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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第3章 蒼い太陽 紅い月
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第26話 魔境炎上

 山脈深く、アクアスタイン隊が繁茂される樹々の上を自在に飛びかいながら、野風聯隊は怒涛の進軍を続けた。昼間なのに森の中は不気味なほど暗い。地の利を得た野風たちが、金の鎧を纏った夷の兵たちを次々と藪の中に引きずり込んでいく。

「こりゃ楽勝だな」

 顎から滴る汗を拭いながら、ユーメルヴィルが独り言ちる。

「油断するなよ。奥にまだ部隊の長が控えている」

 敗残兵の山に気絶した兵を追加しながら、スペクトラが窘める。「なんで分かるんだよ?」メルヴィルが不思議そうに尋ねると、スペクトラは事も無げに答えた。「空気で分かる。強者の気魄を肌で感じろ」

 スペクトラの耳に付けた輪具(リング)からガサガサと藪をかき分けるような音がする。スペクトラは無線連絡をキャッチして聞き耳を立てた。

「どうかしたのか?」

 メルヴィルが息をついて聞く。「どうも緊急事態らしい」耳から手を離してスペクトラが答える。

「ましらが魔境(スラム)の異変を察知した。部隊を寄越せと言っている」

「総大将は何て?」

「魔境一帯の兵は既に北上していると言っている……。近くに回せる部隊がない。港にも異常はないそうだ」

「たしかに、南洋の港かここを通らなければ、魔境には進めないね」

 追いついてきた魔境北面の主、外道法師が、敵兵の生首を投げ捨てながら口を挟んだ。

「そもそも魔境を狙うメリットがない。言っちゃなんだが、朝廷への打撃にはならない土地だからね」

「いや、メリットならある」

 スペクトラが目を閉じて呟いた。「野風聯隊の動揺だ。我々は今敵軍の奥深くまで侵攻している。もし故郷(スラム)が襲撃を受けたとなれば……、先頭のいくつかの部隊には引き返す選択肢が生じるだろう。そうなればアクアスタインと野風聯隊の指揮系統は、敵陣の中心で大いに混乱することになる。なんならこちらの部隊を間引くこと自体が目的かもしれない」

「ならどうする?」メルヴィルが興奮気味に詰め寄った。「実際俺も引き返したい気分だぜ。爺共を残してきてる」

 外道法師も意見を求めるようにスペクトラを見る。スペクトラは徐に瞼を上げて言った。「俺が行こう」

「部隊を連れてく気か?」

 外道法師が眉を顰めて聞き返す。スペクトラは首を振る。

「いや、俺独りで向かう。野風一人の脚なら、森を抜けるのにそう時間はかからない。こちらの連隊の指揮はアクアスタイン隊の隊長がとっているから、指揮系統に支障はないはずだ。野風たちの統率は外道法師、お前に任せる」

 外道法師は彼の意図を汲み、真剣な面差しで肯いた。メルヴィルが少し不安げに問いかける。

「単騎で大丈夫か? 敵の規模も分からないんだぞ」

「陽動が目的なら、それほどの戦力は割いていないはずだ。ましらも付いているしな。それに重要なのは野風たちに動揺を与えないことだ。俺が向かったと聞けば、彼らも安心してこちらの戦いに集中できるだろう」

 たしかに、部隊を削がず背中を任せるには、これ以上ない人選ではある……。メルヴィルは渋々口を閉ざした。スペクトラが珍しく微笑みを浮かべ、彼の肩を叩く。

「老人たちのことは任せろ。むしろこちらの戦力に不安が残らないよう……、お前はあの敵将を獲れ」

 近づいてきた殺気にメルヴィルは振り返る。肌で強者を気取る感覚……、この距離にしてようやく掴めた気がした。森の闇の奥から、二匹の大柄な野風を引きずった男が現れる。メルヴィルは外道法師とともに構え、額の汗を振り払い、笑みを浮かべた。

「任せとけ……。野風の意地、見せてやるよ」


・・・


 地上から遠く響いてくる轟音が、地下道通用口にも微かに聞こえた。階段の下で改札鋏を持った駅員は、退屈そうに警棒をぶら下げた隣の同僚に話しかけた。「外は大変みたいだな」

 目の前の線路をぼんやりと眺めながら、同僚は肯いた。

「なんでも東国地方の豪族が、反乱を起こしてるらしい。検問係の警察隊も駆り出されてるくらいだ、よほどの規模の戦闘だろうな」

「なるほど、それでその恰好か」

 男は同僚のかついだ警棒を見て言った。駅員の彼が警備の代わりを務めているのだ。

「こんな日に暢気に旅行する馬鹿もいねえだろうにな。第一そんな大変な時だってのに、よく運行してるよな」

「『蛇足』の運営元は国じゃなくて半地下の連中だからな。地上の時勢には疎いんだろう。国は国で、運行状況を確認してすらいないんじゃないか? 傍からすれば、今日はさすがに運休だと思うだろ」

「そうか……、そういえば朝廷の所有じゃないんだよな、『蛇足』って。末端の俺たちには関係ことだ……。忘れてたぜ」

「そうでもないぞ」同僚が答える。「国営だったらそもそも、俺たちは雇われてない」

 男たちは肩を揺らして笑った。遠くから『蛇足』の走る音が聞こえてくる。

ほどなくして、豪快なスピードで駅に滑り込んだ蟒蛇の肉体が、プラットホームを埋め尽くした。

駅員はポケットに手を突っ込みながら、形ばかり改札鋏を掲げた。どうせ誰も乗ってやしない、居たとして世間知らずな二、三の旅人くらいだ……。

蟒蛇の鱗から這い出てきた乗客たちを見て、2人は腰を抜かした。どう見ても堅気ではない武装した百人余りの兵が、どやどやとホームに流れ込んできたのだ。

 警棒を取り落とし後退りする同僚を素通りして、ガラの悪い荒くれたちが地上へと抜けていく。

「あ、あの、お客様、切符を……」

 彼は最後に悠然と出てきた身なりの良い女に目を止めて、おずおずと声をかけた。

「おお、そうじゃったの」狐のような目をした女は陽気に言って、肩にかけた荷から抜き出した何かを放った。

 重たい衝突音と共に、掌大の金塊が地面にめり込んだ。純金だった。「釣りは要らぬ」女は鷹揚に手を振ってホームを去った。


「最短の街道はあちらです、クラマ殿」

 百人の部下の中から進み出た、武官の長が声をかけた。「うむ」クラマが楽し気に肯く。

「その前に、東側の前線が苦戦しとるようじゃの。少し引っ掻き回してやるか。魔境(スラム)まで馬でどのくらいかかる?」

「飛ばせば半刻とかかりません」

 一人が答える。

「なら……、射程圏まで十分といったところか。お前たち、少し寄り道していくぞ。それからディドロ、お前はこのあたりの上空に蜃気楼を掛けておけ、万一宮廷から見えでは台無しじゃからな」

「承知しました」

 ディドロと呼ばれた武官が、空に霧を掛ける。たちまちのうちに透明になり、彼らの姿を上から視えなくさせた。

「よし、では往くぞ、お前ら。準備は良いな」

 兵士たちは勇ましい声を上げた。

「帝め、抜かったな。さしもの奴も『蛇足』で部隊が輸送されてくるとは思わなかったようじゃの。それも旧13番隊百余名……、我が軍の本隊がやってくるとは」


・・・


 果てしなく続く地獄のような光景を前に、スペクトラは茫然と立ち尽くした。視界ががくりと揺れ、地面に膝を着いたことを遅れて理解した。それほどまでに彼は放心していた。

 魔境(スラム)の全域が、火の海に包まれていた。

 樹々を編み込んで作られたぼろ家は立ちどころに倒壊していた。焼け焦げた野風の毛皮の臭いが充満し、あちらこちらで火だるまになってのたうち回る猿の姿が見えた。砂や土で出来た建物に逃れた者たちも、熱と煙に巻かれて苦悶の形相で絶命していた。阿鼻叫喚だった。彼は灰になっていく故郷を見つめながら、砂を握りしめることしか出来なかった。

「これはこれは、魔境の親玉と出会えるとは。待っていた甲斐があった」

 辻の角から、薙刀を担いだ大柄な野風が姿を現した。見覚えはない。恐らく魔境の住人ではないのだろう。

「前線から引き返して来たか。部隊を放棄したった一人で戻るとは、故郷思いなやつだ。勘も良い。それとも、ましらが何かしたかな。……だが一足遅かったようだ。まあ、前線からの距離を考えれば無理もない。もっとも、間に合っていた所で、どうすることも出来なかったがな」

「ぺらぺらと良く回る口だな」

 スペクトラはゆらりと立ち上がった。「お前の仕業か?」

「やったのは新皇様だ」紅喰いは肩をすくめる。「私はただの殿(しんがり)。地理的に、港に居たと思われるクロウ殿の分身(レプリカ)や、空間移動の可能なましらが現れる可能性があったからな。あるいは、確率は低いが、お前たち野風が大軍で引き返して来るという想定もあった。いずれにせよ、万一後ろに脅威が迫っていたのでは、挟撃になりかねない。それで念のため私が残り、敵方の動きを見てから合流するという計画だったわけだ」

 薙刀の切っ先を、ドストスペクトラに向ける。

「憂慮が過ぎるとも思ったが、こうしてお前のような強者がやって来た以上、無駄でなかったな。蛮臣・ドストスペクトラ」

「俺のことを知っているのか?」

 スペクトラがモノクルをしていない方の眉を上げて尋ねる。

「よく覚えているよ。一度手を合わせた相手のことはね。だが、貴様に心当たりはないだろうな。今の私の姿には」

「安心しろ。これからは毎日思い出す」

ドストスペクトラは獣じみた形相で、紅喰いに向かって歯を剥き出した。「故郷を燃やした連中の顔を」


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