異世界の料理
「では早速授業を始めましょう。」
朝食の後はカーラによるシアとアーシャのお勉強だ。
教室は村長の家の1番奥にある広い部屋だ。部屋の奥側には箪笥代わりの木箱やベッドなどがあり、手前側にはテーブルと椅子がある。
ここは巫女の間と呼ばれアーシャが寝泊まりし、今晩からのシアの寝床にもなる部屋だ。
シアとアーシャはテーブルに並んで座り、カーラが向かい側に座る。ロジーナは席を外していて部屋には居ない。
「まずシアちゃんがどれくらいの知識があるか調べなきゃいけないわね。アーシャの復習にもなるし良いでしょう。」
生徒が2人に増えてカーラはなんだか楽しそうだ。
「そもそも夢視とは何をするのかしら?どんな夢を視るのかしら?シアちゃん。」
「はい。えっと、夢を視て政や裁判のお手伝いをすることです。夢の種類は…予知夢と過去無と読心夢と千里夢です。」
「その通りです。」
「こんなの簡単すぎてつまんないじゃない!」
アーシャは退屈で不満を漏らす。確かにこれは簡単だった。
「そうね。じゃあ次はアーシャに答えてもらおうかしら。アーシャの方がお姉さんなんだから、お手本を見せられるわよね?」
「ふん、当然よ!見習いなんかに負けないわ!」
アーシャは一々ひと言多い。カーラは口が悪くなった孫娘に眉を顰めつつ、一旦はやる気を出しているのだからと様子を見る事にする。
「どの種類の夢視が、どう政や裁判に関わるのかしら?詳しく教えてくださいな。」
「え、えっとー、…過去夢は裁判で事件の真実を教えるの!読心夢も裁判でしょ、予知夢は未来の事を教えて政をして、千里夢は遠くを視て…えっとー…。」
自信があった割にはしどろもどろな回答が返ってくる。過去夢と予知夢くらいしか分からないし千里夢に至っては答えになっていなかった。
軽くため息を吐いたカーラがアーシャを止める。
「アーシャ、そこまでで結構よ。シアちゃん、分かったかしら。」
「ご、ごめんなさい。よくわかりませんでした…。」
「いいのよ、気にしないでね。どこが分からなかったか教えてくださる?」
カーラはシアに優しく問い掛ける。
「読心夢と千里夢のところが…。」
「読心夢も裁判に参加するのは分かるわね。既に起こった事件の真相を解く過去夢と違うのは、これから大きな事件を起こしそうな怪しい人の心を読む事で未然に防ぐのです。」
未遂の事件を防ぐのは難しい。いくらきな臭くとも、まだ罪を犯していないのだから。しかし読心夢で心を読む事で明確な殺意や未遂の計画を暴く事が出来る。
もちろん希少な夢視をそう簡単には使えない。調査が出来るのは組織的な事件や身分の高い貴族に関わる事件で相当に怪しいのが分かる場合でなければ許可は降りない。
「千里夢はそうね…、シアちゃんだったらどうやって離れた所を視て皆の役に立てる?」
シアの夢も行き先が異世界なだけで広義的には千里夢に入るだろう。
もし自分が村の周りを視る事が出来たらどうするか…。
「えっと…。山脈から魔物が降りて来ないか見張るとか、隣の村で飢饉や流行り病が起きていないか確認するとか…ですか?」
「この村ならそうね。貴族様の所では領主街に大きな異変はないか確認したり、領内の収穫量を予想したり、他領の情勢を見たりします。」
アーシャよりは幾分かまともな回答が出てきてカーラは満足気だ。
そこでシアは1つ疑問が浮かんだ。
「あの、夢で視られる事って自分で決められるんですか?」
シアは毎回違う人の夢を視る。どんな人の夢を視るのかは分からない。あまり楽しくなかった日もあった。どの夢を視るのか自分で決められたらもっとマシになるだろう。
「事細かには決められませんが、ある程度はコントロール出来ます。」
「なに?そんな事も知らないの?」
ようやく自分は知っていてシアが知らない事が分かってアーシャは得意気になった。
「出来るの?ど、どうやってやるの?」
「刺繍の入った絨毯の上にベッドを置いて寝るのよ!」
アーシャが指差した方をシアも見る。先程は気が付かなかったがベッドの下に絨毯が敷いてある。近くまで行って見てみると確かに刺繍で魔法陣の様なものが描かれていた。
「ここで寝たら夢を選べるの?」
シアがアーシャに聞く。するとアーシャはハッとして凄く嫌そうな顔になった。
「そう!この絨毯の上なら夢が選べるわ!でも残念ね。巫女用の絨毯は1つしかないの。これは私のよ!」
「そ、そんなぁ…。」
これではアーシャが村を出て行く来年までお預けだ。下手をしたら悪戯にでアーシャが絨毯を持って行ってしまうかもしれない。
ベッドが丸ごと収まる程大きな布も、こんなに細かく繊細な刺繍もシアには用意出来ない。
「…はぁ。確かに巫女用の絨毯は1つしかありませんが、神官用の絨毯ならあります。何方も同じ物ですからシアちゃんでも使えるでしょう。」
「え?あるんですか?」
「ありますよ。だからそんな顔しないでくださいな。」
途方に暮れるシアだったが、カーラは救いの手を差し伸べた。
「お祖母様、それは殿方の物なのでしょう?良いのかしら。」
アーシャは文句を言う。あくまでも独り占めしたい様だ。
「ベッドの上に敷いて寝ていたのなら兎も角、絨毯の上にベッドを置くだけです。今は殿方の夢視はいません。それくらい良いでしょう。アーシャもあんまり意地悪を言うんじゃありませんよ。」
「うぅ…。」
カーラはアーシャの異議を却下した。
「それではお勉強を再開しますよ。ほらほら、席に着いてください。」
2人はテーブルに戻るとさっきと同じ席に座る。
「夢視が夢を視るのは満月の日から1週間の間の数日とされています。それはどうしてか分かる?」
「わ、わかりません。」
「アーシャはどうかしら。」
「月の神ルナスティアスが視せて下さっているからよ!」
「その通り。人の神エウヘベリーネの事が好きだった月の神ルナスティアスが私達のご先祖様に魔力を与えて、身を守る為に夢を視させたと言われています。」
1ヶ月の間で唯一月が見えない新月の日が、1の月の日とされた。他の曜日は龍の日、海の日、緑の日、空の日、獣の日と続き、魔物の出現が増え活発になる日を魔の日として1週間となる。獣の日が休日なのは魔の日の戦いに備える為だと、カーラが教えてくれた。
「では夢視によって夢を視る日数が違うのは何故?」
「……わすれたわ!」
最初は正解したアーシャだが次は答えられなかった。カーラは2人に正解を教える。
「魔力の量が多いほど夢を視る日も多くなります。アーシャは何日間夢を視るかしら。」
「最初は1日だけだったけど最近は2日間視るようになったわ!」
「成長して魔力が増えれば日数も伸びます。その分たくさんの人に役に立てますね。シアちゃんは何日なのでしょうね。」
カーラとアーシャがシアを見る。あぁ、なんとも言いづらい。
「えっと…、前は4回視ました…。」
「4回!?嘘じゃないでしょうね!」
「う、嘘じゃないよ!」
「なんとまあ、シアちゃんは魔力が多いのね。」
「でも夢をたくさん視ても役に立たなかったら意味がないわ!」
「うっ。」
やはりアーシャは嫌味を言う。
(いいもん!今日のシチュー、絶対美味しいって言わせてやるんだから!)
シアは心の中で奮起するのだった。
正午の鐘が鳴ると授業を終えて昼食の時間だ。3人が食堂に行くとアルフレッドやロジーナは既に席に着いていた。
シア達も座って昼食を食べる。
午後はシアの夢の実証時間になるのだが、すぐにシチュー作りを始める訳ではない。セリアにも作り方を教えるという村長の指示がある以上、2人で作る必要があった。
セリアは水汲みと洗濯の仕事があるので終わるまで待つ間に、頭の中で味を思い出し作り方を整理する。
その後シアは先に食料庫から材料を出しておいた。かまどを見ると朝に起こした火がもう消えそうだ。薪を足して火を維持して、安定すると次は野菜を洗う。そうしているとセリアがやってきた。
「あら、シア様。準備されていたのですね。」
「さ、様!?」
シアは様付けされるような人間ではない。衛兵の娘で村の子供で平民だ。それにセリアは昨日は貴女呼びだった。一体どうしたのだろう。
「はい。シア様はまだ知らないかもしれませんが、貴族様の所へ行くと巫女様や神官様は下級貴族になります。」
「私が?貴族に?」
「ええ。だから私はアーシャ様にも様付けで接しています。もちろん今はまだ平民ですが。」
言われてみればセリアはアルフレッドにはさん付けや村長と呼んでいるがアーシャには様付けで話していた。つまりシアも同じ夢視になったのだからセリアにとってはそういう対象になったということだろう。
「なんか、変な感じですね。」
「貴族様の所に行くまでに慣れておくと良いと思います。」
「が、がんばります…。」
話が一区切り着いたことでいよいよシチュー作りを始める。既に火はあるのでセリアと一緒に野菜を切る。夢と同じ大きめサイズではなくひと口サイズだ。
それを空の鍋に入れて火にかけて炒める。
「まだ水は入れないのですか?」
「あのシチューは凄く良く煮込まれていて野菜もお肉もとろける程だったんです。少し煮るくらいじゃそこまで火が通りません。」
これはエレナから教わったのだ。ひと手間増えるのであまり行われないが、昔からある方法らしい。飢饉で食べる物を選べないような時等に火の通りの悪い物でも食べるのにするのだそうだ。
「成る程、それで1度炒めると。その夢では変わった鍋を使っていた様ですが?」
「蓋がガッチリと固定される凄く重い鍋でした。…蓋に石でも置いて外れなくしてみたら…。」
「蓋の隙間から吹きこぼれるだけです。」
「吹きこぼれる隙間が無かったらどうなりますか?」
「それは…分かりませんね…。」
早々に壁に突き当たってしまった。これでは話が先に進まない。
「兎に角あの鍋は何時間も煮込むのをほんの少し火にかけるだけで済むのです。一瞬で火が着く魔術具や氷も無いのに冷たい食料庫はまったくわかりませんが、あの鍋の秘密は多分蓋なんです…。」
もう少しで解明出来る。そうすれば再現して村の皆に役立てる事が出来るのに、とシアは考えた。
「鍛治職人のオランなら、何か知っているかもしれませんね…。」
「オランさん?」
オランはこの村唯一の鍛治職人だ。シアは早朝の排泄物収集の時に会った事があるがどんな仕事をしてるかまでは聞いた事がなかった。
「オランは衛兵の剣や皆が使うナイフ、調理場の鍋等を作ったり修理する仕事をしています。」
「そっかあ。オランさんとお話出来たらなあ。」
「巫女様は他の人には会えませんからね…。」
うーんとシアは唸って考え込む。
その間にも具材は炒め終わり、1度火から降ろして水を入れて今度は煮込む工程に入る。
「あっ…。」
「どうかされましたか?」
何かを思い付いたシアにセリアが聞いた。
「私、巫女だけどまだ見習いだよ!?このままじゃ役立たずです!だから村の人に会うのを許してもらえないかな?」
「それは…どうでしょう…。アルフレッドさんに聞いてみないと分かりませんね。」
「セリアさん!もしシチューを喜んでもらえたら一緒に村長に聞いてもらえませんか?」
「そうですね…。もし実現出来れば凄く楽になりますし…。畏まりました。シチューを喜んで頂けたら一瞬に聞いてみましょう。」
「ほんと?やったあ!ありがとう、セリアさん。」
「いいえ。私に出来る事はあまりありませんから。」
まだ村長に許可を貰った訳でもないのに喜ぶシアを見て、セリアはクスクスと笑う。
「そろそろ煮えてきましたね。シア様、次はどうするのですか?」
「えっと、山羊の乳とライ麦粉とバターを入れます。ライ麦粉は塊にならないように少しずつ入れた方が良いと思います。」
もう1度鍋を火から降ろして材料を入れて掻き混ぜる。夢でも火をめていたのでこれはこの調理法のセオリーなのだろうと思ったのだ。
スープは薄いアイボリー色に変わり、火に戻して更に掻き混ぜる事で段々ととろみが出てくる。
頃合いを見計らって味見をしてみると、全く同じではないが夢で食べたシチューにそっくりになった。塩で味を整えてセリアにも味見をしてもらう。
「これは…。とても美味しいですね。野菜の旨味もしっかり出ています。」
野菜を最初に炒めて煮込むことで旨味が凝縮されたのだろう。鶏ガラがあればコンソメにもなるのだ。
「では私は給仕をしますからシア様は先に食堂に行っていて下さい。」
煮込んでいる間に外はすっかり暗くなっていた。そろそろ夕飯時だ。
シアは食堂に行き、アルフレッドと顔を合わせる。
「どうだ?シア、シチューとやらは作れたか?」
「はい!夢で食べた物とほとんど同じ物が出来ました!セリアさんも褒めてくれました。」
アルフレッドも気になっていた様だ。シアは笑顔で答える。
「セリアが褒める程か…。そうか、楽しみだな。」
「あの、セリアさんは昔からああなんですか?」
セリアはクールで冷静という印象だが、何となく寂しげな雰囲気なのだ。それに皆に敬語を使っていてどこか距離感を感じる。元からそうなのだろうか。
「む?あぁ、セリアは昔は明るい娘だったんだがな。旦那を亡くしてから表情が暗くなってしまってな。それがどうかしたか?」
「あ、いえ。ちょっと気になっただけで…何でもないです。」
セリアの旦那様はどんな人だったんだろう、等と考えているとナッシュやロジーナ、カーラにアーシャも食堂にやって来る。
「あら?シアの瞳は翡翠の色なのね。」
夜になって瞳の色が戻っていたらしい。そう言うアーシャの瞳も青く光っていたのがロジーナと同じ明るい赤茶色をしている。
セリアが台車にシチューの入った鍋やパン、サラダ等を運び、配膳をするとアルフレッドはほう、と感嘆の息を漏らした。
「これがシチューか。白いのは乳の色か。それにとろっとしているな。」
「お祖父様!お腹が空いたわ。早くお祈りをしましょう!」
アーシャは我慢出来ずにアルフレッドを急かす。
「うむ。ではお祈りをしよう。」
お祈りが終わるとアーシャはすぐにスプーンを持つ。初めて見たシチューに首を傾げたが、すぐに考えるのを辞めて食べ始めた。
「何これ!?凄く美味しいわ!初めて食べた味よ!セリアが作ったの?」
アーシャの反応を見てまじまじとシチューを観察していた大人達も食べ始め、余りの美味しさに皆固まった。
「いいえ。これはシア様が作られました。夢で見た異国の料理だそうです。」
「シアが…?」
それを聞いて今度はアーシャも固まる。
「アーシャ、どうかな…?喜んでもらえるかな?」
シアはアーシャに勇気を出して聞いてみる。
アーシャは少し俯いて考えてからシアの顔を見た。
「シア、今日はひどい事たくさん言ってごめんなさい!」
「…え?」
料理の感想が返ってくると思っていたシアは思わず面食らう。
「年下なのに読み書きも算術も出来て、もの知りで、魔力も多くて、でも見習いで…。私意地悪したくなっちゃったの。でもシアはほんとにすごいのね!」
「そ、そんなこと…。」
「いいえ!すごいわ!だから、ごめんなさい!」
「い、いいよ。アーシャ、その、仲良くしてくれる?」
「もちろんよ!仲良くしましょう、シア!」
アーシャが謝った事で2人は友達になった。それを大人達は優しく見守る。
料理はどんどん進み、皆がおかわりをした。1番年上のアルフレッドが「美味い美味い」と言って1番おかわりしていた。嫌われていると思っていたロジーナも「美味しいわ」と褒めてくれたのだ。シチューは大絶賛だった。
食後、シアは約束通りセリアと一緒にアルフレッドの元へ向かった。
「どうした?2人揃って。」
アルフレッドはシアとセリアを見て問い掛ける。
「あの、村長。お願いがあります。」
「なんだ?言ってみろ。」
シチューを堪能したアルフレッドは機嫌が良い。これは好都合かもしれない。
シアとセリアは2人で圧力鍋について考えた事を話した。
「それで、オランさんに話を聞いてみたいんです。」
アルフレッドは難しい顔をする。
「セリアが聞くのではダメか?」
「私は皆さんの家事がありますし、シア様でないと分からない部分が多すぎます。」
「それに村長が自分でって言ったし…。」
「その鍋ではなく、自分1人で作れる物を作ったらいいのではないか?今日のシチューみたいに。」
「それだと料理ばかりになっちゃいます!」
「そうです。逆に私の仕事が無くなってしまいます。それにシア様は巫女様であって料理人ではありません。」
「それはそうだが…。」
シアとセリアは必死になって抵抗するが、アルフレッドも中々折れてくれない。
3人でうーんと唸っていると、見かねたカーラが話の輪に入ってきた。
「あなた、良いのではありませんか?」
「いやしかし…巫女を外の者と会わせる事はできん。」
「巫女ではなく巫女見習いなのでしょう?」
「それは…。」
これは1本取られた。アルフレッドの顔が引き攣る。
「それに外の者と言っても会うのは見知った村の人なのでしょう?気になるならあなたが同席すれば良い事です。」
「ワシがか?」
アルフレッドはポカンとしているが、カーラは目を細めてそれを見る。
「あなたが見習いと決めたのでしょう?なら責任を取って下さいな。」
アルフレッドは頭を抱えて突っ伏した。
話し合いの結果、シアは週に1度だけ製作物に関わる職人と会える事になった。職人の仕事の妨げにならない様に休日に、村長の家まで来てもらい村長同席の上でという制約付きだ。
休日だろうが家事はするのでシアは今までとそこまで変化を感じないが、アルフレッドは仕事が増えた事をブツクサと言っていた。
そうしてすっかり不機嫌になってしまったアルフレッドを置いて巫女の間に戻るとシアのベッドが整えられていた。
忙しい中でもセリアが頑張ってくれたのだろう。
神官用だったはずの刺繍入り絨毯の上にベッドが有り、側にはシアの荷物が置かれていた。
「シア様、この絨毯の使い方はご存知ですか?」
「あっ、そういえば聞いてなかったです。」
シアは夢の決め方自体は聞いていなかった事を思い出す。
「枕があるここの奥側に、ここですね。こちらに夢で視る事に関連する物を置くそうです。」
ベッドの奥側に回ってみると大きな円形の魔法陣に繋がったもう1つの小さな魔法陣があった。どうやらここに物を置くとそれに関連した夢が視られるらしい。
「そうだ!セリアさん、ここに鍋を置いてみませんか?もしかしたらあの鍋の秘密がわかるかも!」
「それはそうですが…。よろしいのですか?」
セリアは少し不安そうにシアを見る。夢視が夢を視られるのは1ヶ月の内数日で、それを再現できるかも分からない未知の鍋に使っても良いのだろうか。慎重になるのは当然だ。
「良いんです!どうせ他の夢を視ても村の役に立てる物が見つかるかはわかりません。それなら再現出来るか出来ないか、はっきりさせてからでも良いと思います!」
シアはどうせなら思い切り良く、と宣言する。
「そ、そうなのですか。でしたら鍋を持ってきましょう。」
魔法陣に鍋を設置してセリアが部屋を出て行くと今度はアーシャが気になったようだ。
「シア、鍋なんか置いてどうするの?鍋の夢でも視るの?」
「夢で視た鍋は特別なのです!何時間も煮込んだ様な料理をすぐに作れる、まるで魔術具の様な鍋なんだけど…。多分魔術具なんかじゃない。普通に作れる物だと思うの!」
「それが出来たとして、皆の役に立つの?」
アーシャは全く分かっていない顔をしているが、エレナの手伝いをしていたシアには良く分かる。
「もちろん!夕飯を作る時間が減ったら、忙しい朝の山羊のお世話とかを午後に回したり出来るもの。村の皆が凄く楽になるわ!」
「ふーん。異国の夢でしたっけ。異国はすごいのね。」
「叔父さんは魔物との戦乱が無かった国だって言ってた。魔物と戦うとたくさんの人が死んで大変だもの。」
「シアならすごい物を作って皆を豊かに出来るのでしょう?私は過去しか視れないわ。頑張りなさいよ!」
アーシャは激励してくれる。
「うん!頑張るね!」
シアはそう言うともっともっと色々な事が知りたくなった。誰も知らないあの豊かな国の事は私にしか視られない。たくさん勉強して、あの国の事を調べるんだ、と闘志を燃やした。
しかしその晩の夢はハズレだった。
鍋自体は夢に出てきたが圧力鍋ではなく普通の鍋だった。
『テンプラ』という揚げ料理の調理法だけでも覚えてこれたのは良かったが、村には植物油を作る技術も設備も無ければ、他所から買ってくる財力も無い。
以前ラスクを作ったのと同様にバターを使えば揚げ物は出来る。しかしバターは普段の料理にも使われる他、ランタンや夜灯りにも使われる為、揚げ油として頻繁に使えばすぐに無くなってしまうだろう。
「この食感、この美味さ。確かに素晴らしいがバターを使い過ぎるな…。これは収穫祭や祈祷式に文官様を持て成す時くらいしか作れんな。」
アルフレッドは報告を聞いて試しにシアに作らせたが、宴用の贅沢品として日常では作るのを禁じた。
「そうがっかりするでない、シアよ。とても美味であったぞ。文官様もお喜びになる。」
村長は慰めてくれるが、領主街でラスクが作られている以上、揚げ料理はそこまで珍しい物ではない筈だ。それに肝心の圧力鍋のヒントは得られなかった。シアはテンプラの食感は楽しみつつも、次の夢こそはと眠りに就くのだった。
〜〜〜
気が付くとシアは沢山の鍋に囲まれていた。汚れ1つ無く、銀色に輝く新品の鍋ばかりだ。
鍋は台の上に並べられていて、台には小さな文字や数字等が羅列されている。
(なんだろう…ここ。それにしても綺麗な鍋がいっぱい。)
シアの家や村長の家にある様な、何十年も使い古された鍋は1つも無かった。
(もしかして、ここならあの不思議な鍋があるかも!)
シアは早速鍋を調べたかったが、身体の主導権は本来の持ち主にある。この身体の持ち主の男性は鍋を手に取らず、ひたすら床の掃除をしていた。
しばらくすると若い男女の2人組が歩いてきた。男女は鍋を手に取り、台に書かれた文字を読んでいる。
(あーもう!あの人達の中に入れば鍋を調べられたのに。)
シアは今日もハズレだと残念がる。
男女がこの男性に話し掛けると男性はテーブルに回り、鍋の絵が描かれた箱と数字の書かれた紙を交換して男女は離れていった。
そうして男性は鍋を調べる事も無く3組の客に鍋を売った。シアはどうにかして鍋を見ようとしたが、それは叶わなかった。
転機は4組目の客と共に訪れる。この客も若い男女の2人組だったが、鍋を見て顔を顰めた後にシアの意識の入った男性を呼び止めたのである。
「ーーーー、ーーーーーー。ーーーーーー。」
「ーーーーーー。ーーーーー?」
シアの分からない日本語の会話が続いたが、しばらくして男性は1枚のパンフレットを出した。
(こ、これは!)
そこには圧力鍋の構造の絵が描かれていたのである。
沸騰して水蒸気が逃げる普通の鍋と、水蒸気を逃がさない圧力鍋。
(水はお湯になると空気に消えちゃうけど、これなら逃げないないんだ。…だから蓋をガッチリ嵌めて…。でもこの煙突はなあに?)
鍋の蓋には小さな煙突があり、その中に球状の錘がある。
シアは考えてみるが分からない。難しい漢字が読めないので、水蒸気の体積が水の1700倍になり完全に密閉すると爆発を起こす事も、それを防ぐ為の調節弁の必要性も分からないのだ。
(でもこの鍋、中が2重になっているんだね。熱が逃げないようにかな…?)
耐久性を高める為に必要なのだが、シアの考えも間違いではない。
(とにかく、これで構造はわかった!オランさんに相談して作ってもらえるね!)
その日、シアは8組の客に鍋を売り、2組の客に鍋の説明と案内をした事で構造自体は理解出来たのだ。
〜〜〜
朝起きて薬を飲むとシアはアルフレッドに夢で視た事を報告する。アーシャは2日目までしか夢を視なかった為に今日はいない。
「そうか。構造が分かったか。」
シアは書字板を借りて構造を書き写してアルフレッドに見せた。
「はい!後はオランさんに相談して意見を聞いたら作れると思います。」
「ふむ。良くやった。」
「…あの、村長。」
「なんだ?またお願いか?」
この間のシアのお願いで休日に仕事が出来たアルフレッドは少し警戒する。
「はい。その、私に書字板を下さい。夢で視たものを忘れないように書いておきたいのです!」
夢を見始めるのは月の日からだが、相談が出来る獣の日までは5日ある。毎日新しい事ばかりの夢を視るのだ。要点を整理して聞きたい事をまとめ、忘れない様に書いておくのは大事な事だろう。
「…分かった。シアに書字板を与えよう。どうせならアーシャにも一緒に与えるか。」
「ありがとうございます!」
そうしてシアは自分の書字板が貰える事になった。
その日は異国の文字を勉強しようと書字板に五十音を書いて眠ったのだったが、視た夢は高校の授業風景だった。いくら読み書きや算術の才能があっても、まだ5歳のシアにいきなり現代文や高校数学は理解出来る筈も無く、何の収穫も無く目を覚ましたのだ。
(夢の決め方って難しいな…。)
瞳を金色に輝かせながらシアは心の中で呟いた。
投稿遅くなりました。
家族が倒れ、一時心肺停止状態にまでなっていました。まだ安心できない状況です。
今後ももしかしたら投稿が遅れてしまうこともあるかもしれません。
精神的にもきつい状況ではありますが、頑張りたいと思っています。