僕の貌
お爺ちゃんはお面職人だった。
屋台で売っているヒーローや魔法少女のあれではない。
神楽舞で使われたり神社に奉納するような面。
昔は色んな所から面を作ってほしいという打診があったそうだけれど、平成も中頃を過ぎれば依頼も減る。
不況の影響は神仏にもあったそうで、要はお金がなければ新しいものは買えない。職人に仕事も回らない。
それでもいくらか売れていたのは、自治体などの補助で伝統文芸として必要とされたから。
お爺ちゃんの家は隣町。裏の山もお爺ちゃんの土地で、子供の頃はクワガタ採りで遊んだりしていた。
僕が行くと作業場で変な顔をしていることが多かった。
木の塊を前ににらめっこでもしているように、怒ったような顔や泣きそうな顔。たまに呆けたような顔をすることもあって、本当にボケてしまわないかと心配になることもあった。
「面の顔はわしが彫っちょるゆうんは違うのう」
僕が背中を眺めていると、聞いてもいないのにそんなことを言う。
「こんなかから声が聞こえるとな、勝手にできてゆくもんで。わしの手は手伝うだけだの」
「でもお爺ちゃんもそんな顔してるよ」
「さぁて、わしには見えんがのぅ」
そんなお爺ちゃんももういない。数年前に他界した。
空き家になったお爺ちゃんの家。
訪問する気になったのは、来月結婚することになったからだ。
相手は勤めている地元企業の社長令嬢。
僕が真面目に働いていたら社長に気に入られた。本当に特別なことをしたつもりはなく、ただ真面目にできることをやっていただけ。
彼女がいるわけでもないし、会社の飲み会や催しで見ることもあった。綺麗なお嬢さんだと知っている。
豪胆なところのある社長とは逆に物静かな女性。
彼女の方もまんざらでもないからと、会社の付き合い、社長家族のお出かけに同行を経てそのうちお互いに連絡を取るようになった。
そんな風に関係が進めば後戻りもできない。
なんとなく、成り行きで。
もちろん嫌いなわけではない。綺麗で物静かな女性なのだから好みでいえばストライク。
社長だって強引なところはあるけれど親分気質の善人。嫌だったらもっと先に断っている。
ただなんというか、自分が結婚するのだという実感がないまま進んでしまった。
自分のことがよくわからない。
だから、昔の何も考えていなかった自分の姿を求めてお爺ちゃんの作業場に来ていた。
壁一面にかけられた面。いや、窓と出入口以外はほとんどいっぱいに。
怒った顔。泣いた顔。すねた顔。呆れた顔。
僕は今、どんな顔をしているのだろうか。
お爺ちゃんが使っていた木製の作業台に、足元に転がっていた木の塊を乗せた。
木の塊は他にもあったけれど、最初に手に取ったものがきっと僕の偽らざる何かなのだろうと。
いつもお爺ちゃんがやっていた姿。
その背中を思い出しているうちに、いつの間にか僕の手が動いていた。
ノミのような名前もわからない大小の道具を使って、理由もわからないけれど時折霧吹きで湿り気をつけたり、なめしたり。
特に工作が得意だったわけでもないくせに、ただ無心で。
すっかり日が暮れて、窓から差す月明かりにはっと気が付く。
月明かりに照らされた面の顔。
僕の心を映したその顔は、喜んでいるのか、怒っているのか。
それとも何も見えないほど無表情なのか。
「……」
面は。
見たこともないほどの笑い顔の面は、僕の顔ではなかった。
「お爺ちゃん……」
木の塊から出てきたのは、僕の大好きなお爺ちゃんの笑顔だった。