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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第1章 金色夜叉
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プロローグ 布告 

 その薄紫の扉は、薄汚れた市井を嘲笑するかのように瀟洒な装飾を煌かせていた。真鍮製のドアノブが二つ並び、鏡のように光沢のある門扉の表面には傷一つ無かった。まるでこの場に争いなど不釣り合いだと言うかのように、生まれた時の姿を美しく保ち続けていた。

 その扉が、軋む音一つなく静かに押し開けられる。招かれざる客を拒むような重々しさに、門衛は小さく奥歯を噛み締める。両脇に控えた艶のある長机に、革張りの椅子が十余席並べられ、威厳のある顔つきの貴族たちが深く腰掛けている。その長机に挟まれる形で敷かれた絨毯は、部屋の正面、冷たい空気の帳を降ろした銀色の垂れ幕まで続いていた。

 門を潜り、中央に青い影が進み出た。その後ろに付き従うように、はち切れんばかりの野性を秘めた巨体の猿が続いている。

 銀幕を前にして、2人は粛々と跪いた。女の腰元まで伸びた蒼い髪が地面を撫でる。彼女はやや感情を欠いたような静かな声で、しかしはっきりと己の名を宣った。

垂れ幕の奥に、気配がある。静寂の間を縫うように、波のない水面のように落ち着いた、よく通る厳かな女の声が響いた。

「よくぞ(まみ)えた」

 中央の2人は姿勢を崩すことなく、無言で声を受け止めている。垂れ幕の声は続ける。

「東国からの長旅、ご苦労であった、13番隊の兵よ。貴君らの帰りを永く待ちわびていたぞ」

 2人が静かに頭を垂れる。両脇に控えた椅子の上から、公家(きぞく)の一人が冷たい視線を浴びせる。まだ若いが眼光の鋭さには迫力があった。

「随分ご無沙汰だったじゃねえか。お前らが一年も定期報告を怠ってる間に、城下じゃ大変な騒ぎが起ってたんだぜ」

 隣の女の貴族が肯く。「相次ぐ市民の失踪……、監獄からの集団脱獄、猿族の大群と警察隊の大規模抗争……、しかもそのいずれの事件にも裏で手を引く黒幕の存在があった」

緑衣の鬼(グリーン・ゴブリン)……、奴の叛逆(クーデター)の余波で、王都は上へ下への大騒ぎでね。この一ヶ月というもの、いくつもの大規模な行政上の決断を迫られた。そんな国の危機に、君たちは何をしていたんだい?」

 口調は優し気だったが、返答如何では厳しい措置も辞さないという鋭い意志が感じられた。青髪の女が口を開くよりも前に、左脇の黒髭の男が詰問を引き継いだ。

「そもそも小隊長のムラマロはどうしたんだ。次帰って来たら腕比べする約束だったんだがよ……」

 眼鏡の公家が窘めるように咳払いし、髭の言葉を遮った。

「私事はともかく……、彼はこの列島ジパングが皇国・〈中つ國〉の征東部隊を率いる小隊長だ。地方貴族アテルイ一門……、彼女たちの監視と牽制という貴君ら『13番隊』の務めが、我が国の安寧にとって如何に重要か、知らない男ではないだろう。その責任者たる小隊長が顔を出さないなど、無礼とは思わないか?」

「父は身罷(みまか)りました」

 彼女は事務的な報告をするかのように、下を向いたまま淡々と答えた。広間に緊張が走った。「……死んだ?」赤毛の貴族が信じられぬという風に聞き返す。「ありえないわ。彼はこの中つ國きっての武人よ。全盛期の実力はあの警察隊長のカミラタを凌ぐとさえ言われていた彼が、なぜ……」

「……アテルイがやったのか?」

 貴族の一人が、やけに沈痛な顔で尋ねる。

「アテルイは22年前に亡くなっております」

「馬鹿な!」

 彼女の返事に、貴族たちは喧しく騒ぎ立てる。「そのような報告は無かった。ムラマロは何故黙っていたのだ」

「待ってください」公家の一人が、青髪の言葉を反芻して訊く。

「先の発言の中で、あなたはムラマロのことを『父』と称しましたね。あなたは奴の娘なのですか」

「はい」

「ならばあなたが後任というわけですか」

「さにあらず。手前どもの棟梁は我が姉クラマノドカ=ジェミナイアが引き継ぎました。私は文官を束ねる最高幹部としてここに参ったのです」

「文官?」

 困惑した赤髪の公家が、鸚鵡のように繰り返す。「はい」

 彼女は床に向けていた額を初めて上げ、氷のような白い面差しを露わにする。

「申し遅れました。(わたくし)、警察隊第13番隊並びに東国地方諸豪族の同盟による新興軍事国家・『(エビス)』が太政官(だじょうかん)、ラックルクロウ=スコルピオと申します。元13番隊小隊長ムラマロ=スコルピオ、並びに東国名門貴族アテルイ=ジェミナイアが娘に御座います。以後、お見知りおきを」

 口上を述べる彼女の突き刺すような視線が、銀幕の向こうに注がれる。「此度は我ら新国『(エビス)』の誕生と、この祖国中つ國からの独立を宣言しに参りました」

「なんと大それた!」

 椅子を倒しながら貴族たちが立ち上がる。

「独立だって? 分かっているのかい、それはこの朝廷に対する謀反の宣言に等しい発言だよ」

「如何様に捉えていただいてもかまいません」

 クロウは青い髪を静かに揺らしながら、ゆらりと立ち上がった。すらりと伸びた細身の体に、異様な冷気が漂う。堅い装備に身を固めた衛兵たちが、瞬く間に彼女を取り囲んだ。

夕映えの空のような朱色の瞳が、兵士たちを冷たく射貫く。

「待て」

 緊迫した空気を貫くように、銀幕の向こうから命令が飛ぶ。垂れ幕の向こうの影は濃く浮かび上がり、その隙間から濃淡のある金と銀の瞳が彼女を捉えていた。

「貴様、棟梁はその方の姉と申したな」

「たしかに」

 油断なく構えたまま彼女は答える。

「仮初にも為政者を名乗るならば、その王君が直々に参じるのが道理であろう。宗主国に対しては、な」

「……、あなた方の属国になる意向はございません、帝」

 彼女は微かに気分を害したかのように眉を顰め、冷たい声で答えた。

「新皇は興したばかりの国を取り纏めるのに忙しい。私を遣わしたのは、最大限の心づくしとお思い下さい」

「黙って聞いていれば!」黒髭がいきり立ったように叫ぶ。「たかが田舎貴族と軍警の一部隊の集まりじゃねえか。烏合共が手を結んだくらいで図に乗るな、お前らごときいつでも捻りつぶせるぞ。手始めにお前の首を以てこの場の返答としてやる!」

「我々に交戦の意志はありませぬ。文官と護衛一人のみを差し向けたのが良い証拠。しかし飽くまでもやるというのならば、好きになされよ。警察隊最高戦力と謳われた対外戦闘部隊と、中つ國最大の富豪貴族を相手に、無傷で済むとお思いであるのならば」

「双方」

 帝の短い声が再び場を静まらせた。思わず口をつぐんだクロウが不服そうに顔を向ける。

(まつりごと)に手を焼いているのは貴様らだけではない。こちらも近頃は鬼だ稀人だと市井が騒がしくてな。よって貴様らの処遇がごとき小事にかまけている暇はないのだ。早々に巣へ帰るが良い」

「よろしいのですか、陛下」

 眼鏡の公家が恭しく尋ねた。垂れ幕の影から忍び笑いがこぼれた。

「所詮、自ら赴く覚悟もない棟梁の郷。手が()けば遣いを回してやるだけのことだ」

 唐突に、異様な冷気が辺りを包んだ。怒気を含んだ冷ややかな一睨(いちげい)が、青い髪の隙間から銀幕へ一直線に飛んだ。

 その視線の間に、俊敏な動作で衛兵が割り込む。紫の胸当てを付けた衛兵長らしき男は、足音高く飛び乗った長机の上で、両手の狭間に巨大な(いかづち)の矢を浮かべる。

「貴様ァ!! 誰に殺意を向けているッ!!!」

 紫電の一閃。轟音と共に閃光が辺りを覆った。公家たちは床に伏して身を守った。

 雷光と粉塵が収まった頃、長机の後ろから公家たちの白髪交じりの頭が恐る恐る覗いた。

「……逃げたか」

 目の前に聳える罅割れた巨大な氷壁を睨みながら、衛兵長が吐き捨てるように呟く。辺りには礫岩のように、真っ白な大きな氷塊が四散していた。白塵の中には既に、青髪の女の姿も巨漢の野風の影も消え失せていた。

「御遠慮を無視した身勝手な行動……、お赦し下さい。殿下の御身を案じたがための振る舞いでした。処罰は如何様にも」

 机から飛び降りた衛兵長はすぐさま身を翻し、垂れ幕の方を向いて跪いた。

「詫びる必要などない。優秀な働きだったぞ、シェクリイ」

 衛兵長は感に堪えないといった様子で恭しく頭を垂れた。

「追いますか、帝」

 黒髭が破壊された扉に目を向けながら確認する。

「捨ておけ。あれだけの大見得を切ったのだ。逃げも隠れもせぬだろう。ここは神聖な御所の内だ。他の公家共や女御共もいる……。徒に拳を振るうな」

 恐れ入ったように黒髭が頭を垂れる。

「しかしああは言ったものの、大幅に戦力を失ったことは事実」垂れ幕の隙間から悩まし気な溜息が漏れる。

「数はともかく、単騎の実力で13番隊に伍する兵はそうおりませんよ。カミラタを使いますか」

貴族たちの目が向けられた垂れ幕の隙間に、再び金色の眼光が灯った。「人外魔境(スラム・フライデー)に遣いを出せ」

「は……、どの野風(やふう)をご所望で」

「野風ではない。その頭を連れてくるのだ。人外座主にして異端の咎人、(ゴブリン)狩りの英雄……、真白(ましら)(そそぎ)を」


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