9 黒木アキラは 決意する
「天使か、悪魔か、物の怪か。少なくとも星宮さんは、人の類ではないと思う」
「超能力者よりぶっとんだな」
例のごとく机の上でぐったりとしているアキラに、筋肉に衰えがない元気な木村が律儀に返す。
「土日跨いで逆に悪化したか。それとも、何かあったのか?」
「いや、ないけどさ」
木村の質問に焦り、アキラは冷静を装いつつ端的に返す。しかし間を置いて考えてみると、話の流れ上自然であって、木村の野生の感が働いたわけではないと、安堵した。
顔面を机に押し付け、唸る。
「ああ、今日星宮さんくるよね」
アキラは全てを見透かしているかのような星宮さんの笑みを思い返した。
あの時の笑みは、最初全てを受け入れてくれる菩薩に見えた。しかしすぐに、全てが手に取るように知られ、取り込まれてしまうような恐れを感じた。
怖い。
ただそれだけを思い、アキラは何も答えずにあの場を逃げ出した。
そしてアキラの思考ある結論を導きだした。
星宮さんの正体は、人を魅了し、掌握する能力を持つ人ではない何か。
そう考えると、抽象的な返しをしてきた理由も妙に納得出来て、アキラの心を落ち着かせられた。
もし星宮さんが人ではないのなら、と考えてみる。
星宮さんは人でないから、裏切られることもない。何故なら今見せている姿が本物ではなく、裏であるからだ。つまりはアイドルと同じで、今見えてる星宮さんは偶像で、記号なのだと思うことが出来る。
そうなれば、この心を我慢することも、諦めることも必要なくなる。アイドルを追いかけるように、理想を追い続けることが出来る。
それで、いいんだ。
「ケイくん」
星宮さんの声がした。身体に緊張が走る。しかし、自分に用がないと理解し、力を抜いた。
どう接すればいいのか、判断に悩む。
「え、なになに」
木村は嬉々として返事をする。アキラは徐に顎を上げると、木村が立ち上がって星宮さんのいる黒板前へ歩いていった。大抵の男子は星宮さんに名前を呼ばれた喜びを隠しもせず、ひょこひょこと彼女の前に向かう。その態度であっても星宮さんは嫌な顔をせず、むしろ一緒に楽しげに笑うのだ。
その笑顔見たさか、時が経るにつれてテンションをあげていく猛者もいる。
木村と星宮さんが話している姿を眺める。照れている木村を見て、普段は筋肉馬鹿だが、ちゃんと女性に興味がある健全な男子なんだなと再認識した。
しばらくして木村がアキラの前に戻ってくる。
「やっぱりかわいいな! 星宮さん」
「そうだね。で、何用だったの?」
「ああ、今日俺と星宮さんが日直だから、仕事の割り振りをちょっとね。いやあ朝から星宮さんと話せて、今日はいい日になりそうだ」
「そうかい」
ご機嫌な木村に簡素に相槌を打つ。
「それにしてもいいよな」
「なにが?」
「星宮さんが、下の名前で呼んでくれるとこ」
「ああ、そのこと」
星宮さんは基本的に男女問わず誰にでも同じように接して、下の名前に敬称をつけて呼ぶ。付き合いが長くても初対面でも同じで、だから男子達は仲良くなったと錯覚し、接し方は皆と同じでも自分に特別な想いを抱いているのではないかと妄想し、告白していくのだ。
「みんな木村とか木村くんとか、キムとかで苗字でしか呼んでくれないからさ。ケイくんって読んでくれるだけで嬉しいじゃん」
「逆に、木村って苗字忘れてるだけかも」
「なーに言ってんだよ。俺程木村木村してるやつはいないぜ」
木村から豪快に背中を叩かれ、アキラはムキムキの筋肉にやられた衝撃で咳き込んだ。続けて叩かれることを避けるため、アキラはのっそりと体を起こす。
「そんな木村な俺でも、星宮さんの前では、ただのケイくんだ。星宮さんの前では、全ての人間は平等である、ってな」
口笛でも吹きそうな、陽気な調子で木村は笑う。よほど星宮さんと話せたことが嬉しかったのだろうか。
「何宗教なの、それ」
「星宮さん教?」
「怖いよ。木村の思考がね」
テンションが高くなってしまった木村を適当にあしらいつつ、朝の時間を過ごす。
口では木村の相手をしていたが、アキラの頭は別のことを考えていた。
星宮さんは、誰との間にも壁はなく、平等に接する女の子だ。脳味噌さえも筋肉で構築されていそうな扱いづらい男の子であっても、生徒会長を務めて優しく近しい女の子であっても、同じように接するのだ。もちろん、友達が少ないアキラにも。
誰であっても、星宮さんには違いがないのでは、という嫌な考えが頭をよぎる。
もし仮にそうだとしたら、彼女の目から、アキラ達はどのように映っているのだろう。
水平線上にいるアキラと木村を、星宮さんが海辺から眺めて微笑んでいる場面が、頭に浮かんだ。筋肉の鎧をまとうガタイのいい木村と、肉のない細い身体のアキラはまるっきり体型が異なるデコボコの二人は、シルエットでは容易に見分けがつく。しかし、海辺から遠いところにいたら、目を凝らしても、違いなんて見えない。
星宮さんの目から見えるアキラ達は、そういう存在なんじゃないか、と被害妄想が巡る。
「僕は」
あのときの問いから逃げ出した人間が、偉そうに言えるものではない。
さらに、これはただのアキラの被害妄想にしか過ぎないはずだ。
アキラのことが認識されないのなら、アイドルを追いかけるように、一方的に眺めていれば済む。そう考えて、納得しさえすれば、全ての問題は解決するだろう。
けれど、このままでは嫌だ、とアキラの奥底から何かが吹き出してきた。
「みんなと同じなんて」
何でもいいのだ。
彼女の景色に埋もれてさえいなければ、それでいい。
彼女の日常に埋もれる、取るに足りないものにはなりたくなかった。
あの帰り道での遭遇の話を学校でしない理由が、アキラがそういう存在だからなのでは、と考えが進む。通学路で偶然出会う犬のような、ただの通学中のイベントだと思われているからではないかと、考えたくないのに考えてしまう。
被害妄想なのは分かっているはずなのに、アキラはもう思考を止められなかった。
「それだけは、嫌だ」
勝手な思いであることは、分かっていた。
しかし、もう心の中で抑えておくことは出来なくなったのだ。
「だから」
口のなかで噛み締めて、決意を固める。
想いを伝えるのは、勿論あの場所で。