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マヨごはんとTKG

作者: 灰藤 景

 王子おうじ公康きみやすは自他ともに認める極度のマヨラーである。

 幼い頃からマヨネーズの魅力にとり憑かれ、二五年というこれまでの人生の中で、ありとあらゆるものにマヨネーズをかけて食してきた。

 さすがに漫画やアニメのように食べ物がマヨネーズに埋もれるほどかけるような真似はしないが、それほどにマヨネーズを愛する気持ちだけは負けていないと自負していた。






 そんなある日の朝、会社に出勤前の公康はいつものようにマヨネーズをご飯にたっぷりかけて食べようとしていた。


「毎日マヨごはん、よく飽きないわねぇ」


 そこに食卓を挟んで向かいの席から呆れた声をかけてきたのは、二つ年下の妻、珠子たまこである。

 公康がマヨネーズ狂いだと知りながら三年前に結婚したこの奇特な女性も、実は只者ではない。


「お前だって、毎食卵かけごはんじゃないか」


「そこはTKGティーケージーと言ってちょうだい。

 仕方ないでしょ、こんなに美味しいんだから」


 言うなり、彼女は公康に聞かせるようにずずずっと音を立てながら、自分用に作った卵かけご飯をかっ喰らった。


 そう、珠子は根っからのTKG(卵かけごはん)愛好家なのだ。

 物心ついた時には既に卵かけご飯をこよなく愛し、自己流で色々な具材との組み合わせを編み出してきた。

 彼女にしてみれば、かつてのTKGブーム到来も遅すぎたくらいなのである。


 今日のTKGは、ちょいと醤油を垂らし刻んだねぎと刻み海苔をかけただけの、割とスタンダードなものだった。

 最近は納豆とオクラとおろした長芋のネバネバ押しやら、わざわざコンビーフの台座に黄身を乗せてラー油を垂らし白胡麻をぱらりとかけたユッケ風やらと癖のあるものばかりだったので、この辺りで原点回帰しようとでも思ったのかもしれない。


卵かけごはん(TKG)がそれなりに旨いのは分かるが、なぜお前がマヨごはんを否定するのか、いまいち理解に苦しむな」


 公康も負けじとばかりに、マヨごはんを一口頬張る。

 マヨネーズの甘みに思わず顔が蕩ける公康だが、それを見た珠子はありえないと言わんばかりにげんなりした表情を見せた。


「マヨごはんなんて全然美味しそうに見えないじゃない。

 色々なバリエーションを楽しめるTKGとは、比べ物にもならないわね」


 珠子の言い分も分からなくはない。

 マヨラーである公康は、マヨネーズそのものの味を楽しむ。

 ゆえに、マヨネーズとご飯で料理は完成してしまう。


 一方、TKGは卵かけごはんを楽しむものだ。

 生卵とご飯はあくまで基本形であり、プラスアルファを加えることで更なる進化を遂げる。

 その点においてマヨごはんがTKGに一歩及ばないのは、確かに認めるところだ。


 ただし、公康が聞きたかったのはそういう話ではないのだが。


「珠子……一つ確認するが、お前、マヨごはんを食べたことはあるのか?」


「え……もちろん、ないわよ。

 そんな不味そうなもの、食べるわけないじゃない」


「そうか、そうだったのか」


 かねてより予想していた答えに、公康は思わず大きな溜め息をついた。


「ならば、お前がTKG愛好家を名乗るなんて、おこがましいにもほどがあるぞ」


「なんですって!?」


「だって、そうだろう。

 そもそもマヨネーズの原材料は食用油と酢、そして卵だぞ」


「……あ」


「言うなれば、マヨごはんはTKGの仲間じゃないか。

 それを食べたことがないお前には、TKG愛好家を名乗る資格など無いと思うが、どうかな?」


「ぐぬぬッ……」


 公康の鋭い指摘に反論することもできず、珠子はただ唸るしかなかった。

 まさか自分が、こんなにも身近にあるTKGを避けていたとは。

 TKGの探究に勤しむ者として、正にあるまじき失態。

 だが、TKGの仕上げに使うならいざ知らず、ご飯に直接マヨネーズをかけただけのアレを食するのはどうにも気が引ける。

 どうしたものかと迷いを見せる珠子に、公康はしたり顔を見せた。


「まあ、俺も鬼じゃない。

 無理にとは言わないさ。

 ただなぁ、お前がTKG愛好家を名乗れなくなるのはとても心苦しい」


 だから選べ、と。

 食べかけのマヨごはんの茶碗を珠子に差し出し、迫る。


「これを受け取ってTKG愛好家としての極みを目指すのか。

 それとも、拒んでただのTKG好きとして余生を送るか。

 二つに一つ、全てはお前次第だ」


「う、ううう……」






 悩みに悩んだ挙げ句、私だけ苦行を強いられるのはズルい、と珠子のTKGと公康のマヨごはんを互いに交換することになった。

 渋々ながらマヨご飯を受け取った珠子は、すでに公康の手で粗くかき混ぜられてクリーム色になったご飯を一口分、箸に取る。

 だが、それを口の中に入れる決意ができていないらしく、彼女は箸の上でわずかに震えるマヨごはんを凝視したまま動けずにいた。


 その様子を見守りながら、公康は心の中でひそかにほくそ笑んでいた。


 実のところ、公康自身はマヨごはんをTKGの仲間などとは微塵も思っていない。

 マヨネーズは卵から生まれ変わった一つの個であり、従ってマヨごはんとTKGはやはり別物でしかない、というのが公康の考えだったりする。

 それでも敢えてTKGの仲間だと言ったのは、彼女にマヨごはんを食べてもらうためだ。


 これまで数え切れないほど同じ食卓についてきたにもかかわらず、公康と珠子は同じ食事をしたことがない。

 公康はごはんやおかずはもちろんのこと汁物にまでマヨネーズを投入してしまうし、珠子は毎食のごはんがTKGだ。

 よその店に食べに行った時でもそうなのだから、同じものになるわけがない。

 それでも一緒に暮らしているのは、お互いに最高のパートナーだと想い合っているからである。

 食の好みが異なることぐらい、どうということはないと思っていたのだ、今までは。

 

 しかし、公康は気付いてしまった。

 生涯の伴侶と同じ食事を分かち合えないのは、やはり虚しいと。

 もちろん、公康自身が妥協すれば、少しの間なら珠子の好みに合わせることもできるだろう。

 だが、ほんの一食ひとときでもマヨネーズを見捨てるのは、マヨラーの矜持が許さない。


 だから、待っていたのだ。

 理由付けて、自分マヨラーの好みの味を試してもらう機会を。

 そして、必然的に互いの食事を分け合うことになるこの瞬間を。


(……まあ、俺の好みをすぐに理解してもらおうなどとは思っていないが)


 ついに意を決してマヨごはんを口に運び、箸を咥えたまま固まってしまった愛妻の様子に苦笑しつつ、代わりに受け取ったTKGを躊躇することもなく食べる。


 確かに普段は見向きもしないが、公康は別にTKGを食べるのが嫌なわけではなかった。

 何しろマヨネーズの原材料の一つであるし、そもそもマヨネーズに目覚める前の幼い頃には普通に美味しく食べていた代物なのだから、苦行でも何でもない。


 随分と久しぶりに食べたTKGの旨さを味わいながら、公康は思った。

 今度は、たっぷりのマヨネーズをかけて卵黄を乗っけた牛カルビ丼にでもしようか、と。

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