33話
「まずはここから撤収しなくちゃ」
フィーザーはディオスの様子を確認しながら背中合わせに立つレドに声を掛ける。
「ああ。このままではこの聖堂が破壊されかねない」
ちらりと背中を確認すると、セレスティアがこくりと頷くのが目に入った。彼女が頷いたのだから、ディオスの乾燥は完璧に終了したのだろう。
しかし、だからといってすぐに動くことが出来るのかといえば、もうしばらくの時間は必要となる。
「脱出するよ」
フィーザーはディオスの身体を持ち上げる。まともに持つには重すぎて、生身の人間に運ぶことのできるような身体ではないし、まさか女の子に持たせるわけにもいかない。
「フィーナ」
ディオスを空中に浮かせつつ、片手でフィーナの手を取ると、やわらかい手が力強く握り返してくる。もう片方の手をフローラへと伸ばすが、フローラはすでにセレスティアと手を握っていた。
「フローラさんは私に任せて。レド、あなたはメルルさんを」
レドはセレスティアに視線だけで頷きを返すと、迷うことなくメルルの手を取る。
「‥‥‥俺を‥‥‥盾に‥‥‥」
宙から機械の声帯から出る音声が、フィーザー達の耳に届く。
「‥‥‥一列になれば‥‥‥後ろには注意せずに済む‥‥‥はずだ‥‥‥」
「兄様! 何をおっしゃっているのですか!」
自身を弾丸からの防御に使えと言う暴論に、メルルが声を荒げる。
「落ち着け‥‥‥、シールドこそ張ることは出来ないが、奴らの弾丸では俺の身体を気づつけることが出来ないことは証明済みだ‥‥‥」
「よし、それでいこう」
躊躇うことなく、レドは即断する。
「レドさん!」
「落ち着くんだ‥‥‥メルル……」
メルルは今にも泣き出しそうな顔でディオスの身体に縋りつく。
「でも、ですが、兄様!」
「俺の事ならば‥‥‥問題ない。もうすぐ、再稼働の準備も整う。だから、もう心配したりして泣くんじゃない」
パチパチとスパークするような音をさせながら、ディオスはレドの方へと頭を動かす。
「済まない。助かる」
「礼は全部済んでからだ」
見晴らしの良い、開けた土地まで走った7人は、フィーザーとレドを前面に押し出すような形で歪な陣形をとる。
(やはりあの人数を相手に2人じゃ‥‥‥)
(ああ、だがセレスを攻勢に回すわけには‥‥‥)
フィーザーやレドが気兼ねなく戦うことが出来ているのは、セレスティアがフローラ達をしっかりと見ていてくれているという信頼に他ならない。二人とも、もちろんディオスにも、フィーナやフローラ、そしてセレスティアやメルルを戦いの中に立たせるというつもりはなかった。
フィーナの実力、そして力は、魔法師相手ならば有効かもしれないが、今回の相手は違う。魔力は限りなく無限に等しくとも、戦い慣れしていないフィーナには危険がある。少なくとも、学院での実践訓練、及び授業での経験ならばフィーザーの方が圧倒的に上であり、お世辞にもフィーナが戦い慣れていると言うことは出来ない。
フィーナの実戦における強みは、今のところ、相手の放った魔力を吸収するというだけだ。相手が魔法師ではない以上、その強みは機能しない。
フィーザーとレドがアイコンタクトをとっている間にも、カカロの部隊は追いついて、フィーザー達を包囲しつつある。
少人数で、意志の疎通が獲りやすいとはいえ、ディオスを運んでいる都合上、どうしても足が遅くなってしまうのは仕方のないことだった。
「さあ、追い詰めたぞ。それともどうする? まだ奥の方まで逃げ続けるかね?」
フィーザー達の背後、森林及び食料生産地帯の奥は海洋である。
ヴィストラントは海上都市国家。船の準備はなく、ずっと海上にフィールドを形成し続けるわけにはいかない。
「無理でも何でもやるしかない」
「その通りだ、フィーザー」
たとえ2人でこの人数を相手にするのが無謀であっても、フィーナ達の安全を確保するためには覚悟を決めて戦うしかない。
「ふん、お前達2人だけでこの人数を相手にどうするつもりだ」
カカロは自身の優位性を疑ってはいない。それは過信でも何でもなく、客観的な事実だった。
「もうすぐ警吏も到着するはずです!」
「そのようなことはない」
叫ぶような声を上げるフローラにも、カカロは余裕の態度を崩さない。
「ここへ来る途中、分隊に交通規制を敷くように指令を出している。軍事演習と言っておけば、多少の爆発や、間違って怪我人が出たとしても何とでもなる」
「こっちは学生なんだが?」
それがどうかしたかね? とでもいうように、カカロは短く鼻を鳴らす。
「我々の演習に無断で学生が入り込み、邪魔をした挙句、我が隊の人員を巻き込んで不慮の事故を巻き起こした。それが今回の結果だ、黒髪の少年よ」
カカロは姿勢を崩さず、フィーナに向かって手を差し出す。
「これが最後の忠告だ。黙ってそこの少女をこちらへと引き渡せ。これ以上抵抗すれば、それなりの処置を取る」
周りの兵士が銃口を向け、いつでも魔法を放てる準備をとる。
「その少女は我々の所有物だ。大人しくしていれば命まではとらない。約束しよう」
そんな約束を守る気がないだろうということは、カカロの表情を窺えば一目瞭然だった。
「こちらの銃に装填したのは対魔法犯罪者用の魔力貫通弾だ。シールドもバリアもフィールドも意味はない」
「やってみなくちゃ分からない」
フィーザー達は淀みのない瞳でカカロの事を真っ直ぐ捉える。
「そうか。やれ」
しかし、カカロの命が実行されることはなかった。
「何が起こった!」
「方法は不明ですが、こちらの機銃が全て潰されています!」
周囲から引き金を引く音が聞こえるが、どれも空しく機械の弾く音が聞こえるだけだった。
「この程度の磁力でやられるとは、お前ら、正規の軍ではないな」
フィーザー達の背後からどこか機械的な響のある声が聞こえてきた。
「ディオス!」
「俺の義体にも使用されている技術だが、俺が起こすことのできる磁場程度でガラクタになるような貧弱な装備を、仮にも国家を護る軍が利用しているはずはない。演習だのなんだのという言い訳など通用するものか。しかし、軍や警吏のセキリュティも甘いな。この程度の奴らに侵入を許すとは」
あれだけ派手に爆発が起こり、通報されているにもかかわらず、未だ警吏が到着しないのは、彼らが通信を妨害していたからに他ならない。当然、監視カメラの映像も偽造されている。
「構わん! ガラクタが一体増えただけだ」
機械式ではない、空気銃やコンバットナイフを手に突撃してくる。しかし。
「隊長! これ以上進めません!」
「障壁に防がれています!」
「何っ! 魔法師は何をしている!」
部下の叫びに、カカロは後ろに控える魔法師の部隊に怒声を飛ばす。
「申し訳ありません! ですが、奴らの魔力、こちらを上回っています」
「信じられん。こんなことが‥‥‥」
カカロの視線がフィーナを捉える。
「あの娘か‥‥‥!」
魔法師ではないかかろには感じることは出来なかったが、長い実戦、訓練の経験から、実際に魔法を使用しているのがフィーザーとセレスティアであっても、フィーナが重要な役割を果たしているのだということは何となく想像していた。
「まさか、魔力を供給している‥‥‥? 馬鹿な、ありえません。それに、彼女自身の魔力が尽きるような様子もない‥‥‥」
彼らはもちろん軍などではなく、フィーナを狙ってきた、ディーゼルハルトと名乗ったサイボーグのメモによるところのアドゥンなどと名乗る組織の構成員たちであろう。
しかし、どうやら組織内での情報の共有はそれほど上手くいっているわけではないらしい。
「しばらく大人しくしていてください」
突撃してきた隊員は、半数が宙を舞い、残りの半分は投げられ、打たれ、蹴り飛ばされ、何の防御姿勢も取れないままに地面へと倒れ伏した。
「くそっ」
「遅い」
瞬く間にカカロとの距離を詰めたディオスは、躊躇うことなくカカロの右腕を潰した。
「ぎゃああああああ」
声を上げられるだけ立派というべきだろうか、悶絶したカカロはそのまま気絶して地面に突っ伏すように倒れ込んだ。
「正当防衛だ。こちらは銃を向けられていたのだからな」
過剰防衛では? などと言う者はいなかったし、事実、カカロの手には拳銃が握られていた。
そこでようやく、サイレンの音が聞こえてきた。
カカロの言っていた細工も、どうやら時間稼ぎにはなったものの、追い返すまでにはいかなかったようで、このままだと公務執行妨害等で一緒にお縄になることだろう。




