10 星宮さんは 隠してる
馴れたもので、今回で三回目の尾行だ。
星宮さんは今日も同じ経路で寄り道もしないので、アキラは苦労なく尾行を行えていた。遮蔽物となるものの位置も覚え始め、よりスムーズな尾行になっている。
しかし、いくらスムーズに尾行出来るようになっても彼女は既に感づいているだろうから、尾行による本来の目的は失っていた。こう何度も行えば気づかないほうがおかしいのだ。ただ彼女が変わらず楽しげに帰っているところを見ると気づいていないのかもと思ってしまうが、むしろ最初の尾行からばれていたと考えた方がしっくりくる。
しばらく歩いて、二度彼女と交差した曲がり角までやってきた。
彼女の後姿を追いつつどう声を掛けようかと考えていると、彼女はふいにピタリと足を止めて直立した。くるりと回ってスカートを優しく風に持ち上げさせ、体をアキラの方へ向けた。
「二度あることは三度ある、かな?」
やはり、見抜かれていた。
アキラは抵抗無く、隠れていた壁から歩いて出る。
「こ、こんにちは?」
「こんにちは!」
星宮さんの快活な返事が返ってくる。それに動揺し、何を聞くべきなのかがアキラの頭の中から抜け、戸惑った。
「ねえ」
彼女はアキラに歩み寄りながら微笑む。
「あの時の質問の答え、今日は教えてくれる?」
――教えて? あなたの秘密。
あの時の声がそのままアキラの脳内で再生される。
「うん。いいよ」
出来るだけ穏やかに答えるように努める。けれど、耳に入る声は明らかに震えていた。
アキラは深呼吸を繰り返して、鼓動が落ち着くのを待つ。だが早鐘になった心臓はゆっくりになるどころか、早まっていった。
星宮さんを見据え、アキラは思う。
隠さなきゃいけないことかもしれない。
でも、ここでも隠し続けていたら、彼女の声は聞こえない。
たとえこの場で心を砕かれたとしてもいい。
発展も終わりもせず、自分の中で彼女の存在が膨れ上がっていくことにもう耐えられないのだから。
「ストップ」
アキラが口を開こうとした瞬間、星宮さんの声で遮られた。思考が止まり、視線が彼女の顔をとらえる。
「ごめんね、教えて言ったのにすぐ止めちゃって。あれから考えてみたんだ、私の秘密。そしたらあったよ。あなたに対して、隠していること」
「そうなんだ」
星宮さんの告白に戸惑いながら、アキラは彼女の次の言葉を待つ。
「あなたが隠していることを教えてくれたら、教えてあげるなんて言ったけど、それは駄目だよね、って思ったんだ」
「どういうこと?」
「フェアじゃないんだよ、あなたが先に話すと」
「フェアじゃない?」
星宮さんが話せば話すほど、意図が読めずに混乱する。
「うん。私の秘密、私が隠してたものはね。あなたが隠していることについて私が知ってる、ってことだから」
アキラが隠していることを、星宮さんは知っている。
その言葉を突きつけられて、アキラの目の前が歪んだ。
「本当、に?」
「うん。本当に」
アキラには隠していること、隠さないといけないことがある。それを知られて、どういう反応を返せばいいのか分からず、ただただ困惑した。
「その前に一つお話をいいかな?」
黙るアキラに、星宮さんは軽い言葉で続ける。
「こういう噂話を知ってる? どうして彼女には彼氏がいないんだろう、あんなに可愛いのにって噂」
星宮さんの話だ、と頷く。しかし、先程の話とこの話の関連性が見えず、黙ったまま話を促す。
「それに対する続きはこう。馬鹿、彼氏いるじゃん。知らないの、って」
まるで先週アキラ達がしていたものと同じような会話だった。アキラが問いかけて、木村が否定する。あの時の出来事がアキラの脳内に思い浮かぶ。
「これが、私があなたに隠していること」
星宮さんはそう言って、バレエをするかのようにくるりと一回転する。
「それが、隠していること?」
アキラは口に出して、星宮さんの言葉を飲み込んだ。
それはつまり、アキラと木村がしていた会話を聞いていたってことを意図しているのだろうか、と考える。彼女は既に帰っていたと思っていたけれど、どこかに潜んでいたのだろうか。
もしくは教室に盗聴器でもしかけてあるのか、読心術でも持っているのか、アキラの企みを看破していることを告げたいのか。彼女が何を言いたいのかについて思考を巡らす。
「誰についての噂話をしていたのか分かる?」
「誰って、星宮さんだよね」
アキラは当然のように返す。分かっているはずの答えを聞いてくるのに疑問を抱くが、ナゾナゾなのかもしれない。
しかし、星宮さんの口からは全く予想外な答えが返ってきた。
「あなたの話だよ、アキラちゃん」
「えっ」
理解が一瞬遅れる。予期しなかった答えと、それが意味するものが想像出来ない。
「それが、隠してたこと?」
「うん、そうだよ。あなたにどうして彼氏がいないのか。その理由を、隠していることを、私は知ってた」
星宮さんは後ろに手を組み、アキラの顔を見て微笑む。
その笑顔から、全てが見通されていることを感づく。それでも本当に見抜いているのかを確かめたくて、アキラは問いかける。
「理由を知ってるの?」
「うん。あなたが好きになる人は女の子だから。だよね?」
「そうだよ。うん、そうなんだ」
言葉を噛み締めて、事実を再確認して、頷いた。
彼女は黙ったままアキラを見つめている。アキラは訴えるように震える声で続けた。
「そんな察しがいい星宮さんなら。今僕が好きな女の子、分かるよね?」
心の奥底に隠していた記憶が蘇ってくる。最初に浮かんだのは小学生の頃に好きになった友達の顔だった。その次は、友達を意識し始めたころのアキラのぎこちない言動だった。そして最後に、彼氏が出来たことをアキラに嬉しそうに報告してきた友達の笑顔が浮かんでくる。
「分かってるよ。あなたが今好きな人は、私だよね」
すぅっと優しく息を吸い、彼女はアキラを見つめた。
「私はね、好意の視線や好奇の視線、軽蔑の視線。自分に向けられた視線に敏感で、それがどういうものか何となく分かるんだ。私が暮らしてた環境のせいかな。いろんな種類のドレスを着せられ、多くの人に囲まれた場所で笑みを保ち続ける、って暮らしが続いてたから。簡単に言ってしまえば、絵に描いたような貴族な生活をしてたんだよ」
彼女の口から出てきたのは物語めいた話だった。けれど彼女の振る舞いを振り返ってみると、納得できなくもない。
「だからね。あなたが、アキラちゃんが、私に向けていた視線にも気づいていた。それが好意の視線で、ただの同性の同級生だと思っている相手に向けるものじゃないって」
「いつから?」
「いつからだったかな。多分、同じクラスになってからじゃないかな。その頃から感じてはいたかな」
「そうだったんだ」
彼女の察しの良さは、理解出来た。アキラの恋心も看破しているようだ。それなら、その先にある想いも彼女は察しているだろう。唾を飲み込み、その質問をぶつける。
「ねえ、星宮さん」
「うん?」
「星宮さんにも、彼氏はいないんだよね」
「そうだね」
「それはどうして?」
期待した。暗闇の中に差す出口からの光を望むように、そこに一縷の望みをかけたのだ。
希望をこめたアキラの問いに、「ごめんね」と星宮さんは困ったような笑みで返した。
「あなたの望む答えはあげられない。私アキラちゃんと、同じじゃないんだ」
分かっていた答えだった。勝手にアキラが期待して、勝手に裏切られたと思い込んでいるだけだ。それはアキラ自身よくわかっていたし、自戒もしているつもりだった。しかし、想いは止められなかった。
「それなら、諦めさせてよ」
ぼそりと、恨みがましく呟く。
これは八つ当たりだ。自覚しつつも想いの渦を止めることは出来ず、口が動く。
「彼氏がいないから、僕は期待してしまうんだ。全て諦めるつもりだったんだ。恋の役割を全てアイドルに押し付けて。でも、星宮さんに対しては、それが出来なかった。諦めることが出来なかったんだ」
「アキラちゃん」
「僕の想いが、勝手なのは分かってる。男女の恋愛だったとしても、これはおかしな執着だって。星宮さんはこの想いも察してるんだよね? それなら、彼氏がいない理由でも、どんな秘密でもいい。誰にも言わないから。僕に、諦めさせて」
ただすがるだけの、もたれかかるだけの、弱々しい叫びだった。アキラは口を閉じ、静かに聞いてくれていた星宮さんの返事を、待つ。
「勝手に自己完結しないでくれるかな」
星宮さんは呆れたように腰に手を当て、アキラに背を向けた。
「フられて満足だとか玉砕万歳だとか思ってたりする?」
そうして、再びアキラのほうに向き直り、前かがみでアキラの顔に迫る。軽く眉間に力が入っているように見え、怒っているのだとアキラは感じた。
「私の気持ちを無視しないで」
詰め寄りにたじろいでアキラが仰け反ると、それに合わせて星宮さんも姿勢をもとに戻した。
よく聞いてね、と人差し指を立て、軽やかな声で言葉を続ける。
「先に彼氏がいない理由を答えておくと、それは私を見てくれる人がいないから、だよ。告白してくる男の子は、いつも私に自分の理想を投影してるだけなんだ。だから好きなのは男の子達の理想像であって、私じゃない」
それを演じてる私が原因だから、我儘ではあるんだけどね? と彼女は付け足して苦笑を漏らす。
「でも、アキラちゃんは違ったんだ」
「僕?」
「うん。私の内面を見ようとしてくれた。動機はちょこっと特殊だったけど、嬉しかった」
「それって、もしかして」
「だめ。期待は、しすぎないで。でも私はアキラちゃんのこと好きだよ。ただの同級生じゃあ惜しいくらいには」
星宮さんは微笑んで片手を差し出した。
「まず、友達から、ね?」
けれど、アキラは気持ちを抑えきれず彼女に抱きついた。彼女が自分を受け入れてくれたことがとても嬉しかったのだ。アキラは拒否されてもおかしくないと、明日教室で顔を合わせることさえ苦痛の日々が待っているだろうとも考えていたのだ。
恋人にはなれなかったけれど、星宮さんの何かになれた喜びが、心の中に広がっていく。
「うん。友達から」
「よろしくね」
星宮さんもアキラの背に手を回し、抱き返した。このまま時が止まればいいのにと幸せを噛み締める。
「ねえ、アキラちゃん」
抱き合ったまま、アキラの耳元で星宮さんが囁く。
「隠しごとはしないつもりだから、アキラちゃんには先に言っておくね」
「え、何?」
「私はまだ恋をしたことがないの。だから、アキラちゃんが教えてくれると嬉しいな」
「それって」
星宮さんの耳元での告白に、アキラは体が熱くなる。
恋をしたことが無いということは、これから男の子が好きになるかもしれないけれど、もしかしたら。
「駄目だよ。勝手な期待は。アキラちゃんとは友達になったばかりなんだから。友達として、教えてね」
「そうだね、わかったよ」
アキラも彼女の耳元で囁き返す。
「これからよろしくね、星宮さん」
「マナでいいよ、アキラちゃん」
「よ、よろしくね、ほし、マナさん」
「自分のペースでいいよ、これからなんだからさ」
今はまだ、友達になったばかりだ。
この先どうなるかなんて、誰にも分からない。
彼女とアキラがこれからどんな関係になるのかも、予想できない。
けれど、未来は隠されていないはずだから、前へ進んでいけば必ず道があると、信じてる。
「もう落ち着いた?」
「うん。ありがとう」
長い抱擁を解き、お互いはにかんで見つめあう。
またもそこで長く見つめあう時間が生まれるかと思いきや、「あっ」とアキラが声を上げた。
想いをぶつけ、冷静さを取り戻したアキラは、あることに気がついた。
「どうしたの?」
「たいしたことではないんだけどね」
そう前置きして、アキラは背後にある曲がり角を指差した。
「あの場所、最初に僕がマ、星宮さんに見つかった場所なんだ」
「ああ。そうだったかも」
「今更なんだけど、あの時ってどうやって僕の後ろに移動したの? どういうトリック?」
「それはね――」
単なる好奇心の質問だったので、すぐ返ってくると思っていたけれど、星宮さんは珍しく言いよどんだ。
星宮さんは曖昧に微笑み、くるりと体を半回転させる。
トットッと二回地面を蹴って、またくるりとアキラのほうに体を向き直った。
腰をかがめ、星宮さんは伸ばした人差し指を唇に当てる。いたずらっぽい笑みを浮かべて、アキラに向かってウインクする。
アキラには、その可愛らしい仕草が、星宮さんがこう告げているように見えた。
――私が隠してること、当ててみて?
読んでいただきありがとうございました。
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あとがきは長くなりそうでしたので活動報告の方に記してあります。
よろしければどうぞ。
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