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15話

「お兄ちゃん、麦茶のパックを切らしちゃってるから買って来てくれる?」


 始まりは階段の下から聞こえてきたフローラのそんな一言だった。

 フィーナが学院に入学してしばらく、季節は春を過ぎ、すでに陽射しが夏の熱気を帯び始めている。

 昼食の後、自分の部屋で、学院の課題をフィーナと一緒に、教えながらこなしていたフィーザーは時計を確認する。

 時刻は昼過ぎ、買って来てすぐに出せるものではないが、今から作れば晩飯には十分間に合うだろう。


「いいよ。食後の運動も兼ねて行ってくるよ」


 学院の授業の内容が入っている端末を閉じ、ICカードと財布、自分の端末をポケットに突っ込んで立ち上がったフィーザーが玄関へ向かって階段を降りると、後を追う様にフィーナがついてきた。


「どうかした?」


 白い肩をむき出しにして、膝上、といっても大分太ももを見せているような短いセーターのような白いワンピースを着たフィーナは、今日は髪の毛を結い上げている。今朝、暑そうだからと、フローラが喜々として鏡の前にフィーナを連れて陣取っていたのをフィーザーも目撃している。


「フィーナも一緒に行く?」


 フィーザーの服の裾を摘んでいたフィーナは、ややあってから、こくりと頷いた。


「はぐれないようにしっかりお兄ちゃんと手を繋いでいてね」


 フィーナが部屋に置き忘れていた通信端末を、買い物のメモと一緒に届けてくれたフローラに送り出され、二人はショッピングモールへ向かった。



 休日の昼間だけあって、モール内は人で溢れ返っていた。

 無論、リニアカーは混雑しないために設置されているものであり、そちらはスムーズに流れていたのだが、こちらはそうはいかない。


「絶対はぐれないようにね。はぐれたらすぐに連絡すること。使い方はもう大丈夫だよね?」


「あっ」


 フィーナが頷いたのを確認し、歩き出そうとしたフィーザーの背中に声が掛けられる。

 振り向くと、中途半端に手を伸ばしたフィーナが残念そうに手を引き戻すところだった。

 周りを見れば、たしかに親子連れや友人、恋人同士なのか、道行く人の中には手を繋いでいたり、腕を組んでいたりする組も見受けられる。


「あー、うん、そうだよね、はぐれたらまずいよね」


 フローラに言われてはいたのだが、同級生の女の子と手を繋ぐというのが妙に小恥ずかしい。しかし、嫌というわけではなかったし、むしろ、と、そう思ったフィーザーが手を伸ばすと、わずかに頬を朱に染めたフィーナは笑顔でそこに手を重ねた。


「じゃあ行こうか」


 どちらか片方だけでも目を引くような二人が一緒にいるのだから、当然、余計に目を引く。女性よりは男性の方が多かったのは仕方のないことだろうか。所々で、急に立ち止まった女性や男性がぶつかる事故が発生していた。

 フローラも一緒にいれば、男性諸氏によるフィーザーへの嫉妬の籠った視線が増すだけで、割と被害は少なかったのかもしれない。仲の良い兄妹姉妹に見えたかもしれないし、少なくとも、見とれて立ち止まってしまうような客は現れなかったことだろう。 

 妙に生暖かいというか、微笑まし気なものを見るような、そんな好奇の視線を受けつつ、二人は手を繋いで歩き出した。

 もちろん、フィーザーは自分たちがどのように見られているのかを理解していたが、訂正するほどの事でもないし、その必要もない。フィーナは気にする様子もなく隣で手を繋いでいる。

 

「どこか見てみたいところ、って言っても分からないか。何かしたいことはある?」


 フローラに頼まれた買い物はすぐに済んだが、すぐに帰ることもない。買い物も麦茶のパックだけだったし、かさばるものでもない。

 ここ数日、連日訪れているのでフィーナも少しは慣れたかもしれないし、年頃の女の子らしく、小さかったり、綺麗だったり、可愛かったりするものを欲しいと思うこともあったのかもしれない。

 フィーザーはフィーナを連れて、ショッピングモールの中を歩き回った。

 雑貨屋で綺麗な音の出るオルゴールを観賞したり、水槽を泳ぐ小さな魚に張り付いたり、フードコートのソフトクリームを買ってくると、小首をかしげて、じっと見つめていたが、フィーザーが、融けてしまうよ、と注意しながら自分の分を舐めてみせると、同じように口に運んだフィーナは驚いたような表情をして、目を見開いた。


「こうしていれば普通の女の子にしか見えないよな‥‥‥」


 フィーザーの独り言に反応したフィーナが見上げてくる。何でもないと告げ、食べ終えた様子のフィーナの手を取って歩き出す。そろそろ帰った方が良いだろう。

 歩きながら、フィーザーの頭をよぎるのは先日の彼らの、そしてフィーナの言葉だ。

 鍵とは一体どういう意味なのだろうか? いや、少しは理解できる。「鍵」と呼称されるくらいなのだから、どこかへ入るため、もしくはとある目的に際してフィーナが何らかの重要な役割を果たすのだろう。

 では、それは一体何なのか?

 一学生であるフィーザーがいくら考えたところで答えは出ない。


「情報が全然足りないんだよなあ。フィーナ自身は知らないってことだし。聞いたら教えてくれるのか? いや、そんなに親切な連中じゃなさそうだったしな‥‥‥」


 その時、肩に衝撃を受けた。


「はっ。すみません」


 通行人と軽くぶつかったのだと気づき、頭を下げる。


「ぶつかる‥‥‥? はっ、フィーナは?」


 フィーナと繋いでいた方の手の側でぶつかるということは。案の定、そこにフィーナの姿はない。手の感触は残っているのだから、それほど離れてはいないはず。

 この人混みの中、まだ慣れていないだろうフィーナへの注意を怠り、手を放してしまったという事実は変えられないが、フィーナを思って念話を送る。それと同時に、通信端末の位置情報を検索、案の定、反応はそれほど離れていない地点からだった。


「フィーナ‥‥‥!」


 開いた地図を片手にフィーザーは走り出した。





 フィーナは一人、人混みの中で佇んでいた。フィーザーの姿を探し、きょろきょろと周囲を見回しながら、おぼつかない足取りで歩く。

 渡されていた通信端末を取り出すが、最低限の知識はあっても、使いこなせてはいない。手の中でくるくると回してみたり、振ってみたりしたところで、全く使えるような気配はない。

 フィーザーの名前を呼ぼうとするが、周囲の空気に圧を感じて叫ぶことが出来ない。

 その足が止まる。

 先程までつないでいた手を見下ろすと水滴が落ちてきた。

 フィーナが瞬きをすると、目から涙があふれ、頬を伝う。

 理由もわからないまま、目元を拭う。

 自分でも分からないうちに、どうにか壁際まで辿り着き、力が抜けて、その場にへたり込む。

 そのとき、手にした端末から優しいメロディーが鳴り響く。見れば、そこには待ち望んだ人の名前が表示されている。

 ボタンに触れると、空中に待ち人の心配そうな顔が浮かび上がる。


「フィーナ。そのまま、その場で回って」


 フィーナは言われた通り、端末をかざしたままその場で一回転する。


「分かった。すぐ行くからそのまま動かずに待ってて」


「はい」


 すぐに来てくれるという言葉が嬉しくて、フィーナは自然と口元を綻ばせる。


「探しましたよ」


 声が聞こえてぱっと顔を上げたが、それはフィーナの待ち望んだ人ではなかった。


「我々と来ていただきましょうか」


 嫌な感じのする男性。行き交う人は二人には気づかないようにただその場を通り過ぎる。


「フィーナ!」


 男性の手が伸ばされた瞬間、右手が強く握り込まれ、フィーナは見上げて微笑んだ。



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