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人獣見聞録-猿の転生 Ⅱ・エデンの東の黄金郷  作者: 蓑谷 春泥
第2章 緋い目玉の蠍
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第17話 四天王 急

 金属音が夜気を震わせる。ニミリの振り抜いた剣が、紅喰いの袈裟を裂いてビブラートする。刀身が半分に折れ、地面に突き刺さった。

「合金製の鎖帷子(かたびら)か……。他人(ひと)の事言えないね、がちがちに堅めちゃって」

「大事な一夜なものでな……。不測の事態に備えていた。お前のためじゃない」

 金棒を肩に担ぎながら、紅喰いが答えた。ニミリは刀を手放す。と同時に懐に手を差し込み、そこから素早く石塊を投げつけた。

 ……手投げ弾! 土塊に巻きつけられた導火線を見て、紅喰いは瞬時に判断する。金棒を前方に放り投げ、土塊の軌道を逸らす。金棒に阻まれた爆薬が中空で小爆発する。

 爆煙の中からニミリが飛び出してくる。手には折り畳み式の銛が握られている。打突を腕に残った鎖で受け止め、紅喰いが銛を絡めとる。

「良い鉄を使ってるな! だが結節部ががら空きだぞ!」

 銛を膝蹴りの一撃で破壊した紅喰いは、さらに打突を受けて皹の入った鎖を引きちぎった。

 二振り目の短い刀を抜き出したニミリは、隙の出来た紅喰いの額目掛けて投げつける。機敏な動きで回避した紅喰いは背部から太鋸(ふとのこ)を引き抜いた。

 鋸の凶刃をニミリの牛刀が受け止める。翻り受けたニミリの背面で火花が散る。返す刀で首を狙ったニミリの斬撃を紅喰いは鋸で払いのけ、さらに切り結ぶ。

 大振りの一振りを受太刀したニミリは背骨の上げる悲鳴を聞いた。怯んだ表情を見逃さず紅喰いが足蹴りで吹き飛ばす。

「ぐっ……」

 膝で立ち上がり、腹を押さえたニミリは、疲労で震える手に滲んだ血に目を止める。

「スパイクか……。草鞋の裏に鉄棘を付け……、まきびしの対策でもあるわけね」

 奸計でも互角か……。ニミリは汗を拭う。膂力はもちろんのこと、武器の質も向こうの方が優れていた。手数と技巧では負けていないつもりだが……、扱いの難しい奥つ器を使いこなす分、向こうの才覚の方が(まさ)っているという自覚はあった。

「現実は厳しいね」

 ニミリは苦笑し、背中の巨大な十字型の刃に手を掛ける。膝を着いた姿勢から猛烈な勢いで斜めに飛び出す。

 重量で敵わないなら……、スピード!

 塀たちの壁面を駆け抜け、紅喰いの背後に跳躍したニミリは、死角から大手裏剣を繰り出す。 

 完全い後ろを獲っていた。しかし巨体に似合わぬ機敏な動作で振り返った紅喰いは、鋸の刃を手裏剣に見事にミートさせた。

 その瞬間、ニミリがほくそ笑む。

 ニミリが手裏剣に繋げたてぐすを引くと、手裏剣の()の付け根ががちりと分離する。鋸が空を切り、射出された四枚の刃の一枚が紅喰いの右肩を襲った。

 鮮血が迸る。ニミリが畳みかける。最後の武器は己の肉体だ。爪を立て、間合いのすぐ内側に入り込む。斬撃が当てらないほどの至近距離だ。ニミリは首を目掛け拳を放った……。

 左頬に衝撃が走る。色眼鏡が弾け飛んでいく。錐もみ回転しながら弾き飛ばされ、生垣に突っこんだニミリは星空を見上げた。いや、それは眼裏の暗闇にちらついた火花かもしれなかった。彼は飛びそうになる意識を必死で引き戻し、状況を把握しようとした。

 ぼんやりとした視界の先では、刃に貫かれた右腕をだらりと下げ、鋸を握りしめた左の拳の裏に血を滲ませた紅喰いの姿があった。

「今のは危なかった……。やはり最後に武器になるのは己の体だな」

 紅喰いは左手を振りながら言った。ニニギニミリは事態を察した。鋸の斬撃の範囲よりも内側に入り込まれた紅喰いは、凄まじい反射速度で斬撃を裏拳に切り替え、ニミリを薙ぎ払ったのである。

 速さでも勝てないのか……。ニミリは奥歯に皹が入るほど強く噛み締めた。あらゆるスペックが自分以上、完全なる上位互換……。どす黒い怨嗟の籠った目で紅喰いを睨む付ける。その蛇のような眼光は紅喰いを一瞬怯ませるほどであった。眼力で人を殺せるなら、紅喰いは思った。今の彼は俺の命を奪えただろう。

「さすがにもう動けないだろう。正直ここまで粘るとは思わなかったよ。予想外の手傷も負った。ニニギニミリと言ったな、お前は十二分に仕事をした。私の犯行を知った以上生かしてはおけないが……、勇ましい最期だったと伝えてやる」

 紅喰いはニニギニミリに近づいた。

「はは……、悔しいな。ゲボ吐いてのたうち回りたいくらい悔しいよ。……認めるよ。僕の力では君に敵わない。僕の敗けだ」

 紅喰いは無言で鋸を振り上げた。ニミリがぽつりと呟く。「だからこそ……、君に感謝するよ」

 鋸の一太刀が空を切り裂く。

紅喰いは目を見張った。負傷した右腕を何かが這い上がる感触を覚えた。

ニミリが背中に上り紅喰いを羽交い絞めにしていた。

「僕の奥歯には一粒の薬が仕込まれててね……。いわゆる強壮剤ってやつだ。別に強くなったりはしないけど、限界の体に鞭打って、一時(いっとき)暴れるだけの力はくれる」

 ニミリは紅喰いを締め上げながら背中の筒に手を突っ込む。

「言っても限界以上に体を酷使するわけだからね……、おいそれとは使えない。だから本当の本当に必要な時にだけ使えるよう、偽歯を本物の歯と同じくらい硬く作ったんだ。つまりこれを使う時は、奥歯が割れるほど強く噛み締める、それくらい口惜しい時ってことさ」

 紅喰いが唸る。鋸を振りまわそうとするが、足で腕を押さえられ届かない。ニミリが技を掛けながら続ける。

「それはつまり敗北を認めてさえ……、まだ戦う理由がある時。足止めとか、一矢報いるとか、勝てなくとも果たすべき役目を自分が見つけたって証拠だ。君が僕の完全上位互換という不快な巡り合わせでなければ……、そして僕が西面以外の連中のことを守ろうなんて奇妙な心境の変化を起こしていなければ……、使うことはなかっただろう。こんな勝算の薄い賭けに出ることもね」

「フン……、日に何度も同じ質問をさせるな。窒息させようって魂胆か? 俺の首は頑丈だ……。ましらならともかく、お前では締めきれん。このまま時間切れだ」

「なら答えも同じく『ノー』だ。奥の手は隠しておくものだろう? 僕がそうなら君もそうだ。さっき後ろに回った時に気付いたよ。……カプリチオ製の奥つ器は可能な限り調べ尽くした。僕が『これ』を知らないとでも思ったかい?」

 ニミリは紅喰いの背の筒から奇妙に捩じれた青緑の短刀を引き抜いた。

「君さ、なんかワケありなんだろ? これ喰らったら表、歩けないんじゃない?」

 短刀が紅喰いの肩に突き刺さる。紅喰いの顔色がさっと変わる。「止めろォ!」

 紅喰いが体を振り回し、ニミリの体が放り出される。

「ヘッ……、賭けは僕の勝ちかな」

地面に転がり、薄れゆく意識の中でニミリは晴れがましく笑った。

 紅喰いの体が隆起し、苦悶の叫びを上げる。雲が晴れていく。ニミリにとどめをさすどころではなかった。その肢体を月が照らし出さぬよう、紅喰いは夜に紛れ姿を消した。


・・・


「止まれ」

 均等に並んだ家々の影から姿を現した長身の男が、闇の中に声をかけた。背中には矢筒と数本の矢が、右手には弓が握られている。

既に城の側から、緑の煙がたなびいていた。

「気配を消すのが上手いな。俺でなければ見つけられなかっただろう。金色殿の方角から来たな。所持品を見せろ」

 煙と同じ若葉色の髪をした少女が、両手を挙げたまま姿を現した。隠れていない方の眦が焦ったように垂れ下がる。

「いやあ、怪しいものじゃないっす。ちょっと道に迷ってしまってぇ。飲み過ぎたっすかねー、あはは……」

「その顔、13番隊の者だな。俺は東夷四天王のザトウ=ライブラ。悪いがクロウ殿より捕縛命令が出ている、見逃すわけにはいかん」

 男はすげなく答えて弓を構えた。

「あちゃー、四天王の方っすか」

 イスカリオテは苦笑いしながら頭の後ろを掻いた。

「髪から手を離せ」男が目ざとく指摘する。「その簪を投擲しようとしたが最後、お前を殺す」

「お見通しっすか。目が良いっすね」

「俺の眼は空気中の電磁波を捉える。暗がりの中のお前を捕捉できたのもそのためだ。金属製の武器は隠せないと思え」

「ばれちゃあ仕方ないっすね。戦闘(バトル)は得意じゃないっすが……、やむなし、っす!」

 簪を振り抜こうとしたイスカリオテの視界に広がったのは、天の星々だった。「おっ?」

 瞬いたはずの瞼は動かず、左手の親指が震える。唐突に変わった景色に、背中の冷たい感触が遅れて追いついてくる。

「何が起こったか分かるまい」

 自分が仰向けに倒れているのだと自覚すると同時に、イスカリオテの耳にザトウの声が聞こえてきた。

「俺は電磁波を視るだけでなく、それに干渉することもできる。この一帯の電磁波を乱し、お前の神経系の信号の伝達先をいじらせてもらった」

 彼はイスカリオテに近づかないよう周到に距離を維持しながら、弓を構えた。

「この矢が見えるか。見えないだろうな。首を捻ってこちらを向くこともできないのだから。腕を動かそうとすれば足が動き、頭を動かそうとすれば肘が動く。……安心しろ、尋問のために口周りの筋肉だけはそのままにしておいた。俺が矢を射る前に口を割ると良い」

 イスカリオテは無言で小さくもがき続けている。ザトウが呆れた顔で続ける。

「諦めろ。俺が元13番隊の副隊長だった時代、どんな狂花帯を持った敵でさえ破ることのできなかった技だ。触れもせず、一定範囲内に入った敵を一人残らず戦闘不能にする。射程外の敵はこの弓で一撃だ。俺に死角はない。お前が俺と同じライブラ族なら勝機はあるが、それならそんな風に無様に転び、死にかけの蝉のように足掻いてはいまい」

 彼は弓を引き絞り、イスカリオテの顔の目の前に矢を放った。地面に突き刺さった矢がびんと震える。

「今のは警告だ。矢の脅しが本当であることと、俺の腕前の正確さを知らしめるための、な。俺も貴族の出だ。今はジパング時代以上の要職をこの(ヱビス)で与えられている。高貴な身分の者として、身動きのとれない無力な少女を狙い撃ちにするのは気が退ける。出来ればその前に認めてほしい、新皇様を襲撃する計画があったと。次の矢を放つまで、4秒だけ待ってやる」

 彼は口をつぐみ、背面の矢筒に手を伸ばした。とん、と手の甲に冷たい感触があった。雨か? 彼は手を顔の前に戻して眺めた。右手の真ん中を釘のようなものが貫通している。簪だ。

「……、運が良いな。転んだ拍子に空中に放り出されていたか」傷口を眺める。彼は失血のリスクを考慮して、簪を引き抜くことを諦めた。「これでは弓が引けん。仕方ない、野蛮だが矢を直接刺して……」

 倒れ伏した少女に目を戻し話を続けようとした彼は、言葉を失った。一つは、視線の先でうずくまっているはずの彼女の顔が、目の前にあった驚きのため。もう一つはその彼女の目にも止まらぬ早業が押し出した簪が、右の掌ごと喉輪に付き通されたためだ。

「が……ッ、あ?」

 そのまま仰向けに引き倒された彼は、痙攣と共に視線を彷徨わせた。

「何が起こったか分からない、って顔っすね」

 イスカリオテの黒い瞳が覗き込む。

「あ~あ、この手じゃもう弓握れないっすね。じゃあもうこれ要らないか」イスカリオテは彼の顔の真横に矢を突き立てた。彼の片耳が地面に縫い付けられる。彼は壊れた声帯でくぐもった呻き声を上げた。

「戦いの最中にぺらぺら喋り過ぎなんだよ、ハゲ。私は戦闘(バトル)は苦手だが、殺しが苦手とは言ってねえぞ」

 腕と足を押さえられ、自由を奪われた彼は、観念しつつも、自身の誇りを掛けて問うた。

「……とうやっで、ッ、わざを解いた……」

「あー?」

 彼女は気だるそうに前髪を払いながら返事をした。

「解いてねーよ。どの指令でどの部位が動くか、組み変わった動作と意志の配列(コマンド)を一通り覚えて動かしてるだけだ。私にとってこの程度の大道芸、破るまでもねえんだよ」

「……ッ」

平然と放たれるイスカの言葉に、ザトウは絶句した。

「……私の完敗だ。せめて、辞世の句を読ませてくれ」

「? なに寝ぼけたこと言ってんの、お前」

 彼女は月明りの下に脇差しを抜き放ちながら言い放った。

「私みたいな下賤な者の仕事は、静かにかつ速やかに命を絶つことだ。お前みたいな貴族サマと違って、悠長に待つ甘さはねえよ」

 頸を一閃された彼の断末魔は、彼女の狂花帯に余韻一つ残さず打ち消された。いつも以上に静かな夜の闇の中、彼の喉から簪を抜きとった彼女は、服の袖で血を拭い取ると、結わえた髪に挿しなおした。

「さて、『仕事』はまだ終わってないっすよ、……ましら小隊長」


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