16話
繋いだ手の感触を確かめたフィーザーは、そこで気を緩めることなく、正面の男をじっと見据える。
「フィーナ、ごめん、大丈夫だった?」
身体の半分をフィーナに向けつつも、もう半分はいつでも状況に対応できるように構えられている。
フィーザーと対峙した色素の薄い髪を三つ編みに編み込んだ青年は、感心したように目を見開いた。
「ボクの結界の中へ入って来られるとは。しかし惜しい。彼女を引き取るボクの邪魔をするならば、あなたが何者で、いかに優秀であろうとも、排除しなければなりません」
交渉でどうにかなる相手ではなさそうだ、と感じつつも、フィーザーは一応説得を試みる。
「君、いや、あなたかな? あなたは一体どこのどなたなのか、教えてもらっても?」
青年は、これは失礼、と丁寧な仕草で腰を折る。
「ボクはユイット。先日、こちらへお邪魔したウェインの、そうですね、同僚とでも言っておきましょう」
ピクリとフィーナの身体が震え、フィーザーにも伝わる。フィーザーは安心させるようにフィーナの頭を撫でた。
「フィーナにはあなた達と一緒に行くつもりはないようですけれど。彼女の意思を無視して連れて行くのでは誘拐と変わらないのでは?」
フィーナが拒んでいる以上、それを強引に連れて行くのは誘拐と同義だ。フィーザーには彼らがフィーナを欲する理由も、その重要性も分からなかった。しかし、少女の自由を奪う理由にはなり得ないという事だけは理解できる。
「今ここで説明するのは困難を極めます。あなた方がボクと一緒に来てくれるというのならばお話しすることも出来るでしょうが、そうでない場合、不本意ではありますが、実力で彼女を連れて行くことになります」
全く不本意という顔をしていないユイットの視線から隠れるように、フィーナがフィーザーの後ろに顔を隠す。
フィーザーはフィーナを背中に庇うと、正面を向いて、ユイットと対峙した。
「フィーナが自分からそちらに行きたいというのであれば、干渉するつもりはありませんでしたが、そもそも、彼女は、推測ですが、あなた達のところから逃げ出してきたのではないですか? つまり、逃げ出すだけの理由があったということです」
二人の視線が交錯する。どちらも視線を外したりはしなかった。
「仕方ありません。どうやら、あなたに引くつもりはないようですし、誘拐未遂で警吏に引き渡し、理由を、それから他にも色々と事情をお聞かせいただきましょう」
「ボクがあなたを倒したなら、彼女は私が連れ帰るということで。ああ、心配なさらずともここにはボク一人しか来ていません」
その言葉を信用するほどフィーザーは愚かではなかったが、相手に援軍がいたからといって、それを回避できる訳でもない。
人払いの結界のおかげで周りに人がいないことは僥倖だが、逆に言えばこちらからも連絡を取れないということだ。
「随分と自信が御有りなんですね」
ユイットが彼らの仲間だというのならば、先日の事も耳には入っているはずだ。それにも関わらず、一人で出向いてきてということは、相当の自信があるのか、それとも信頼されているのか、どちらかだろう。
「ええ」
短く答えるのと同時に、ユイットから網のように形作られた魔力が放出される。フィーナを、それからフィーザーまでも一緒に捕獲しようという捕獲系の魔法だ。
フィーナを抱きしめたまま、フィーザーは後ろへ飛びのく。捕獲対象のいなくなった網は、何も捕らえることなく引き戻される。
フィーナを守りながら相手を殺さずに無力化する。口にするだけならば簡単だが、実行するとなると難しい。相当の実力が必要だ。
そんなことを考えている間に、加速させる魔法によって一気に距離を詰めてきたユイットの掌底が突き出される。
フィーザーは障壁でそれを受け止める。
「ですがっ!」
間隙なく繰り出された二発目、フィーザーは同じ障壁で受け止めたが、見えない刃にでも切り裂かれたかのように、頬に一筋の赤い血が流れた。
「フィーザー!」
声を上げるフィーナに大丈夫だと手で示す。治癒魔法ですぐに直すことは可能だが、免疫力との関係もあり、非常時以外ではあまり推奨できないとフィーザーは考えていた。
すぐに治癒しなければ戦闘に支障が出るような怪我ではない。それよりも、治癒魔法を使うための時間ロスの方が致命的になる可能性もある。
「大丈夫」
ちらりと振り返り、フィーナに怪我がないことを確認する。おそらく、彼らがフィーナに怪我を負わせることはないだろうとは思っていたが、実際にフィーナが傷を負っていないことを確認して安堵する。
フィーナを巻き込まず、かつ、すぐに対応できるギリギリの距離で戦うには、相応の覚悟が必要だ。
自身を犠牲に、などは考えていないが、ある程度の損害ならば致し方ないとも考えていた。
「あまり長い間結界を維持するのも大変なので、そろそろ決着といきたいですね」
ユイットの方も、あまり時間を掛けたいとは考えていなかった。
戦いながら、それ以外の魔法を維持するのは、体力的にも、魔力的にもつらいものがある。
「そうですね。あまり遅くなると、妹に、ちょっと面倒なことになるかもしれませんし」
麦茶のパックを買いに行っただけで、どれだけかかっているの? と詰め寄られるかもしれないし、もっとゆっくりデートして来ればよかったのに、と冷やかされるかもしれない。どちらにしても、あまり愉快な状況ではなさそうだった。
フィーザーが覚悟を決めて前を向くと、辺りに靄が発生し、ユイットの姿を覆い隠す。
「フィーナ、僕の手を離さないで」
フィーザーが後ろに回した手に小さくて柔らかい感触が重なる。
どうやら、周りにも認識阻害の魔法をかけているらしく、正確な居所を掴むことが出来ない。
突然、目の前で靄が弾ける。
フィーザーは咄嗟にもう片方の腕で顔を覆い、障壁を張ったが、わずかに間に合わなかった分の爆発の衝撃を受け、頬に一筋の切れ目が出来る。
「そこかっ!」
相手の位置を確認したフィーザーは、再びむざむざ攻撃を受けるようなことはなく、今度は確実に相手を捉えた。
「捕縛シールド!」
障壁から伸びる魔力の鎖がユイットの右腕に絡みつき行動を阻害する。その隙に、フィーザーは靄を払う。
「学生と報告を受けていましたが、それがこれほどの強度を持つものを構築するとは‥‥‥!」
ユイットがバインドを破壊し、拳を引き戻す前には、すでにフィーザーはユイットの懐へと潜り込んでいた。
たしかにフィーザーは魔法学科で、同学年でもディオスやレドと比べれば身体能力では劣るのだろうが、決して運動が苦手なわけでも、身体能力が一般的な学生の平均を下回っているというわけでもない。
そのままフィーザーはユイットに掌底を叩き込む。
ユイットは、1歩2歩と、よろめくように後退し、膝からがくりと崩れ落ちた。
「なんだ、どうしたんだ?」
「喧嘩かしら?」
術者の意識が飛んだことで、人払いの結界が効力を失っており、周囲の喧騒が戻って来る。買い物客の視線は一人の男と、それと向かい合う男女の組へと向けられた。
「浮気現場?」
「ストーカーかな?」
事情を知らない第三者からみればそのように見えるのかもしれない。
「あっちの子は怪我してるようだぞ」
「こっちの方も倒れているわよ」
フィーザーは大丈夫ですから、と周囲の人に身振りで示し、誰かが連絡したのであろう、やってきた警備員にユイットを引き渡した。
ユイットは気を失っていたが、フィーザーは頬に怪我をしており、どっちもどっちと言えるような状況ではあったが、フィーザーは学生証を持っていたのに対して、ユイットの方にはそれはない。
ICカードも所持していないらしく、どうやら事情聴取の必要ありと判断されたようだった。
「僕たちの方は大丈夫ですから」
フィーザーはフィーナと一緒に、お騒がせしましたと頭を下げて、何となくのうちにその場に集まってきていた人たちも、フィーナに興味をそそられている様子ではあったものの、ぼちぼちと離れて行った。
「フィーザー」
「離してしまってごめん。もう離さないようにするから」
フィーザーは人差し指でフィーナの目元を拭うと、手を差し出した。
「うん」
フィーナは微笑んでそこに手を重ねた。




