第11話 妖狐姫
「殺したのか?」
程なくして、鞭を片手に持ったメルボルンが駆け寄ってきた。見ると野盗たちは既に捕縛されており、呻き声を上げたまままとめて縄についていた。
「気絶させただけだよ。こいつの首は筋肉で頑丈だし、息があるのは予知で確認済み。もっとも、このままぶら下げていと窒息しちまうから、引き上げるのを手伝ってくれ」
ニミリを先頭に、五人で重たい紅喰いの身体を引き上げる。顔は紫になっていたが、予知通り紅喰いの息は続いていた。「こんな状況でも『奥つ器』を手放さないなんて、さすがだね」ニミリは紅喰いの手にきつく握られた如意宝珠を見て言う。
「『戦利品』だ。回収してやろう」
メルボルンは意趣返しと言わんばかりに宝珠を抜き取り、俺に投げてよこした。棒状の宝珠が手の中で球体に戻る。俺は懐に宝珠を仕舞い込んだ。
「隊長って予知で死なないと判かってる分、けっこうエグい戦い方しますよね。普通なら死んでますよこれ」
橋の上に引き戻した紅喰いの首から鎖を外し、代わりに胴体をがちがちに拘束しながら、イスカが引いたような顔で言った。「いやあ……」俺は返す言葉もなく目を逸らす。
「死なないという確信から来る惨い暴力……、誰の影響かしら」
アテネがじっとりした目でこちらを見た。
意識を失ったままの紅喰いを山羊の背に括りつけて連行しながら、俺たちは城の下まで辿り着いた。夕日を浴びて煌く城の立ち姿を見て、俺たちは息を呑んだ。
「凄いね……、いくらするんだろう」
ニミリが驚くのも無理は無かった。さながら金閣……、いや土地的には大きくした金色堂といったところだろうか。城の外壁は屋根瓦の一枚に至るまで全て黄金で覆われ、それでいて悪趣味でなく、静謐なまでの輝きを放っていた。
「……気圧されていても仕方ないわ。行きましょう」
さすがは貴族と言うべきか、アテネは豪奢な城の姿にもすぐに順応し歩き出した。
「ところでこいつ、連れてきて良かったんすか?」
紅喰いを見ながらイスカが尋ねる。
「東国で有名な野盗だ。夷の連中に引き渡せばこちらの心象も良くなるだろう」
メルボルンは山羊の手綱を引きながら答えた。
案の定ぐったりした紅喰いの体を見て、城門の衛兵はひどく驚いた表情をした。
「我々は中つ國王都からの使者だ。新皇に帝から和議の手紙を賜って来た。お目通り願おう」
俺は詔書を懐中から取り出して告げた。
外観とは裏腹に木造で質素な作りの部屋に通されると、そこにはずらりと並んだ文官、武官たちが膝をついて畏まっていた。奥の高座は空席で、その手前に一人だけ身なりの良い十二単を着た女が正座している。一つ結びにした青い髪と夕映えのような蜜柑色の瞳。話に聞いていた文官の最高責任者かもしれない。事実上のNo.2だ。
「彼方たちが中つ國の使者ですか」
彼女は真冬の湖面のように静かな声で問うた。彼女の脇に護衛のように三人の兵が控え、俺たちを油断なくじっと睨みつける。役人たちの間に正座して俺たちは神妙に首肯した。
「私は太政官のラックルクロウ=スコルピオ。新皇様は席を外しておられます。直ぐにでも戻って来られるでしょう。今しばらくお待ちいただきたい」
「承知しました」
俺たちはまた肯く。
「時に……、そちらに伏している僧は?」
彼女は紅喰いを指して尋ねた。メルボルンがすました顔で答える。
「道中我々を襲撃してきた賊の親玉です。東国でも名の知れた野盗と存じます。手土産に捕えてまいった次第」
「左様ですか……」
彼女は紅喰いに冷たい視線を注いだ。
「紅喰い、いつまで休んでいるつもりですか」
紅喰いはぱちりと目を見開くと、むくりと起き上がった。「やれやれ、クロウ殿の目は誤魔化せませんな」
「貴方ほどの強者がそういつまでも寝ているものですか。……傷を見せなさい」
彼女は低い声音を少しだけ和らげて言った。呆気にとられる俺たちの横を素通りして難儀そうに歩いていき、紅喰いはクロウの前に跪いた。
「首が酷く腫れていますね。冷やしておきなさい。……彼方が伸されるとは使者の方々も相当な使い手ですね」
彼女は紅喰いの首に手を添えながら言った。紅喰いの首元が霜のようなもので覆われる。
「野盗と組んでいたわけですか」
俺はクロウに向かって厳しく問いただす。
「成る程、山賊が襲ったという体で使節の護衛の戦力を削いでおけば、謁見時に危険な襲撃に遭うリスクを減らせますね。我々が王都と緊張関係にある夷を攻撃する可能性もあるわけですから」
こちらが疑われていることを理解した上で、俺はあえてその可能性を指摘した。クロウが悪びれもせず肯う。
「そういうわけです。荒っぽい手段をとったことを許していただきたい。我々も大国を相手に事を構えている以上、自営の策を講じないわけにはいかない。現に都は、使節の護衛にしては些か過剰すぎる部隊を送り込んできた」
凍てつくような視線との間に緊張が走る。
クロウの横に側近の一人が歩み寄って来て、耳元で何か囁いた。クロウが腰を上げる。
「新皇様がお見えになったようです。お通ししますから、少々お待ちを」
高座の後ろに立てかけられた屏風の背面にクロウが消え、役人たちがさらに居ずまいを正す。遠くから小さな足音が近づいてくる。
「……姉様、また鍛冶場ですか。現場に赴くのも結構ですが、あまりお一人で本殿を離れないでください。傘も持たず……」
「傘など要らぬ。知っておろう、煙雨などわしには湯浴みがごとき心地よさじゃ。丁度雨で煤を洗い流したい気分だったしの……。お前も一度浴びてみるがよい」
屏風の陰から見覚えのある藍い瞳が覗く。豪奢な朱い着物にオレンジの髪を纏わせ、狐のような眦を愉快そうに上げた彼女は言った。「では踊ってもらうとするかの、旅芸人」
俺は硬直して彼女を見返した。メルとニミリが不審そうに俺を眺める。
「……おっと、今は都の使者として来ているのだったかの。やれやれ、わしを騙そうとするとは不敬な奴じゃ」
「……まさか貴女が新皇だったとはね。騙されたのはこちらですよ」
俺は額に汗を滲ませて返事をする。新皇が楽し気に笑う。
「わしは別段謀るつもりも、無かったがの。まあお互い様ということにしておいてやる。……して、和睦の文を授かっているのだそうだな。またとない吉報じゃ。見せてみよ」
俺はアテネに視線を送る。アテネが肯き、前に進み出た。「クラマノドカ様。お久しゅうございます」
「? ……おお、其方アテネ嬢か! 大きゅうなったな」新皇が声を弾ませる。「10年ぶりか? 懐かしいのお。覚えておるか、クロウ。西の反乱が鎮圧された折、都で祝賀の宴があったじゃろう。あの時のカプリチオ族の令嬢じゃよ」
「ええ、覚えて御座います。私もまだ元服前にございました。見違えましたね……、アテネ様」
クロウが微笑む。「そういえば新皇という尊号を作ったのも西の連中じゃったのお」クラマが当時を思い出すように独り言ちる。
「クロウ様もお元気そうで何よりです。お名前を伺った時からもしやと思ってはおりましたが……、お二人のお顔を窺って確信いたしました」
「ああ、今はクロウはスコルピオの姓を名乗っておるからの。というよりわしも本当はそう名乗るべきなのだがな。この通りスコルピオの血が流れておる……」
新皇は徐に金の扇子を持ち上げると、紅喰いの鎖にその先端をあてがった。煙草の火を灰皿に押し付けた時のような音がして、ゆっくりと鎖が解けた。見ると扇子の当たった部分の鎖がそこを境に寸断され、断面はオレンジに融解していた。紅喰いは自由になった両肩を軽く回すと、新皇に恐れ入ったように額づいて、部屋の隅へ下がった。
クラマが扇子を軽く振って煙を掻き消す。
「そういうわけなのだがな。ジェミナイアの貴族の血筋を利用する以上、そちらの姓で通さぬと都合が悪いのだ。何かとな」
「……どういうことだ?」
俺はそっと隣のメルに尋ねる。中つ國の氏姓制度のことはよく知らなかった。
「混血のような例外を除けば……、他民族間で産まれた子供には、どちらか片方の一族の狂花帯が受け継がれる。その子は能力を受け継いだ側の民族名を名乗るのが通例だ。この場合新皇と太政官の姉妹はジェミナイア族の貴族とスコルピオ族の間の子で、能力的にはスコルピオの姓を名のるのが慣習的なのだが……、彼女らは最近まで元13番隊隊長との子という事実を隠していたので、スコルピオではなくジェミナイアの姓を使っていた……ということだろう」
囁き声でメルが答えた。
クラマが扇を畳んでアテネを見る。
「さて、では改めてアテネ嬢。和議の文を」
クラマの催促にアテネは詔書を取り出し、格式ばった仕草で手渡した。イスカの視線が一瞬だけこちらに向く。まだだ。俺は目で合図した。
「……ふむ」クラマは詔書を眺め、満足げな笑みを浮かべて続けた。「たしかに帝の花押じゃな。実に喜ばしいことじゃ。これで双方の民も死なずに済む。争いとは実に無益なものと思わぬか、のう、其方……」
「ましらに御座います」
扇子で指された俺は、足の力を緩め、答える。
「クラマ殿の仰せの通り……、国同士の諍いは民を苦しめるだけのものです。……しからばなぜ、殿下は争いの火種を蒔いたのです」
「一介の護衛如きが、新皇様の器を計るつもりですか?」
凍てつくような非難を向けたクロウを、クラマが制す。
「そう噛みつくなクロウ。ましら、と言ったか其の方、聞くところによれば稀人であるらしいな。突如としてこの世界に現れ、野風の群れを統一に導き、八虐の一人を沈めた英雄と聞く。しかし異なものではないか。それだけの力と立場を持った男が、都の小役人など務めているとは」クラマは藍色の瞳をこちらに注ぐ。「帝に弱みでも握られているのか?」
俺は返答に窮し、黙り込む。クラマはこちらの反応を確かめるように続ける。
「どこにも属さぬはずの稀人が、朝廷の手先になる必要などないはずだ。だが政治的な誘導によって異分子を取り込むのが、帝の常套手段だ。妾ら姉妹も元服した時は、望まぬ政略結婚を強要されたものだ。どうにか避けたが……、アテルイの財力を取り込み、娘を都に抑留することで人質代わりとする。帝の考えそうなことだ」
クラマは不平を表情に滲ませながら続ける。
「そもそもあの方は院……、先代の帝を配流した際も、敢えて彼を獄の中に生かし続けることで、院の側の勢力への牽制に利用したほどだ。ましら、そなたにも心当たりがあるのではないか?」
俺は肯いこそしなかったが、神妙な沈黙を以て返事の代わりとした。アテネが気遣うような目でこちらを見る。クラマが満足げな表情で頬杖を突く。
「そもそも帝から離反しようと考えたのは亡き父の考えじゃ。13番隊という半非正規組織の長に付かせられた父は、詳細不明という性質を良いことに歴代の隊員たちが次々に使い捨てられ、口封じに抹殺さえ行われていることを知った。良いかましら……、一つ所に溜まり止まった水は必ず濁るものじゃ。腐敗を防ぐためには絶えず変化していく必要がある。我々は皇族という血筋、民族という結びつきに囚われない新たな国を作ることにしたのだ。見よ、この国を。棟梁たる我らの父は一介の平民に過ぎなかった。ここに集まる役人たち、彼らも民族種族の別なく重要な役に就いている。いずれこの新皇の地位も、ジェミナイアやスコルピオの血に限らず有力な者の手に継がせるつもりじゃ。わしはこのしがない山村の不二原の地に、一時の平穏な世界を作り出したかっただけなのじゃ。そのために、朝廷との不和という父の残した多少のリスクも、引き受けねばならなかった」
クラマは目に涙さえ浮かべ、訴えかけた。俺がかけるべき言葉を慎重に選んでいると、アテネが表情も変えず、つらつらと答えた。
「その争いの芽はこうして無事摘まれたわけです。朝廷の下した寛大な決断を、お忘れなきよう」
「そうだな。実にめでたき事じゃ。そなたも無論、同じ気持ちであろう」クラマは顔を上げて微笑みを浮かべた。「しからば、最後の仕上げにも付き合ってくれるな」
新皇が手を叩く。屏風の背後から、クロウが見たことのある盃を運び込んできた。その上では、翡翠の炎が音もなく揺らめいている。
「元老院の聖杯の複製を創らせた……。嘘を申せばその身が焼ける。さあアテネよ、その盃の前でもう一度宣誓してみせよ」




