第10話 如意宝珠
振りかざした鉄棒の衝撃、金属バットで殴ったようなものだったが、紅喰いは直立の姿勢でそれを受け止めた。青筋の浮かんだ首の筋肉は鉄の衝撃に耐え、奴の身体は微動だにしなかった。
「全身筋肉の塊かよ……。体幹も並じゃないな」
後ろに跳んで距離をとった俺は痺れる手を軽く振った。
「撫でるだけか?」
紅喰いはごきりと首の骨を鳴らして歩を進める。中空で二人の視線が衝突する。
『槍が空気を切り裂く音』! ポールを盾にして俺は刃を凌ぐ。だが敵の刃は金剛性だ。正面から受け続ければこちらの鉄が砕ける。
俺は槍を斜めにいなすと僅かに生れた敵の死角に鉄棒を突き出した。
「効かんぞ」紅喰いは叫んで黒槌を盾にした。衝撃が反転しこちらの棒が弾かれる。よろめいた俺の脚を槍の一撃が掠める。
俺は再び距離をとる。膝の傷は浅かったが予知が無ければ危なかった。
「カウンターにも使えるのか。便利な小鎚だな」
鉄棒の状態を確認する。既に先の方には皹が入り、もう一、二撃もすれば砕けることは目に見えていた。薙刀は既に橋の下に落ち流されてしまっている。あるのは欄干に巻き付かれた刃の欠けた鎖鎌だけだった。
俺は歯ぎしりをし、橋げたを蹴って素早く後退した。
「間合いの外に出れば武器を変えると思ったか? 甘いな!」
奴は巨躯に見合わぬスピードで猛進し、長槍を突き出した。予知通りの手だった。俺は長槍の刃を避けつつその柄を掴み、後退の勢いを利用して強く後ろに引いた。
勢いの突きすぎた紅喰いの巨体が僅かに前のめりになる。俺は翻って反動のまま前進に転じ、鉄棒を奴の伸びきった腕の健を狙って突き出した。
鉄棒の切っ先が振動で震える。奴の放り投げた小槌がその先端を捉え、破壊した所だった。
「惜しかったな」紅喰いが勝ち誇ったように叫び、槌を放った手をそのまま背中に回した。
「お前がな」
俺はスピードを落とすことなく突進し、奴が次の武器を手にするよりも早く間合いを詰める。予想外の動きに紅喰いの眼が見開かれる。俺は快哉を叫んだままの奴の口腔目掛け、折れた鉄棒を突き出した。
硬い手応えがあった。どれだけ丈夫な生物でも肉体の内側は脆いはずだ。俺は鉄棒を握りしめ、さらに奥深く押し込もうとした。
「っ、だ……」
紅喰いが苦し気に喘ぐ。予知通りだ。このまま沈める……。
「……だから言ったのに。『惜しかったな』と」
顔面に鋼鉄の衝撃が走る。回避が間に合わず後方に吹き飛ばされた俺は、橋の対岸まで転がった。宙を舞う鋼鉄の棒が視界の端に消えた。
「内臓を狙うなんて、随分えげつない攻撃を思いつくなあ、お前は……」
紅喰いは言葉を止め、えづいた。口から飛び出た臙脂色の棒を掴むと、剣呑みの大道芸のようにするすると抜き出した。橋の対岸まで伸びていた棒の先が瞬く間に収縮していき、紅喰いの手中にすっぽりと収まった。奴の手には棒の半球状の先端部が両側から閉じ合わされたような、丸い赤銅の珠のようなものが握られていた。
「『如意宝珠』……、俺の故郷に伝わる、強力な『奥つ器』だ」
紅喰いは珠を軽く放り上げ弄びながら説明した。
「球の上下が卵のように割れて、その間が棒状に伸びる。先端は素早く、果てしなく伸びて無限のリーチを使用者に与える」言いつつ棒を射出して、俺の目の前に転がっていた長槍を橋の外に弾き落とした。
「普段は球状に戻して胃の中に収めているんだ。不意打ちのためにな。これだけ得物をぶら下げていれば、武器があるのは背中だけだと思うだろう? ……まあまさか、胃の腑を守るために使用する羽目になるとは思わなかったがな」
俺はうずくまったまま奴の足元を見つめた。欄干の袂に、先刻奴が放った小槌が引っ掛かっている。奴は川に落としたと思いこんでいるのか、気付いていない様子だ。
「しかし分の悪い賭けだったな。欄干の棒が折れなければ、あのまま弾かれて終わっていたろう。運よく破壊されたから良かったものを」
「俺にとってはそうでもないんだな、これが」
俺は即座に思考を巡らせる。今の状況から導き出される、最適な作戦……。
俺は立ち上がって答えた。
「『量子器官』を持つ人間に『賭け』はない。それは確定された事項だからだ。未来が分かる者にとってな」
「『量子器官』だと……? ……貴様、サジタリオの生き残りか!?」
あえて開示した意想外の情報に、奴は一瞬の隙を見せた。俺はそれを見逃さず全速力で突進する。
遅れて宝珠を構えた奴は弾丸のような連続の突きを繰り出すも、予知の前では掠ることすら能わない。
突進の勢いを利用したタックル……、と見せかけて俺は奴の股の間を滑り抜け、足元の小槌を奪い取った。
「落ちてなかったか。探す手間が省けた!」
奴は短くつづめた如意宝珠を胴目掛け振り抜く。俺は小槌で受け止め、衝撃を反転させて後ろに飛んだ。
欄干の上に着地した俺は鉄鎖を掴むと、擬宝珠を蹴って奴に飛び掛かった。
如意宝珠の突きを小槌で受け流し、俺は鎖片手に奴の肩に着地した。鉄鎖を首に巻き付け、満身の力で締め上げる。
「小賢しい、窒息でも狙うつもりか……? やってみろ。堕ちるまでに宝珠で袋叩きにしてやる」
紅喰いは如意宝珠を背中の俺目掛けて突き出した。
「惜しかったな。落とすのは意識じゃない」
俺は奴の肩の上からひらりと跳び上がり、全体重と落下の勢いを小槌に載せ、足元の橋げたに叩き込んだ。「……お前自身だ。死ぬなよ!」
皹を入れられた橋げたは巨体といくつもの金武器の重量に耐えきれず、あえなく崩落した。河に向かって真っすぐに落下していった紅喰いの体は、鎖に吊るされて中空で勢いよく停止した。首の骨に与えられた衝撃に断末魔のようなひしゃげた悲鳴で応じ、紅喰いは沈黙した。




