9話
他の人の目がある場所では仕掛けては来ないだろうというのは楽観的過ぎたらしい。思い起こせば、先日も、教会前の公道で襲撃されていた。
「フィーザー、お前の知り合いか?」
すでに構えたレドに尋ねられ、フィーザーはどう答えたものかと迷い、ちらりと視線を後ろへ向けた。
フィーザーとレドが構える後ろでは、更に、フィーナとフローラを背中に庇う様に、セレスティアがきつい表情をしていた。
「僕たちじゃなくて、どうやらフィーナに用事があるらしくてね」
全身黒ずくめの男はフィーザー達の目前、数メートルの距離で立ち止まった。
「その娘をこちらへ渡してもらおう。そうすればお前達にも、他の者にも危害は加えん」
指差されたフィーナをフローラが抱きしめ、その二人をセレスティアが後ろ手に庇う。
「あなたは先日僕たちを襲ったウェインという方と関係がおありなのでしょうか」
目の前の男はわずかに眉を動かしただけだったが、フィーザーが確信するには十分だった。
「我が名はガーランド、『プロウェス』が一人。魔法などに頼る『サイヴィア』の連中と一緒にしてもらっては困る」
ガーランドは右手を顔の前まで持ってくると、拳を固く握りしめた。
「我らが頼るは自身の肉体のみ。鍛え上げた身体こそが最も信頼のおける友である」
「ではなぜ彼女を欲するのですか? 自身こそが至高だとおっしゃるのならば、彼女は必要ないはず」
フィーザーが尋ねると、ガーランドは、ふむ、と腕を組んだ。
「協定違反になるので私の口からは告げることが出来ない」
「協定‥‥‥」
その意味するところは、少なくともフィーナを狙う勢力が2つ以上は存在しているということだ。そして、それらは互いに監視し合っているということ。完全に協力関係にあるわけではなさそうだが、少なくとも今の段階においては協調し合っていそうだということだ。
「我らの目的のためにもその少女は渡してもらうぞ」
すでに家族となったフィーナを渡すことは出来ない。そうでなくとも、明らかに拒絶している少女を引き渡すわけにはいかない。
「この子はあなた達のところへは行きたくないと言っているようだけど?」
セレスティアが確認するようにフィーナの顔を見ると、フィーナは小さく頷いた。
「嫌がる少女を、無理やり連れて行こうって輩に渡すわけにはいかないな」
レドは半身に構えながら、フィーザーよりもさらに一歩、ガーランドへと近づく。
レドはサンクトリア学院体育学部。ディオスと同様に魔法を使うことは出来ないが、体術、武術に明るく、運動神経に関しても学院全体で見てもトップを行く。
家の事情により、幼い頃より武術、体術、武器術等を仕込まれてきたレドは、下手な魔法師よりもはやく、そして強い。
「ちょっと、何ですでに喧嘩腰なのよ。まず情報を聞き出すとか」
セレスティアの声は届いているのだろうが、聞く気はない様子だった。
すでにレドとガーランドは間合いを測り合っている。
「おい、フィーザー。邪魔をするなよ」
レドに言われるまでもなく、フィーザーに二人の戦闘に積極的に介入しようという意志はなかった。
相手方がガーランド一人とは限らなかったし、こう言ったら怒られるのかもしれないが、女の子達だけに後ろを任せるのは気が引けたからだ。
そうしているうちにも、レドとガーランド、二人の戦闘は開始されていた。
レドが踏み込んだと思った瞬間にはすでに相手の懐に入り込んでいて、至近距離で拳を撃ちあっている。
体術のレベルではフィーザーは目の前の二人に及ばないことを実感していた。目で追うのがやっとといったところだ。
(それよりも‥‥‥)
後ろを向けばセレスティアも同じ気配を感じていたらしく、神妙な面持ちで頷きを返す。
「隠れていないで出てきたらどうですか?」
フィーザーの探索魔法に引っかかっていた人物はもう一人、どうやら目の前の戦いに参戦するつもりはなさそうなので一先ず黙っていたが、隠れていられるよりは出て来てくれていた方がやりやすい。
「私の迷彩を見破るとは」
彼らの横から姿を現したのは丸々とした、それほど身長の高くない、卵のような背格好の男性だった。鼻の下には短く髭が生えていて、着ている服はボタンがはち切れんばかりに膨らんでいる。
呆気にとられているフィーザー達の目の前で、額の汗を拭いながら、すでに息が切れている様子で、深く深呼吸している。
「言っておくが、私は太っているのではない。他人より少し横幅が広いだけだ」
横幅が広いのではなく胴回りが長いのでは? と突っ込みたくなる気持ちをフィーザーはぐっとこらえて目の前の男を観察する。
「私はラーデス・マルコシア。ラードで丸々太っているわけではない。来る食料危機に備えているのだ」
ヴィストラントでは大陸側の港のある北側を除き、三方を囲う様に植林の森林地帯及び酪農・農業地帯が広がっている。南側に造られたエルセイ海岸は、人工のものでありながら、夏場のビーチとしての観光用の目的だけではなく、海洋資源の産出にも貢献しており、大陸への貿易にも利用されるくらいには盛んな産業として成り立っている。
また、ヴィストラントの地下には食料生産プラントが形成されており、生簀による養殖等も行われている。
つまり、少なくともヴィストラントに限って言えば、当面、食料の自給に関して心配する必要はないということは国民ならば誰もが理解していた。
「それで、ラードデ・マルマルさんが何の用ですか?」
セレスティアがわざと挑発するように言うと、鼻を鳴らして、ラーデス・マルコシアだと訂正してきた。
「我々の目的は一つ、今更言わずとも分かっているのだろう?」
細められた眼光がセレスティアへと、正確にはセレスティアの背中に庇われているフィーナへと向けられる。
「お前達と一緒にいてもしょうがないのだ。その少女は我々の目的のためにこそ存在しているのだから」
「馬鹿なことを言わないで。この子の人生はこの子のものよ。あなた達にも、誰にも決められるものじゃないわ」
セレスティアがはっきりと言ってのけ、フローラも同意するように頷いている。
美少女二人の勢いに呑まれたのか、ラーデスはたじろいだ様子で半歩後退する。
「二人に睨まれた程度で後退する程度の意志力しかないあなた達には、やはりフィーナを渡すことは出来ません」
「ならば仕方ない。私は平和主義者なので、出来れば争うことなく連れて帰りたかったのだが‥‥‥」
ラーデスが両手を合わせると、赤く、禍々しい光を放つ魔法陣が描き出され、その中から三つの首を持つ地獄の門番と恐れられている怪物が出現した。
「ケルベロス‥‥‥!」
狂暴な三つの首と3本の尾を持つその怪物は、建物すべての窓ガラス、ショーウィンドウが割れてしまうのではないかというほどの雄たけびを上げた。
「行け。邪魔する奴らは食い殺してしまって構わない」
召喚主の命令を受け、魔獣がフィーザー達に向かって飛び掛かる。
「こっちだ!」
シールドでは受けきることが出来ないと判断したフィーザーは、フローラとフィーナの腕をやや強引に掴むと、自己加速魔法を用いて身体を加速、魔獣の攻撃範囲から外れる。セレスティアも反対方向に飛びのいて、攻撃を回避している。
「フローラ、警邏隊への連絡は?」
「ダメみたい。何か妨害されてる」
フローラが端末を操作しながら首を振る。
(通信の妨害まで‥‥‥。レドの方は問題ないだろうけれど、フローラやフィーナは何とか逃がさないと)
フィーザーの焦りが伝わったのか、二人が不安そうな顔をしている。
「大丈夫。僕に任せて、少し離れていてくれるかな」
なおも心配そうな顔をしているフィーナの腕をとるとフローラは微笑んだ。
「フィーナ、こっち」
「フローラ、でも‥‥‥」
「お兄ちゃんなら大丈夫。信じて」
フローラは自身の震えをどうにか抑え込むと、戸惑うフィーナの腕を取り、フィーザーから離れた柱の陰へと移動した。