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2話

 歩き始めてすぐ、具体的には裏道を抜けた辺りで、フィーザーは猛烈に後悔し始めていた。もちろん、女の子を連れていることに対してではない。


「どうしておんぶにしなかったんだろう……」


 幸いなことに学院生には出会わなかったが、道行く人たちは、誰もがその歩みを止めて、フィーザーと、腕に抱かれた半裸の少女を見つめるように振り返った。

 フィーザー・ユースグラムは、学院では成績や人柄もそうだが、その整った容姿も相まって、今年入学したばかりの妹共々、上級生からも下級生からも、もちろん同級生からもそれなりに人気があった。

 そんな世間的に言えば格好良いと呼ばれる類の容姿をしているフィーザーが、さらに美しい眠っている少女をお姫様抱っこしているのだから、夜とはいえ、人目を引くのも当然だった。通報されなかったのはせめてもの救いだろう。

 もっともおんぶにしていたら、それはそれで、背中に感じる感触に慌てふためくことにはなっていたのだろうが。

 ほんのすぐ近くであるはずの自宅がやけに遠く感じられ、やっとの思いで帰り着いたフィーザーは、悪いとは思いつつも、まさか出会ったばかりの見ず知らずの少女に、黙って魔法をかけるわけにもいかず、羽織っていた上着を脱ぐと、彼女を一度静かにその上に下ろし、扉のロックを開けた。


「ただいま」


 自宅へ入るとすぐに奥のリビングの方からパタパタと足音が聞こえてきた。

 フィーザーと同じ明るい金髪で、肩の辺りに切り揃えている少女が、待ちきれないといった様子で駆け寄って来る。


「おかえり、お兄ちゃん」


「戻ったよ、フローラ」


 フローラはフィーザーが差し出したアイスの入った袋を受け取ると、可愛らしく微笑んだ。


「ありがとう。それで、その子がメールで言ってた女の子?」


 誘拐だと疑われない辺りは、フィーザーの人徳か、はたまた家族としての信頼か。どちらにしても、自分でもまだ事情を理解していないフィーザーにとって、深く聞かれないのはありがたいことだった。

 フローラは大きな蒼い瞳を広げて、銀髪の少女をまじまじと見つめると、きれい、と呟いた。


「お父さんたちの寝室はとりあえず整えておいたけど」


 たまにこうして兄を振り回すことを除けば、良く出来た少女である妹は、すでに少女を受け入れることのできる態勢を整えていてくれたようだった。

 フィーザーはフローラにお礼を告げ、家にいるときには母親が使用しているベッドに、眠ってしまっている様子の少女をゆっくりと降ろすと、リビングへと戻った。


「私はむしろ大歓迎だけど、どうするつもり、お兄ちゃん」


 兄妹の両親は大陸の方へと仕事で出ていて、とても忙しいらしく、滅多に家に帰ってくることはない。兄妹はその仕送りを基に生活していた。

 今までお金に苦労させらされたことはないし、それどころか十分過ぎるほどの金額が振り込まれていて、そのことについてはとても感謝していたが、今は遠距離通信ではなく、直接話がしたいところだった。


「とりあえず、今、父さんと母さんにメールは送ったけど」


 忙しいかもしれないと思って、電話をするのではなくメールにしたのだが、返事はすぐに送られてきて、親指を立てた絵文字が一文字打ち込まれていただけだった。


「明日、学院が終わってから教会にでも行ってみることにするよ」


 フィーザーとしては、早いところ、安心できる人の元へと預けたい気持ちだったのだが。


「お兄ちゃん。犬や猫でも拾ったら最後まで責任を持って育てなくちゃいけないんだよ」


 自家用車はほとんどなく、地上の交通のほとんどを自走の無料リニアカーが担っているヴィストラントでは、安全面での危惧から、ペット等の置き捨ては厳しく取り締まられている。言うまでもなく、双方ともに危険だからだ。

 人間の少女と、犬や猫を同列に扱うところに、一言言いたいことはあったが、それは問題の本筋ではないし、妹の言っていることも理解できる。


「もしかして、家で匿うとか言わないよね?」


「お父さんとお母さんは良いって言ってるんでしょう?」


 フローラは大層張り切っていて、フィーザーにはそれにノーと言えるだけの気概はなかった。

 やはり、妹には激甘なのかもしれない。

 今回ばかりはそれだけが理由とも限らなかったが、この時のフィーザーはまだそれを自覚してはいなかった。


「……一応聞くけど、どういう事かしっかり分かっているよね?」


 いくら両親が許したとはいえ、人ひとり養うというのはそんなに簡単に出来るものではない。学生以下の身分であるなら猶更だ。

 しかし、フィーザーの心配をよそに、フローラは自信たっぷりに薄い胸を張った。


「家の炊事場を担当しているのが誰だか分かっていて言ってるんだよね、お兄ちゃん」


 フィーザーも勿論一通りの家事は出来るが、フローラの方に分があることは疑いようがない。

 昔、まだフローラが小さいころ―—今でも十分小さいのだが、本人に言うことは憚られる―—はフィーザーが担当していたのだが、だんだんと二人で一緒にするようになり、昨年ごろ、フローラが学院に上がる前年ごろ、つまり2年ほど前からは、すっかりフローラの料理の腕が追い抜いてしまっていて、食事に関してはほとんどを任せていた。


「よろしくお願いします、フローラさん」


 もちろん問題点は食事に関することだけではないのだが、張り切っているフローラのやる気を削ぐようなことは言うべきではないと分かっていたし、他に良い案があるわけでもない。教会や管理局へ行くという案はすでに潰されている。


「よろしい」


 得意げな様子で上機嫌なフローラは、垂れかけてきていたアイスを丁寧に舐めあげた。

 そこで、寝室の方から物音が聞こえてきたので、フィーザーとフローラは顔を見合わせ、頷きあって、立ち上がると、揃って両親の寝室へと向かった。


「良かった、目を覚ましたんだね」


 ベッドのすぐ近くにこけたように突っ伏した銀髪の少女は、フィーザーと目が合うと、布団を引っ張って身体に巻き付けて蹲り、上目遣いにじっとフィーザー達の事を見つめてきた。


「ご、ごめん」


 フィーザーは顔を赤くして後ろを向いた。ここで眼福と言えるほどの精神をフィーザーは持ち合わせていなかった。


「もう、お兄ちゃんは少し出ていて」


 一緒に部屋を出ると、フローラは自分の部屋から着替えと思しき数着の服を持って戻ってきた。

 しばらくそのまま部屋の外で待っていると、入ってきていいよ、と言われたので、フィーザーは断りを入れてから扉をくぐった。


「さっきはごめん。それで、いきなり尋ねるようで悪いんだけど、君は自分の状況を理解しているのかな?」


 フィーザーはとりあえず、元の元から、ここがヴィストラントという、大陸から離れた海上に建設された人工都市国家だというところから説明した。


「聞いているかもしれないけれど、僕はフィーザー・ユースグラム。こっちは妹のフローラだよ。さっき、君とばったり出会って僕たちの家に連れ帰って来てしまったんだけど、君が言っていた通り、管理局なんかには連絡していないから安心して欲しい」


 銀髪の少女はじっとフィーザーと、それからフローラの事を見つめていた。


「良ければ君の名前を教えてくれないかな?」


 知りたいこと、聞きたいことは山のようにあったが、今、最優先で聞くべきは一つだった。

 しばらく沈黙が続き、こちらをじっと見つめていた少女に、理由があるなら無理に言わなくてもいいよと告げようとしたところで、優しそうな、美しい綺麗な声で、少女ははっきりと口を開いた。


「フィーナ。フィーナ・トワイライト」


 銀髪の美少女、フィーナは、続けて何かを言おうとしていたが、くぅという可愛らしい音が聞こえると、白磁の肌を朱に染めて、恥ずかしそうにもじもじとしながら俯いてしまった。


「えっと、フィーナちゃんでいいのかな。それともさん? 今晩の夕食の残りがあるんだけど、食べる? お鍋の火はもう落としちゃったんだけど、すぐに温めるから」


 フローラがバツの悪そうな顔で、頬を掻きながら尋ねると、フィーナはわずかに首を上下させた。


「分かった。それじゃあ、リビングで座って待ってて。お兄ちゃんはお風呂沸かしておいて」


 フィーザーがお湯を張ってブザーをつけ、リビングへと戻って来ると、フローラは上機嫌に鼻歌を歌いながらパンを切っていた。


「お待たせ」


 シチューの良い匂いが鼻孔をくすぐる。

 フィーナは用意されたスプーンを上手に使って一口すすると、とても幸せそうな顔を見せた。


「美味しい……」


 兄妹は顔を見合わせると微笑みあった。


「こんなに喜んでもらえると、作った甲斐があるなあ。フィーナちゃん、おかわりもたくさんあるからね」


 あっという間に一杯目を食べ終えたフィーナは、続く二杯目も瞬く間に消化した。


「よっぽどお腹が空いていたんだね」


「良かったらこれも食べる?」


 フィーザーが自分の分にと買ったアイスを差し出すと、フィーナは首をかしげながら、おずおずとそれを受け取った。


「ああ、待って。まず包装を解かなきゃ。ってそんなことも知らないのか」


 ビニールにかじりつきそうになったフィーナを慌てて止めると、フィーザーは棒付きのアイスを包装から取り出して、フィーナに再び差し出した。


「美味しい!」


 一口齧ったフィーナは、思わず出してしまった声を恥じるかのように、アイスを持っていない方の手を口に当てた。

 

「口に合ったようで良かったよ。もしかして、アイスを食べたことなかった?」


 フィーナの様子に疑問を覚えて尋ねると、フィーナは勢いよく首を縦に振った。


「アイスも食べたことがないなんて、どんな箱入りのお嬢様なんだろう、ねえ、お兄ちゃん」


 フローラに言われて、フィーザーはようやく、フィーナの事をほとんど何も話していないことを思い出した。

 何も、と言っても、フィーザーもそれほど多くを知っているわけではなく、それどころか、分からない事だらけだったのだが。

 フィーナと出会った経緯と、その際の会話を復唱すると、フローラはあからさまに眉を潜めた。


「なんだ。私はまたお兄ちゃんがナンパでもしてきたのかと思ってたよ」


 フィーザーは今まで、女の子と遊んだことはもちろんあったが、ナンパをしたことは一度もない。冗談を言えるくらいにはフローラも状況に慣れたのかと、フィーザーは内心でほっと溜息をついた。


「それで明日の事なんだけど」


 フィーナを一人で家に残すというのもどうかと思っていたのだが、フローラは、問題ないでしょ、と肩をすくめた。


「フィーナも勝手にいなくなったりはしないだろうから、鍵かけておけば大丈夫じゃない?」


 この春入学したばかりの、今年で11歳になるフローラは、サンクトリア学院の魔法学科1年生。当然、5年生であるフィーザーとは授業の時間割も異なっている。

 もう少し早い時期であれば、フローラの授業は午前中だけで切り上げだったのだが、それを悔やんでいても仕方がない。

 警邏隊への連絡を拒んだ時点で、厄介ごとの匂いはしていたし、できれば一人きりにはしたくないところだったが、一応優等生で通っている兄妹には学院を休むという選択肢はなかった。

 なお、フィーザーはともかく、入学してからまだ定期試験を受けてはいないフローラの成績が開示されているのは、入学試験の成績が、順位と点数だけではあるにしろ、閲覧可能だからである。

 

「そうだね……」


 フィーザーはどことなく不安を感じていたが、今の時点で出来ることは何もない。

 結局、頷くことしかできずに、問題は明日以降へと丸投げになった。


「片付けは僕がやっておくから、フローラはフィーナさんをお風呂に入れてきてあげて」


 妹と同じくらいにみえる少女とはいえ、いきなり呼び捨てにすることには抵抗があったフィーザーは、この場の片づけを引き受けると、二人を風呂へと促した。


「ありがとう、お兄ちゃん。それじゃあ、行こう、フィーナ」


 一方、フローラはそれほど気にする様子もなく、あっという間にフィーナを呼び捨てにして、手を引っ張りながら風呂場へと連れて行った。


「端から見れば羨ましい状況なんだろうけど、実際、そうも言ってられないんだよなあ」


 フィーザーの目から見ても、彼が若干シスコンであることを差し引いて考えても、フローラが美少女であることには疑いがなかった。

 短く揃えられた金髪も、くりくりとした大きな蒼い瞳に長いまつ毛も、ミルク色の健康的な肌も、ころころと変わる表情も、将来ではなく入学直後の現段階から、すでに学院で騒がれているのも頷けると、フィーザーは思っている。

 事情を知らない者から見れば、美少女二人と同棲しているということで、嫉妬や、あらぬ疑いをかけられる可能性もある。


「今更仕方ないか。なる様にしかならないだろうな」


 深く考えるのを諦め、椅子に腰かけると、フィーザーは天井を見上げた。

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