉えていく。じっとこちらを見定め続ける者もいれば、居心地悪そうに目を逸らす者もいた。末席に至ってようやく俺は、そこに一人だけ野風が混じっていることに気付いた。
「スペクトラ」
野風たちのリーダーの一人、ドストスペクトラは額の前に軽く手を挙げてこちらに応えた。
「野風の正式な市民権獲得に際して、試験的に元老院裁判への許可が認められたのです」
すぐ隣から聞きなれた渋い声がかかる。青い毛並みの老猿がこちらに微笑みかけていた。
「……! ボアソナード。お前も来ていたんだな」
「魔境側の立会人として声がかかりましてな」
「そうか……、そういえば魔境で霊長教會に入るまでは、朝廷の法律顧問だったと言っていたな」
長机の間に構えられた簡易的な机から、簡素な咳払いが聞こえた。
「其の方、人外座主真白雪で間違いはないか」
「ああ」
「私は司法官のレーウェンフックだ。今日の会議では書記と偽証判定役を任されている。そこにいるコートボアソナードの後任にあたる……」
彼はボアソナードに意味ありげな視線を向けて続ける。「しばらく見ない間に随分と様変わりしたな。貧民街落ちしたとは聞いていたが……、まさか種族まで乗り換えているとは」
長机の奥の一人が鼻で笑った。ボアソナードは落ち着き払って答える。
「たしかに驚くでしょうな。既にお聞き及びとは思いますが、先日の鬼事件で野風の細胞を移植され……獣人へと変態したのです」
「鬼事件の被害者は皆呪いを解除され、人間の姿に戻ったと聞いたが? 現にそこの人外座主も今や人間だ。人外の二つ名も返上時かもな」
黒髭を生やした男がこちらを見て質問する。失礼な物言いだが、煽っているのではなく他意の無い意見のようだ。しかし議席で乾いた笑い声を上げた何人かはそうでないようだった。
「私は自らの意志で野風の姿を留めたのです。付け加えるならば、私はこの姿を呪いとは思っていません。恵みと捉えております」
スペクトラは仕草にこそ出しはしなかったが、ボアソナードの返答に満足気な表情を覗かせた。
「世間話は抜きにして、早い所投票へ移りましょう。ただでさえ延期しているのです。決定は早い方が良い。……事態は急を要している」
右側の席の一人が声をかけた。魔女のような見た目の老婆だ。議席の9人の中で唯一の老人だった。「カルキノスの族長です」ボアソナードが耳打ちする。アリエスタといいライブラといい、12民族の名前はかつての黄道12星座に似ているとかねてから思っていたが、カルキノス族も例に漏れず蟹座の名を関していた。
「元老院は12民族の貴族の代表家によって構成されています。代表家の決め方は民族ごとに異なり、持ち回りのところもありますが……、最も有力な家が担当することが多い。何しろ政治的決定権を持つ会議ですからな」
「彼の言うとおり」
左手前の貴族が肯う。「申し遅れたな。私はイタロ=ヴァルゴー。乙女座族の代表だ。そこのボアソナードとは遠い親戚にあたる。司法官のレーウェンフックともな」
イタロは左手を掲げて長机の先を示した。「こちらに近い方から順に、牡牛族、牡羊族、水甕族、獅子族、右のテーブルは奥から蟹族、魚族、そして野風の代表者としてドストスペクトラ氏に来ていただいたわけだ。本来この会議での投票権は準貴族階級の一部官職を除けば、公家にしか与えられない特別なものだ。貧民街の住人の参加は異例中の異例だが、正当な市民権を持たず独自の階級関係を築いてきた野風の事情を鑑み、一部の会議にのみ参加を認めることとした。いずれは野風からも貴族が生れるかもしれないが、その時までの政治参加手段としての便宜的な措置として捉えてほしい。これも我々からの歩み寄りであると理解してもらえれば幸いだ」
「望外の厚遇です。先代座主……亡き祖父も喜んでいることでしょう」
スペクトラは慇懃な態度で礼を述べた。しかし彼の目の奥には飼い慣らされることのない不撓の炎が仄見えていた。
「いくつか空席があるようだが?」
俺は左右の机に合わせて四つほど並んだ空の席を見て尋ねた。
「残りの民族の代表者の席です。遅れている可能性もありますが、恐らく欠席でしょう。投票に間に合えば良いのですが……」
「何か問題あるのか?」
俺は尋ねる。
「元老院会議において欠席は『不在の承認』と見なされ、議題に対する0.5票分の賛成票として扱われるのです。民族の代表者としての権利を蔑ろにすることのないよう、欠席にも責任と意志表明が伴うという考えによるものでして」
ボアソナードが註釈を入れ、小声で付け足す。「朝廷は保守派が主流です。議案はましら殿に不利な方向で提示される可能性が高い」
聞こえてか否か、掻き消すようにアクアライムの代表が声を上げた。
「代表の欠席はまずライブラ族……、当主の病態が原因でしょうね。タウロ族は欠席の常習者……、滅多に顔を出しません。それからジェミナイア族……、ごく最近身内から一級以上の謀反人を出した民族です」
ボアソナードが付け足す。
「身内から国家の脅威を生み出してしまった手前……、大っぴら議題に反対するわけにはいかない。かといって偽証もできない仕組みです。欠席し沈黙を守らざるをえないのでしょう。それからカプリチオ族ですが……」
「あんな没落貴族のこと、気にすることはないさ」
タウロ族の代表が口を挟んだ。見た目からして18、9歳と言ったところか、若くして優秀な人材と言う雰囲気だ。ボアソナードに目をやると、微かに肯いた。「カプリチオ族は12民族の中でも権勢の衰えた立場……。保守派の圧力で欠席に追い込まれたのでしょう。欠席は賛成票に有利ですからな」
「何をぼそぼそと話し込んでいるんだい? ここは議会の場だよ。意見は公明正大に述べるべきだ」
イクテュエス族の代表が重々しく口を挟んだ。
「予め言っておくが、真白雪くん。君を呼び寄せたのは罪を咎めるためではない。今のところ君に逮捕状は出ていない」
「いやに寛大だな」
俺は拍子抜けして聞き返す。
「クーデターの罪とか、脱獄罪とか禁則地で戦闘して、古代兵器を勝手に使用し古代兵器を破壊した罪とか、そういう罪はもういいのか?」
「クーデターの意志が警察隊側の誤認であったことは確認できているよ。それ以外の戦闘行動は警察隊、野風連合に対する非常事態、かつ国家指名手配犯『緑衣の鬼』捕縛のために行われた戦闘行為だ。脱獄と禁則地への侵入は、鬼討伐の功績に免じて、罪に問わないことに決まっている」
俺の困惑気味な表情を見て、族の代表が口を挟む。
「困惑するのも無理はないだろう。監視役の警備兵にも便宜上被疑者扱いで話を通していたからね。とはいえそれで問題は無い。実質君の生涯の進退が掛かっていることに変わりはないからだ」
「……つまり、無罪にも関わらず死刑を宣告される可能性は残っている、ということか?」
「そうだよ。お得意の予知で知り得た結果とは違ったかい?」
否、むしろ予見した未来と辻褄は合っていた。
……であれば、俺の打っておいた手も無駄にはならないだろう。
「さて、話を本題に戻そう。今説明した無罪判決は全て、君が市民だったら、という話だ。……裏を返せば、君がもしこのジパングの市民でないとするならば、きみはこの国でどのように扱われれても文句が言えないということだ。君は旧世界からやって来た我々の先祖であり、絶滅したはずのサジタリオ族と同じ量子器官……、未来予知能力を持っている。そうだね?」
「そうだ。世界大戦の兵器として改造手術を施され……、強化された肉体や言語能力、それからあんた達12民族も持っている狂花帯……、固有の特殊器官を植え付けられた」
こっちに来てしばらく、野風の姿だったから違和感なかったが、いざ変身が解けても会話が通じるということは、言語野も拡張されていると見て良いだろう。
「そんなわけで、量子器官の時空間能力を強制的に発動され……この未来世界に来てしまったというわけさ」
レーウェンフックが忙しく俺の言葉を書き留めているのが見えた。他のメンバーも俺に注ぐ好奇の視線を強めているようだった。
「この議場で偽りの証言を通すことはできない……。君の言ったことは驚くべきことだが、レーウェンフックが疑義を挟まないということは、本当なのだろう。だがそうなると、君の世界の知識とその能力は我々にとって、国政を大いに左右する天恵にも脅威にもなりうる。……だから我々がこれから投票し決める議題はこれだ。『真白雪をジパングの市民として認めず、他国に奪われる前に葬るべきである』」
イクテュエスの代表は平然と物騒なことを言って先を続ける。
「反対票多数の場合の処遇も既に決まっている。『真白雪を市民として認め、相応のポストに付けて能力を有効に使う』。今からここにいる9人の投票で、その結果が決まる。議論は既に十分に重ねられ、各々心に決めている部分もあるだろう。だが最後に重要な決定要因として、君の人となりを知っておきたいんだ。大役を任すに値する信のおける人間なのか、我々の敵に回り他国に協力しかねない人間なのかをね」
イタロの言葉に一同は肯き、アクアライム族の代表の若い女が口を開いた。
「それにあたって、まずあなたの意志を確認したいのです。このまま市民権を得ず、異邦人の立場を貫くか。市民として我が国の一員となり、野風たちを束ねる座主の地位に相応しい官職を得て国に仕えるかを」
「拒めば消される。認めれば役人としてあんたたちの管理下に置かれる。いずれにせよ俺を放っておくつもりはないというわけか」
俺はブーイング混じりにまとめる。
「そういうことだね。前もって言っておくが、この件は既に魔境の評議会にも通達済み。君の身柄を連行することもその後の処遇に関しても、彼らの承認を得ている。……君からすれば、部下に売られた気分かな」
「いや、それについては二点訂正がある」
イクテュエスの言葉を制止して、俺は続けた。
「第一に、評議会は俺に対して従属関係にあるわけじゃない。立場上権限を持つこともあるが……、基本的には同じ釜の飯を食った仲間という認識だ」
スペクトラが肯くのを横目で確認しながら、俺は続きを述べる。
「第二に、俺は彼らから既にこの裁判……もとい会議を承認する旨を打診されている。詳細は明かされていないが、ともかく俺の進退を朝廷に預け、野風はそれに従うという方針に俺は同意した。野風の立場を考えてのことだ。俺を匿えば、またヒト族と対立することになるからな。裁きにしろ拘束にしろ……、この国の法に則って処遇を受けるつもりで来た。そうでなければ、大人しく出廷したりしない」
「ということは……既に覚悟の上でここに来ているということだな。ジパングの市民として、俺たちの社会の一員になる覚悟を」
黒髭を撫でつけながら、レオンブラッド族の族長が念を押す。
「ああ……。少なくとも、もうしばらくはここで生きていくことに決めた。見守りたい人間がいる。独りにしないと、約束した人も」
「ふん……。なかなか芯の通った奴じゃねえか」
彼は愉快そうに言った。
「ならば話は早いですね……。真白雪には我々の評決に従う意志がある。これで無用の争いも……」
「いや、少し待ってくれ」
俺はアクアライム族の言葉を押しとどめて言った。
「あんたたちの評決を受け入れることは認めても良い。だがこの議題の二択は俺にメリットがない」
「おいおい、交渉できる立場だと思ってんのか?」
タウロ族の代表が眉根に皺を寄せて訊き返した。「無論だ」俺は答える。
「俺はあんたたちにとってまだ異邦人の立場にいる。あんたたちの誰の下にもついてはいない。この場で評決を蹴ることもできるし、力ずくに抵抗することもできる」
「やってみたらどうでしょうか。元老院を相手にどこまでできるか見物です。鬼を討ち取ったくらいで調子づいているようなら……」
アリエスタ族の代表が腰を浮かしながら、吊り目がちな瞳でこちらをじっと見た。目が合うと、声音に含まれた敵意とは裏腹に、その瞳が不思議な戸惑いに揺れるのが見えた。
「そこまでだ」
議場の正面、絨毯の続く階段の奥の垂れ幕から、海鳴りのように静かな迫力のある声が飛び出して来た。俺は銀幕の向こう側をじっと見る。
「ここは議会の場だ。双方、矛を収めるが良い。……衛兵長、貴様もだ」
背後でカチンと鞘を鳴らす音が聴こえる。後ろからいつでも俺を狙えるよう剣を構えた衛兵の一人が、低い姿勢で退がった所だった。タウロ族の代表も大人しく腰を落ち着ける。俺は垂れ幕の向こうに向かって声を張る。
「姿をさらさないところを見るに、あんたが帝だな。どうも正面から視線を感じると思っていた」
「相手は帝ですよ。口の聞き方を弁えなさい」
アクアライムの代表が窘める。
「言ったはずだ。俺はこの国の誰の下にもついていないと」
俺は淡々と切り返す。
「彼の言うとおりだ。皆、議場でそう気を立てるな」
帝は卓を静かに諫めるとこちらを——気配から、恐らくは——見た。
「然れども真白雪……、大人しくこちらに従う方が、お前にとって得策だとは思わないか?」
「そうかもな。それなら命を狙われる心配もない。それなりの生活も保障されるだろう。それも悪くない。だがお前たち体制の下に付けば、俺の選択の自由は奪われるだろう」
改造手術を施される前に見た研究施設の姿を頭に思い浮かべる。「望まない戦いに駆り出されることもある」
「ふむ……」帝は想定内の反応といった反応で言葉を切った。「では君のやる気が出る情報をひとつ教えよう」
俺はベールの向こうを怪訝に見つめる。帝が数瞬の沈黙を破った。
「リリパット=アリエスタは『空中楼閣』に収監されている」
議場が僅かにざわついた。ヴァルゴー族のイタロが手を上げる。
「帝、彼女の収監先は秘匿情報のはずでは?」
「かまわん。ムチばかりでは乗る話にも乗るまい」帝はこちらに向けて言い放った。「真白雪、お前が十分な働きをすれば……、彼女と面会する権利を与えてやろう」
「『八虐』との接触を認めるのですか……!」
長机の上に動揺が広がる。俺の横でボアソナードも息を呑んだ。「八虐……!」
「知っているのか?」
俺の言葉にボアは動揺したように肯く。
「八虐……。朝廷に対する謀反人の中でも国家レベルの脅威と認められた犯罪者たちです。その能力の強大さ故に通常の監獄では脱獄を防げないと見なされ、かつその影響力故に死罪にもできない、最大収容人数僅か8人の特殊監獄『空中楼閣』に閉じ込める外対処の使用のない、最高レベルの悪人たちです」
「その通り」帝が肯う。「緑衣の鬼ことリリパット=アリエスタは稀有な混血として、『魔法』とさえ称される異能の力……、異種間混淆手術の技能と超再生能力を持っている。おまけに桁外れの戦闘力、その気になればそこらの監獄の檻など自分の家の庭のように素通りできるだろう。彼女の力を失うことは我が国にとって大きな損失だ。王族や元老院の生命の危機……、彼女の再生能力の有無は国家の存亡をも左右する。おまけに大陸の進んだ知識を持ち、古代兵器をも使いこなした。政治的にも学術的にも、死罪にするにはあまりにも惜しい人材だ」
「しかし、まさか『八虐』入りしているとは……」ボアソナードが恐れ入ったという風に独り言ちる。「全国に点々と存在する収容所の中でも、ヒト族の能力に対応した三つの特殊監房、『水中監獄』『地底回廊』『空中楼閣』、そのいずれかに収監されるだろうとは思っていました。しかしその中でも最高警戒度を保ち、収容者はおろか所在すら不明の極秘施設『空中楼閣』に収監されているとは……。驚きですね」
「『楼閣』は完全無人監獄……罪人の面会どころか一切の連絡も禁じられ、囚人どうし、看守との接触すらも皆無の無間地獄。生涯の内で他者と関わりを持てるのは、司法取引で能力や情報を引き出される時くらい。その収容者との面会の権限が、王族でもない一介の市民に与えられるなど……」
元老院たちの動揺を尻目に俺はそっと考えを巡らせる。一先ずリリの生存は確認できた。それは大いに言祝ぐべきことだった。だが、これからの彼女の生涯に待ち受けている虚無だけは……。
「さて、乗る気になったかな、真白雪」
「ああ……、この上なくな」
俺は奥歯を噛んでベールの奥を睨みつけた。
「既に改心していたリリをお前たちに引き渡したのは、犯した罪の贖いを受けるという彼女の意志を尊重したからに他ならない。彼女は、禊を受け、生まれ変わる道を選んだんだ」
そして俺は、そんな彼女を独りにしないと約束した。温もりを求めたが故に道を踏み外した彼女を。
「あの子をまた孤独の道に引きずり込むなんてこと……俺が許さない。彼女の側にいてやれる方法がそれしかないなら……、こんな賭けいくらでも乗ってやる」
「ふ……、威勢の良いことだ」
銀幕の奥に微かな笑い声がして、ほっそりとした美しい指先が幕の隙間に浮かんだ。神々しいまでに光を湛えた銀色から金色のグラデーションを帯びた長い髪と、ゴールドと水色の妖瞳とが、ベールを揺らして立ち現れる。
「お前という人間が少し分かって来たぞ……、真白雪」
彼女は緋色のカーペットの敷かれた階段を雅やかに降りながら告げた。
細く白い指を鳴らす。司法官が、聖杯の上に揺らめく篝火を運んできた。その炎は薪もなく煙すら出さずに、煌々と緑の輝きを放っていた。
「なれば始めよう。貴様の覚悟も我らに選ばれてこそ。審判の刻だ」