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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第3章 蒼い太陽 紅い月
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第23話 海船(かいせん)

 暁七つ寅の刻、国境を警備するジパングの警察隊員は眠そうに欠伸を噛み殺しながら、北東の方角から射して来る光に目を細めた。

曙か。彼は眠い目をこすり、詰め所の奥に声を掛けようとした。仮眠をとっている隊員に交代を告げるためだ。

 ふと時計を見て立ち止まる。まだ時刻は4時を回ったばかりだ。日の入りまでは半刻ほど時間がある。この季節とは言え、夜明けには早すぎる……。

 彼は窓辺に近寄って目を凝らした。そして瞼を見開く。稜線を燃やす輝きは朝焼けの黄金ではなく……、真っ赤な煉獄の炎だった。

「山火事だ!!」

 彼は部屋を飛び出し、あらん限りの力で警鐘を鳴らした。奥の隊員たちがぞろぞろと飛び起きてくる。「何だ!」「敵襲か?」

「急いで朝廷に連絡しろ!」彼は叫ぶ。「山火事が迫ってくる。王都が火の海になるぞ!!」


・・・


「こうなったか……」

 帝は王の椅子に座したまま、頬杖をついて嘆息した。既にほとんどの元老院が招集され、宝具によって投射された幻燈が形作る大火災の映像を、固唾を呑んで見つめていた。

「このタイミング……、偶然ではないですな」

 スコルピオの代表が顔をしかめて言う。「この炎の動き間違いない……、操っている者がいる」

「くそッ! どうしてだ!」

 俺は机を叩いて叫ぶ。クロウの嘆願ならば……、クラマに届くと思っていた。彼女の命を懸けた説得なのだ。だが、夷の返答はこれだった。

「姉様、なぜ……」

 クロウが哀し気に眉根を下げる。。

「向こうにも異分子が混じっているようだな。どういう思惑か……、クラマの猜疑心を煽った者がいる」

帝が金色の睫を閉ざして告げる

「理由はどうあれ交渉は決裂しました。しかも奴ら、直接この王都を狙ってくるとは……」

「帝、炎が国境に達するまで猶予はありませぬぞ。恐らくその後ろには兵団も控えている。どうされます」

 アリエスタの代表が判断を仰いだ。帝は悠然と背もたれに体を預ける。

「既に手は打ってある。クロウ……、そなたの力を見せてみよ」

 クロウはが肯く。耳元に手をかざし、イヤリングを揺らした。

「カミラタ殿。定海の様子は」

「クロウ殿、貴方の見立て通りだ、水平線の向こうから水軍がこぞって押し寄せてきてる」

 リングからスピーカーのようにカミラタの声が拡散した。

「分かりました。ではプラン通りお願いします」

「了解だ、総大将」

 カミラタの声がぷつりと途絶えた。

「シミュレーション通りか?」

 帝がクロウに訊く。クロウが暗い表情で肯く。

「ええ。最悪の場合に備え、昨晩の内に兵を配置しておいたのが幸いしました。姉様がジパングに戦いを挑むなら、こちらの援軍が届かぬうちに、全軍突撃による早期決戦を仕掛ける外ない。文を受け取ったその足で兵を動かして来ると読んでいました」

「だが憂慮の策が的中したとは言え……、以前孤立無援なことには変わりないですよ。ジパングの軍事力は元13番隊が抜けたことによって西国に偏っている。増援が武器を揃えて到着するまでには最短でもあと一日。中つ国近郊の兵が警察隊と近衛兵に限られているのに対して、夷に東国の全軍が付いているとすれば、数では向こうに分があります」

 アクアライムの代表が口を挟む。クロウは幻燈から目を離して答える。

「速攻を仕掛けてくるなら、北方の軍と沿岸の軍は海から攻めてくるしかない。敵の第一主戦力は水軍に固まっています。逆に言えば、水軍を落とせばこちらがかなり有利になる」

「しかしこの戦力図を見るに、大陸側の海……、定海(じょうかい)にはライブラ族の軍が配置されているが……、南洋は全くのがら空きだぞ。対水軍の兵を定海(じょうかい)側に偏らせすぎではないか?」

「問題ありません。南洋側の防御は……、一人で十分です」

 彼女は南洋の海面を写した幻燈を睨み、答える。鯨のような巨大な水生生物に引かれた巨大な船たちが、遠くに幾隻も浮かんでいた。クロウはリングに向かって声を張る。

「ザグレウス様、準備はよろしいですか」

「もう港で待機できてるよ、クロウ嬢。まさかアテルイの娘に顎で使われる日が来るとはね……」

 スピーカーから不機嫌そうな声が流れてくる。「帝、本当にこれで元老院の椅子を守れるのですね?」

「約束しよう、ザグレウス」帝がリングに向かって答える。「そなたらジェミナイアの貴族、アテルイの娘が起こした此度の反乱……。族長たる貴様には前線での活躍を以て、贖いを果たさせてやる」

「承知いたしました……」

 ザグレウスの姿が幻燈に移り込む。彼は脇に抱えた藁人形の腹に見覚えのある蒼い髪の毛の束ようなものをねじ込むと、青銀の五寸釘を懐から取り出した。

「彼は何を……?」

 俺は隣のクロウに尋ねる。

「ジェミナイア族の技のひとつ、分身です。藁人形に対象の肉体の一部を埋め込み、物質の組成を変化させる。この場合は私の髪ですね」

 画面の向こうでは、藁人形の表面に塵芥がまとわりつき、内側から白い肉が湧き出ていた。藁が伸びて絡みつき衣服へと変わり、頭部からは青髪が伸び始め、見る見るうちにクロウの肉体の複製が出来上がる。目元に紋章のような痣が浮かんでいる以外は、クロウとそっくりそのままの見た目だ。

「あれだけではまだ同じ肉体情報を持った肉塊に過ぎません。カプリチオ族の宝具、『似魂(じこん)の楔』を突き刺すことで本体と精神をリンクさせるのです」

 ザグレウスが釘を打ち込む。クロウがびくりと体を震わせる。向こうのクロウの体も痙攣し、ゆらりと起き上がる。

「繋がりました」

 ザグレウスにリングを渡された向こうのクロウが、それを耳に付けて声を発する。

「護衛もつけずに敵軍の前に元老院が一人……、大丈夫なのか?」

 イタロがクロウを見て尋ねる。「まあ見ていてください……」クロウは無表情に答える。画面の向こうのクロウはザグレウスを残して、一人砂浜を歩き始めていた。

 既に水平線を無数の艦隊が埋め尽くしていた。水軍はさらに勢いを上げる。港に兵団が待ち構えていないことを見て、奇襲の手応えを感じたようだ。三十分もすれば、上陸した大量の部隊が海岸を占拠するだろう。

 クロウの分身が波打ち際に足を浸した。打ち寄せた波が砂浜を覆っていく。

 硬い竹を割ったような乾いた、巨大な音が、海洋中に轟いた。

スピーカーを通して議場の空気すらも震える。俺たちは口を開けたまま目の前の真っ白な光景にただ釘付けになった。

 見渡す限りの大海原が、一面、銀世界に様変わりしていた。艦隊を含む敵軍の全てが、遠く水上の際で、死んだように凍りついていた。


・・・


「畜生、この国の一大事に、帝をお側でお守りできないとは……」

 浅瀬に膝を着いて両手を水に浸したシェクリイボーンが、男泣きすらしそうな顔で愚痴をこぼした。辺りには同じ姿勢をとった数十のライブラ族が並び、目視できる距離に迫った魚群と、それを乗りこなす大量の兵士たちを見据えている。

「そう言うな、衛兵長」波をかき分け、シェクリイの隣にカミラタが並ぶ。着衣が濡れるのもかまわず、海水に足を浸す。「帝のお側には我々の族長が付いている。宮廷の護りは万全だ」

「貴様の指揮下というのも、不服なのだがな」

 衛兵長の恨みがましい泣き言をカミラタは豪快に笑い飛ばし、彼らと同じように膝を着いた。「あまり腐るな。我々はその出力の高さを買われたライブラ族の精鋭たちだ。前線の働きで帝をお守りするとしよう」

 カミラタが号令を発する。彼らの体が一斉に総毛立つ。カミラタが海水に両手を入れた瞬間、目に見えるほどの大規模な雷が水面を走った。


「新皇様、定海の水軍からの連絡が途絶しました」

 翼竜の背に乗った白髪の兵が耳から手を離し、報告した。同じように兵に乗りこなされた翼竜たちが、渡り鳥のように隊列を組んでいる。眼下の山火事を王都に向かって焚きつけながら、クラマが鼻を鳴らす。既に国境を越え、城下町が目前に迫っていた。

「ライブラ族を定海に集めておったか。水軍に対して雷撃で迎え撃つのは防衛戦の基本……。一人では拡散し、無力化する電撃も、出力の高いものを集めて一斉に放てば、海原は敵陣を一網打尽にする雷電の(むしろ)と化す」

「海岸に増援を送りますか」

 文官らしき銀髪の女が、不安そうにクラマに尋ねる。複製(レプリカ)を表わす刻印の浮かんだクラマの横顔は、熱気にも関わらず涼し気である。

「捨ておけ。ヴァニラ、それだけの兵を両海岸に揃えるなど、ジパングの兵力を以てしても不可能じゃ。高い戦闘力を誇るライブラ族をまとめて足止めできただけでも充分な働きじゃ。ジパングの主戦力、警察隊特務隊長のカミラタ、うまくいけば衛兵長のシェクリイボーンや族長まで駆り出せただろう。……それに今回戦力を傾けたのは南洋の方の部隊だ。二択の賭けに勝ったのは此方のようじゃの」

 クラマは勢いづいて炎の足をさらに速めた。黒煙から逃げ惑う城下の人々の姿が蟻の群れのように見える。「さて、反撃の狼煙じゃ。民が焼かれる姿を、指を咥えて眺めるがよい、帝……!」

 ヴァニラと呼ばれた兵が声を漏らす。

「何じゃ、今良い所だというのに」クラマがじっとりとした目でヴァニラを睨む。彼女は咎める視線にもかまわず、慌てた様子で報告を続けた。

「残存兵からの緊急報告……、南洋の部隊が壊滅したとのこと!」

「なんじゃと……? 南洋にもライブラ族がいたのか? それとも西国からもう援軍が……?」

「いえ、それが……」

 ヴァニラが続きを言う前に、クラマの目の前に解答が現れた。進行を続けていた山火事の波が、突如として現れた巨大な白い壁に呑み込まれ、水蒸気となって打ち消し合う光景が、眼前に広がった。

「氷の壁……ッ!」

遠くに蠢く蟻の中で、唯一こちらを見上げ動かない一匹を、クラマは目ざとく見止めた。歯軋りとともに唸り声を上げる。

「わしに刃を向けるか……!! クロウ!」


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