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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第3章 蒼い太陽 紅い月
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第20話 帝庵(ていあん)

「クロウが連れ去られた?」

 慌ただしく廊下を歩きながらクラマ聞き返した。金色殿の中は、昨晩の騒乱の処理に文官たちが大わらわである。役人の一人が恭しく繰り返す。

「捕えた反乱分子が、クロウ殿と真白雪の交戦を目撃しています。詳細は調査中ですが、意識不明状態のクロウ殿を抱え、その場から真白雪が消えたと……」

「信じられん。クロウが敗けたというのか……?」

 クラマは歩みを緩めて問い返す。

「紅喰い戦と言い、真白雪……、とんでも無い逸材が在野にいたものだ。クロウと戦っていたということは、昨夜の襲撃は彼奴等の仕業と考えて間違いないな?」

「恐らくは……。四天王も壊滅状態です。一人を除き、ましらの部下は逃走した模様……。大量の山賊山羊を引き連れ、山脈の方角に走り去っていく姿が目撃されています」

 クラマが広間の障子を開け放つ。紅喰いと四天王2人が片膝を着いて待機している。中枢の文官と武官がその後ろに正座で控えていた。

 ぼろぼろの着衣と包帯まみれの四天王を見てクラマは舌打ちした。

「チッ……、所詮はクロウの御守か。紅喰い、お前が付いていながらこの様はなんじゃ!」

「如何様の処罰も受ける所存にございます、殿下。クロウ殿をお守りできなかったことは、この紅喰い生涯の汚点……」

 紅喰いが深々と頭を垂れ、震えるような声を絞り出した。クラマは手に持った扇をわななかせたが、深く息を吐いて堪えた。

「まあ良い……、単騎で行動したのはクロウの判断と聞く。紅喰いは敵兵の一人を捕まえてきたしな」それから四天王の2人に厳しい視線を注ぐ。「それに引き換えそなたらは何をしておる。たかが護衛の一人や二人……、青亀、そなたに至っては非戦闘員のアテネ嬢に不覚をとったと言うではないか。紅喰いの片腕が聞いて呆れる」

 青亀は添え木をした片腕をぶら下げたまま、地に付くほど頭を垂れた。一座の空席に目を止め、クラマが尋ねる。

「ザトウはどうした」

「新皇様、彼は討死にしました……。下手人は紅喰いが捉えた兵かと」

「……! そうか。悼む暇も無いことが惜しまれるな。……せめて手厚く葬ってやれ」

 クラマは少し気を鎮めたようで、静かな声で続けた。

「手遅れだろうが、『蛇足』の停車駅に検問を敷いておけ。それから国境付近の部隊に戦支度をさせよ。奪還作戦をとり行う。クロウが生きているのなら、帝は必ずそれをネタに降伏を迫ってくるはずだ。その前に必ず取り戻す」

「しかし、お言葉ですが殿下……、昨夜の件、クロウ殿にはましらとの共謀の嫌疑も掛かっています」

 紅喰いが畏まった様子で告げる。クラマが眉を顰める。

「クロウがわしを謀ったと言うのか?」

「昨晩殿下の寝所を襲撃した反乱分子……、奴らは夷各地の名もなき郎党衆です。相互に交流があったわけでもない。朝廷が彼等諸党のひとつひとつと繋がりがあったとは想像し難い……。裏で彼らを束ねていた者……、黒幕がいると考えてよいでしょう」

「……たしかにクロウなら、夷の諸勢力に顔が利く。夷統一の際に各地を飛び回っていたからな。朝廷とのパイプもあるだろう……、だが、謀反(それ)はあり得ない」

 クラマは迷いを振り払うように断言した。「あやつはわしの妹じゃ。わしを裏切るわけがない」

 紅喰いが恐れ入ったという風にうな垂れるのを確認して、クラマは文官に指示を出した。

「ヴァニラと回線を繋げ。中つ国付近に駐在しておったはずだ、逃げた13番隊の方を追うぞ。ましらが合流している可能性もある」

「は……、捜査網を敷かれるので」

「逆だ。山脈付近の警備部隊を退避させる」

 驚いて聞き返す役人にクラマは八重歯を覗かせた。「わしが出る」


・・・


 王宮の堅く閉ざされた扉が再び開かれる。全員ではないが元老院が集まっている。カプリチオ族の席には小柄な赤髪の女性が座っている。棘のある薔薇を想起させるような気高い婦人だ。かなり若く見えるが、もしかしたらアテネの母親かもしれない。

「さて」

 垂れ幕が上がっている。帝が装飾の着いた椅子の上で足を組み、物憂げに問うた。「言い訳を聞こうか」

「先に約束を反故にしたのは、そちら側の誰かです」俺はイタロを睨んで言った。「一行(パーティー)の中に暗殺者が紛れていた」

「語るに落ちたな」イタロが平然と答える。「ユダ……、イスカリオテが君の暗殺を謀ったということは、君が命令を無視して独断で行動しようとした証拠。奴に出ていたのはそういう指令だ」

「語るに落ちたのは、そちらの方だ」俺は言い返す。「やはりイスカリオテが犯人だったか」

「鎌をかけたのか?」

 イタロが渋い顔をする。俺は肯く。

「襲撃にはあったが、暗殺者の顔までは見ることが出来なかったからな。もっとも、見当は付いていたが。俺は狙われた時、何の未来の音も聞けなかった。予知が出来なかったわけじゃない。無音だ。そして奴はカルキノスの一族……、彼女の異様な耳の良さと、衝撃を操るカルキノス製の宝具……、カルキノスの狂花帯の力は波……、特に彼女の場合、音を操る能力でないかと疑った。そう考えれば無音殺人の辻褄は合う」

「だが、それは憶測にすぎない」

 カルキノスの族長が手を顔の前で組んで問うた。

「無論だ……。だが彼女は道中、山賊山羊の群れに一人だけ襲われなかった。脇差しを抜き放っていたにも関わらず、な。彼女は殺気を隠せる。これはおそらく狂花帯の力でない、彼女自身の技能(スキル)だろう。俺が襲撃された時も、山羊は反応していなかった。……後は襲撃のタイミングだ」

「タイミング?」

 族長が聞き返す。

「狙われたのは、俺が作戦変更を伝えた少し後だった。その後新皇の寝所も狙われた。両方を狙う時点で賊は朝廷側であるとの公算が高かった。新皇の寝所は陽動……、奴の敵の真の狙いが分かったことで確信を強めた」

 俺は懐から燃え尽きた紙切れの端を出す。「帝の証文です。襲撃された金色殿の一画から、何とか探し出した」

「それはそれは」イタロはわざとらしく肩をすくめた。「和睦の公文書が無くなったのであれば、我々が夷に兵を仕向けても、違約にはならないな」

「俺が裏切った場合の保険がイスカリオテ……。もっとも、俺が作戦を遂行しようとしまいと、初めから俺たちに新皇襲撃の咎を着せ……、口止めに殺させるつもりだったのかもしれないがな」

 俺は元老院たちを睨みつける。

「しかしましら……、それくらいのことは貴様の想定にもあったのであろう。わざわざラックルクロウを生け捕りにしたということは……、その上で我々との契約を履行するつもりだな」

 帝は金色の眼でこちらを見透かすようにして言う。

「不遜な物言いと態度……、それも狙ってのことだろう。ましら、私は安い挑発には乗らぬ。貴様の思惑を率直に述べ立てよ。聞き入れてやらぬでもない」

 帝の促すような視線に、俺は俺は口をつぐむ。クロウがちらりとこちらを見る。俺は目で肯いてみせた。

「彼女を新皇……、クラマノドカへの交渉人に推薦します。そして彼女たちの安全を保証してほしい」

「何を愚かな」

 ライブラ族の族長が鼻で笑い飛ばす。「彼女らは朝廷への最大の謀反……、領土を奪っての独立を企図したのだぞ。首魁の2人をただで済ますわけがない。たとえ貴族であろうとも、だ」

「彼女らには不二原の鉱脈がある。十分な禊にならないか?」

「殺して奪えばいい……。それが判らぬお前ではあるまい、ましら」

 帝が頬杖をついて切り捨てる。「太政官を生け捕りにしたのは、大方貴様の信念と打算からであろう。だがそれは真実の一側面に過ぎぬ。通らぬ理屈を通してまで、無用の肩入れをする理由……。貴様、何を視た?」

 元老院たちが戸惑った表情で帝の言葉に耳を傾ける。クロウも事情が呑み込めぬという顔でこちらを見る。俺は逡巡した。だが既に打ち明ける他ないようだった。

「王都の壊滅した姿だ」

 元老院たちが息を呑む。イタロだけは動揺を見せず、冷静に口を挟んだ。

「お待ちください帝……、記録によれば彼の予知能力は音に限定されている。現にユダの襲撃を察知できなかったと認めたばかり。仮に未来の『音』が聴こえただけで、どうしてそれがこの国のこの場所の話と特定できるのです」

「分からぬかイタロ。奴は既に『視』えているのだ。奴の狂花帯は発展途上……、能力を伸ばしたのだよ」

 全てお見通しと言うような帝の口ぶりを訝しみつつ、俺は肯く。

「その通りです。未だに数秒先は音だけだが……、断片的に知覚できるさらに先の未来のことは、聴覚や視覚……、五感の全てで体感できる。まるでその場にいるように。だがなぜそれを知っているのです? まだ誰にも話していない情報のはず……」

 帝は軽く手を振って躱す。「気にするな。こちらの事情だ」

「それで、この王都が滅びるとはどういうことだ」

 ライブラの族長が畳みかけるように尋ねた。

「小隊長を拝命し、あなたたちの指令を受諾した瞬間……、この王都、いくつかの街が壊滅しているところが視えた。数えきれない兵の死体が散らばり、王宮は崩れ金の鎧をまとった兵たちが民を蹂躙していた。魔境(スラム)にも死体の山が折り重なり……、外道法師や若頭衆の猿たち……、俺の知る野風の亡骸さえあった」

「つまり……、貴様が決意した夷上層部の謀殺……、これが引き金となり、返って破滅を呼び込むはずだった、ということだな」

「ええ。今だから分かりますが……、初めからこの作戦は失敗するはずだったのです。クラマとクロウ、俺たち13番隊の戦力では、二人を相手取って殺すことは、恐らくできなかった。クロウだけが死ぬことでクラマが激高し……、被害度外視で王都に攻めてくる。それが俺の視た未来が辿ったルートではないかと思います」

 あるいは姉の死を受けたクロウが……。しかしその言葉を俺は呑み込んだ。

「ふむ。しかし暗殺を取りやめたはいいが……、こちらの『保険』が発動し……、戦わざるを得なくなった。せめての代案として、殺害より遥かに難しい生け捕りに切り替えた、というわけか。なかなか懸命な判断だな」

「本当はこの話は黙っておくつもりでした……。大規模な人間の関わる未来でしたからね。何がどう転んでああなるか、予測がつかない。最善の選択をしたつもりですが、まだあの惨劇のルートを回避できているかは分かりません。なるべく不確定要素を増やしたくはなかった」

「しかし、黙っていることが最善とも限らん。現に今の話……、その小娘を生かす理由にはなったぞ」

「……陛下!」

 イタロが立ち上がり、抗議の声を上げる。

「今は有事の時だ、イタロ。元老院全員を招集している時間がない。慣習に従い、帝である私の裁量で事を進める。異存ないな」

「……っ、畏まりました」

 イタロが苦々しく頭を下げる。クロウの処罰を先送りにするという帝の判断に異を唱える者は……、他にいなかった。

「案ずるな。彼女が信用に足る人間かどうか……、すぐにわかる。ボルンハーク」

 帝が手を叩く。脇に控えていた衛兵長らしき人物が進み出た。

「彼女の髪を一束、切りとって参れ。クロウ嬢、かまわぬな」

「それで信じていただけるなら、いくらでも」

 クロウは静かに答えた。クロウの背後に立ったボルンハークの短剣が素早く煌き、クロウの長い後ろ髪の毛先を切り払った。

 夜を写した海のような藍色の髪を一握り掴むと、彼はそれを部下の用意した盆の上にのせ、帝の前に恭しく差し出した。

 帝は肯き、青髪を掴むと、徐にそれを鼻に寄せた。

 深く息を吸う帝の仕草を見て、俺は目を丸くする。帝がこちらの驚きなどお構いなしに、呟く。

「見える……、見えるぞ、貴様の全て……」

「……彼女は何を……?」

 俺は脇を通り抜けようとした衛兵長に声をかけた。「帝の情報をおいそれと口にすると思うか? 貴様は黙ってそこで見ていろ」

「読んでいるのです……、私の情報を」

 クロウがいつもの無表情で答える。衛兵長がむっとした表情で彼女を見る。帝が咎めないので彼はそれ以上止めることはせず、足早に裏へ戻った。クロウもかまわず続ける。

「中つ國と対立するやもと……、帝の御力は調べておりました。人の肉体に触れることで、相手の記憶や肉体情報を読み込む……。さらにその肉を内に取り込めば、より鮮明に、より素早く情報を取得することができる。当人さえ気づいていない潜在的な情報を」

「よく調べているな。まあそこまで秘匿している能力でもない……、朝廷の高官なら知っていることだ」

 帝は髪の束を盆に戻して言う。俺の力の詳細を知っていたのは、そういうわけか。俺は独り納得する。勅命を拝受して手を握ったあの時、記憶を抜き取られたのだ。旧世代の知識を持つ俺をあっさりお払い箱にしようとしたのも、その記憶を既に抜き取ったからなのかもしれない。

「お前はましらと同じで、見込みのありそうな女だな、クロウ。貴様の性根は知れた。……夷との交渉役をお前に任せよう」

「有難く拝命いたしましょう」

 クロウは鎖に繋がれたまま辞儀をしてみせた。帝は白く細長い指を二本、立ててみせる。

「交渉の方法はふたつ。一つは書面による夷への降伏勧告。これを貴様の手で書いてもらう。もちろんつまらぬ符合など紛れ込ませぬよう、我々の厳重なチェックを受けた上で夷へ届ける。夷が降伏を認めれば、貴様らの処罰は配流に留めてやろう。どのみち貴族は死罪に出来んからな。先代の帝……、院への処遇と同じだ」

「妥当な処遇ですね。して……、二つ目とは?」

 帝は目を細めて指を曲げる。

「二つ目は、警告虚しく武力衝突に発展した場合だ……。貴様には新皇との直接交渉に赴いてもらう。つまり……、こちらの総大将になるということだ」


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