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プロローグ

 けたたましいサイレンの音が薄暗い要塞の中に鳴り響く。

 続けていくつもの足音と苛立たし気な声が通路に反響し、何か金属がぞんざいに扱われて捨てられたかのような甲高い音が聞こえる。


「ええい、まだ彼女は見つからないのですかっ!」


 室内だというのにも関わらず、全身黒ずくめのスーツに、夜の闇を切り裂いて作ったかのようなマント、とんがり帽子をかぶった黒髪の男が壁を叩くと、その壁は形を変え、天井と床を突き破らんと膨張する。


「ディラ様、ご乱心!」


「お気をたしかに! ここで暴れられては建物が崩壊します!」


 部下の悲鳴が聞こえたのか、ディラは二度三度深呼吸をすると、手を叩いた。


「ウェイン! ウェインはいないのですか!」


 すぐに、どこからともなく現れた、くすんだ赤髪の青年が、ディラのすぐ後ろに膝をつく。


「こちらに、ディラ様」


 ディラが腕を広げて、指を鳴らし、緑色に光る六芒星の魔法陣を展開すると、ウェインは一礼してその真ん中へと進んで振り返ると、再び膝をついた。


「目的は分かっていますね?」


 ディラの問いかけに、ウェインは膝をついた姿勢のまま、顔を上げる。


「あの娘、フィーナを捕え、連れ帰ればよろしいのですね」


「迅速にね。他の奴らはどうでもいいが、ボールス様に気付かれる前には戻ってくるのですよ」


 導師に知られれば―—もっとも既に気づかれている可能性は高かったが―—厄介なことになる。

 転移の魔法は、飛行の魔法よりも制限が厳しく、人に見つかれば面倒なことにもなりかねないが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

 彼らが秘密裏に匿っていた―—世間ではそれを監禁という―—少女は、彼らの目的のための重要な鍵となるはずの少女だった。その少女を失ったとあっては、自分への処分は免れない。

 ディラの性格上、処分を言い渡され怒られたところで大して反省はしないのだが、一応、反省している風のポーズは見せなければならないし、謹慎でも言い渡されたら非常につまらない。


「承知いたしました」


 大掛かりに部下を外へ出すことで騒ぎにしたくなかったディラはウェイン一人だけに命令を下す。

 特に、導師ではない二人、教授と頭領に気付かれては奴らを増長させることにもなりかねない。中でも教授は厄介だろう。


「生きてさえいれば、腕や足の一本や二本、なくなっていても構いません」


 行きなさい、とディラが指を鳴らすと、魔法陣の輝きと共に、ウェインの姿が要塞の中から消え去った。












 ストーリアと呼ばれている世界の、大陸から離れた海上に建設された人工都市国家、ヴィストラント。

 総人口約80万人を数えるこの都市は、元々大陸で増加した人口を移住させるために造られたのだが、長い歴史の中で、すでに大陸の影響は薄れてきており、独立した国家として機能している。


「なんで僕がフローラのアイスを買いに行かなくちゃならないんだよ」


 金髪の少年―—フィーザー・ユースグラムは、コンビニで手に入れたアイスの入った袋を片手に夜の街を歩いていた。

 いまだ季節は春だというのに、日中降り注いでいたご機嫌な太陽のおかげで蒸し暑い夜、夕食の後に冷たいアイスが食べたいと宣った彼の妹を、夜中に出歩くのは危ないからという理由で一人家に残して出てきたのは自分だというのに、フィーザーは誰に聞かせるでもなく、一人ごちっていた。


「ちょっと、兄に対する扱いがぞんざい過ぎやしませんかねえ、フローラさん」


 それでもこうして買い物に出てきてしまうあたり、フィーザーも大概妹に対して甘かった。本心からそう思っているわけでも、もちろんなかった。


「はあ。こんな事じゃ、ディオスの事は言えたもんじゃないなあ」


 比較対象として彼が上がってしまうことに、やれやれといった気分になる。

 異常に過剰なシスコンをこじらせている友人の顔を思い浮かべつつ、フィーザーは殊更深いため息をついた。当の本人に言えば、それがどうしたと、むしろ尋ね返される可能性が高かったが。


「はやく帰らないと怒られちゃうよ」


 アイスが溶けてしまわないように、市販の物には保存の魔法が掛けてあるのだが、フィーザーは改めて冷気を送る魔法と保存の魔法を重ね掛けする。ヴィストラント唯一の教育機関であるサンクトリア学院の魔法学科5年主席である彼には、その程度の基礎レベルの魔法を使うのはわけもないことだった。

 買い置きしておけば良かったなと思いながら、自分の分と妹の分、二つのアイスが入った袋をぶら下げたフィーザーが、コンビニから自宅への近道である裏道へと足を踏み入れると、曲がり角の向こうから走ってきた少女と危うくぶつかりそうになった。


「危ないっ!」


 咄嗟に荷物を放って空中に固定、少女の腰へと手を回して、優しく抱き留める。もちろん、その場に尻もちをついたりなどという無様な真似を晒したりはしない。

 女の子特有の柔らかい感触と、甘くていい匂いが鼻孔をくすぐり、いかんいかんと首を振ると、脚と背中を踏ん張ってその場で支える。

 

「キミ、大丈夫―—」


 言いかけて、フィーザーは息を呑んだ。

 今まで出会ったどんな女の子よりも美しい、まるで神様が人類の理想の少女を創造したかのような、一枚だけの肌着のような薄いシャツを着ただけの美貌の少女が、サラサラの長い銀髪を靡かせながら、ルビーのような真っ赤な瞳で、フィーザーの事を覗き込んでいた。


(この辺じゃ、学院でも見かけたことのない子だけど、一体どこの誰なんだろう。教会? それにしては格好がなあ……、って僕は何を考えているんだ!)


 ほとんど全裸に近い少女をまじまじと凝視するわけにもいかず、フィーザーは首を振った。それで腕や身体に感じる感触がなくなるわけではなかったが、理性を総動員してどうにか気にしないようにする。

 孤児院の役目も果たしている、可愛い幼女のシスターがいることで有名な、聖パピリア教会は、ヴィストラントの住宅街西端にあり、距離的には問題ないようにも思えたが、教会ならばもっとちゃんとした服があるだろうし、こんな時間に少女を一人で出歩かせたりはしないだろう。裸足である理由も思いつかない。

 

「とにかく、教会に連れて行くにしても今日は無理だ。明日は学院があるし、やっぱり、管理局に通報しておくべきかな」


 この人工都市国家の国土の中央に位置している管理局は、24時間、365日、いつでも連絡すれば、誰かが対応してくれる。

 もし家出なのだとしたら、彼女のご両親は今頃家出した少女を探しているかもしれないし、警邏隊にも連絡がされているかもしれない。教会からきた迷子なのだとしても、同じような行動には出ているだろう。

 警邏隊というのは、その名の通り、ヴィストラントの秩序を守るべく管理局に設置されている機関で、有事の際の対応や、軍の出動する前段階での国家の平和維持機構としての役割を果たしている。

 通信端末を取り出そうと、彼女を離し、ポケットに手を入れると、白魚のような綺麗な手が伸ばされて、弱弱しく押さえつけてきた。


「お願い……ダメ……」


 フルフルと小刻みに振られる顔を見つめながら、フィーザーは困ったような表情で頭を掻いた。


「警吏に連絡がダメって……嫌な予感しかしないんだけど」


 警吏への連絡すら拒んだということは、犯罪者である可能性も完全に否定できるわけではなかったが、さすがにそれはないだろうと思えた。

 もし捕まっている犯人が逃げだしていたりしたらニュースになっていないわけがないし、この子を探してもっと巡回がいるはずである。しかし、ここに来るまでにはそのようなニュースは流れていないし、警邏隊員の姿も見ていない。出動していて然るべき、サイレンの音も聞こえてきてはいなかった。

 同時に、教会からの迷子である可能性も格段に下がる。警吏への連絡を拒む理由がわからないし、そもそも、教会のシスターがお目付け役、保護者としてついてきていないことなどあり得るはずもなく、こんな時間に一人で散歩に出るなどということもないだろう。

 フィーザーも年頃の男子として、同級生がはまるようなフィクション、小説や漫画にも当然興味を持っているし、自分の部屋の本棚にも何冊も似たようなライトノベルなんかも置いてあったりする。しかし、それを現実と混同するような異常な精神は持ち合わせていなかった。

 厄介ごとの気配を感じつつも、改めて、せめてこの子の名前と、両親もしくは保護者の連絡先だけでも聞いておこうと振り返ったところ、その少女はじっとフィーザーの事を見つめていて、お互いの視線が交わると、糸が切れたように気を失ってしまい、慌てて広げたフィーザーの腕の中に倒れ込んできた。


「まあ、仕方ない。ここは漫画かアニメの主人公にでもなったつもりで、この子を連れて帰るとするか」


 年頃の男子で、そういった創作物の主人公、もしくは登場人物に憧れている者は少なくない。フィーザーは別にそこまで憧れているわけではなかったが、こんなに可愛い、しかも弱っているらしい女の子を見捨てることができるほど冷酷な人間ではなかった。

 その前にフローラに連絡しておこうと思い、フィーザーは端末を操作して、オンラインメールのチャットの機能を使ってメッセージ作成画面を開く。


「『女の子を』、いや、違うかな、『とっても綺麗な女の子を拾ったから連れて帰るね』、っと」


 文面と今の自分が置かれている状況を確認し、これじゃあ僕は犯罪者みたいだな、と思いつつも、咄嗟に上手い文章を閃くわけでもない。みたいではなく、第三者から見れば完全に誘拐犯なのだが。

 送信し、端末を仕舞うと、フィーザーは銀髪の少女を、所謂お姫様抱っこの格好で抱きかかえて、アイスの入った袋を取ってからゆっくりと自宅へ向かって歩き出した。


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