8話
その日、朝からサンクトリア学院魔法学科5年生の教室は騒然としていた。
どう見ても5年生には見えない、しかも学年が変わった直後という微妙な時期にやってきた転入生らしい、小柄で、さらさらの美しい銀の髪を持つ、綺麗なルビーのような瞳の少女のためである。
一緒に登校してきたことをクラスメイトに目撃されていたフィーザーも、もちろん1年生の教室ではフローラも、席に着くなり皆の質問攻めにあっていた。
「ねえねえ、今朝ものすっごい美少女と一緒に登校してきたって本当?」
「とうとう彼女が出来たのか?」
男子も女子もフィーザーの机の周りに集まって人だかりを形成していた。
今まで彼女のいなかったフィーザーに突然できた浮いた話に年頃の学生が食いつかないはずもなく、彼ら彼女らの妄想を駆り立てた。
「見たことのない子だったけど、転校生?」
「何年生なの?」
その騒ぎは、チャイムが鳴り、担任の先生が静かにしろとホームルームのために教室に入って来るまで続いた。
「はーい、皆さん。席に着いてくださいね」
薄ピンクのショートカット、水色の瞳の小柄な担任教師、マチルダ・コーストが教壇を叩くと、一時、教室内は静まり返った。
「どうやら皆もう知っているみたいだけど、今日はこのクラスに転入生がいます」
入って来るようにとマチルダが声を掛けると、失礼しますと綺麗な声が聞こえてきて、おずおずと扉が開かれる。
教室内からは口笛の一つも聞こえてこない。
美しいさらさらの銀髪を靡かせる少女の静かな足音だけが教室内に小さく響く。
「じゃあ、自己紹介をお願いね」
担任教師に声を掛けられ、教卓の前に出たその少女はぺこりと頭を下げた。
「フィーナ・トワイライトです」
そして頭を上げた彼女は、教室の中にフィーザーの姿を見つけると、ぱあっと顔を綻ばせた。
「あら知り合いなの?」
今朝一緒に挨拶に行ったのだから知っているだろうに、わざとらしく言われても、フィーザーはフィーナに微笑み返すことしかできなかった。
「じゃあ、席はユースグラム君の隣でいいかしら?」
「はい!」
フィーナは嬉しそうに返事をすると、プリーツのスカートを翻らせない程度に歩いてフィーザーの隣にピタリと腰を下ろした。
朝はなんとか誤魔化して逃げ切ることが出来たが、次の授業まではどうしようもないな、とフィーザーは観念して、嬉しそうな笑顔を浮かべるフィーナに微笑み返した。
当然、ホームルーム後の授業準備時間にはフィーザーとフィーナの周りには、朝フィーザーの周りに出来ていたのと同じような人だかりが出来ていた。さすがに昼休みではないので他のクラスからわざわざ見に来るような生徒はいなかったが。
「どこから来たの?」
「同じ家に住んでるの?」
矢継ぎ早に繰り返される質問にしどろもどろになりながらも、フィーナは一つ一つ丁寧に返答していた。
「今は、フィーザーとフローラのところにお世話に‥‥‥」
各所から聞こえてくる、同棲か、同棲ね、という声に、フィーザーは頭を抱えたくなったが、それではフィーナに余計な心配をさせると思い、内心だけで転げまわっていた。
(フローラもいるってことは皆知っているはずなのに、どうしてそういう話になるんだ)
たしかにフィーナを守るという意味では学院にも通って一緒にいる時間を長くした方が良い。それについてはもちろん同意できる。
しかし、フィーナ自身はどうだろうか。おそらく、今まで教育機関などには通ったことはなかったのだろう。フィーザーと同じ学年に編入するのは仕方がなかったとしても、授業について来られるのだろうか。それが原因で孤立してしまうのではないだろうか。
「問題は山積しているな」
フィーナの学力、魔力がどの程度なのかはわからないが、今更引き返すことは出来ない。
今夜からフローラとも一緒に教えようとフィーザーは思っていた。
運よくなのか、フィーナの学院初日はつつがなく終了した。
テストも抜き打ちで行われるようなこともなく、端末の使い方は教えなければならなかったが、もともと難しいものではなく、物覚えが良いらしいフィーナはすぐにこなせるようになった。
(授業の内容を聞いてくることもなかったし、学力は高いのかもしれないな)
確認するまで安心はできないが、一先ず、今日のところは何とかなりそうだ、それどころか、クラスメイトにも早速話しかけられたりしていて、悪印象を持たれている様子ではなかったので、ほっと溜息を漏らした。
放課後、フィーザーとフローラはフィーナを連れて買い物にきていた。
学院のすぐ北側には、この島で唯一の、巨大なショッピングモールがあり、日用品から学院で使うような専門的な物まで、大抵の物はそこで揃う。
クローゼットやベッドなど、いつまでも母親の物を使わせておくのもかわいそうだし、何よりも着替えはフローラの物ではなくやはり自分の物があった方が良いだろう。
ベッドなどの大きなものは配送してもらうことにして、とりあえず日用品と洋服を見て回った。
「わー、可愛い」
ファッションのフロアでは、フィーナはフローラに、ヒラヒラのフリルのついたワンピースや、ボーイッシュな膝下ジーンズ、パジャマやブラウスなど、何着も試着させられて、着せ替え人形のようになっていた。
「どれも似合うから迷っちゃうね」
尋ねられても、フィーザーは目のやり場に困っていた。
さすがに下着に関しては何も聞かれることはなかったが、こういった女の子のお店にいること自体が居たたまれなかった。
結局―フローラからの不満はあったが―服の事に関してはフローラに任せることにして、フィーザーはその間に、食器等、他の日用品を見て回った。好み等もあるのだろうが、時間もそれほどあるわけではない。どうしてもというのならば、また来ればいいのだ。周辺の案内にも丁度いい。
大よそ必要だろうと思う物を購入して戻って来ると、パンパンに膨らんだ袋を抱えたフローラとフィーナが丁度店から出てくるところだった。
女の子の買い物が長いのはフローラに良く付き合うので分かっているつもりだったが、女の子が二人だとその時間もより長くなるようだった。
(さすがにこんなに人が多いところじゃ仕掛けてこないというわけか)
フィーザーがちらりとフローラたちの背後を窺うと、学院の生徒から受けるものとは違う、良くない感じのする視線を感じた。
知られているかもしれないとはいえ、むざむざ自宅まで案内することもない。フローラとフィーナがいるのは危険だが、逆に目の届くところにいるという安心感もある。
「あれ、フィーザー」
フローラたちと合流したフィーザーが出口へ向かおうとすると、黒髪の少年に声を掛けられた。
「レド。もしかして、セレスティアさんの付き添い?」
「ああ、まあな」
レド・ルディッシュはサンクトリア学院の体育学部に通うフィーザーの友人で、セレスティアの幼馴染でもある。
「そっちは例の転校生?」
どうやらフィーナの事はセレスティアから聞いているらしい。
「うん。彼女、フィーナはまだ家に来たばかりで日用品も何もないから買い物にね」
「こんにちは、レドさん」
フローラに続く形でフィーナもちょこんと頭を下げる。
「ちょっと、そんなところにいないで選んでくれるって言ったじゃない」
試着室のカーテンが開き、セレスティアが半分だけ顔を覗かせる。
「俺も何でもいいだろと言っておいたはずだけど?」
フローラがセレスティアに同情の込められているような視線を向ける。フィーザーはあからさまに視線を向けることは憚られたので、斜めを向いて誤魔化した。フィーナはそんな4人の様子を不思議そうに見つめていた。
「休日に付き合ってくれない代わりに、今日は付き合ってくれるって言ってたじゃない」
「休日は修業があるからだ。今日だってないわけじゃないんだぞ」
夫婦喧嘩に巻き込まれてはかなわない。
フィーザー達がその場を後にしようとすると、なぜか奇妙に人が捌けていた。
「見つけたぞ」
黒い帽子とスーツ姿の体格のいい男性がフィーザー達に向かって歩いて来る。
フィーザーとレドはフィーナたちを庇うように前に出た。