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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第3章 蒼い太陽 紅い月
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第19話 祭りの後

 薄闇に包まれた壊れた舎を前にして、イスカリオテは頭を掻いた。予想の斜め上の展開に段取りが狂う。これでは他の隊員と落ち合うことができない。生きているかすら判別できない。

もしや誰か埋まってやしないかと、イスカは脇差しを片手に残骸へ近づいた。

「そこには誰もいないよ、ユダ」

 視線を上げる。気付くといつの間にか、瓦礫の山の上にストレートの黒髪の女が座っていた。夜の中に光る紅い瞳が、イスカを見下ろす。

「あんたか。本名で呼ばないでほしいっすね。今回の任務は、警察隊の新人隊員、イスカリオテって設定なんだから。あんたも似たようなもんだろう? バフォメット」

 名を呼ばれた黒髪の女が、肩をすくめる。イスカは構えを解いて脇差しを仕舞う。「13番隊は?」

「さっきまで一人いた。あと、そこの瓦礫の下に夷の兵が一人。どちらもアテネ嬢が山羊を使って救け出していたよ。君のお仲間の方は彼女が連れていってしまった」

「夷の兵の方は?」

「私が少し先の納屋に放り込んでおいた。ここでの会話が聞かれると困るからね。……問題は真白雪(そそぎ)だ。暗殺には失敗したようだが?」

 咎めるような女の声に、イスカは面倒そうに反応する。

「まあね。でもそれはお互い様でしょ。スコルピオ族の新皇に対して火薬とか……、本気で殺る気あったんすか」

「少し事情が変わってね。陽動にはなっただろう? 本命の詔書を探し出して処分する時間と隙は、充分作れたはずだ」

「もちろん、それはちゃんと焼いておきましたよ。真白雪が独断で通した和議はそれで無化できたけど、これじゃ振り出しに戻っただけだ。私の命令は、独断専行したましらを強制排除し、彼に代わってクラマとクロウを殺すことだった。だが、クラマを任せたのは、失敗だったようだ」

 瓦礫の下を歩きながら、イスカが冷たく言った。

「今宵は色々と、計算外の因子が多くてね。こちらとしては、今クラマに死なれると、非常に困るんだよ」

「おい、話が違うだろ」

 イスカリオテの目が殺意を帯びる。黒髪の女は落ち着き払って、なだめるような仕草をした。

「言っただろう、計算外の因子が多かったんだ。一番は真白雪。よもやとは思っていたけど、まさか本当にクロウ殿を倒してしまうとはね。私のシナリオでは、死ぬのはクラマ嬢で、仇討ちのクロウ殿に(ヱビス)の部隊を率いさせるつもりだったんだ。でも真白雪という想定外の使者のせいで、クロウ殿が先に捕えられる可能性が出てきた。実際そうなったしね。そうなるとクロウ殿を助け出すためには、まだクラマ嬢の力が必要というわけだ」

「あんたとの利害は一致していると、思っていたんだがな。クラマとクロウの存在は、あんたや反乱分子にとっても、邪魔なはずでしょ」

「反乱勢力たちはともかく、私の目的は少し違うんだよ。出来るならクロウ殿でなく、クラマ嬢に彼をぶつけたかった。だがニニギニミリという男、あの男が思ったより粘ってくれてね。まったく地味に良い働きをしたものだよ。あれのせいでクロウ殿の戦闘に、増援を介入させることができなかった」

「そのクロウ殿は、今どうしてる?」

「ましらに捕縛され、連れていかれたようだよ。今頃はお仲間たちと一緒に都へ帰っている所だろうね。君独り残して」

 イスカが顔をしかめる。バフォメットは愉快そうに目を細めた。

「任務も果たせず、裏切りは露呈し……、このまますごすごと引下るわけにはいかないね」

「なら私はクラマを暗殺するまでっすけど……、あんたはどうする?」

 イスカリオテが脇差しを腕に隠しながら尋ねる。飛んできた鈴虫が、平然と刀に止まった。殺気は微塵も漏れていなかった。

「提案がある。ユダ、事が済むまで安全で、誰からも手出しできない場所を君に紹介しよう。上手く立ち回れば昇進のチャンスさえある。君の任務達成に貢献出来なかったことへの、せめてもの詫びだと考えてくれ」

「よく言ったものっすね。どうせ独房か何かでしょ」

 女は微笑んで首をかしげる。イスカは溜息をついてナイフを仕舞い、両手を挙げた。

「じゃーお言葉に甘えるっすよ。後は野となれ、だ。朝廷にせよ夷にせよ……、「勝った方」に付くことにするっす」

 女は満足げに肯いて、廃虚から降り立った。「随分な怪我っすね」彼女の衣服に滲んだ血を見て、イスカが言った。クラマ襲撃の失敗を物語っているかのようだった。

「なに、ほとんどは返り血さ」

バフォメットはさりげなく傷を隠す。それから乾いた血のこびりつくイスカリオテの手をとった。

「お互いお偉方の都合の良い手足だ。せいぜい利用し合おうじゃないか」


・・・


 トンネルのオレンジ色の灯りが、鱗の隙間から差し込んできて、蟒蛇の皮膚に朱い陰を落とす。俺は鱗内の座席に設置されていた行燈に火をつけて吊るした。頼りない灯りだが、幾分「コンパートメント」の内が見通せるようになった。

 灯りに反応したのか、目の前の座席から軽い呻きが聞こえる。月夜のような藍色の髪の隙間で、暮れなずむ茜色の瞳がしょぼしょぼと開く。「ここは……?」

「『蛇足』の夜行便の中だ。もう夷の国境は超えてる……。王都まで数時間だ」

 クロウは身を起こそうとして、身体に巻き付いている金色の鎖に気付いた。凍結でも引きちぎるのには苦労するだろう、敗残兵から拝借した武器だ。

「……なぜ殺さなかったのです」

 どうにか身を起こし、背もたれに体を委ねると、クロウが難儀そうに聞いた。落下の痛みが相当残っているらしい。無理もない、あの強靭な鎧が木端みじんに砕けるほどの衝撃だ。落としておいてなんだが、よく生きていたものだ。

「殺意のない攻撃だということは分かりました。こちらの鎧の強度と、衝撃への耐性を考慮し、死なないギリギリの高度から落下させたようですね。器用というか何というか……」

「君にはすまないと思ってる。だが現状、生け捕りが最適解だった。俺の目的のためには、はっきりとした戦果が必要だし、戦を回避するには、あんたが生きている方が都合良い」

 俺は溜息をつく。

「と、言っても、最終的には朝廷と夷の判断に委ねるしかないんだがな。俺はせめて自分に出来る精一杯のことをやったまでだ。小市民なりに、平和に生活したいものでね」

 俺は背もたれに体を預けながら、脚を組んで聞く。「あんたもそうだろう?」

 クロウは無言のままだ。

「まあ、立場が人格をつくるとも言う……。あんたは立派に筋を通したと思うぜ。なにせあの数の反乱分子を、殺さずに撃退した」

 金色殿で見た数々の兵を思い出す。たしかに息はあった。氷柱に閉じ込められていた者も、よく見れば氷の塊の中に人一人入る分のスペースがあり、凍死を免れさせる工夫がされていた。

「謀反人と言えど、自国の民。無暗に殺すことはしません」

 クロウは世話が焼けるという顔で答えた。

「そんなあんただからこそ、話し合う余地があると思った。夷との交渉……、新皇は強情なタイプだろう。クラマを説き伏せることが出来る人間がいるとしたら、あんたしかいない」

「そちら側に付けと言うのですか?」

「下に付く必要はない。だが協力はしてほしい」俺は彼女の目を見据えて言う。「姉の理想を叶えようという気持ちは理解する。だが君は君自身の人生を選んでも良いはずだ。そのために戦という選択肢が必要かどうか……、よく考えてくれ」

「降伏したとして……、私たちが殺されないという保証は?」

「帝は合理的な人間だ。新参者の俺をこの大役に付かせたくらいだからな。夷の金脈を差し出せば、命は助かるかもしれない。少なくともこのまま戦になれば、あんたは確実に処刑される。敗ければクラマもそうなるだろう」

 彼女は肉の壁にもたれかかって呟いた。

「他に道はないということですか……」

 夜行列車はうねりを上げて突き進んでいく。暗い地下道に曙光はとどかない。しかし地上では朝の兆しが霧を透かし始めた頃だろう。運命の一日が始まろうとしていた。


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