異能部は放課後、救世主やってます
お久しぶりです。息抜きに書いてみました。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
目覚まし時計の音が鳴っている。乙川リルは、重い瞼をこすり頭の中に響き渡る時計を叩く。強打しすぎたせいで手のひらがじんわりと痛みと熱を持つ。その痛みに目が覚めたリルはもう一度時計の針を確認すると、慌てて布団から飛び起きた。
「やっばい、今日は入学式だった!」
クローゼットにある制服を手に取り、もたつきながら着替えを済ませる。着慣れていないせいか、どことなく制服に着られているような感覚に陥る。全身鏡と睨み合いながらおかしくないか入念にチェックした。
中学校の頃まではブレザーだったので、セーラーというのは新鮮だ。黒と白で纏め上げられたセーラー服に、存在を主張するような鮮やかな赤色のリボンが胸元で揺れる。制服の可愛さはこの地区で一番評判高い。憧れの高校の憧れの制服に身を通し、リルは高めの位置で髪の毛をくくると朝食をとるために下へ降りた。
一階に行くと既に母親がリルの分と妹の分の朝食を用意していた。フライパンを洗いながら少し呆れたように母は言う。
「リル、早く食べちゃいなさいね。じゃないと入学早々に遅れるわよ?」
「分かっているってば」
黙々とテレビを見ながら食べる妹の前で勢いよく、口に掻きこむ。
「ヴッ、げほっ」
「お姉ちゃん……何やってんの……」
呆れた妹の視線を受けながら口いっぱいに頬張り、流し込もうとしたが喉が詰まったので紅茶を飲む。
ふと、妹が食い入るように見るテレビが気になって見てみる。
何やらキャスターが真剣な表情で説明していく。その後ろで流れる映像に既視感を覚えた。
『現在、山樝子地区ではLv.6の黒渦が潜伏しているようです。うち数人が被害に遭っており、まだ討伐されていないため厳重な注意が必要です』
どこかで見たことのある光景が流れていると思えば、自分達が住んでいる地区だったことにリルは驚いた。まさかこんな近くに、しかも自分達の住んでいる所で危険なレベルに達した黒渦が潜伏していたとは。驚くリルに母が心配そうに話しかけてくる。
「リル、登下校の時は気をつけなさいね? いくらあんたが異能者だからって危険なのは変わりないから」
「分かっているよ、そんなことくらい。行ってきます!」
一通りの身支度を手短に済ませてリルは玄関に置いていた学生鞄をひったくるようにして、家を出た。
*
「え~、皆さん三年間は長いと感じるでしょうが実際体験してみるのは本当に短いです。あっという間です。ですので、私から言えることは一つ。学生生活を楽しみながら充実した毎日を送って下さい」
長かった校長先生の言葉も終わると思ったのか、先程まで寝ていた生徒たちが身動きを取り始める。
「しかしですね~、最近この山樝子地区にLv.6の黒渦が現れたとニュースでやっておりましてですね。見た方もいらっしゃるんじゃないかと思いますが、登下校の際には気をつけてください。Lv.6といえば殺傷能力を持つ個体なので出来るだけ日が昇っているうちに帰るようにしてください」
校長先生はそう言うと一礼し、今度こそ壇上から降りていく。
(Lv.6かぁ……危ないのは分かるけど、どんな感じなんだろう?)
ニュースでも校長先生も注意するように言うのでリルはそんなことを考える。
突如現れた謎の生物、黒渦。未だ謎も多く、解明されていない部分もたくさんある。真っ黒でスライムのような容姿をしており、人を吸収してしまうことから『黒い渦のような生き物』通称、黒渦と呼ばれるようになったと、どこかのテレビで言っていた。詳しくは分からないが、人しか狙わないらしく黒渦は普通の武器では分裂して再生するため本当に倒すためにはリルのような『異能者』でないと討伐が出来ない。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか入学式は終わりクラス発表の時間になっていた。
教室前に貼られた紙を見ていくと、一年三組の教室で名前があった。
他に知り合いがいないか探していくと、後ろからいきなり抱き付かれる。
「リル! 同じクラスになれたね」
「市佳ちゃん!」
茶色い髪のショートヘアーがトレードマークの三好市佳だった。
市佳とは中学校時代からの友人だ。彼女がここに進学するのでリルも同じ高校にしたのも志望した理由の一つでもある。
一年三組には市佳の他に同じ中学校出身の男子生徒がいた。クラスメイトは知り合いもなかなか多く、スタートはいい感じだ。
とりあえず、時間もないので自分の席を見つけて座っていると担任らしき男性が慌てて入ってくる。
人懐っこい笑みを浮かべた男性は、頭を掻きながら遅刻してきた詫びを言い出席簿を開く。
「この一年三組を担当する睦月と言います。ちょっと先生おっちょこちょいな所もあるから、みんなでサポートしていって欲しい!」
睦月と名乗る男性はそう言うと黒板に名前を書こうとしてチョークを落とす。言った傍からの行動にクラス中はどっと笑いが起きる。睦月は照れ臭そうに黒板に名前を書いていく。
「さて、とりあえずはまたミーティングがあるらしいから今から視聴覚室へ移動だ!」
先程、体育館から移動してきたばかりなのにまたの移動に生徒達はブーイングをする。睦月は宥めつつも扉の所に立って準備しろ、と言っていた。
リルも市佳と共に視聴覚室へ移動しようとした時だった。
「あ~、えっと……」
名前を思い出そうとしてこめかみを叩きながら睦月が唸る。
「乙川リルです」
そう名乗ると彼は、そう乙川さん! と嬉しそうに手を叩いた。市佳に少しリルと話がしたいと告げ、彼女を遠ざけると周りに聞こえないように小声で話しかけてくる。
「乙川さんって異能者なんだよね?」
「はい」
担任となる教師はどの生徒が異能者かということを知ることが許されている。知っておくことで、異能者である生徒が異能を暴走するような事態を防ぐためだ。異能の暴走は精神的なものから現れやすい。
「視聴覚室のミーティングが終わったら職員室へ来てくれないかな? ちょっと君に話があるんだ」
睦月の言葉に身を固くしていると、屈託のない笑顔で否定する。
「ああ、違うよ。別に説教とかじゃないから……ごめんね、呼び止めて」
「いえ」
そう言うとリルは市佳の元へ駆けよった。
「何の話だったの?」
不思議そうに彼女が聞いてくるが、彼女にもリルが異能者だということを知らせていないため言葉を濁すしかなかった。
*
睦月の言う通り、視聴覚室で今後の学生生活の注意点をまとめたビデオを見た後、職員室へ向かうと書類まみれの机であたふたしている睦月がいた。
「あの……先生、大丈夫ですか?」
「え、ああ、だ大丈夫だよ」
机上に積み重ねられた高い書類の山を幾つも崩しながら彼は一枚の紙を取り出す。
そこには『特別入部届』と文字が書かれていた。
「特別入部届……? これは一体何ですか」
「乙川さんって異能者なんだよね。実はうちの学校には『異能部』っていう公にはされていない部活があるんだ」
睦月はそう言うと手書きの部活のチラシを一枚手渡してきた。太いペンで『異能部』と書かれている。
「異能部が公にされていないのは、異能自体を広めるのはよしとしない人がいるからですか?」
リルの言葉に睦月は頷いた。リルもそうだが、この国は特に異能という不思議な能力について恐れている人が多い。それこそ知識も少ないせいか、偏見が多く異能者はそうした世間の風当たりに苦しむことが多いのだ。そうした事態を避ける為に自身が異能持ちだと公言している異能者は少ない。
「公には存在しないとされている部活の入部届がその『特別入部届』なんだ」
「私が異能者だから『異能部』の勧誘っていうのは分かるのですが、どういった活動をしているんですか?」
公にされていないので活動内容を知らないのは当たり前なのだが、どの部活に入るかまだ決めていないうえ、それも異能を使えるのならどんなものなのか興味は持つ。
「乙川さんは黒渦については知っているよね?」
「はい。レベルによって姿形、能力が変わる黒い生物ですよね? この地区にLv.6がいるってニュースで知りました」
「そうそう。その黒渦を倒す活動をしているのが『異能部』なんだ」
「えっ、でも学生……ですよね」
リルの困惑した表情を見て睦月も苦笑する。
「黒渦にもそう大した脅威でもないレベルがあって、危険度の少ない黒渦討伐を主にしているんだ。攻撃力を持った黒渦の討伐はプロの人がやってくれるんだけどね。でも、まあ危険なのは変わりないし、乙川さんの意志もあるから無理強いはしないけど、とりあえず部室に行ってみて体験入部してから決めると良いよ。その『特別入部届』は他の人に知られないようにしてね」
「いえ……今すぐ入ります!」
目を輝かせて即答するリルに睦月も驚く。今決めなくてもよく考えてから入るのはどうか、と慌てて言うがスイッチの入ったリルに睦月の言葉は届かない。
「部活動って放課後なんですよね? 放課後に黒渦退治って……正体を知られず世界を救うヒーローみたいじゃないですか!!」
「ヒー、ロー? ま、まあそうだね……?」
「入ります、そんなカッコいい部活きっと他にないでしょうし」
拳をつくり、頬を紅潮させるリルに睦月は困ったような笑みを浮かべて、特別入部届の担任欄に押印をする。
「今日も活動しているから部室棟にある部室に行ってみると良いよ。部長には先生から伝えておくよ」
「ありがとうございます!」
そうしてリルは放課後が来るのを待ち遠しく感じるのだった。
*
担任の睦月に教えてもらった通りに部室棟へ行くと、他の部とは違い何の部活か書かれていない扉が一つあった。おそらくここが異能部の部室なのだろう。おそるおそる扉をノックしてみると、奥から声がした。そっとドアノブを回し中へ入ると狭く埃っぽい空間に四人の生徒がいた。
「ああ、君が乙川さん?」
すぐに話しかけてくれたのは、アッシュグレーのボブに灰色の瞳をした凛々しい顔立ちの女子生徒だった。
「はい」
「睦月先生から聞いているよ、異能部に新しく入ってくれた子なんだって?」
「はい、そうです!」
元気よく返事をすると、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。
「私はこの異能部の部長をやっている神崎司だ。よろしく」
そう言い、手を差し出し握手を求める。リルはそっと握ると同じように自己紹介をした。
「乙川リルです、今日からよろしくお願いします!!」
元気のいいリルの挨拶に他の生徒達も注目する。神崎はリルに興味を持っているらしい他の部員達の紹介をしてくれた。
「ここにいる部員全員は二年生なんだ。で、彼女が汐ノ宮姫香。あの有名な汐ノ宮グループの令嬢だよ」
神崎の紹介に、波打った金髪をリボンで留めハーフアップにしている女子生徒はスカートの裾を少しだけ摘んで膝を曲げてお辞儀をする。芝居らしい動作ではあるが彼女がやると品があるように思える。
「汐ノ宮グループって聞いたことはあるんですが、何をしているんですか?」
リルの疑問に汐ノ宮と紹介された彼女が答える。
「汐ノ宮グループは黒渦の討伐課の皆様に支給する制服、食糧、異能者用の武器などを取り扱っている会社ですわ。まあ、あなたみたいな庶民は知らなくても当然ですわ」
「庶民とか関係ないよ、そこは」
汐ノ宮の言い分に指摘する神崎。汐ノ宮はどこか不服そうに頬をプクッと膨らませる。一学年上のはずなのだが、どことなく妹みたいな雰囲気を持っている。
「そして、あそこで本を読んでいる男子が相模尊治。ぶっきらぼうだけど気にしないでね」
神崎の指差す方向には本を片手に椅子に座る男子生徒がいた。眼鏡をかけており、その奥からぎらりと光る鋭い眼。リルを睨みつけるような目つきに思わずたじろぐ。
「ほら、相模。自己紹介しなさい」
ずっと黙っていた相模だったが、神崎の言葉に渋々といった風で自己紹介をする。
「相模……尊治だ」
「よ、よろしくお願いします」
その近寄りにくい雰囲気に怖気づくが気持ちを切り替えようとする。
(きっと相模先輩も良い人だよ……これから知っていけばいいし)
そして神崎の紹介は最後の一人となった。
「この子が宇佐美カナタ。かなりマイペースな不思議ちゃんなんだけど、うまくリードしてあげて欲しいね」
宇佐美と紹介された彼はにこやかな微笑みをたずさえ、リルに近づいてくる。童顔な顔立ちからは想像つかないが身長が高い。リルの近くに来ると体格もあり迫力がある。
「俺は宇佐美カナタです~。よろしく~」
体格とは異なり、ふんわりとした口調の宇佐美は人当たりの良さそうな先輩だ。相模の緊張感がほぐれていくのが分かる。
「本当はもう一人いるんだけど、あとで挨拶をさせるね。とりあえず、そうだな……座学から始めようか」
「座学? 何か勉強するんですか?」
「うん、黒渦についてね」
神崎の指示のもと、資料とホワイトボードが部室に持ち込まれる。教師は相模だ。リルの隣には神崎が座っていた。端の方に座って頬を紅潮させながら汐ノ宮も聞いていた。宇佐美は早速興味を失ったらしく、お菓子を食べている。
非常に鬱陶しそうな面倒くさそうな顔をして相模は語りはじめる。
「まず、新入りはどれくらい黒渦について知っている?」
「ほとんど知らないです。出くわしたこともないので本物を見たこともありません」
「では、黒渦の基本的な事から学んでいくか。『黒渦』という名称はこの国のみの呼び名で正式名称はmaelstrom、大渦と呼ばれている。容姿が黒いことから黒渦と呼ばれ始め、形はこのように丸い」
そう言って相模はホワイトボードに黒渦の写真を貼りつけていく。そこには、真っ黒で表面がゼリー状、丸い形をした黒渦が映っている。
「これは危険度がないLv.1からLv.5の写真だ。僕らが討伐するのはこのレベルの黒渦だ。このレベルではまだ攻撃も出来ないが、人間を捕食というか取り込んで吸収するから早いうちに倒しておくのが理想だな」
「黒渦には目とかないのにどうやって捕食するんですか?」
相模は出来の良い生徒を見るような目になったが、すぐさま眉間に皺を寄せる。
「鼻と口だな。あいつらは匂いに敏感だ。鼻で獲物を見つけ大きな口で飲みこむ。ちなみに、人間を吸収して胃の中で完全に消化されるまで2週間はかかる。黒渦に食べられた人を助けるタイムリミットは2週間だ。普段、奴らは昼間影の中に潜んでいて夜になると出てくる。だが、これは危険度のないLv.1からLv.5と、攻撃力を持ち始めたLv.6からLv.7までの話だ。それ以上になると、昼も夜もお構いなしに人間を喰うらしい」
「相模先輩、そのレベルっていうのがイマイチ理解していないんですけど、何段階くらいまであるんですか?」
すると相模は様々な黒渦の写真を貼りつけていく。彼が手にしていた写真にはどれも丸いゼリーのような黒渦ではなく、狼や熊、虎といった獣のような姿をした黒渦ばかりだった。
「黒渦には見た目と能力でレベル分けされている。黒くて丸い状態が初期状態であるLv.1からLv.5。人間を見つけても動きものろまだから初期状態の黒渦の被害はほとんどない。だが、中には人間を吸収して成長した奴もいる。他の動物の姿形をコピーして真似ている状態。攻撃が出来るようになり、危険になる。これがLv.6からLv.7と言われている。そいつらがより多くの人間を食べ進化した状態が、Lv.8からLv.9だ。他の動物の姿形をコピーした容姿は完全となり、加えて自我を持つようになる。こうなると一流の異能者じゃないと狩ることは難しい。一応、最終段階であるLv.10まで設定されているが実際の目撃情報はないし戦闘経験もないから、おそらく設定だけだろう。確認されている中で最高レベルなのは、Lv.8だな」
相模が言うには、黒渦というのは人間を捕食することはあまり得意ではないらしい。人間を捕食すれば黒渦はどんどんと能力が強化されていくのだが、そこまでたどり着く個体がかなり少ないという。
ノートにメモを取りながらリルは相模に質問をする。
「黒渦ってどこを狙えば倒せるんですか?」
「核だ。奴らの中には核と呼ばれる物質が存在する。人間の心臓のような役割を果たしている。それを破壊すればいい」
隣で神崎がなるほど、と相槌を打っている。その様子からおそらく相模が一番黒渦について知識量があるのだろう。
「そして、黒渦を狩る異能者がセイバーと呼ばれる。これはプロじゃなくても僕たちもそう呼ばれている。そして、プロのセイバー達が所属するのが討伐課と呼ばれる国家公務員だ」
相模はそう言うと些か乱暴な字で『保全局討伐課』とホワイトボードに書く。
ふと、疑問がわいたので相模に質問をしてみる。
「先輩、プロの人がいるなら何故、学生が黒渦の討伐をしているんですか?」
「ああ、それはもっともな質問だな。僕ら高校生である異能者までも黒渦討伐をする理由は簡単だ。単純に極度の人員不足だからだよ。黒渦は世界中にいる。そしてそれに対抗する異能者も世界中にはいるが、数が圧倒的に足りない。異能者なんてそうそう生まれる存在でもないからな。一方の黒渦は個体が分裂して新しい個体を作ることが出来る。そりゃあ、猫の手ならぬ学生の手も借りたくなるだろ」
プロの異能者たち、討伐課に所属する人間達は危険度の高い黒渦討伐を主にし、危険のない初期段階の黒渦を討伐するのは高校生や、大学生の異能者が担当すると相模は付け加えた。そのため、この高校以外でも異能部は存在し年に二回、前期と後期で全地区の高校の異能部が集まり、交流会を行うこともあるらしい。
「まあ、大体はこんなもんだろ。神崎、そろそろじゃないか?」
時計をちらりと確認した相模がそう言うとリルの隣で黙って聞いていた神崎が立ち上がった。
「それじゃあ、これから実戦なんだけどまずは私達のやり方を見ていて欲しい。今回の黒渦討伐は、私と相模が前線に、姫香と宇佐美は乙川さんと一緒に後方支援だ」
神崎の言葉に汐ノ宮が聞く。
「ルチアちゃんはどうしますの?」
「ルチアは先に対象区域に行っているらしい。そこで合流。合流したら姫香と宇佐美はルチアの指示に従うこと」
「承知しましたです~」
「分かりましたわ、庶民の皆様わたくしと参りますわよ!」
意気揚々と部室を出る汐ノ宮と宇佐美の後を追いかけ、これからどんな光景が見られるのかリルは少し楽しみだった。
*
汐ノ宮が先頭に立ち、後から宇佐美、リル、神崎、相模がついていく。今回の討伐は学校のすぐ裏にある山らしい。神崎が言うには基本的に日中でも薄暗い山の中の方が、黒渦は潜伏しやすいらしくほとんどいつも裏山で討伐を行っている。
裏山の入り口につくと同じ制服を着た一人の女子生徒がいた。長く美しい黒髪に紅の唇が映える。彼女はリルの姿を見ると、柔らかな微笑みを浮かべて挨拶をする。
「はじめまして、後輩ちゃん。わたしは望月ルチア、司ちゃんから聞いていたよ」
何とも高く特徴的な声だった。リルは一礼すると自らも名乗る。
「えっと、乙川リルです! よろしくお願いします」
「こちらこそ」
二人の挨拶を終えるのを待っていた神崎は、見計らって部員に作戦を告げる。
「今回は新入生の乙川さんを守るようにして、姫香と宇佐美はルチアと共に行動。勿論、乙川さんもルチアについていってね。で、私と相模でルチアの指示に従いながら討伐をする。いい?」
神崎の言葉に部員達は返事をする。しかし、ただ一人気にくわなさそうな表情をして黙り込む相模。そんな彼に神崎は優しく笑いかけるもどうも目が笑っていない。
「ねえ、司ちゃん。どうせこのクズはわたしの言う事なんて聞きやしないし、無視しちゃって良いんじゃない?」
リルと接した時とは声音も変わって冷たい表情で相模を見る望月の変貌に驚く。まるでその視線は蔑むように彼に注がれている。しかし、相模はそんな望月の視線を何ともないような顔で受け止める。
「いや、そうはいかない。攻撃能力を持つのは私と相模だけだからね。戦力は維持しておきたいんだ」
「そう、僕は君のような“役立たず”とは存在意義が違う」
「何ですって?」
望月を挑発するように相模は眼鏡を押し上げる。
「だってそうだろう、君の異能は僕と違って用途が限られてくる。そして君個人の戦闘能力も皆無だ。役立たず以外に何がある?」
望月と相模の間に流れる冷たい空気に思わずリルは委縮してしまう。雰囲気がこれ以上悪くなる前にと、神崎が止めに入った。
「二人ともこれから討伐だというのに喧嘩してどうする。部長命令には従ってもらうぞ」
その言葉と彼女の迫力に望月も相模も黙り込む。
「じゃあ、各自持ち場へ」
神崎がそう言うのと同時に部員達は走り出した。
「乙川さん、わたしについてきて」
呆気にとられるリルの手を引っ張って望月がやってきたのは、裏山の全体が見渡せる学校の屋上だ。普段なら屋上には立ち入り禁止なのだが、異能部の活動時のみ屋上を使用できるらしい。裏山には非常に近く、遮蔽物が何もないため異能を使いやすいのだとか。望月は遠くを見つめながらそう言った。
宇佐美が気付いたらいなくなっていたが、望月と汐ノ宮曰く、彼は気付いたらいなくなるそうであまり気にしなくて良いと言われた。そうは言っても宇佐美が気になり彼の姿を探しているうちに、いつの間にか戦闘が始まっていた。
「対象は一体。おそらく、Lv.3の黒渦だわ。司の方に行っているから追いかけて」
望月がこめかみに指を当てながらそう叫ぶ。無線などつけているようには見えないのにそれで通じるのだろうか、と首を傾げているとリルの視線に気付いた望月がふっと笑って説明してくれた。
「わたしが指定した人に無線が無くても聞こえるテレパシーよ」
「望月先輩はテレパシー能力の異能なんですか?」
リルがそう聞くと彼女は一瞬だけ苦しそうな表情をする。
(聞いちゃいけなかったかな……)
そう思ったがその表情はすぐに元に戻っていた。
「わたしの能力は『空間把握能力』なの。敵味方がどこにいるのか、一定の範囲内で分かるの。黒渦が影に潜んでいてもわたしには分かる。加えて、一定の範囲に味方がいた場合、わたしが認識した相手の脳に直接語りかけるようにテレパシーを繋ぐことも出来るのよ」
さっきあのクソメガネに役立たず呼ばわりされたけどわたしだって立派な異能者よ、と望月は付け加えた。やはり相模のあの言葉を根に持っているらしい。
「対象が九時の方向に逃げるわ。相模、反対側に回って一番高い場所に行って。姫香ちゃん、いつでも発動できるようにスタンバイして」
またもこめかみに指を当てながら戦闘しているだろう二人へ指示をする。屋上へ一緒にやって来ていた汐ノ宮もリルを守るようにぎゅっと抱き付いてきた。
何が起きるのだろう、と思っていると目の前が一瞬にして暗くなる。
(あ、あれが……黒渦!)
影かと思ったそれは、黒く丸いゼリー状の体をした黒渦だった。姿形は相模が座学の時間に見せてくれた写真に写っていたものと同じだ。大きな口らしいものを広げ、望月やリル、汐ノ宮を飲みこもうと飛び跳ねてきた。
「えいっ!」
汐ノ宮が望月の前に立つと同時に彼女の体が薄い緑色に淡く輝いた。その瞬間、リル達がいる場所に正方形の透明な色つきガラスのようなものが出現する。黒渦はそれに阻まれてこちらに近づくことが出来ないらしく、角をかじっていた。
「わたくしの異能は『防御』! 壁を作りだして攻撃から身を守ることが出来るんですの。凄いのは見える範囲内にいれば、離れた味方にも防御壁を作り出すことは可能ですのよ」
自信満々に胸を張って言う汐ノ宮の後ろで禍々しい口を見せつける黒渦。一瞬、向こうの方が光ったと思った途端、黒渦のゼリー状の体に白い光の矢が突き刺さっていた。
「そして、相模の能力が『光の矢』。光の弓と矢を発動させて相手を貫くの」
望月が忌々しそうに言う。汐ノ宮の防御壁が解除され、矢に貫かれた黒渦は地面に落ちる。しかし、まだ生きているらしくうねうねと体を動かしていた。
黒渦の近くに望月が歩み寄る。リルが危ない、と止めようとした時に彼女の足元の影が揺らめき、細く糸のように立ち上って最後の抵抗を試みる黒渦の中心部を貫いた。激しくのたうちまわると今度こそ死んだらしく、黒渦は黒い霧となって消滅した。
「今のが、司の能力『影糸』ですのよ!」
「影糸……ですか」
驚くリルに汐ノ宮がまたも胸を張る。そんな彼女を微笑ましそうに望月は笑った。
「司ちゃんの『影糸』は、影を糸のように操ることが出来るんだ。本当は、殺傷能力はほとんどないんだけど、今の上手だったね?」
望月がそう言うとどこから来たのか、フェンスを乗り越え神崎がやって来ていた。異能者というのは身体能力も優れているらしい。同じ異能者でありながら、そこまで出来ないかもとリルは思う。
「核さえ見えていたら何とかなる。それで、乙川さんはどうだったかな?」
「え、えっと……とても凄かったです!」
リルが興奮気味にそう言うと神崎は嬉しそうに笑った。
「次の日から乙川さんも出来る?」
「はい、体力と異能だけが取柄なので」
「そういえば、リルの能力ってなんですの?」
いつの間にか呼び捨てになっていた汐ノ宮に、リルは彼女のように胸を張って言う。
「私は『紅焔』です!」
「こう……えん? 公園?」
あまりよく分かっていないらしい望月が首を傾げる。神崎も神妙な面持ちになっていた。
通じなかったことが急に恥ずかしくなってリルは俯きながら訂正する。
「えっと……炎の能力です。能力名は自分でつけました」
「ああ、炎ね。だから紅焔なのか」
納得したように神崎が言う。しかし、掘り返されるのは恥ずかしい。
「戦力が増えるのは嬉しいね、明日から討伐に参加してもらうけど無理はしないようにして」
「はい、ありがとうございます」
神崎の気遣いにリルはお礼を言う。そして、これで今日の異能部の活動は終わりだったらしく部長の神崎の挨拶で解散となった。
*
次の日。入学式の翌日から授業が本格的に始まった。一回目の授業、ということでどんな内容なのか説明するだけでほとんどの授業は終わる。何だかんだ時は過ぎていき、気がつけば放課後になった。
「リル、かなりご機嫌だね」
朝から夕方までずっとテンションが高いリルの様子に市佳が不思議そうに言った。市佳には異能部のことは言えないうえに、自身のことも隠しているため秘密にしているのが心苦しくはなるのだが、返ってそれがリルにとって正義のヒーローらしさに感じる理由でもある。
「ちょっとね~」
「そう。リルは今日も一緒に帰れないんでしょう?」
「うん、部活でね」
リルの言葉に市佳は怪訝そうな表情をした。
「でも七不思議研究会なんでしょ? そんな毎日やっているものなの?」
異能部は表向き『七不思議研究会』としている。その活動は誰も知らない上に、誰が顧問でどんな生徒がいるかも知られていないため、存在自体が『七不思議』ではないかと噂されているほどだ。
「まあ私が特に、って感じかな? ごめんね、市佳ちゃん」
「ううん、帰れる時に帰ろうね。ばいばい、リル」
「また明日」
市佳は詮索をしないタイプだ。リルが話す事しか聞かない。その深入りしない姿勢がリルにとって心地の良いのだ。
「よし、部活に行こう!」
今日はリルの初陣である。気合を入れ、弾むような足取りで部室へ向かった。
「今日は、姫香と乙川さんが二人一組で行動。私と相模が単独行動。そして、ルチアがいつもみたいに指示を出す。いい?」
「はい」
神崎の指示に短い返事をする部員達。初陣のリルを守るために防御の異能を持つ汐ノ宮とタッグを組んで黒渦を討伐する。宇佐美は相変わらずどこかに消えているが、望月が全員の位置と黒渦の位置を把握できるためどう動けばいいのか指示を出す。他の部員はそれに従うといった戦法だ。
庶民のあなたはこのわたくしが守ってあげますわ、と癖なのか胸を張る汐ノ宮。そんな彼女にそっと笑いかけながら高揚する気持ちを抑えきれないリルは、初陣でありながらも恐怖とはまた違う胸の高鳴りを感じていた。
神崎の合図で配置につく。今回も裏山だ。今回は住宅地に逃げていかないように、裏山の入り口付近を神崎が待機、そして北の方で黒渦を追いやるのが相模、相模が連れてきた黒渦を倒すのがリルの役割ということになっている。
裏山の南側でそっと木の陰に隠れ、相模が黒渦をこちらへ追いやるのを待つ。望月の能力で離れている他のメンバーの声も脳内に響き渡る。
『おい、新入り。順調にそっちへ追いやっている。お前が失敗すると神崎がいるとはいえ、住宅街の方へ黒渦をやってしまう可能性もあるからな。しっかりとどめを刺せ』
脳内に聞こえてくる相模の声。走りながら話しているせいか、息が切れている。汐ノ宮がそんな相模の声に色気があるとかどうの騒いでいたが、リルは見て見ぬふりを決めた。今、集中しないといけないのは黒渦だ。ここでリルが倒さなければ神崎に迷惑をかけてしまう。
『乙川さん、聞こえるかな? クソメガネが追いやっている黒渦、おそらくあと十秒後に乙川さんの待つポイントに行くはず。一気に決めて』
「はい、分かりました」
心の中でカウントしていく。十、九、八……四、三、二、一。
今だ、と心の中で叫びながら木陰から飛び出す。望月の言った通り相模が追いやって来た黒渦が、いきなり出てきたリルに驚いていたところだった。その隙を狙ってリルは異能を発動させる。
「クリムゾン・ブラスト!!」
指をピストルのように黒渦に向け、人差し指の先から炎の球を生み出しそのまま撃つ。技の名前は昨日、リルが一生懸命に考えたかっこ良さそうなものだ。ゼリー状の表面は焼けていたみたいだが、黒渦の急所にまで届かなかったらしく苦しそうにしながら逃げようとする。
その時、脳内で望月の悲鳴が聞こえた。
『クソメガネ! その方向だと乙川さんに当たっちゃう! 止めなさい!』
彼女の感情的な声に反応するように相模の怒鳴り声が脳内に響く。
『黙れ、役立たず! モタモタしていたら住宅街へ行ってしまうだろ!』
しかし、どこから相模が矢を撃ってくるのか分からないためリルは動きようがなかった。炎で爆破させるだけでは黒渦の核にまで到達しないと分かったリルは、炎の剣を生み出す。おそらく貫くか斬るかしないと核にまで届かないのだろう。頭の中で剣のイメージを思い浮かべ、異能を発動させて作り出す。リルが触れても熱くない炎の剣は、黒渦の核を真っ二つに斬り裂いた。
その直後、望月の悲鳴に近い叫び声が脳内に響いた。
『危ないっ!!』
リルの頭を狙うように飛んできた光の矢は、危機一髪で発動した汐ノ宮の防御壁に跳ね返される。甲高い音を立てて矢は落ち、そのまま消えていった。
ふと、斜め前の茂みがガサガサと音を立てて揺れたが一瞬、黒い影が見えた気がしただけで誰も出てこない。ひとまず黒渦を倒したことに安堵したリルは、汐ノ宮に支えられながら神崎の元へ向かった。
*
「あんたって人はいつもわたしの言う事を聞かない! メンバーを危ない目に遭わせてどうするのよ、そんなことも分からないオツムなの?」
神崎の元へ集まったリル達を待っていたのは、口論をする望月と相模だった。そんな二人を神崎が窘めるが怒り狂った望月と彼女に苛立っている相模に届いていない。望月が相模の襟を掴み、睨みつけるほど一触即発の雰囲気になっている。
「役立たずには分からないだろうが、こっちにはこっちのやり方っていうのがあるんだよ。それに僕みたいな人間が何で役立たずの言う事を聞く必要があるんだ」
「あんた一人じゃないの!! 他の子達もいるから味方同士、傷つけあうことのないようにわたしが指示をしているわけじゃない」
「討伐中の怪我は自己責任だ。それに宇佐美がいるし、万が一怪我をしたって……っ」
相模が言い終わる前に望月が彼を殴る。その拍子に彼が掛けていた眼鏡が地面に飛ぶ。相模は望月を鋭い目つきで睨みつけた。
「そういう問題じゃない! もう少しで乙川さんに当たっていたじゃない!」
「何で僕が新入りに合わせなきゃならないんだ」
隣で汐ノ宮がわたくしも尊治様に罵られたい、なんて言っていたが二人の険悪な雰囲気を前に突っ込みをすることなど頭に浮かばなかった。
「君達、いい加減になさい?」
そっと熱くなる二人の方に神崎の手が置かれる。彼女の言葉でその場の空気がひんやりと冷たくなった。
「二人とも喧嘩はダメですよ~」
突如現れた宇佐美にようやく望月は相模から手を離した。軽蔑するような目線を彼に浴びせると、そのまま去って行く。相模も殴られた頬をさすりながら苛立ちながら彼女と同じようにその場を去る。
「あの……神崎先輩」
二人の喧嘩を見ているうちに怖くなってリルは神崎に話しかける。すると、優しく頭を撫でてくれ心配しないでいいよ、とそっと微笑んだ。
「あの二人、いつもあんな感じなんだ。お互い過去に色々あってね、馬が合わないらしい」
「そう、なんですか……」
「乙川さんは気にしなくて良いよ。今日は初めての討伐おめでとう、良かったよ」
神崎にそう言われ少し照れ臭くなったリルは、彼女から視線を逸らす。汐ノ宮がそういえば、とリルに戦闘中のことで聞いてきた。
「リルさんは異能を発動する時に何か叫んでいましたわよね? 確か……」
「クリムゾン・ブラスト? 私も気になっていたんだよね。ルチアのテレパシーで聞こえちゃったから」
恥ずかしいところを指摘されて思わず赤面してしまう。ああいうのはその場の雰囲気と気分の高揚で言えるものなので、落ち着いた今となって掘り返されるのはもどかしい。
「技名とか考えているの?」
神崎の意地の悪そうな微笑みにリルは言葉を詰まらせる。
「えっと、あった方が正義のヒーローっぽいかなって」
「確かにそうですわね、わたくしも何か考えようかしら」
先輩二人に技名のことをからかわれながら楽しく家へと帰った。
*
「リル~、ご飯食べようっ」
市佳がそう言い、ピンク色の花柄の包みにくるまれたお弁当を手に持ってリルの元へやって来る。さっきの授業を寝て過ごしていたリルは、彼女の声でようやくお昼休みになったことに気付いた。
「あっ、もうご飯かぁ……市佳ちゃん、私購買でご飯買ってくるから先に食べていていいよ」
そう言い、リルは寝ぼけ眼をこすりながら財布を鞄から取り出し購買へと向かった。
購買は二年生の靴箱近くにある。お昼休みになると昼食を買いにきた生徒でごった返す。急いで行かねばと小走りに廊下を歩いていると、向こうから見知った顔がいた。
「乙川さん」
「リルさぁん」
神崎と汐ノ宮だった。
「先輩、こんにちは」
立ち止まって挨拶をすると、二人は近づいてきてリルに話しかけてくる。神崎は財布を持っているのでおそらく、リルと同様に購買へ昼食を買いに来たのだろう。一方の汐ノ宮は手ぶらなので神崎の付き添いといったところだろうか。
「こんなところで会うとはね」
「奇遇ですね、神崎先輩も購買ですか?」
「庶民のレストランに行きますのよ」
汐ノ宮の言葉に神崎が購買ね、と訂正する。訂正された汐ノ宮は不服そうに頬を膨らました。
「ところで……望月先輩と相模先輩、あれから大丈夫なんですかね」
気になっていた二人のその後を聞くと、神崎は少し悲しそうに微笑んだ。その笑みがどういった意味を示しているのかリルには分からなかった。
「昔ね、異能部で事件があって……ルチアの大切な人を相模が傷付けてしまったんだ。それ以来っていうか、元から悪かったのは悪かったんだけど今みたいに犬猿の仲になっちゃって。二人はトラウマを抱えながらお互いぶつかり合っている状態なんだよ、きっと」
神崎の視線はリルではない、どこか遠くを見つめていた。
「だから私は二人が自分に、過去に向き合うまでずっと待っていようって決めたんだ。情けないかもしれないけど……乙川さん。こんな問題だらけの先輩たちだけど、ついて来てくれると嬉しいよ」
神崎のどこか悲しそうな瞳にリルは思わず涙ぐむ。
「はい、もちろんです!」
「それに今日の部活ではきっと元通りだろうしね」
「ええ、尊治様はしつこいのはお嫌いですし」
「ずっと思っていたんですけど、汐ノ宮先輩って相模先輩の事……」
好きなんですか、と聞こうとすると先を言わないよう汐ノ宮に口を塞がれる。しかし、彼女の熟れた果実のような顔色はもう答えを言っているようなものだった。
*
「あ、リルおかえり。購買混んでいたの?」
「ちょっとね、お待たせしちゃったね」
先にお弁当に手をつけていた市佳の元へ帰る。机の上に戦利品の焼きそばパンとコーヒー牛乳を置く。
「ねえ、リルは知っている? 最近、この学校の生徒にLv.6の黒渦の被害に遭った人がいるんだって」
「あのニュースでやっていた?」
それは初耳だった。異能部としてもそのことについては詳しく知らなければならない、と思ったリルは市佳に根掘り葉掘り聞いた。
「どれくらいの被害が出てるの?」
「三人くらいなんだって。何か大きくて黒い犬みたいな黒渦に引っかかれたとか……怖いよね。しかも、被害に遭ったのは部活帰りの人だって。リルも気をつけなよ」
「ありがとう、でも市佳も気をつけて」
もしかしたら初期段階の黒渦の退治中にもLv.6が出てくるかもしれない。これからの討伐はより気を引き締めないといけないだろう。
*
珍しく先生が授業を早く終わらせてくれたおかげで、いつもより部室につくのが早かった。一番乗りの可能性もある、と思いながら部室に入るが先に相模と望月と宇佐美がいた。さすが先輩方だ。
「こんにちは」
「こんにちは、乙川さん」
相模は入って来たリルを一瞥するだけですぐに本に視線を戻す。一方の宇佐美はにこにことリルを見るだけで、挨拶を返してくれたのは望月だけだった。
(結構この部活って個性的な人が多いような……)
神崎も汐ノ宮もなのだが、なかなか癖の強い人たちが集まっている気がする。市佳とは少し違った普通さを感じるのだ。
「ねえ、乙川さん」
ふと窓辺に立っていた望月が話しかけた。相模とは仲直りしたのだろうか、いつもと変わらない表情をしている。望月の声に相模は反応する気配は全くなく、本に夢中の様子だ。
「学校には慣れつつある?」
「な、何とか……でも今から進路は考えておけよって言われていて。正直、困っているんです」
「進路ねぇ。まだ一年生だし焦らなくていいとは思うけど」
確かに先生にも今すぐに決めなくても良いが将来のビジョンは何となくでも思い浮かぶようにしろ、と言われた。焦らなくていいという意味だが、それでも漠然としすぎていてイメージも出来ない。先輩たちの進路はどうなのか、参考がてらに聞いてみると望月は苦笑して特にない、と首を横に振るだけだった。宇佐美は進路にはあまり関心がないらしい。
「やっぱり夢なんてすぐに見つかるものじゃないですよね。相模先輩はありますか?」
リルの質問に鬱陶しそうに視線を上げると、読んでいたページにしおりを挟み、本を閉じる。
「僕はプロのセイバーを目指している」
「というと、討伐課に入ることですか?」
「ああ、そうだ」
座学の時間で教えてもらった討伐課という存在。プロのセイバー、黒渦を討伐する異能者達が所属する場所だ。
「凄いですね、相模先輩って。もうイメージ出来ているなんて」
「僕を君らのような人間と一緒にしないでくれ」
プライドが高いのか、天邪鬼なのかは分からないがまだ相模とは馴染めそうにない。
そんな彼の言葉を切るように望月が話題を変える。
「異能者だからって別にプロのセイバーを目指さなくていいんだよ」
「そうなんですか?」
「そりゃあね、異能者も一人の人間だし。ちなみに、わたし達には今高校三年生の先輩がいるんだけど、彼も異能者としての道は選ばずに普通の人間として生きることを選んだよ。今は大学受験のために受験勉強の毎日なんだって」
「本来はどの部活もまだ三年生は残っていますからね~」
現在、高校三年生の先輩は一人で自分達を纏め上げてくれていたのだと望月は言う。三年生は一人というのに、部長の役目を背負い討伐では隊長としてみんなを指示していた。後輩の気持ちが分かるいい先輩だったらしい。
「でも、私にとっても先輩方は凄くいい方ばかりですよ」
笑顔でそう言うと、望月は本当に嬉しそうに笑った。心の底から笑った彼女は本当に美人だ。
その後、他愛の無い話で望月と宇佐美とリルで盛り上がっていたが、神崎が真剣な表情でやってきた。
「顧問の睦月先生から伝言がある。Lv.6がまだ討伐されていないせいで、この高校の生徒にも被害が及び始めたことで討伐課が参入したとのことだ。万が一、出くわす可能性もあるので注意をすること」
「はい」
リルの担任でもある睦月からの伝言は、Lv.6の脅威を知らしめるものだった。討伐課は予定より早くにこの地区へ参入を決めたらしい。今後の黒渦討伐も気をつけるように、もし出会ってしまったらその時はすぐに逃げるということも神崎から伝えられた。
今まで初期段階の黒渦しか見ていないリルにとって、Lv.6という危険度が高くなった黒渦を相手するのは少し怖い存在だ。出来ればこれ以上被害が増えることなく、早々に討伐課に討伐されるのが一番なのだがどうもそんな気がしないのも不思議だった。
どうしても自分達が出くわす光景しか想像できないのだ。
*
今回の討伐でリルは二回目になる。初陣では異能の威力を見誤って危うく黒渦を取り逃がしそうになったが、二回目となると火力の調節も一回目に比べて上手くなるだろう、とリルは思っている。裏山という木や花、緑に囲まれた環境でリルのような炎の異能を使うことは大変危険なことである。だが、周りに火を放たないように気をつかいながら黒渦を討伐するしかない。万が一のことがないように、リルは前日にイメージトレーニングを重ねた。さすがに自宅の庭で炎の異能を発動することは出来ないため、それしか方法は無かったのだが不思議と出来そうな気になる。
汐ノ宮のように胸を張ってリルは討伐に挑んだ。
今日の討伐メンバーは、リルが単独で黒渦を望月の指定するポイントまで追い詰める。そこで待っていた神崎、相模がとどめを刺すという感じだ。
作戦を聞いた時、ふと気になってリルは望月に聞いた。
「あの、いつもこういう追い詰めて黒渦を退治する戦略なんですか?」
すると、リルの質問に望月は丁寧に答えてくれる。
「そうだよ。黒渦は初期段階とはいえ、逃げ足がかなり早いの。初期段階の黒渦は、陽が当たるところではかなり鈍いけど影の中では魚みたいに早いんだ。皆で追いかけていたら住宅街へ行かれるのは確実だし、皆の体力も消耗する。それを避ける為に戦力を分散させて討伐をするんだよ。ちなみに、この戦い方は昔からなんだ」
「そうなんですね」
「乙川さん、今日は単独で初めて黒渦を追う猟犬の役目だけど、わたしも頑張ってサポートするから気を張らないでね」
望月はそっと笑ってくれる。やはり笑顔が可愛らしい。
「役立たずの指示を聞くだけじゃ、僕の足手まといになるから臨機応変に行動しろよ、新入り」
望月の言葉に被せるように相模が挑発する。一瞬、望月が相模を睨みつけたがすぐに視線を逸らし何事も無かったかのように振る舞う。リルにはそれがどうもいつもと違うような気がして引っ掛かった。
神崎の指示に従って全員が所定の位置につく。リルは望月の指示に従いながら黒渦をおびき寄せるため、音を出す。わざとらしく小枝を踏んでリルの存在を黒渦に示していると、作戦通り初期段階の黒渦がゆっくりと現れる。夕方とはいえ、まだ太陽の光が差しこむ裏山の中で黒渦は影を伝ってリルの足元に浮かぶ影に入ろうと狙う。
『乙川さん、追いかけて』
逆に黒渦を追いかけると驚いたのか、影の中を望月が言ったように魚みたく泳ぐ。なるほど、確かに早い。
『乙川さん良い感じだよ、そのまま三時の方向に連れて行って』
黒渦が所定の方向に行くように炎の球体を行く手に発動させ、道を狭める。強制的に逃げる方向を定められた黒渦は、神崎や相模が待っているポイントへ向かっていく。このまま追い詰めれば後は神崎と相模が倒してくれるはずだ。
『乙川さん、動きを鈍らせて』
「分かりました! クリムゾン・ショット!」
指を拳銃に見立てて黒渦へ向ける。人差し指から小さな炎の球体が次々と背中にめり込む。初陣を終えて改良をしたクリムゾン・ショット。勿論、名前を決めるのに一晩かけた。小さい球体だが火をリルが出せる最高温度にまで上げている。背中に幾つも放たれた炎の銃弾は、黒渦のゼリー状の体を触れた部分だけ溶かす。核まで到達していないので消滅とまではいかないが、神崎や相模がとどめを刺すのにかなり楽になっただろう。
『司ちゃん、足止めして! って、相模!! 乙川さん、左に避けて!』
初陣の時に聞いた望月の悲鳴よりも切羽詰った彼女の声が脳内に響く。彼女の言う通り、左にずれると黒渦を越えてきた光の矢の先がリルの頬をかすめた。
「……いっ!?」
何が起きたのか分からないまま、火傷したようにじくじく痛む右頬を触ってみる。ぬめりとした感触と共に、リルの指が血に濡れていた。
まるで、そんな彼女を嘲笑うかのように影が目の前を一瞬にして通り過ぎる。あの時、見たことのあるような既視感を覚えた。
リルは傷を負った黒渦を炎の竜巻で覆う。今度こそ逃げ場の失った黒渦は身動きの取れないまま、神崎の影の糸に核を絡め取られ、そのまま潰された。
炎の竜巻が空気に消えていくと、黒渦の姿はもうなく影糸が壊した核の破片だけが散らばっていた。
*
「クソメガネ! あんたのせいで乙川さんが怪我しちゃったじゃない! 何度もわたしが言っているのにどうして理解できないわけ!?」
リルが宇佐美に怪我を治療されている間に、望月は帰ってきた相模を殴りつけた。殴られた頬を押さえながら、望月を見下すような視線をやる相模に彼女は感情的に怒る。
ちなみに宇佐美は治癒の異能らしく、外傷ならば傷口を塞ぐことが出来るらしい。失われた血液や、病気といったものは彼の異能では治せないがそれ以外なら痕もなく、治すことが出来る。
それもあるのか、相模は宇佐美に治療されるリルを指差し言う。
「こいつがいるんだから何度怪我をしたって大丈夫だろ。それに、新入りに僕は言ったはずだ。『足手まといにならないように臨機応変に動け』と。動かなかった新入りの自己責任じゃないか」
相模の言葉に望月が顔を赤く染めて、今にも爆発しそうな怒りを堪えていた。
「そうやって……あんたはコナタちゃんを傷付けた。ねえ、それだったら『死んでも自己責任』って言っているのと同じだよ。誰かが誰かの攻撃のせいで傷付かないようにわたしがサポートしようとしているのに、どうしてあんたは邪魔をするの? 何でわたしの言う事を聞かないで勝手な行動ばかりとるの? わたし……あんたの考えが、行動が理解できないよ」
怒鳴っていた望月が目に涙を浮かべ震える声で相模に言った。相模は眉一つ動かさず、泣きそうになっている望月をただじっと見つめていた。
「……役立たずの君が、非戦闘員が僕に指図するな」
そう相模が言った途端、乾いた音が鳴り響く。その音の大きさに宇佐美もリルも思わず見やる。
望月が相模を思いっきり平手打ちしていた。衝撃で彼の掛けていた眼鏡がまたも吹き飛ぶ。望月は何も言わないまま、その場を立ち去った。後からやってきた汐ノ宮と神崎が複雑そうな顔をして相模を見つめている。
「相模……今の君が悪いよ」
神崎が低く底冷えするような声音で言う。相模は居心地の悪そうな顔をして、望月とは反対方向へと去っていく。
「尊治様、どこに行くおつもりなんですの……?」
汐ノ宮の言葉にうるさい、と一言返すと振り返りもせず彼は去る。
「乙川さん……ごめんね、君を傷付けてしまったね」
神崎が宇佐美に治療されているリルに頭を下げる。
「い、いえ、神崎先輩が悪いわけじゃないですから。相模先輩が言ったみたいに、私が臨機応変に動かなかったからいけないし、望月先輩が言ってくれたから頬をかすめるだけで」
「でも、ルチアが言わなかったら相模の矢は乙川さんを貫いていた」
神崎のグレーの目に怒りが宿っているのが分かった。暗い怒りの色は燃えたぎっている炎のように勢いはあるのに、氷のように冷たく感じる。神崎が本気で怒っているのだと分かった。
「大丈夫ですよ~俺が治してあげましたから~」
呑気に間延びした声で空気を壊す宇佐美のマイペースさが、今のリルには有難かった。
*
望月と相模が喧嘩をしてから、望月は一度も部に顔を出さなかった。校内でも会わないし、神崎に聞いても学校に来ている事すら分からなかった。
神崎にこっぴどく怒られた相模が後で謝りに来てくれたが、様子を見ると望月とは仲直りしていないようだ。
望月がいなければ放課後の討伐にも影響が出る。実際、望月抜きで討伐に当たっていたが影に潜む黒渦の居場所が分からなければ探ることから始めなければならない上に、味方同士で衝突してしまうこともあった。
このままではまずい、と思ったのか神崎がミーティングをするため部員達を呼ぶ。リルも会議に参加するため、放課後に部室に顔を出した。
「よし、全員揃ったね」
部員の顔ぶれを確認した神崎が仕切る。相模は相変わらず不満そうな顔をしていた。
「あの後、相模が乙川さんに謝罪したみたいだが……相模、ルチアにも謝っていないのか?」
「……そうだよ。そもそも校内で会わないし」
会うつもりもない、と付け加える相模。どうして望月と相模がここまで仲が悪いのかリルには分からなかった。単に性格が合わないといった理由だけではなさそうだ。きっと二人の関係には複雑な何かがあるのだろう。
「相模だけじゃない、みんなにも言いたい事なんだけど。この異能部は誰が必要な存在で、誰が不必要な存在なのかなんて関係ない。みんなが集まってようやく『異能部』なんだ。正直、私達のチームワークは良いとは言えない。分かっているよね、相模?」
「神崎、君は僕を後輩や他の部員の前で叱るために会議をしたのか?」
「大きな要因は君だろう」
神崎の指摘にさすがの相模も言い返せないらしく、罰が悪そうに視線を逸らした。
「ルチアの能力は『空間把握能力』。彼女の能力があってこそ、私達の戦術は使えるわけだ。風の異能や、身体能力強化の異能が部員にいない以上、追い込みの戦法が成立するのはルチアの能力があるから。それは分かるか、相模」
「……」
「だけど、姫香の防御の異能も、宇佐美の治癒の異能も。乙川さんの炎の異能も、相模の光の異能も。全て必要な能力だ。誰がいらないとか、むしろ誰が偉いとかそういうのはない」
神崎は淡々と表情を変えずに言う。相模はそんな神崎に鋭い視線を向ける。
「ルチアがいない以上この異能部の活動は縮小せざるを得ない。理由は彼女の能力が怪我を防ぐからだ。それに黒渦の位置が分からないと討伐が困難になる。睦月先生とも話し合った結果、異能部は明後日の討伐を最後に放課後の討伐を止めようと思う」
「おい、何でだ。役立たずがいなくても討伐は出来るだろ!」
「お前のプライドを折るような事を言うと、ルチアがいないと私達は活かせない。逆を言えば、私達を最大限に生かせるのはルチアだけだ。お前はルチアを軽蔑しているみたいだが、お前はルチアに活かされているんだぞ」
神崎の言葉に相模は悔しそうに歯を食いしばる。いつの間にか『君』から『お前』に変わった呼び名は、神崎がどれほどまでに相模に対して怒っているのかが分かる。リルは人知れず身震いをした。
(確かに相模先輩は望月先輩に対して『役立たず』呼ばわりして、態度は良くなかったと思う。でも、それにはきっと訳があるんだよね?)
リルの思いは希望的観測でしかない。過去に先輩達に何があったのか知らない彼女にとって、そう思い込むことしか出来ない。
「くそ、冗談じゃない」
相模は悪態をつくと部室の扉を乱暴に閉め、出て行った。後ろ姿を見ていた神崎は苦笑しながらため息をつく。
「わたくし……尊治様とお話してきますわ」
「姫香」
「このままだと二人とも戻ってこない気がしますの」
汐ノ宮はそう言うと相模の後を追い、部室から出て行った。
「あ、あの、神崎先輩」
黙って彼女の背中を見送っていた神崎にリルは勇気を出して声を掛ける。
「私が望月先輩と話をしてきます」
「乙川さんが?」
「はい……私、何にも知らない新参者ですけどいつも指示を出して守ってくれた望月先輩の為に何かしたくて」
リルがそう言うと、神崎は暫く考え込みやがて頷いた。
「分かった……。ルチアは今、図書室にいると思う。今日の討伐は私達に任せて欲しい」
「ありがとうございます、神崎先輩」
神崎にお礼を言うとリルは図書室へと向かった。
「一人でも欠けてしまえばそれは別のチームになりますからね~」
リルが去ったあと、黙っていた神崎に宇佐美は言った。
「そうだな」
*
神崎の言った通り、望月は図書室にいた。オレンジ色の夕日が射しこむ誰もいない図書室に彼女は読書をしていた。
「望月先輩」
リルが声を掛けるとようやくそこで気がついたのか、彼女は顔を上げる。
「乙川さん」
「望月先輩……あの」
「ごめんね」
どう切り込めばいいか悩んでいたリルの言葉を遮るように、望月が謝った。申し訳なさそうに眉をさげてリルをただ見つめる。
「い、いえ。心配していたんですけど元気そうで良かったです」
「心配してくれてありがとう」
望月は自分の前の椅子に座るよう手で示した。リルはそっと椅子に座ると、単刀直入に切り出した。
「望月先輩と相模先輩はどうして仲が悪いんですか?」
「いきなりだね……」
「ごめんなさい。でも、ずっと気になっていたんです。入ってきたばかりの私が出しゃばるのは良くないって分かっているんですけど」
リルを動かすのは望月への憧れといった感情はもちろんだが、おそらくリルの中にある正義感がそうさせているのかもしれない。傍から見れば悪いのは相模であり、望月は悪くないはずだ。相模にどうしてそこまで嫌われているのか、反対にどうしてそこまで相模を嫌っているのかを聞きたかった。二人にどんな感情と理由があって今の関係になっているのか。リルの出る幕ではないと言われればそれまでだが、どうしても首を突っ込まずにはいられない。
「まあ、そのうち乙川さんにも言わなきゃなって思っていたところだったから良いよ」
望月はそう笑うと、読んでいた本を閉じ話し始めた。
「わたし達が去年、異能部に入った時は六人だったんだ。わたしと司ちゃん、姫香ちゃん、カナタくん、相模、そしてコナタちゃん」
「コナタさん?」
「宇佐美カナタの双子の姉だよ。わたしとコナタちゃんは一番仲が良くってね。一年生の時は同じクラスだったの。コナタちゃんは治癒異能のカナタくんとは違って、緑の異能を持っていたんだ。その時からあんまり相模はわたしの指示には従わなかったんだけど、今の三年生の先輩がいたから先輩の前では言う事はちゃんと聞いていた」
リルは黙って真剣に聞いていた。
「ある日、先輩が討伐に参加出来なかった時があって。一年生のわたし達だけで討伐をすることになったの。先輩がいなかったその日、相模はわたしの指示を聞かないで一人で行動をして、乙川さんの時みたいにコナタちゃんを怪我させてしまった……」
あの時、頬に受けた矢の傷。傷口も痛みも既に無いがどうしてかズキリと痛む気がした。
「コナタちゃんは腕に相模の矢傷を受けてしまったの。カナタくんがすぐに治療をしてすぐには治ったけど、コナタちゃんはそれがきっかけで異能部を辞めてしまった」
わたしがもっときちんと指示を出せていればああならなかったのかもしれない。そう望月は悔しそうに唇を噛んで涙を堪えていた。
「あの時、相模も乙川さんに言ったみたいに『避けなかった宇佐美が悪い。怪我は自己責任だ』って。コナタちゃんはすっかり異能嫌いになって。同じクラスだったけど、異能を持つわたしと距離を置き始めたの。今となっては廊下で会っても目を合わせてくれない位に嫌われているんだ……」
「そうだったんですか……」
それ以外なんて言えばいいか分からなかった。リルは自分の異能が好きだ。異能は自分を正義のヒーローにしてくれるからだ。しかし望月の場合は、異能は人を傷付け、自分の友人との繋がりを切ってしまう、そう考えているのだろう。だからあの時、彼女がどんな異能を持っているか聞いた時に苦しそうな表情をしたのだ。
だが、そんな優しい彼女に伝えたい事があった。全て自分のせいだ、異能のせいだと思い込む儚くて弱い彼女に。一年生が何を言っていると言われても怒られても言いたかった。
「先輩、それでも皆を守ることが出来るのは異能だと思います」
「乙川さん……」
「生意気な後輩だと思われても仕方ありませんが、黒渦から普通の人を守れるのも、討伐で異能者を守れるのもまた異能なんだと思います。それが攻撃性の異能でも防御性の異能でも。異能はきっと人を守るためにあるものだと私は思うんです」
人を守ることが出来る力、それが異能。リルはそう思っているからこそ、自分の異能に誇りが持てる。過去には制御が出来ず色々な人に迷惑を掛けてしまったこともある。でも今は、そんな人達を今度は守れるように強くなろうと考えるようになった。
きっと望月もそう思ってくれるようになれば彼女は今よりもずっと強くなるだろう。
「ふふっ、そうかもね……コナタちゃんは戻ってこないかもしれない。でも、普通の人として生きることを選んだあの子を守れるのはわたし達、異能者だけね」
望月はそっと微笑んでくれた。夕日に照らされた彼女の微笑みは今まで見た笑顔で一番輝いていた。
* *
相模を追いかけて汐ノ宮がやってきたのは裏山だった。彼は裏山の入り口に立つと、後から走って追いかけてきた汐ノ宮を振り返る。
「何の用だ」
「はぁ……はぁ、ちょっと……待ちなさい……」
「普段、運動しないから息切れするんだろうが」
呆れたように眼鏡を押し上げる彼に、汐ノ宮は言う。
「尊治様、ルチアちゃんと仲直りしないんですの?」
「はぁ……君に関係ないだろ。放っておいてくれないか」
「そんなこと出来ませんわ、わたくし達チームメイトですもの」
汐ノ宮の言葉に相模は心底馬鹿にしたように鼻で笑った。
「は? チームメイトだ? 笑わせるな、僕は君達とチームメイトだと思ったことなんて一度もない」
冷たい相模の言葉にどうしてか助けてくれ、と言っているように汐ノ宮は感じた。彼のその態度はきっと虚勢だと。心の奥底では伝えたい事があるのに、それを邪魔する表の自分に苦しんでいるように汐ノ宮には見える。
「一つ、聞きたい事がございますわ。尊治様はプロのセイバーになりたいんですの?」
「ああ」
「じゃあ、はっきり申し上げますわ。あなたは向いていませんわ」
「何だと?」
相模の目が丸くなる。
「あなたにはプロになる実力はあっても、才能はないんですの」
「君に何が分かる? 戦闘の異能持ちでもないくせに」
だんだんと相模の声に怒りが混じり込む。プライドが高い彼の事だ、将来の夢が叶うわけがないと言われて怒っているに違いない。それでも汐ノ宮は怯むことなく、真っ直ぐ彼の目を見つめた。
「じゃあ、尊治様はプロのセイバー達に必要なスキルは何だと思いますの?」
「……戦場で上手く立ち回れるか」
「それも勿論大切なこと。でも、それが出来てもチームワークを大切に出来ないような人はプロになれても一人前にはなれませんわ。わたくしの父の仕事柄、幼い頃からプロのセイバー達と会う機会があった。中には尊治様のような方もいらっしゃったわ。でも……そういう人は二度と帰ってこない」
相模が息を飲むのが分かった。汐ノ宮の父、汐ノ宮グループはプロのセイバー達の物資等を取り扱う大きな会社だ。汐ノ宮がプロのセイバー達を幼い頃から見てきたことは、彼も分かるだろう。だからこそ、現場の空気を知っている汐ノ宮が放つ言葉に相模は衝撃を受けたようだった。
「尊治様の噂はこのわたくしの耳にも入っていましたわ……。中学生にして弓で黒渦を狩る者。でも、尊治様は小学校から周りに異能だということが知られていて、世間からの風当たりが強かったのでしょう?」
相模尊治の名は小学校と中学校は別だったが、同じ地区に住む汐ノ宮の耳にも届いていた。小学生の頃から異能を制御でき、中学生にして初めて黒渦を異能で狩る。普通の異能者は高校生あたりで安定するのだが、驚きの速さで次第に名を知られるようになっていった。その類まれなる才能に当時、彼を取材しようと新聞記者や報道陣がやってきたと言われている。しかし、有名になった彼を待っていたのは著名になってしまった嫉妬と、異能者という彼に怖れたことから始まるいじめだった。陰口を叩かれ、いじめっ子達の憂さ晴らしにされる日々。それが、汐ノ宮が昔に聞いた彼の過去だった。
「そうだよ。僕は何も悪いことをやっていないのに周りから拒絶された。黒渦から守っているのはあいつらをこの僕だ。戦えないくせに、僕らの保護下で生きていられるのに偉そうにする一般人の奴等を守る意味はどこにある? それにチームワーク? そんなもの結果を出すのに邪魔なだけだろ。チームワークがあるから勝てるわけじゃない、助かるわけじゃない。個々の力が強くなくちゃ生き残れない」
相模は息継ぎもする間もなく、ただ喋り続けた。興奮も相まって肩を激しく上下させる。汐ノ宮はただ黙って彼の言葉を聞いていた。
「僕は異能者として優れている。それ以外の人間は、異能者であっても僕が守るべき存在じゃない。目標がある僕の足かせになるくらいなら、初めから外せばいいんだ」
「そうかもしれませんわね。でも、組織でやっていく以上そんな考えは通用しませんわよ。それに、己を有能だと思っている以上、あなたに伸び代はありませんわ」
「戦う異能も持っていない君が僕に指図をするな」
相模は獣のような鋭い目つきをする。それでも汐ノ宮は止めなかった。
「独りよがりのあなたはいつか、死にますわ」
「……偉そうに」
「単純に考えてみなさいな? 命令を聞かず一人で走る人間を組織が必要とするかしら?」
汐ノ宮の言葉に相模が言葉を詰まらせる。図星だったのだろう。言い返せないらしく、わなわなと震えていたがやがて肩を落とす。
「……悔しいが、汐ノ宮の言う通りだ」
「あともう一つ……聞きたいんですの。どうしてルチアちゃんをあそこまで毛嫌いしているんですの?」
「望月と僕はよく似ている。鏡にうつっている自分を見ているようでいつも腹が立った」
どこか吹っ切れた様子の相模はさっきとは違って、穏やかな口調になっていた。
「あいつも、僕も異能のせいで周りから嫌がらせをされた。そこから自分を守るために僕は自分が優位になっているのだという優越感に浸ったんだ。でも、あいつの場合は自分がいるせいで、という劣等感の中で生きている。きっと僕は幼かった頃の自分と重ねてあいつを嫌っていたのかもしれないな」
初めて見せてくれた相模の本音に汐ノ宮は嬉しく思った。きっと彼の弱い部分を見たのは自分だけだと思うからだ。
「汐ノ宮が何と言おうと僕は望月への態度は変えない。というか、今更変えられないだろう。でも討伐中の態度はその……改めようと思う」
「うふふ、いつでもわたくしが包んであげますわ」
「いらない」
汐ノ宮は照れたのか顔をそむける相模の横顔を見てふと思った。プライドの高い彼の事だ。もっと仲間を信じろ、というように言葉を掛けても散々嫌な態度を取っていた自分が信じられるわけがないと言うだろう。そこで汐ノ宮は、彼が目標としているプロのセイバー、討伐課の話をすることでいかにチームワークが必要になってくるかを伝えたつもりだ。効率重視、生産性に重きを置く彼ならこう言えばきっと変わろうとしてくれるはずだと信じていた。
久しぶりに見た相模の明るい表情は、どことなく少年っぽくてますます彼に惹かれていく。
*
昨日、望月と話をした後そのままリルは彼女と一緒に帰った。おかげで色々な話をすることができ、前よりももっと距離が近づいた感じがした。上機嫌で学校に登校すると、市佳が包帯を巻いて現れた。
「市佳ちゃん!? その怪我どうしたの?」
「あ、おはよう。これね、昨日バイト帰りにいきなり誰かに斬りつけられたの」
市佳の傷は右腕にあり、手首から肘までの前腕部分に包帯を巻いている。かなり広い範囲だ。
「大丈夫?」
「うん、そこまで深くないから。でもね、この高校の生徒の中にも同じような怪我をした人が数人いるんだって。暗くて見えなかったからどんな人だったのかは分からないけど……リルも部活帰りには気を付けてね」
「ありがとう……」
市佳にはそれ以上何も言わなかったが、リルはおそらく黒渦の仕業だろうと予測していた。
昼間は影に潜む黒渦だが、夜になると暗闇が彼らの味方になる。影がなくても自由自在に動き回ることができ、姿を見られる前に人に近づくことが出来るのだ。討伐課が参入しても巷を脅かすLv.6は未だ討伐されていない。おそらく、彼女は黒渦の被害に知らぬ間に遭ったのだろう。
(市佳ちゃんを守れるのは私だけ……絶対守るからね、市佳ちゃん!)
リルは笑顔で他愛のない会話をする市佳に誓った。
*
その日の放課後。今日、望月が来なければ明日の討伐を最後に、山樝子高校の異能部の活動は停止してしまう。その事を神崎から望月に告げられていたはずだが、彼女は今日もいなかった。
(望月先輩の心を変えることが出来なかったのかな……)
何だかそう考えていると悲しくなってくる。先輩に偉そうに言ったのはいいが、リルの言葉が響かなかったとなれば少しだけ悔しい。
しかし、まだ来ないと決めつけるのは早計だ。リルはきっと彼女が来てくれることを信じ、神崎の指示を聞いた。
「今日の討伐は、私と乙川さんが二人一組で黒渦を追いたてる。姫香と宇佐美はまず、黒渦を探して欲しい。そして、とどめを刺すのは相模、君だ」
「ああ」
「分かりましたわ!」
「了解したです~」
それぞれが裏山へ入って行くのを見つめていたリルに、隣に立った神崎が話しかけた。
「乙川さん、ルチアはきっと来るよ」
凛々しいその笑顔にリルは勇気づけられる。不思議と不安になった時に聞く神崎の言葉には、安心感がこもっていた。
今回は望月の『空間把握能力』によるテレパシーが使用できないことから、全員携帯電話のグループ電話を利用している。テレパシーと異なり携帯をいつも耳に当てるか声の届く場所に入れておかないと連絡が取れないのが難点だ。しかし、連絡を取り合いながらでないと黒渦の討伐は難しい。不便さを我慢して、各々が役割に集中する。
時間はゆっくりと、しかし素早く進んでいく。黒渦を見つけられないまま、もうすぐ日が暮れそうになった時の事だった。
「きゃあぁぁあ」
汐ノ宮の悲鳴らしい声が東の方向から聞こえてきた。神崎のあとを続いてリルが見たのは、防御壁の中で震える汐ノ宮の姿だった。
「姫香!」
一目散に駆け寄る神崎の姿に安堵したのか、涙を零す姫香。震える口で紡いだ言葉はリルを戦慄させるものだった。
「司……Lv.6が……」
「Lv.6が!? 討伐対象外のヤツがまさか……」
その時、リルの胸ポケットに入っていた携帯から相模の声が聞こえた。
『神崎! まずい、Lv.6が暴れている! このままだと住宅街にっ、うわあああ』
「相模! 相模!」
彼の悲鳴と共に激しい音が携帯から聞こえてくる。それっきり相模からの応答はなかった。
「姫香、とりあえずここにいて。宇佐美もここに呼んで」
「司は? 司はどうするの?」
「私はとりあえず、黒渦を追う。もし、住宅街へ行ったら倒すことは出来ないけど足止めくらいなら私にも出来るはずだろう。その間に討伐課の到着を待つしかない」
「私も行きます、先輩」
リルの言葉に神崎が素っ頓狂な声をあげる。リルが名乗る出ること、あるいはリルを連れていくことを念頭に置いていなかったのかもしれない。目を丸くして驚いていた。
「乙川さんが? そんな……そんな危険な場所に君を連れて行く訳には」
「それは神崎先輩も同じです。ほら、今もこうしている間に黒渦は逃げちゃいますよ」
リルはそう言うと相模が待機していたポイントの方へ走り出した。その後を慌てて神崎がついてくる。
「乙川さん無茶だ、君だけでも逃げるんだ!」
「先輩、私も戦いたいんです。危なくても皆を守れるのは私達だけですから」
リルはそう言って笑顔を見せる。リルに聞く気がないことに気付いた神崎は、危なくなったらすぐに逃げることを約束して許してくれた。
「相模先輩!」
汐ノ宮のいた場所から北に相模が待機しているポイントに彼は蹲っていた。足を押さえる手から隙間を這うように血が出ている。Lv.6に斬られたのだろう。と、なるとおそらくLv.6の黒渦は爪を持った動物の姿をコピーしているはずだ。
異能部に入ってからリルは家でも黒渦について勉強するようになった。自分のかっこいい新技と技名を考えながら、黒渦についての知識を深めようと思ったのだ。
黒渦の初期段階はゲームに出てくるようなスライムそっくりの形をしているが、Lv.6になると他の動物の姿をコピーするようになると言われている。その理由は初期段階の姿よりもそちらの方がはるかに動きやすく、獲物を追いやすいためだ。ただ、Lv.6からLv.7まではコピーが不十分で上手く真似ることは出来ない。キメラのようなごちゃまぜになったような感じだ。完璧にコピー出来ていない上、自我をまだ持たないので倒すのはLv.8からLv.9のような危険な段階よりはやりやすい。しかし、それはプロの異能者達、セイバーが相手になればという話である。山樝子地区に被害を及ぼしている黒渦の討伐を高校生であり、討伐を始めたばかりのリルが出来るとは思えなかったが、討伐課の到着を待ってもいられない。
何が何でも倒してやる。今のリルを動かすのはその思いと憧れていたヒーローみたいになりたいという気持ちだった。
「乙川さんっ!」
相模に駆け寄ろうとしたリルの後ろで神崎が指を差した。そこには、黒く大きな豹のような姿をしたLv.6がいた。顔の形、しなやかな体躯、屈強そうな前足は豹そのものだが、下半身はどうも鳥のようなものだ。しかし、前足から覗く鋭利な爪に引っかかれれば大きな怪我になり得る。リルは気を引き締めながらゆっくりと黒渦を見た。
「クリムゾン・ショット!」
人差し指の先を銃口とイメージしてそこから小さな炎の球体を繰り出す。しかし、目はまだ無いものの嗅覚と聴覚が優れている黒渦は、軽々と避ける。周りに着火させないようリルは何度も小さな球体を放ったが、それを嘲笑うかのように黒渦は後ろ足で受け止める。煙と表面が焼け焦げた臭いがしたものの、大きなダメージではないらしい。初期段階の黒渦では、表面を溶かして穴を開けることが出来たが目の前の黒渦には穴すら開かなかった。
(これが討伐課の人達がいつも相手をしているLv.6なんだ)
不思議とパニックになることなく、リルは現状を見ていた。そんな自分に内心驚きながらも、裏山から出ないように必死に炎を繰り出す。
神崎も影糸で黒渦の動きを止めようとするが、糸はことごとく千切られてしまう。
まるでじゃれ合いに飽きたかのように、二人の目の前で黒渦は跳躍しその場から去る。
「まずい、住宅街に行かれると大変なことに……!」
ここで位置を把握し、上手に分散することが出来れば挟み撃ちなどで足止めくらいは出来るかもしれない。
(望月先輩……)
リルが思った時だった。タイミングよく、聞き慣れた声が直接脳に響く。
『司ちゃんと乙川さんはそのまま真っ直ぐ南へ。黒渦は南の住宅街裏山入口に向かっているから、そこに辿り着かれる前に行って!』
「望月先輩……!」
「ルチア! 来てくれるって思っていたよ」
二人の歓喜の声に望月は苦笑した。
『今はそういうのは後だよ、黒渦を止めなきゃ。姫香ちゃん達が討伐課の人達を呼んで来てくれているから』
「分かった」
神崎が返事をする。走りながら表情を見ると、どこか嬉しそうに口角を上げていた。
『それとクソメガネ、いつまでしゃがんでいるの。クソメガネは司ちゃん達が住宅街裏山入口に回った時、黒渦の後ろから攻撃が出来るように南東へ向かって』
『僕に指図するな、役立たず』
相変わらず相模は悪態をついたが、その声音はどこか弾んでいるようにも聞こえた。
『攻撃隊、わたしの合図で一斉射撃をしてね』
「はい!」
「分かった」
『はいよ』
まだ小さいが黒渦の姿が見えてきた。今から近道をすれば、待ち伏せするのに間に合うだろう。神崎についてリルは道をそれて獣道のような場所を進む。小枝や枯葉を踏みながら望月が指定した場所へと辿り着く。辿り着いて数秒後、黒渦が出てきた。
嗅覚と聴覚でリル達がいるのに気がついたのだろう。まるで豹が獲物を狙う時のように姿勢を低くして、じっと顔をこちらに向けている。張りつめた空気の流れる中、静寂を破った望月の声でリル達は一斉に異能を発動させた。
「食らえ!」
神崎が影の糸で相手を拘束する。隙を突かれた黒渦は驚いたが、すぐに振り払おうと暴れ出す。
しかし、神崎の影の糸は先程よりも太く頑丈になっていて、易々と千切ることは出来ない。それどころか、暴れれば暴れるほど糸がどんどんと体に食い込み身動きが取れないようになっていく。
「クリムゾン・ストーム!」
リルは両手の平を黒渦に向け、炎の竜巻を起こす。勿論、それだけでは核を壊すことは出来ない。だが、目的は黒渦の嗅覚と聴覚を奪うことにあった。
激しい炎の竜巻に包まれた黒渦には、背後から風を切って放たれた光の矢の存在を知ることは出来ない。竜巻が静かに消え去ると、光の矢に額を貫通された黒渦の姿があった。
「クリムゾン・ランス!」
手に現れたのは燃える槍。額を貫通され、影糸で縛られて動けない黒渦との距離を一気に縮めるとその槍先を核のある部分に突き立てる。黒渦は悶えるも穂先は核を貫き破壊する。炎の槍が手から消えると同時に、黒渦は最後に咆哮し消えていく。
地面に残ったのは核の破片だけだった。
*
「まさか高校生の皆さんがLv.6を討伐するとは驚きました」
リル達が黒渦を討伐した直後、討伐課の人が汐ノ宮の知らせを受けて駆け付けてきた。
「いえ、みんなのチームワークがあってこそですから」
神崎はやってきた討伐課の人にそう答える。その後ろ姿はどこか誇らしげで自信に満ちているように見えた。
「望月先輩のおかげで黒渦を討伐できましたね!」
リルは部員の元にやってきた望月に笑顔でそう言った。すると彼女は照れ臭そうに頬をかく。
「いやぁ、わたしは指示を出しただけだし。それに、みんながわたしを信じてくれたから」
「ルチアちゃんが戻ってきてくれて嬉しいですわ」
そう言って汐ノ宮が望月に抱き着く。姫香ちゃんも怪我がなくて良かったよ、と笑う。
ふと、そんな彼女達を見つめる相模と目が合った。彼は一瞬、気まずそうな顔をして何かを迷う素振りを見せたが望月の方を見ると凛とした声で言う。
「役立たずの望月だと思っていたが、今回の件で少しだけ見直した。本当に少しだけだが」
「相変わらずの口だね、でもクソメガネがわたしの指示を聞いてくれたおかげで、誰も怪我がなくLv.6を退治することが出来たよ。ありがとう」
望月にお礼を言われ、照れる相模は眼鏡を曇らせる。
「ま、まぁ……僕がいたからな、Lv.6だろうが討伐することは無理じゃない」
「いつも言うこと聞いたらスムーズになるのにねぇ」
「はあ? 役立たずが、下手な指示を出すからだろうが」
「わたしがいつ下手な指示を出したっていうのよ? 言ってみたら、ねえ」
仲直りしたと思えば、いつもの二人に戻ってしまう。しかし、前みたいな刺々しさはお互いに消えていてこれが本来の二人の姿なのかもしれないな、と心の中でそっと思った。口に出したらきっと先輩二人に怒られるだろう。
「良かった、尊治様。元気になったみたいですわ」
「そういえば、汐ノ宮先輩って相模先輩のどういう所が好きなの?」
「えっ、それはクールな所とか……かしら?」
声を潜めて聞くと、頬を真っ赤に染めて初々しい反応をする汐ノ宮。その反応が無垢な少女らしくて可愛い。小学生くらいの女の子の恋愛を聞いている感覚だ。本人に言うと絶対怒られるので口が裂けても言わないが。
「本来は我々、討伐課の人間が黒渦を討伐しなければならなかったのですが……。どうも居場所を見つけるのが難しくって。どうですか、えっと望月さん? 将来、うちで働いてみるのは?」
神崎と話していた討伐課の人は、相模と言い争いを続ける望月に話しかけた。驚いた望月は言葉を少し探して、そっと微笑んで答える。
「考えてみます」
「君みたいな役立たずが、討伐課に入れるわけがないだろう? つけあがるなよ」
討伐課の人直々のオファーに嫉妬しているのか、相模が望月に食い掛かる。そんな彼の言葉に討伐課の人は微笑ましそうに笑うと一言告げた。
「うちには望月さんのような黒渦の居場所を特定できる異能者がいなくて、いつも黒渦捜索に時間をかけてしまうんだ。望月さんがうちに入ってくれたらとても助かるよ。勿論、相模君も。君の攻撃力の高い異能は訓練を詰めば一発で黒渦を倒せるだろう。山樝子高校の異能部の皆はレベルの高い異能者だけど、乙川さんが一番純度の高い異能者だね」
いきなり名前を呼ばれたリルはびっくりして討伐課の人を見た。
「わ、私が……ですか?」
「うん、君の異能は原石だ。磨けば磨くほど上にいけるだろうね。応援しているよ」
討伐課の人はそう言うと、裏山にいるかもしれない黒渦の捜索に向かった。
(私が純度の高い異能者かぁ……頑張れば強くなれるのか……)
討伐課の人に言われた言葉が嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。そっと汐ノ宮に引っ張られ、喜びに浸っているところを阻止された。
(でも、強くなったら市佳ちゃんや他の皆を守れるんだよね。正義のヒーローになれるかな)
そんな気持ちをそっと胸にしまいこみ、リルは決心した。
(よし、これから強くなるぞ! 新しい技も考えないと!)
今日も異能部は放課後、人を脅かす存在から守る救世主をしている。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!