異世界の夢
エルネが産まれておよそ一年が過ぎた。
5歳になったシアは体力が付いて1日で森を2往復できるようになった。
朝起きて山羊の世話と搾乳をし排泄物を堆肥場に捨てに行く。
家に戻るとエレナが朝食を作って待っていた。
エレナの邪魔にならない所でリリはヴェストルに構ってもらっている。
リリは3歳になってさらに元気に走り回るようになった。活発なリリは庭先の木の下に落ちていた長い枝を拾い振り回して遊んで両親を驚かせた。どうやらリリも力持ちなようだ。
「ただいま。」
「お姉ちゃん、あそぼー!」
「リリ、ご飯だから遊ぶのはまた今度。シア、朝ご飯もう出来るわよ。」
「はーい。リリ、夜になったら遊ぼ。」
「えー。」
「お姉ちゃん、困ってるぞ、リリ。」
「はぁい。」
シアはリリを宥めて席に着く。この一年で背も伸びてシアは大人用の椅子を使うようになった。まだよじ登るという方が近いが自力で席に座れるようになったのだ。
シアが使っていた大きめの子供用サイズの椅子はリリが使っている。
ヴェストルが合図して家族で揃ってお祈りをしてから食べ始める。
朝食を食べたらヴェストルは衛兵の仕事に行き、エレナとシアの2人で畑作業をする。テキパキと自宅の畑作業を終えたらシアは森に、エレナは今度はリューネの家の畑作業をしに行く。
この時間帯が1番忙しい。
アレンはいつも待ち切れなくてシアの家まで迎えに来てくれる。
「アレン、お待たせ。」
「モタモタしてると昼飯が無くなっちゃうからな。」
アレンの兄弟も皆大きくなってご飯の取り合いは以前よりも白熱するらしい。
2人は昼食に間に合うように早歩きで森まで行く。
「そういえばエルネが産まれてもう1年か。」
「うん。大変だったね。」
「またラスク、食べたいなぁ。」
「もう!アレンったらいっつもそれ言ってる。バターをたくさん使うから毎日作ったら大変なことになっちゃうよ!」
「わかってるって。我慢してるよ。でもたまにすごく食べたくなるんだ。」
「それはわかるけど…。」
アレンはエルネが産まれた日に食べたラスクが大好物になったらしい。確かにシアもあの味は忘れられない。シアだって我慢しているのだ。
「そういえば最近リリはどうしてるんだ?」
「最近リリは真似っこばっかり。エルネのお世話も手伝ってくれるけど、何回も失敗するの。」
「そうなの?シアの妹なのに。」
エレナは家事が上手いし、シアもお手伝いを始めたらすぐに覚えられた。しかしリリは同じ間違いを何回もしてしまうほど要領が悪い。
なんなら衛兵として勉強したヴェストルでさえ料理ができるのだ。女子力が高いこの一家でリリは異色だった。
「うん。リリ、走るの速いし力持ちだし男の子みたいってお父さんとお母さんが言ってる。」
「そうなんだ。もしかしたら剣術をやってみたら強くなるかもな!」
「えぇっ剣術!?リリは女の子だよ?」
アレンの思いつきにシアは驚く。シアの知っている限り衛兵には男しかいないし、ナイフならともかく剣を持っている女性はみたことがない。
「言ってみただけだよ。」
アレンは冗談だと言って笑った。
森で薪を拾って村に帰り、昼食を取ってアレンと再合流してまた森に行く。
最近は森に行くのに付いていこうとして大泣きするリリも宥めるのにも苦労する。エレナがリリを止めてなんとかシアは家を出る。
「ふう。行ってきます。」
「シア、大丈夫?体調でも悪いの?」
シアはお昼前くらいからじんわりと頭痛がするのを感じていた。だが仕事が出来ないほどの痛みはない。
自分ではそこまで気にしていなかったがエレナは気が付いたようだ。
「うーん。そんなことないと思う。ちょっと頭が痛いだけ。」
「季節の変わり目は体調を崩しやすいものね。今日はあんまり無理しないで夜は早く寝なさいね。」
「うん。ありがとう、お母さん。」
夕暮れ前には帰ってきてシアは夕食を作るエレナを手伝う。
リリはエルネの様子を見てくれている。目を離したらすぐに色んなところを走り回っているリリもエルネの前ではお姉ちゃんをやってくれている。リリにとっても従姉妹の存在は大きいのだ。
3人で夕飯を作るとヴェストルとディートリヒトが帰ってきた。エルネが産まれてからはディートリヒトの家で食事を取っている。
食後、少しの間シアはリリの約束を守って一緒に遊んだ。平民の子供の玩具は木を彫って作られた物だ。2人は身体を拭く時間まで積み木遊びや人形遊びをして過ごす。シアの家の火はとっくに消えているのでディートリヒトの家で湯を沸かすのだ。
身体を綺麗にして家族で家に帰る頃にはリリは既にうとうとしていた。普段はシアもこの時間には眠くなっているのだが、今日は単純な眠気よりも頭痛の方が強かった。
「シア、体調はどう?もう平気なのかしら?」
「まだ頭がちょっと痛いけど、大丈夫だよ。」
「それならもう寝なさい。明日には治ってるといいわね。」
「ああ。辛かったらすぐに言うんだぞ。」
「うん。」
シアは両親におやすみなさいを言ってベッドに入る。
窓の外では綺麗な満月が光っていた。
最初は寝られるか不安だったが、疲れもあったのかシアはすぐに眠りに落ちた。
〜〜〜
シアは喧騒の中で気が付いた。
そこが自分が寝ていた寝室ではないことは一瞬で分かった。
(ど、どこ…。ここ…。)
(お母さん!お父さん!リリ!)
シアがいくら叫んでも声が出ない。いや、口が動かないのだ。それだけではない。首も、腕も、足も動かすことができない。
(なにこれ…。身体が動かない!)
シアの身体ははまるで何かを待っているかのようにただ立ち尽くしていた。
とにかく今は何も出来ることがない。驚いてはいたが次第に目の前に映る光景が頭の中に入ってくる。
シアの村のどんな家よりも遥かに大きな建物が建ち並んでいる。壁にはたくさんの四角い板が付いていて、太陽の光を反射して少し眩しい。
そして自分の周りには見たこともない服を着た人達がひしめいている。物凄い人数だ。村でもこんなにたくさんの人を見たことがない。
シアは近くに他に知っている人がいないか探す。
(だめだ…。ディートリヒト叔父さんも、リューネ叔母さんも、メリッタさんも、…アレンもいない…。)
領主街に行ったことがあるディートリヒトならもしかしたら、とシアは思わずにはいられなかったのだが、見つかるはずもなかった。
(うわっ!)
しばらくするとシアは自分でも意識していないのに身体が勝手に歩き出した。
シアだけではない。近くにいた集団がまるで何かの合図でもあったかのように一斉に歩き出したのだ。
(やっぱりだめ…。身体が勝手に動いてる。)
立ち止まろうとしたり他の動きをしてみようとしても、身体がいうことを聞かずに人混みの中を歩き続ける。
ふと視界の端に小さな女の子がいるのが見えてシアは違和感に気付く。
(あれ…?背が伸びてる。)
いつもよりも視線の高さが違うのだ。自分よりも大きいはずの大人達とほとんど同じ身長で、人混みの中にはシアよりも背が低い人もいる。
それに歩くスピードもいつもよりずっと速い。
「ピローッ。ピローッ。」
(なんだろ、あれ。)
聞いたこともない音と共に青緑色の光が点滅していたが、音が止む頃には視界から外れてしまい、どうなったのかは分からなかった。
周囲には変わった人がたくさんいた。
小さなかごを持ってすれ違う全員になにかを素早く手渡している人や、何人かに囲まれてひたすら握手を求めている人、音の鳴る楽器のような物を持って知らない言葉で歌う人。1人でいるのに手に持った光る四角い板に話し掛けている人もいる。
チラッと見えるいろいろな建物の中には人が並んでいたり、人間サイズの大きな人形が服を着せられて立っていたり、見たこともない食べ物らしき絵がたくさん飾ってあるのが見える。
シアは周りにある知らない物ばかりの光景に目を奪われていた。どうせ身体は自分の意思ではどうにも出来ず勝手に歩いているのだから、ぶつからないように前を見ていなくても大丈夫だった。
人混みから抜けると自分の歩いている路面が気になった。長方形の石を交互に綺麗に並べた道の上にいるのだ。
(村の道もこうだったら転ばなくて安心なのに…。)
しょっちゅう転んでいるシアは歩きやすいように舗装されている道を見て思った。
そして自分の歩いている道のすぐ隣には、低い柵のようなものを挟んで黒い石のような道がずっと続いている。継ぎ目がほとんど見えない。こんな道をどうやって作ったのか、砂利道や獣道など未舗装の道路しか知らないシアには想像も付かない。
その黒い道には四角い色々な大きさの箱がいくつも走っていた。そう、走っているのである。
少し丸みを帯びたフォルムのそれらはキラキラと太陽の光を反射している。
(馬がいないのに馬車が走ってる…。)
おそらくは鉄製であろう車体が馬も無しに動いているのが理解できず、シアはただただ呆然とした。
春の祈祷式と秋の収穫祭で村に文官が来る時くらいしか馬車を見たことがないが、荷車が鉄製でないのは知っている。
シアの身の回りの鉄製品は普段身に付けているナイフと調理器具、農家にある農具くらいしかないのだ。少なくとも鉄は一人でには動かない。だが目の前では鉄の塊が、そして何人かの鉄の馬に乗った人がものすごい速さで走っていくのを見てしまったのだ。
頭の中が真っ白になったシアは一旦考えるのを止めてふと視線を上げると、ビルの壁面にある大型モニターに目が釘付けになる。
(壁の絵が動いてる…!あっ他の絵になった!)
シアが見たのはパブリックビューイングと呼ばれる街頭テレビだ。
(…もしかして、あれが文字?)
高速で切り替わる画面にはなにやら模様のようなものが浮かんでは消え、別のものが浮かぶ。周りを注意深く見回すと、文字らしきものは街中の至るところにあった。
(ディートリヒト叔父さんなら読めるのかな…。)
シアは以前ディートリヒトが文字を読めると自慢していたのを聞いたことがあった。しかしシアは文字を見たことがない。家にも本は無いし、ヴェストルも文字なんか読めなくても生きていけると話していたので興味も湧かなかった。
ディートリヒトに聞くために覚えようとしてみるが複雑で全く頭に入らない。つい先程まで文字を認識すらしておらず、模様だと思っていたのだ。
かろうじて『の』や『く』などのひらがながいくつか覚えられただけだった。
(ああ、見えなくなっちゃった…。)
初めてのテレビに気を奪われているうちに脚はどんどん動く。
しばらくすると勝手に歩くシアの身体はある建物の前で立ち止まる。そして窓ガラスに反射した自分の姿を見て驚いた。
(私、男の人になっちゃってる!)
そこに映っていたのは眼鏡を掛けヒゲを整えた60代くらいの男性だった。男性は仕立ての良さそうなチェック柄のスーツにネクタイを締めていて、いかにもお金持ちそうなダンディなおじ様である。
(とってもすごい貴族様なのかな…。文官様よりもすごいお方なのかも…。)
高級そうな腕時計や汚れ一つない革靴を身につけている。記憶の中の村に来た文官を思い出してシアはそう思った。
少なくとも辺境の村に来る文官なんかよりも遥かに高貴そうなおじ様だ。
男性はそのまま建物の中に入り、中にいた女性と目が合い、挨拶をする。
「ーーーー。ーーーー?」
(え…?)
シアの知らない言葉だった。
(えっと…。)
シアが困っているとシアの身体の男性が勝手に口を動かす。
「ーーーー、ーーーー。」
「ーーーー。」
戸惑っている間にも挨拶は終わり、女性の後を男性が歩く。
普段シアが寝ている布団なんかよりもずっとふかふかで綺麗な絨毯を靴のまま歩き、テーブルへ案内された。
そこにはすでに1人の若い女性が座っていた。
女性の髪は艶があり鮮やかな色のドレスを着て、首には宝石のついたネックレスを身に付けている。
(綺麗なお方…。やっぱり貴族様だ…。)
シアがそう思っていると、テーブルに綺麗に盛り付けられた料理が運ばれてくる。
(可愛い!でもこれだけ?)
もちろんそんなことはない。これはアミューズと呼ばれる突き出しで、食前酒と共に食べるのだ。
次にオードブルが運ばれ、スープ、魚料理であるポアソンへと続く。フランス料理のフルコースだ。
身体の持ち主は男性だが、なぜかシアにも味が感じ取れた。
どれもあまりの美味しさにシアは舌鼓を打っていると、口直しに運ばれてきたソルベの味に驚愕する。
(なにこれ!?冷たい!口の中で一瞬で溶けちゃった…。雪みたいなのに甘くて美味しい!)
ソルベはシャーベットだ。本来は魚料理の後の口の中をさっぱりとさせる料理なのだが、幼いシアはこれが1番気に入ったようだ。
そして肉料理のアントレ、デザートにフルーツケーキが出される。ケーキの甘さもまたシアの心を奪った。
シアは食べ切れないと思ったのだが満腹感は感じない。実際に食べているのは男性だからだろう。シアは美味しい料理の味だけは目一杯感じられて幸せな気分になる。
男性は給仕の人になにやら薄くて硬い板状の物を渡すと給仕はそれを満面の笑みで受け取った。
(何かのご褒美とかなのかな…?)
支払いを済ませた2人は立ち上がり、建物から出ようと扉を開けたその瞬間、目の前が光で包まれて真っ白になった。
シアは現実で目を覚ました。
〜〜〜
起きるといつも通りの自宅の寝室にいた。
自由に動かせる自分の身体を確認してそれに安堵する。ちゃんと家に戻って来られた。
「良かったぁ。ただの夢かぁ。…っっ!」
昨夜の頭痛はなかったが、今度は目の奥が痛い。
自然と涙が止まらない、頭痛の比じゃない。今までに味わった事がない程、めちゃくちゃ痛い。
シアが痛みで目を抑えていると、外では始まりの鐘が鳴った。隣のベッドではエレナがのっそりと起き上がる。
「おはよう、シア。体調はどうかしら。…シア?」
おはようを返せないまま目を抑えているとエレナはシアの異変に気付く。
「シア!?どうしたの?」
エレナは飛び起きてシアに駆け寄る。気配で分かったシアは心配をかけまいと必死で否定した。
「だっ大丈夫だよ、お母さん。なんともないよ。ほら?」
シアは痛みを堪えて、涙でいっぱいになった目を開いてエレナを見た。
「シア…、貴女…。」
エレナは固まった。
シアの翡翠色の瞳が淡く金色のように輝いていた。
「…あ…あ…、シ、シア、なにか夢でも視たの…?」
「え…。う、うん。知らないとこで知らない人がたくさんいて、知らない料理を食べたよ。お、美味しかったよ…?」
シアは戸惑いながら答える。
「お、お母さん?」
「あなた!ヴェストル!起きて、起きなさい!!」
シアの問いを無視してエレナはヴェストルを叩き起こす。
「んんっ。なんだこんな朝っぱらから。一体どうしたんだ。」
ヴェストルは目を擦りながら起き上がる。
「シアがっ、シアが夢を視たわ!夢見になったわ!」
「ま、まさか…。本気か?」
ヴェストルが飛び起きてエレナと同様にシアに駆け寄る。
「シア、こちらを見なさい。俺が確認する。」
シアは間違いが無い様にもう一度痛みを堪えながらめいっぱい目を開いてヴェストルを見た。
「シア…。お、お前…。」
ヴェストルの顔が一瞬の内に青ざめて固まってしまった。
「エレナ、ど、どうする…?」
「どうするって…。そ、村長に…。」
「村長に言ったらシアは連れて行かれるぞ!」
「で、でも…!」
その言葉にシアも一緒に青ざめる。以前ディートリヒトが言っていた言葉を思い出したのだ。
声が大きかったのか、寝ていたリリも起きてしまう。
「…おとーさん、おかーさん。どーしたの?」
「リリ…。だ、大丈夫よ。起こしちゃってごめんなさい。もう少し寝ていなさい。」
「う、うん。」
エレナはリリを再び寝かせると優しくシアに声をかける。
「シアも少し休んでいなさい。目、痛いのでしょう?お父さんと話してくるわ。」
「ああ。きっと何かの間違いさ。シアは待っていてくれ。」
「うん…。」
寝室を出た2人は念の為、家の外まで行く。
「ここなら安全か。」
畑の近くのテーブルまで来るとヴェストルとエレナは椅子に座った。他の村人にも聞かれる訳にはいかない。ヴェストルは小声で相談を再開する。
「そ、それでこれからどうする…?」
「どうするって…。あなた、この事をずっと隠しておくつもり?」
先程2人が確認したように、夢を視たかどうかは一瞬で誰でも分かってしまう。それをこれからもずっと隠し通すのは無理があった。
「で、でもこれが村長に、いや他の村人に知られたらシアはうちの子ではなくなる…。」
「それはそうだけど…。」
「エレナ、シアからどんな夢を視たか聞いたか?」
「え、ええ。知らない所で、知らない人達が大勢いて、知らない料理を食べたそうよ。」
「てことは千里夢か?…過去夢の可能性もあるな。…い、いや、全部勘違いかもしれない。」
ヴェストルは必死に現実を否定する。
「で、でも眼が…。」
「今日だけたまたまかもしれない、陽の光で見間違えたのかもしれない、もしかしたら俺達の勘違いかもしれない。勘違いで騒ぎを起こしたら皆に迷惑が掛かるし、シアだって村に居づらくなるだろう?」
「そ、そうね…。」
自分の腹を痛めて産んだ子だ。エレナもシアと離れ離れにはなりたくない。ヴェストルの言葉に無理やり納得する。
「と、とにかく一旦保留だ。シアに詳しい夢の内容を聞いてそれから考えよう。」
「え、ええ…。そうしましょう…。」
「大丈夫さ。家族は俺が守る。」
結論を後回しにした2人は家に戻る。シアは痛みで目を抑えていたが、音で両親の帰宅を悟る。
必死に目を開けてリリを起こさないようにそっとベッドを出てダイニングに入ると両親と目が合った。
シアの淡く輝く瞳を見てヴェストルとエレナは見間違いではなかった、我が子は夢視になったのだと確信した。
「シア、辛くない?寝ていてもいいのよ?」
「大丈夫だよ、お母さん。それより私どうなるの?」
「心配するな。今日はたまたま目が変な風になっているだけさ。それよりも一体どんな夢を視たのか、お父さんにも教えてくれないか?」
「う、うん。あのね、気付いたら知らないとこにいて、貴族様の身体の中に入っていたの。」
それから夢の中で視たものを全部話した。
身体が動かなかった事、変わった人達の事、知らない建物の事、道路の事、鉄の車の事、動く壁画の事、文字の事、知らない言葉の事、初めて食べた料理の事。
それを聞いた両親は再び頭を抱えた。
突拍子もない話である。
視る夢の範囲や時間軸などは2人にも分からないが、確かにそういった暮らしをしている人々がいる、若しくはいた、若しくはこれから現れることは間違いない。
夢視の視る夢は現実となる。これはこの世界では不変なのだ。
文字通り別世界の話なのだが、それを2人が理解することは出来ない。
ずっと昔に滅んだと言われる古の国の超文明か、魔物との戦乱を免れた別の大陸の異国の文明か、はたまたこれから数百年数千年後の未来の文明か。そう考えるのも無理はない。
これ程の情報を貴族が放っておく訳がない。
ただでさえ夢視は希少だ。その中でも予知夢の夢見は数百年に1度と言われる程の伝説がある。
例え未来ではなく過去や異国の情報だろうが、シアは間違いなく貴族に召し上げられるだろう。それだけは簡単に想像出来る。
「シア。今日は寝ていなさい。目が痛くて辛いのでしょう?」
「ああ。もし勘違いで騒ぎを起こしたら皆に迷惑が掛かるしな。今日は休んでいるといい。」
「でも、お仕事が…。」
「気にしないでいいのよ、シア。それよりも早く体調を治さないとね。」
「う、うん…。わかった…。」
その日、シアはベッドで1日を過ごすことになった。
目の痛みで寝ることは出来なかったが、動くこともできない。しばらくしているとエレナが昼食を持って帰ってくる。上手く食べられないシアにエレナがゆっくり食べさせると、シアは再び横になりエレナはリューネの家に戻る。
それから程なくして窓がノックされる。この村の家は窓ガラスなど無い。窓には木の扉が付けてあるのだ。シアはのっそりとベッドを出て窓の扉を開ける。
そこにはアレンが居てうっかり目が合ってしまう。
「シア!居るのか!?体調を崩したって聞いたけど大丈夫か?」
「アレン…。うん。大丈夫だよ。ちょっと体調が悪いだけ。」
シアはアレンに気付かれないようにすぐに目を逸らす。
「…シア。お前、眼が…。」
遅かった。アレンはすぐにシアの異変に気が付いた。
「ち、違うよ!お父さんがたまたま今日だけかもって言ってたもん。それに騒ぎを起こして村の皆に迷惑を掛けたらいけないって言ってたもん!」
「そ、そうだな。勘違いだったらいけないもんな…。」
シアの必死な弁明にアレンは納得してくれる。
「ごめんな、シア。早く治すんだぞ。」
「う、うん!ありがとう、アレン。頑張るね!」
そう言ってシアは強引に窓を閉める。アレンは心配になりながらもまた森へ向かった。
シアはベッドに戻り横になる。
夕飯の時間になるとエレナが夜ご飯を持ってきてくれた。
その頃にはシアの目の痛みも引き、普段通りになった。
「良かった。シア、いつも通りの翡翠の眼よ。きっと大丈夫だわ。」
シアの眼を見てエレナは安心する。その言葉を聞いてシアも安堵してご飯を食べる。
「心配かけてごめんなさい。明日からまたお仕事するね!」
「ええ。シアにはいつも助かっているわ。」
夜になって帰って来たヴェストルもシアの顔を見てホッとしたのか、いつもよりも甘やかしてくれた。
「シア、今日は大変だったな。でももう大丈夫だ。瞳の色も元通り。きっと何かの間違いだったのさ。」
「うん。ありがとう、お父さん。」
「今日はもう寝なさい。明日からまたお仕事頑張るんだぞ。」
「うん!おやすみなさい、お父さん、お母さん。」
「おやすみなさい、シア。」
両親に挨拶をしてシアは寝室に戻る。1日横になっていたとはいえ、ずっと痛みに抗っていたのだ。シアは安心感に包まれながら眠りに就いた。
翌朝、シアの瞳はまた淡く金色に輝いていた。
ヴェストルとエレナは絶望の表情を浮かべ、シアは淡々と視た夢の内容を話した。
シアの視た夢はテレビ局のアナウンサーの夢だった。
たくさんの機材に囲まれて、知らない文字が羅列した原稿を読み、自分の意識の入った身体が映し出されたモニターがたくさんあった。収録が終わると慌ただしく部屋を出て別の小部屋に入り、着替えて建物を出ると鉄の箱に入り移動する。メイクが終わるとまた撮影が始まる。
そんなハードな1日を終えると視界が真っ白になり現実に引き戻された。
シアは再び目の痛みに苛まれつつも、なんとか報告を終える。事のあらましを聞いた両親はどんどんと血の気が引いていき、その場はまるで葬式の様になってしまった。
「あなた…。どうしましょう…。」
ヴェストルから答えは返ってこなかった…。
お正月休みも終わるので次話からは毎週投稿になります。毎週火曜日更新予定です。
仕事の合間を縫って書くので遅れてしまったらごめんなさい。
現在15話まで書けているのでしばらくは間に合うと思います。